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“都会のローカル線”大阪「汐見橋線」全踏破 派手さはなくとも地域を支える
2026年6月26日 08:20
大阪府大阪市の難波には、JR線・南海電気鉄道・Osaka Metro(大阪メトロ)・近畿日本鉄道・阪神電気鉄道といった多くの鉄道路線が乗り入れ、大阪屈指の繁華街を形成しています。特に南海の難波駅は老舗百貨店の高島屋が併設し、近年は駅前広場がリニューアルするなど難波のシンボルともなっています。
難波駅は南海本線と高野線という2路線の電車が頻繁に発着するターミナル駅で、高野線は日本有数の宗教都市・高野山や2004年に世界遺産となった熊野古道へと通じる路線として多くの観光客を集めています。
高野山方面へ走る全列車は難波駅から発着していますが、高野線の起点になっているのが難波駅から西へ約1km離れた汐見橋(しおみばし)駅です。
汐見橋駅から発着する電車は、汐見橋駅-岸里玉出駅間を行き来するだけになっています。同区間は高野線の一部ですが、近年では実態に合わせて汐見橋線と呼ばれることもあります。
難波駅から徒歩で約10分の距離にある駅が起点のローカル線・汐見橋線の全線踏破に挑みました。
難波から近いもののにぎわいに大きな差
大阪府大阪市は人口が約280万人超を誇る国内有数の都市です。大阪市内はJR線や私鉄・地下鉄が市内を網の目のように走り、各駅は利用者・住民でにぎわっています。そうした中、時間が止まっているかのような風景に出会えるのが汐見橋線です。
汐見橋線というのは通称で、正確には高野線の汐見橋駅-岸里玉出駅間の約4.6kmを指します。汐見橋線の起点となる汐見橋駅は大阪屈指のターミナルとして栄える難波駅から約1kmしか離れていません。
わずかな距離しか離れていませんが、駅前の喧騒は大きく差があります。異なるのは駅前の様子だけではありません。駅そのものも段違いの差があります。
難波駅は2007年から段階的に駅前の整備が進められ、現在は歩行者を中心とした空間が広がります。駅前にはコンビニやファーストフード店、ファミレスをはじめ多くの商業店舗が並んでいますが、汐見橋駅に駅前広場は整備されていません。
駅前の大通りは自動車の往来が激しいものの、商業店舗は多くなく、難波駅とのにぎわいの差は一目瞭然です。そうした状況を反映しているのか、汐見橋駅の駅舎は簡素な平屋建てで、難波駅のような駅ビルも併設されていません。
汐見橋駅からは阪神電鉄や大阪メトロ千日前線に乗り換えができますが、両線は「桜川駅」を名乗っています。南海だけが汐見橋駅の名称を使っていることも相まって、汐見橋駅は都会の中に取り残された秘境駅といった雰囲気を漂わせています。
関空開港時に膨らんだ汐見橋駅需要増の期待
汐見橋駅は南海電鉄の前身にあたる高野鉄道が、道頓堀駅として1900年に開業させました。翌1901年に汐見橋駅に改称し、紆余曲折を経て南海の駅となっています。
高野線の起点駅ですが、1925年には難波駅から高野線へと直通する列車の運行を開始し、1985年には汐見橋駅-岸里玉出駅間の線路が高野線から切り離されました。これにより、同区間を走る電車は汐見橋駅-岸里玉出駅間を行き来するだけになりました。
それから40年以上の歳月が経過しました。汐見橋駅-岸里玉出駅間は大阪市の中心部を走りながらも、その沿線風景は都会から隔絶されたような雰囲気となっています。
南海は駅活性化の一環で、汐見橋駅の駅舎壁面にアート作品を描くプロジェクトを立ち上げました。2020年に完成したアート作品はにぎやかだった1900年代の汐見橋駅を想起させるものになりました。
汐見橋駅を出発して、次の芦原町(あしはらちょう)駅へと向かいます。線路に沿って走る道路は、なにわ筋と呼ばれる大阪市の主要道路で、頭上には阪神高速道路の高架線が走っています。
大阪の玄関口となっている大阪駅は「キタ」と呼ばれる一帯に立地していますが、汐見橋駅は難波駅を中心とする「ミナミ」と呼ばれるエリアにあります。1980年代、キタとミナミを結ぶ鉄道としてなにわ筋線が企図されました。しかし、なにわ筋線の議論は盛り上がりませんでした。
なにわ筋線が再び注目される契機になったのは、1994年に関西国際空港(関空)が開港したことです。
それまで大阪圏の主要空港は大阪国際空港(伊丹空港)が、その役割を一手に担ってきました。社会が国際化する中、国内線と国際線を分離する動きは強まっていきました。東京圏では国内線が東京国際空港(羽田空港)、国際線が成田国際空港という棲み分けをしていたこともあり、大阪圏でも同様の流れが生じていたのです。
こうした動きを受けて開港した関空でしたが、24時間発着可能という条件を満たすために海上空港とならざるを得ず、そのために大阪府泉佐野市・泉南市・田尻町にまたがる泉州沖に建設されることになりました。
関空は大阪市中心部から遠く離れた地にあり、特にキタからの鉄道での移動は面倒臭いものでした。そうしたアクセス状況を改善するべく、なにわ筋線を建設してキタ・ミナミ・関空を一直線につなげる鉄道計画のなにわ筋線が再びクローズアップされたのです。
当初は、なにわ筋線は汐見橋駅付近を通って大阪駅までのルートが構想されていました。そのため、汐見橋駅にもなにわ筋線の電車が止まることになるのでは? という期待もあったのです。
関空が開港した1994年、すでに汐見橋駅を発着する電車は汐見橋駅-岸里玉出駅間を行き来するだけになっていました。そのため、駅および駅周辺もにぎわいが薄れていたわけですが、なにわ筋線の駅が開設されれば、関空からのビジネスマン・観光客の需要が期待できます。
膨らんだ期待でしたが、試算された建設費が高額になったため計画は白紙に戻りました。しかし、その後に訪日外国人観光客の増加、特に関空利用の外国人観光客が増えたことで、なにわ筋線の建設計画が改めて動き出しています。
ぽつんと駅舎が立つ“大阪市内にある秘境駅”
交通量の多いなにわ筋を南下していくと、線路の西側に歩道橋が見えました。その歩道橋には、カラフルな文字で企業名が記されています。これは歩道橋の費用を賄うため、大阪市が始めたネーミングライツです。
大阪市は1989年から実質収支の黒字化を36年連続で達成しています。しかし、国から配分される地方交付税の不交付団体にはなっていません。そうした事情を踏まえ、大阪市は少しでも収入を得ることを目指して公共施設でネーミングライツを募集。ネーミングライツで得たスポンサー収入で市の行財政を賄おうとしています。
昨今、こうしたネーミングライツは各自治体で導入されています。特に大阪市オリジナルの政策ではありませんが、大阪市は区民センター、図書館、スポーツセンター、船着場、そして歩道橋といった公共施設でネーミングライツを導入しました。
図書館やスポーツセンターは多くの市民が利用するため、高いスポンサー収入を得られます。その一方、市民・利用者からは「地域に親しまれている名称が変わってしまい、まるで企業の私有物になっている気持ちになる」「契約のために導入されているネーミングライツは、企業の事情で名称が変わることも珍しくなく、覚えづらい」といった批判も聞かれます。
他方、歩道橋のネーミングライツは住民・利用者ともに親しみを抱きにくい公用物という理由もあって、目立った批判はありません。歩道橋のスポンサー料は図書館やスポーツセンターに比べれば小さいのですが、それでも批判がなく、それでいて財政に寄与するという縁の下の力持ちのような存在なのです。
ネーミングライツの歩道橋を見ながら進み、阪神高速となにわ筋が分離すると芦原町駅に到着です。
芦原町駅は汐見橋線の電車だけが停車する駅ですが、約280m東側にJR大阪環状線の芦原橋駅があります。芦原橋駅は大阪市の中心部をぐるりと周回する大阪環状線の駅で大阪の大動脈ともいえる鉄道路線です。
芦原橋駅は大阪環状線の駅の中で利用者数が多いわけではありませんが、それでも芦原町駅と比較すると人の流れに段違いの差があります。両駅は近接しているので、芦原町駅は芦原橋駅に利用者を奪われているような印象を受けました。
芦原町駅から、再び阪神高速の高架下を歩きます。汐見橋線の線路と阪神高速が分離する地点には大きな歩道橋が架かり、絶好の撮り鉄スポットになっています。
歩道橋を通り抜けると、街並みは工場街といった趣に変わります。汐見橋線にもどことなく貨物専用線のような雰囲気が漂っています。次の木津川駅(きづがわ)は西側にしか駅舎がありません。筆者は線路の東側を歩いていたので、どうやって駅舎に到達するのか戸惑いました。
木津川駅は汐見橋線の中でも特に利用者が少ない駅で、駅周辺から醸し出される独特の空気も相まって、好事家からは“大阪市内にある秘境駅”と呼ばれているようです。東側に駅舎はありませんが、西側へと通じる小径があります。
地元住民と思しき人が自転車で渡っているのを目にして、筆者も小径から線路を渡って西側へ行ってみました。小径を渡った先には、ぽつんと駅舎が立っています。そして駅前の路面は未舗装でした。こういったあたりが、都会の秘境駅といわれる理由なのかもしれません。
木津川駅の西側には、駅名の由来にもなっている木津川が流れています。木津川駅から線路沿いの側道がなくなるので、木津川沿いの道路を歩きます。道路と木津川の間には町工場や倉庫が立ち並んでいますが、その隙間から木津川を垣間見ることもできます。
レトロな雰囲気が漂う木造駅舎の西天下茶屋駅
木津川駅からは、そのまま線路沿いを南下できないので木津川沿いの道まで出てから南下します。国道43号の高架線をくぐり抜けてから、少し歩くと側道が見えてきます。そのまま側道を南下すると津守(つもり)駅に到着です。
津守駅の西側には大阪府立西成高等学校・西成公園・大阪市下水処理場が広がっています。同地には尼崎紡績(現・ユニチカ)の紡績工場が操業しており、最盛期には4,000人の工員が働いていました。そのため、津守駅は多くの通勤需要があり、駅東側にある商店街は活気に溢れていました。
工場は1952年に操業を停止し、その後に一部の敷地が二チボーリバーサイドプールとなりました。同プールは6,000人収容という大きなレジャー施設で、工場から労働者が消えた後も商店街はにぎわいましたが、現在は閉鎖されています。その面影は今もわずかに残っていますが最盛期を感じるはできません。
津守駅を出た電車は、住宅街の中を高架線で走り抜けていきます。側道はないため、住宅街の中を縫うように歩いていくと西天下茶屋(にしてんがちゃや)駅に到着です。
西天下茶屋駅の周辺は1996年から1997年にかけて放送されたNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」の舞台になった地です。約30年前に放送された連続テレビ小説の舞台なので聖地巡礼をしている観光客を目にすることはありませんが、西天下茶屋駅はレトロな雰囲気が漂う木造駅舎として鉄道ファンや建築ファンからも注目されています。
西天下茶屋駅の建設年は不詳ということですが、郷土史家などによって建設年の特定作業も進められています。
西天下茶屋駅の周辺は民泊をはじめとした宿泊施設が多いようで、住宅街の中を歩いていると、大きなキャリーケースを引いている観光客を目にします。新型コロナウイルスの感染拡大によって2020年から数年間は、外国人観光客が一気に姿を消しました。コロナ禍も収束し、訪日外国人観光客はコロナ前よりも増えていますが、西天下茶屋駅の周辺では外国人観光客のみならず日本人観光客も目立ちました。
西天下茶屋駅を後にして、終点の岸里玉出(きしのさとたまで)駅を目指します。西天下茶屋駅からは府道41号線を歩き、途中から国道26号線を経由しつつ、右手に汐見橋線の高架線を見ながら歩いて行くと、左手にも高架線が姿を現します。左手から合流した高架線が南海本線で、汐見橋線と南海本線の合流地点に岸里玉出駅が立地しています。
汐見橋線という路線名は通称であり、正式な路線名は高野線です。岸里玉出駅で汐見橋線および高野線と南海本線はX状に交差しています。そのため、東側から合流してきた南海本線の電車は岸里玉出駅を境に西側へと抜けていきます。
岸里玉出駅は本線と汐見橋線(高野線)が交差しているので南海にとっても要衝駅のはずですが、同駅には普通列車しか停車せず、特急・急行はおろか準急も停車しません。
駅から商店街が放射状に伸びているので、駅前の人通りは多いように感じますが、普通列車しか停車しないので駅を利用している人は少なく感じます。また、高架下に駅の出入り口があるという構造も駅の雰囲気を寂しくさせている一因のように感じます。
岸里玉出駅から先も高野線は続いていますが、汐見橋線の全線踏破はここで終了です。汐見橋線は“都会のローカル線”“沿線全体が昭和レトロの雰囲気”といった惹句でたびたびネットニュースになります。
実際に全線を踏破してみると、確かに観光名所のような場所はなく、沿線外からふらりと訪問する人は少ないように思えます。しかし、駅周辺には商店街が残り、そこにはスーパーや八百屋、惣菜店、定食屋といった生活に欠かせない商店が軒を連ね、暮らしている人たちの息遣いが聞こえてくるようです。沿線を活性化させる取り組みも始まっていますが、汐見橋線は住民たちが日常を維持するための路線といえるでしょう。
昨今、東京・大阪といった大都市圏でも人口減少が進み、鉄道の利用者も減少する兆しを見せています。そうした流れから、鉄道事業者は沿線外需要を増やそうと取り組んでいます。汐見橋線はそうしたトレンドから一定の距離を置き、ひたすら日常の空気が流れています。
地域住民・沿線のために走る――長い歴史の中で鉄道が忘れてしまっていた役割を、汐見橋線は静かに保ち続けているのかもしれません。















