トピック
南海に統合した泉北高速を全踏破 政治に翻弄されたニュータウン路線の今
2025年5月1日 08:20
2025年4月1日、南海電気鉄道(南海)が泉北高速鉄道(泉北高速)を統合し、新たに南海泉北線になりました。同線は大阪府堺市や和泉市に広がる泉北ニュータウンの足として整備された背景があります。
泉北ニュータウンは高度経済成長期に計画され、堺市や大阪市のベッドタウンとしての役割を期待されていました。そのため、まず泉北高速は1971年に中百舌鳥駅-泉ケ丘駅間が開業しています。そして、1973年には泉ケ丘駅-栂・美木多(とが・みきた)駅間、1977年には栂・美木多駅-光明池駅間を延伸開業させています。
その後は長らく延伸していませんでしたが、1995年に光明池駅-和泉中央駅間が開業し、和泉市内にも線路を延ばしました。
奇しくも今年は和泉中央駅への延伸から30年にあたりますが、そんな節目の年に泉北高速は南海と統合を果たしました。新たに南海電鉄泉北線となった4月に泉北線の全線を踏破してみました。その模様をお伝えする前に、同線の複雑な歴史を振り返ります。
橋下徹大阪府知事誕生で泉北高速に大きな変化
昨今、全国で人口減少が鮮明になっています。特に高度経済成長期に大都市近郊で誕生した多くのニュータウンはまちびらきから約半世紀を経て高齢化が著しくなりました。そうしたニュータウンの様子を揶揄してオールドタウンと呼ぶ向きもあります。
すべてのニュータウンが高齢化・人口減少に悩まされているわけではありません。大阪府吹田市・豊中市の一帯に整備された千里ニュータウンは最盛期に比べると活気は減退していますが、それでも大阪市中心部へのアクセスがいいこともあり新しい世代の流入も見られます。
千里ニュータウンと比較されやすいのが、同じ大阪府内に造成された泉北ニュータウンです。泉北ニュータウンは1965年から開発事業を開始。当初は約18万人の人口を想定していました。そして、地域の足として泉北高速が建設されたのです。
泉北高速(現・南海泉北線)は、中百舌鳥駅-和泉中央駅を6駅で結ぶ約14.3kmの路線です。中百舌鳥駅からは南海高野線に乗り入れるので、多くの列車がそのまま難波駅まで走ります。そうした一体的な路線だったこともあり、南海電鉄に統合されたことは自然な流れと受け止められていました。
しかし、泉北高速がこれまで歩んできた歴史は複雑です。先述したように、泉北高速は泉北ニュータウンの足を担うべく建設されましたが、泉北高速を運行していた大阪府都市開発会社は鉄道事業だけを担当していた会社ではありません。同社は都市開発事業として東大阪・北大阪流通センターのトラックターミナルの運営や、りんくう国際物流センター運営や開発も手がけていました。
ニュータウンは人が住んでいない土地をイチから開発するわけですから、事業を開始した当初は鉄道の利用者は少なく、利益を出せません。こうした事情から民間事業者の参入は難しく、大阪府が出資する大阪府都市開発会社が第3セクターとして設立されて泉北ニュータウンを開発していったのです。
歳月の経過とともに泉北ニュータウンは開発が進みました。順調にベッドタウンとして発展していた泉北ニュータウンでしたが、2008年に大きな変化が起こります。それは橋下徹大阪府知事が誕生したことです。
橋下知事(当時)は大阪府の財政赤字を削減することを打ち出し、赤字額を穴埋めする財源として大阪府都市開発会社の株式を売却することを発案します。泉北ニュータウンの開発も軌道に乗り、大阪府都市開発会社は大阪府に対して年間で約1億2,000万円の配当を出す優良企業になっていました。株式の売却は一時的に府に莫大な収益をもたらしますが、毎年の配当収入はなくなります。そうした優良資産を手放すことに対して、大阪府議会から反対意見が出ていました。
それでも橋下知事は売却する方針を変えませんでした。株式売却の意向が伝わると、その買い取りに手を上げたのが南海電鉄です。しかし、大阪府は財政赤字を解消する目的で株式の売却をするわけですから、1円でも高く株式を買ってくれる相手を探しました。こうして2013年、南海よりも高値を提示したアメリカの投資ファンドであるローンスターに売却先が決まるのです。
売却先が外資系の投資ファンドということで、沿線住民は動揺しました。泉北高速は住民にとって欠かせないインフラです。安定的な運行をしてくれなければ、生活が成り立ちません。住民や沿線自治体からは「投資ファンドは経営のためというよりは利益を上げるために株式を取得する」と見られていたこともあり、ローンスターへの売却には反対意見が噴出します。
大阪府都市開発会社の株式売却には大阪府議会の議決が必要です。沿線住民や自治体から反対が強くなったことを受け、府議会もローンスターへの売却を否決しました。その後、大阪府は公募による株式売却から随意契約による売却へと切り替え、府議会の同意を得て南海へと株式が売却。こうして2014年に泉北高速は南海の系列会社になります。そして、このほど南海電鉄と統合されて泉北線になったのです。
株式売却の次は利便性の高い地下鉄延伸で危機
誕生から統合に至るまで、泉北高速は政治に翻弄されてきました。そうした政治との関連性は列車種別にも見え隠れしています。
泉北高速は1971年から南海高野線との相互乗り入れを実施し、協力関係を深めてきました。そうした中、1987年に大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)が御堂筋線を中百舌鳥駅(Osaka Metroでは「なかもず」駅)まで延伸させたのです。
高野線は大阪ミナミの難波駅をターミナルにしています。一方、御堂筋線はミナミの難波駅や天王寺駅だけではなく、大阪市の玄関口ともいえる梅田駅、新幹線との乗換駅でもある新大阪駅ともつながっています。御堂筋線が中百舌鳥駅まで延伸して乗換駅になったことで、高野線は乗客を奪われる危機に直面したのです。
南海・泉北は御堂筋線への対抗策として、新たに区間急行の運転を開始。区間急行は泉北高速内の各駅に停車しますが、中百舌鳥駅は通過します。さらに2015年から運行を開始した南海・泉北高速の直通特急「泉北ライナー」も中百舌鳥駅を通過します。利便性の高い中百舌鳥駅を通過する列車の運行を見ると、明らかに御堂筋線に利用者を奪われたくないという意思を感じます。
ただ、朝の通勤ラッシュ時に南海・泉北の中百舌鳥駅と御堂筋線の中百舌鳥駅とを結ぶ通路に立ってみると、多くの人たちが乗り換えのために両駅間を移動していました。こうなると、中百舌鳥駅を通過するというダイヤは、単に利用者に不便を強いているだけのようにも感じます。
かつては中百舌鳥に南海ホークスのホームスタジアムがあった
そんな南海&泉北と御堂筋線が静かに火花を散らす中百舌鳥駅から、泉北線の全線踏破を始めてみます。
南海の高野線は地上区間を走っているので、泉北線もそのまま地上区間を走っています。中百舌鳥駅から2~3分歩くと、泉北線唯一の踏切が見えてきます。同踏切は高野線との共用区間にあるので、朝夕のラッシュ時は頻繁に警報音が鳴っています。開かずの踏切というほどではありませんが、頻繁に遮断機が閉まるので、踏切の脇には歩行者・自転車だけが利用できる小さな地下道があります。ただ、踏切で10分ほど電車の行き来を眺めていましたが、地下道を利用する人はいませんでした。
泉北線唯一の踏切を通り過ぎると、中百舌鳥公園と団地の住棟が見えていきます。そのあたりから泉北線の線路は地下へと潜りますが、その地点にはかつて中百舌鳥球場と呼ばれて親しまれた中百舌鳥総合運動場があり、ひっそりと中百舌鳥総合運動場があったことを伝える碑も建立されていました。
中百舌鳥球場は南海鉄道(現・南海電鉄)が開業50周年を記念して1939年に開場した野球場です。中百舌鳥球場は南海の社有地に造成され、野球場よりも先にテニスコートが整備されています。
南海は長らくホークスというプロ野球チームを所有・運営していましたが、中百舌鳥球場が建設された当時はまだ職業野球は始まっていません。そのため、広く利用されることを意図して陸上競技場・相撲場・球技場・卓球場・体育館なども整備されたのです。
1938年に職業野球がスタートすると、翌年には南海軍(現・ソフトバンクホークス)が中百舌鳥球場をホームスタジアムに定めます。
大阪市中心部から遠かった中百舌鳥球場は、集客面での不利は否めませんでした。そのため、1950年に大阪・難波駅の隣接地に大阪球場がオープンすると、ホークスは中百舌鳥球場で公式戦を開催しなくなりました。
さらに、1964年には大阪市南部に立地する長居公園内に長居陸上競技場が完成。これにより、中百舌鳥総合運動場は役目を終えます。段階的に縮小していった中百舌鳥総合運動場は野球場を残して、残りは廃止されます。野球場は南海ホークスの2軍の練習グラウンドとして細々と利用されていましたが、施設の老朽化には抗えずに2001年に閉鎖されました。その後、約20年の歳月をかけて静かな住宅地に生まれ変わったのです。
中百舌鳥球場の跡地周辺から泉北線が地下を走っていると思われる道を歩いていくと、ロータリーと送電線の鉄塔が立っている道路に行き当たります。そのロータリーを突き進んでいくと白鷺公園です。
広々とした白鷺公園の西側には、2022年に大阪府立大学と大阪市立大学が統合して誕生した大阪公立大学の中百舌鳥キャンパスがあります。もともと同地は大阪府立大学のキャンパスでもあり、キャンパスの目の前に設置されたバス停には府大研究所前という旧称が残っています。
同じ「ニュータウン」でも泉北と千里には違いが
大阪公立大学の正門から泉北線の方向へと歩いていくと、先ほどまで地下を走っていた泉北線が高架線になって姿を現します。ここから泉北線の線路は、ほとんど側道が整備されています。
そのため、泉北線の電車を見ながら歩くことができるわけですが、線路と歩道の間には車線数の多い自動車道が整備されているので、泉北線の電車を間近で見ることはできません。
泉北線の高架線沿いを歩いていると、大きな池のある公園や緑地を多く見かけます。大阪府は全域でため池を多く見られる地域ですが、特に泉北線が走っている堺市は市内に約500ものため池が密集しているエリアでもあります。
堺市のため池は、農業用水として利水されることを想定して整備されました。しかし、高度経済成長期に都市化が進み、農業用地は住宅地へと転換していきました。そうした経緯もあり、ため池の水は農業用水として使われることは少なくなりました。そして、宅地化したことで生活排水の影響を受け、水質汚濁が問題になりました。
堺市は住民に憩いとやすらぎを与える場にしようと、ため池を親水空間へと整備する事業に取り組みました。こうした行政の努力もあり、水質は改善する傾向にあります。泉北線の沿線で、大きな池のある公園が点在しているのは、そうした堺市の歴史的が大きく関係しているのです。
ため池のある公園・緑地を横目に見ながら泉北線の高架線に沿って歩きますが、なかなか次の駅が見えてきません。中百舌鳥駅の隣にある深井駅までは、約3.7kmの距離です。また、深井駅-泉ケ丘駅の駅間は約4.1kmも離れています。
駅間の距離を考えると、これら駅の中間に新駅を開設することもできそうですが、今のところ新駅を開設することは検討されていません。
深井駅から泉北線は進行方向を南へ変えていきます。阪和自動車道を交差すると、線路沿いの道は起伏を繰り返しますが、その風景はいかにもニュータウン然としています。
同じ大阪府内に造成された千里ニュータウンと比較すると、千里ニュータウンも泉北ニュータウンも、どちらも丘陵地を切り開いて宅地開発が進められましたが、千里ニュータウンは北大阪急行電鉄の沿線に郊外に見られる大型店が多く並んでいます。
一方、泉北ニュータウンは駅を中心にして、そこから広がっていくように街が形成されている印象です。そのため、線路沿いに大型店は見られません。これは泉北ニュータウンが泉ケ丘・栂・光明池の3地区で一斉に面的開発を進めたことに起因していると思われます。
深井駅から泉ケ丘駅へ向かって歩いていくと、前方に大きな住棟群が見えてきます。これらが竹城台団地の住棟です。竹城台団地は約20mの高低差のある地形に建設されたこともあり、計画段階で住棟の配置などを工夫して建設されました。
そんな竹城台団地を過ぎると泉ケ丘駅に到着。泉北ニュータウンの中心的機能を担う泉ケ丘駅は、北口と南口で対照的な光景に広がります。北口は昔ながらの商店街が残り、南口は大型のショッピングモール「パンジョ」が立地しています。パンジョの核店舗は泉北ニュータウンの栄華を伝える髙島屋です。また、堺市立ビッグバンという大型児童館もあります。
泉ケ丘駅を過ぎると、多くの住棟が立ち並ぶ光景が再び飛び込んできます。これら昭和の雰囲気を醸し出している住棟群が大阪府営若松台住宅です。その隣には、堺市の住宅供給公社が建設した団地も広がっています。堺市の住宅供給公社は泉北ニュータウンの宅地化を進めることを目的に1975年に設立されました。
大阪府と堺市それぞれが2つの組織を立ち上げて住宅地の造成を進めたことからも、泉北ニュータウンにかけられた期待はかなり大きかったことが伝わってきます。しかし、堺市住宅供給公社は2020年に役目を終えて解散。それが泉北ニュータウンの衰退が囁かれる一因にもなっています。
泉ケ丘駅から次の栂・美木多駅までは約2.4kmあります。泉北線は各駅間の距離が長い傾向にありますので、両駅間の2.4kmはそれほど離れているわけではありません。しかし、ニュータウンという人工的につくられた街は単調な景色がずっと続くので、実際の距離よりも駅間を長く感じます。
栂・美木多駅は栂と美木多の両地区に配慮されて命名された駅名です。駅前には南区役所や堺市立栂文化会館といった公共施設が立ち並び、大型商業施設もあります。しかし、先ほどの泉ケ丘駅と比べると静かな雰囲気です。
栂・美木多駅は泉北線内では乗降者数がもっとも少ない駅ですが、駅南側にはバスロータリーが開設されています。また、駅前には新しく建て替えられた「トナリエ 栂・美木多」といった商業施設もあります。
それら商業施設が充実しているので、生活に不便を感じることは少なそうです。加えて、駅から徒歩数分の場所には約78,000m2もの敷地面積を誇る原山公園があるなど、自然も多く残されています。原山公園では毎週土曜日にパークランと呼ばれる、地域住民や愛好者たちが集まって園内を思い思いにランニングするイベントが実施されて交流を深めています。
堺市は2022年から原山公園でパークラン事業を開始し、現在は市内2カ所の公園でパークランを実施。まだ始まったばかりの取り組みなので規模は決して大きくありませんが、堺市はパークランの取り組みを今後も拡大することに力を入れていくようです。
衰退するニュータウンから一線を画した街・和泉中央
栂・美木多駅から光明池駅に向かって歩いていくと、再び巨大な団地が見えてきます。こちらは日本住宅公団(現・都市再生機構)と大阪府が建設した団地です。それらマンモス団地を通り抜けると光明池駅に到着。
泉北高速は1977年に当駅まで延伸開業しました。これまで繰り返し述べてきましたが、泉北高速は泉北ニュータウンの足となるべく整備された路線です。沿線には、ここまで歩いてきても実感するように集合住宅が多く建てられました。
そして、駅前には大型商業施設がオープンして住民の暮らしを支えていました。光明池駅も同じように街が計画され、泉ケ丘駅や栂・美木多駅に遅れたものの同じような軌跡をたどってきました。
光明池駅の駅舎は、泉北ニュータウン内に立地する泉ケ丘駅や栂・美木多駅と構造も雰囲気も似ています。駅前から広がる街並みも、両駅と共通する雰囲気を漂わせています。しかし、駅の上に掲げられた大きな駅名標からは、どことなく終着駅の威厳を感じます。
光明池駅を過ぎると、堺市を出て和泉市に入ります。和泉市に入ると、泉北線の車庫があり、電車が留置されています。
さらに歩いていくと、線路は阪和自動車と合流して和泉中央駅に到着です。
泉北高速が和泉中央駅へと延伸を果たしたのは1995年です。隣の光明池駅が1977年に開業していますので、約1.7kmの延伸に18年もの歳月が費やされたのです。
長らく泉北高速は光明池駅を終点にしていたので、光明池駅が実質的に泉北ニュータウンの最遠地と位置付けられていました。和泉中央駅まで延伸を果たしたことで、和泉中央駅の一帯も泉北ニュータウンに組み込まれることになり、ニュータウンが拡大したのです。
1995年はバブルが崩壊して数年が経ち、社会も不景気の空気に覆われていた時期です。また、東京では10年後の2005年頃から都心回帰の現象が鮮明になり、高度経済成長期・バブル期に造成されたニュータウンは時代にそぐわなくなっていました。
和泉中央駅は東京で都心回帰が鮮明になる10年前に、いわばニュータウンの仲間入りをしました。つまり、和泉中央駅はニュータウン全盛期の栄華を経験していないわけです。
和泉中央駅への延伸は、1975年に和泉市長に当選した池田忠雄市長(当時)が積極的に働きかけたことが大きな原動力になっています。池田市長は市長職を5期20年にわたって務めました。
20年という長い市政運営をしたので、池田市長が手がけた事業はたくさんありますが、その中でも泉北高速を和泉中央駅まで延伸させることは悲願のひとつでした。そして、奇しくも和泉中央駅まで延伸開業した1995年に池田市長は退任します。
和泉中央駅は遅れて開業しましたが、それが逆に奏功して、衰退するニュータウンという潮流から一線を画した街になっています。駅舎も駅前も新しい雰囲気で、駅周辺にはコストコやららぽーとといった平成期に台頭してきたショッピングモールが立地しています。そうした点も和泉中央駅の特徴的な部分です。
また、和泉中央駅まで延伸開業と同時に桃山学院大学のキャンパスが移転してくるなど、産官学が一体となったまちづくりが進められてきました。
こうした和泉中央駅の開業は、泉北ニュータウンを再活性化させる起爆剤になりました。和泉中央駅の開業を受けて、泉北線はさらなる延伸議論が浮上しています。とはいえ、日本全国で人口減少という兆候が出ていることから延伸には慎重な意見も多く、なにより費用対効果や収支といったクリアしなければならない難題もあります。そうした状況から、当面は和泉中央駅が泉北線の終点という役割を担い続けることになるでしょう。
前述したように、泉北線では2015年から難波駅-和泉中央駅間を走る特急列車「泉北ライナー」の運行を開始しています。泉北ライナーは区間急行と停車駅の数で2駅しか差がないため、所要時間でも大きな差は見られません。わざわざ特急料金を払って乗車するほどの時間短縮効果はありません。
しかし、泉北ライナーは座席指定車です。昨今、東京圏では「座って通勤したい」という利用者のニーズをうまく取り込み、座席指定車が好評を博しています。そのため、各社が次々と座席指定車を登場させました。
それまで泉北高速と南海は別会社だったので、通しで乗ると初乗り運賃を南海・泉北の2回払わなければなりませんでした。統合により、初乗り運賃は1回になり、実質的に運賃の値下げにつながりました。その浮いた分を特急料金に充てるといった具合に、利用者が泉北ライナーを使う機会が増えることが期待されています。
4月1日に統合されて生まれ変わったばかりの泉北線は、今のところ運賃体系などを除けば目立った変化は見られません。まだ活気を保っている泉北ニュータウンと泉北線の沿線ですが、今後は急速に少子高齢化と人口減少が進みます。それだけに、泉北線に課せられた役割は大きくなっています。