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発足10年の「四日市あすなろう鉄道」全踏破 全国でも珍しい762mm軌間

四日市駅を出発するあすなろう鉄道の電車。発足から10年を祝うヘッドマークを取り付けて運行中

近畿日本鉄道(近鉄)は大阪府・京都府・奈良県・三重県・愛知県に路線を有します。その路線長は約501.1kmにも及び、日本最大の私鉄となっています。

近鉄は長い歴史の中で多くの鉄道会社を合併・統合してきましたが、近年は沿線人口の減少を受けて路線網の縮小・分離を進めています。2003年には北勢線を三岐鉄道へと移管。さらに2007年には養老線と伊賀線を分離・独立させて、それぞれが養老鉄道・伊賀鉄道として再出発しました。

三重県四日市市を走る四日市あすなろう鉄道も、2015年に近鉄の内部(うつべ)線・八王子線から分離・独立した路線です。今年、四日市あすなろう鉄道は分離・独立から10年を迎えました。

そうした節目を迎えた4月に、四日市あすなろう鉄道の内部線と八王子線の全線踏破に挑んできました。

四日市あすなろう鉄道路線図(公式サイトより)

四日市あすなろう鉄道の特殊性と「軽便鉄道」の歴史

四日市あすなろう鉄道は、もともと近鉄の内部線・八王子線という路線として運行されていました。近鉄は長い歴史の中で多くの鉄道会社を合併・統合し、現在は日本最大の路線長を誇る私鉄になっています。

しかし、その中には役目を終えた路線も存在します。そうした路線は通常なら廃止されますが、沿線住民や自治体の要望によって存続する路線もあります。

存続しても経営的に重い負担になるため、鉄道会社から経営が切り離されて第3セクターや別会社として運行されることケースがあります。例えば、桑名市・いなべ市などを走る北勢線は過疎化の影響もあり、平成期には利用者が大幅に減少していました。そうした情勢から近鉄は北勢線の運行から撤退を表明。地元の三岐鉄道が運行を引き継ぎ三岐鉄道北勢線として現在も活躍しています。

近鉄四日市駅を起点に四日市市内を走っていた内部線・八王子線は、名称からも窺えるように内部線と八王子線の2路線で成り立っています。基本的には近鉄四日市駅-内部駅間が内部線、途中の日永駅-西日野駅の一駅区間が八王子線ですが、八王子線の電車は日永駅-西日野駅間だけを行ったり来たりするわけではなく、四日市駅まで乗り入れています。そのため、内部・八王子線と一体的に呼ばれることがほとんどです。

内部・八王子線の沿線は過疎化が進んでおり、マイカーが普及した現在においては利用者が少なくなっています。それが近鉄にとって重い負担でした。

ほかにも、近鉄が内部線・八王子線の運行を継続することに二の足を踏んでいた事情があります。それが内部線・八王子線の軌間です。

列車が走る線路は2本のレールを一組として構成されていますが、この線路の間隔を軌間と呼びます。国鉄の在来線を引き継いだJR各社は大半が1,067mm軌間です。JR各社は同じ軌間のため、列車の乗り入れが可能です。

一方、私鉄は1,435mm軌間で建設されることが多く、特に関西を地盤にしている私鉄の多くは1,435mm軌間です。近鉄は多くの鉄道会社を統合したこともあり、1,435mm軌間と1,067mm軌間が混在しています。

内部・八王子線も近鉄が買収した路線ですが、762mm軌間という特殊な軌間でした。そのため、ほかの路線と内部・八王子線は直通運転ができません。また、内部・八王子線のためだけに台車を製造しなければなりません。明らかに不経済です。

内部・八王子線は、どうして762mm軌間で建設されたのでしょうか? それを解明するには、明治期の鉄道政策を知っておかなければなりません。

日本の鉄道は1872年に産声をあげました。その後、全国各地に鉄道が広がっていきます。鉄道が建設されることで人や物を迅速かつ大量に運べるようになり、鉄道が走っている場所には産業が生まれました。産業が生まれることで地域経済が潤い、それが街の発展にも結び付きます。

それによって、全国各地で鉄道を建設しようとする声が高まりました。しかし、鉄道建設には莫大な費用が必要です。多くの需要があれば、多額の建設費を投じても回収できますが、人口の少ない農村で需要を生み出すことは容易ではありません。

一方、鉄道を全国の隅々まで行き渡らせたいと考えていた政府は、地方の窮状を踏まえて安価で鉄道建設ができる方法を考案します。それが軽便鉄道です。

軽便鉄道は通常の鉄道よりも線路や車両の規格をコンパクトにしています。規格を小さくしたことに比例して輸送力も小さくなりますが、建設費や車両の製造費、また維持費も安価です。

鉄道を地方にも普及させる目的で、政府は軽便鉄道を奨励します。そして、鉄道建設のハードルを引き下げた軽便鉄道は、特に地方都市から歓迎されました。

しかし、軽便鉄道はメリットばかりではありません。それどころか時代とともに異なる軌間の路線へ乗り入れできないデメリットが目立つようになります。

前述したように旧国鉄の在来線は大半が1,067mm軌間で建設されています。また、近鉄などの私鉄は1,435mm軌間で建設されることが多く、762mm軌間の軽便鉄道はどちらにも乗り入れができません。

自動車が普及して道路整備が進んでいくと、乗り入れができない軽便鉄道は短距離輸送しかできないことや輸送力が小さいというデメリットから時代に適合しなくなりました。一部には軌間を拡げるなど改良されて生き延びた路線もありましたが、多くの軽便鉄道は廃止されました。

内部線・八王子線は三重軌道という鉄道会社によって設立されましたが、歴史的な経緯から軽便鉄道に切り替えられました。

そうした紆余曲折を経た貴重な路線ですが、他方で762mm軌間という使い勝手の悪い路線でもあります。近鉄が廃止したいと考えるのは、経営的な観点で考えれば自然な流れといえます。

近鉄が内部・八王子線から撤退を表明しましたが、地元の四日市市は存続を要望。話し合いの末、2015年に内部・八王子線は近鉄と四日市市が出資する四日市あすなろう鉄道として再出発することになりました。

昭和30年代まで盛んだった生糸の輸送

四日市あすなろう鉄道が走る四日市市は明治期から工業都市として発展を遂げてきました。特に明治期は製糸業が盛んな都市で、内部・八王子線も製糸工場から四日市港まで生糸を貨物輸送することを期待されていました。

昭和になると軽工業から重工業への転換が図られ、海軍の軍需工場なども多く立地。戦後は石油コンビナートをはじめとする重化学工業へとシフトしていき、大規模な工場が多く立ち並ぶようになりました。そうした大規模工場が操業したことで、四日市は日本の製造業を牽引する都市になっていくのです。

一方、大規模工場から排出された煤煙や汚水は大気汚染や水質汚濁の原因になり、四日市民を苦しめます。当時の日本は敗戦から立ち上がった時期で、そのために政府は経済復興を最優先にしました。そうした政府の姿勢もあり、企業も生産活動に軸足を置き、工場から排出される煤煙や汚水に配慮していなかったのです。

その結果、全国各地で公害が発生。四日市でも呼吸器疾患が多発し、これらは「四日市ぜんそく」と呼ばれました。

四日市市は工業都市としての負の歴史を抱えていますが、四日市市全域に工場が立地しているわけではありません。四日市の大規模工場は、その多くが四日市港周辺に立地しています。内部・八王子線の沿線にも大規模な製糸工場があり、昭和30年代まで盛んに生糸も輸送されていました。

四日市市は戦前・戦後を通じて周辺の村を合併し、山側にも市域を拡大していきました。内部・八王子線は全線が四日市市内に所在していますが、これは合併によって周辺町村を市域に組み込んだからです。

四日市市に合併された旧村では、平成期に入っても農業が主要産業になっていました。現在でも市中心部から離れた地区では農村然とした風景が広がっています。三重県はお茶の生産量が全国で3位のお茶王国で、伊勢茶は全国的なブランドにもなっています。

そのため、内部・八王子線の沿線も全体的に工業都市のような光景は見られません。車窓からは、住宅地と農地が入り混じる田園風景が広がります。

四日市市が進める近鉄四日市駅周辺整備

そんなのどかな時間が流れる四日市あすなろう鉄道は近鉄の電車が発着する近鉄四日市駅と区別された、少し離れた場所にあります。近鉄四日市駅は駅に百貨店が併設されていることからも、四日市市の中心として機能してきました。

四日市の中心となっている近鉄四日市駅

一方、にぎわう近鉄四日市駅とは中央通りという幹線道路を挟んだ南側に四日市あすなろう鉄道ののりばがあります。現在、その傍で大きな円形の構造物を建設していますが、これは四日市市が郊外化を抑制する政策の一環です。四日市市は近鉄四日市駅周辺を整備して中心の街へと生まれ変わろうとしています。その一環として道路・街路を整備し、さらには公共交通を再編・充実させることを目指しています。

近鉄四日市駅前には、ウォーカブルシティの一環でもある円形の歩道橋を建設中

近年、国土交通省は自動車を中心とした都市から歩行者を中心とした都市への転換を奨励しており、そのためにウォーカブルな街(歩行者中心の街)という概念を浸透させようとしているのです。

そうしたウォーカブルな街を目指す自治体は自動車依存度が高く、郊外に大型店が進出している地方都市で目立っていますが、東京23区でも豊島区池袋で、駅東口を南北に貫く明治通りを改良し、ウォーカブルな街へと作り替えています。

四日市市もウォーカブルシティを目指し、近鉄四日市駅の至近には大型のバスターミナル「バスタ四日市」の建設工事が始まっています。

近鉄四日市駅前の商店街には、バスタ四日市の誕生を祝す横断幕が早くも登場している

四日市市が目指すウォーカブルシティは近鉄四日市駅の周辺だけにとどまらず、将来的にはJRの四日市駅方面にも範囲を拡大することが想定されています。JR四日市駅は近鉄四日市駅から約1.2km東側にあります。

近鉄四日市駅の周辺には商店街があってにぎわっているのに対して、JR四日市駅の周辺に駅ビルはなく、周辺の人通りはまばらです。

JRと私鉄の駅が少し離れて立地している都市は全国各地で見られますが、その場合はJR側がにぎわっているケースが一般的です。しかし、四日市では近鉄が優勢という表現では足りないぐらい、近鉄とJRの差が歴然としています。

こうした四日市の市街地の空白を埋めるべくウォーカブルシティを目指しているわけですが、それには公共交通の充実が欠かせません。あすなろう鉄道が、その重要な役割を果たす可能性も高いのです。

「八王子駅」はないのになぜ「八王子線」?

近鉄四日市駅からあすなろう鉄道の線路沿いを南へと歩いてみましょう。もともと同じ近鉄の路線だったこともあり、近鉄とあすなろう鉄道の線路は並んでいます。近鉄は名古屋線という特急が頻繁に走っている高架線です。

四日市あすなろう鉄道の四日市駅

対して、あすなろう鉄道は単線で地上を走っています。踏切で電車を待っていれば、車両を間近で見ることができます。前述したように、あすなろう鉄道は762mm軌間のため、コンパクトな車両が走っています。それは踏切で見ていても実感できますが、心なしか走る速度もスローに感じます。

あすなろう鉄道は近鉄から切り離された路線なので、運行本数が少ないというイメージがあるかもしれません。頻繁に走っているわけではありませんが、平日・土日祝日ともにデータイムは1時間に約4本も運行されているので、それほど利用しづらいわけではありません。

四日市駅から数分間は線路沿いにマンションなども見えます。線路に沿う側道をそのまま歩いていくと、突き当たりに大きな建物が見えてきます。この建物はホテルキャッスルイン四日市です。周辺に高い建物がないので、いきなり現れたホテルはどことなく場違いな雰囲気を醸し出しています。

このあたりから旧東海道が線路に沿うように合流します。現在は特に交通量が多い道路ではありませんが、東海道は江戸時代に整備された五街道のうち、もっとも人の往来が激しかった街道です。

そのため、街道には宿場町が多く整備されました。そして、宿場町の周辺には多くの店が軒を連ねてにぎわったのです。江戸時代はたくさんの旅人たちがここを通っていたと想像できますが、そうした面影は残っていません。

ホテルキャッスルイン四日市を過ぎると、完全に住宅地といった雰囲気です。赤堀駅はそんな住宅地にポツンと所在しています。

四日市駅から一駅目の赤堀駅。周囲は住宅地

赤堀駅を通り過ぎると鹿化川(かばけがわ)を渡ります。鹿化川は天白川の支流で、赤堀駅付近で南北に分流しています。そのため、線路に沿って歩くと、小さな橋を2回も渡ります。

鹿化川の橋梁を渡るあすなろう鉄道の電車

鹿化川を渡ると、内部線と八王子線が分岐する日永駅に到着です。日永駅前にはこぢんまりとした駅前広場が整備されてバスも発着していますが、周辺は物静かな雰囲気が漂っています。

内部線と八王子線が分岐する日永駅

日永駅のホームには、特殊狭軌線台車と三軌間レールがセットで展示されています。762mm軌間の鉄道は珍しいので同ホームで展示しているようです。これを目当てに鉄道ファンが同駅を訪れることがあるかもしれません。ただ、乗降客の大半は周辺住民なので、気にかけている人を見かけることはありませんでした。

日永駅ホームに展示されている特殊狭軌線台車と三軌間レール

日永駅から分岐する八王子線に沿って歩いていきます。日永駅から西日野駅までは八王子線という名称がつけられています。現在は、わずか一駅だけの八王子線ですが、八王子という駅はありません。これは、それまで同線が日永駅-伊勢八王子駅間を結んでいたことに由来しています。

日永駅を出発して、西日野駅へと走る電車

1974年の集中豪雨で天白川が氾濫し、その水害によって日永駅-伊勢八王子駅間は運転が不可能になりました。地域住民の要望もあって1976年に日永駅-西日野駅間は復旧しましたが、西日野駅-伊勢八王子駅間は廃止されました。

こうした歴史的な経緯から、八王子線は区間を短縮。現在は伊勢八王子駅まで走りませんが路線名は引き続き八王子線を使用しています。

一駅しかない八王子線なので、利用実態・運行形態は内部線の支線のようになっています。しかし、八王子線の方が歴史は長く、地元の愛着も強いことでしょう。そうしたことも八王子線の名称を使い続けている理由かもしれません。

八王子線の終点となる西日野駅前までは、入り組んだ住宅地の中を歩きます。西日野駅は駅前にロータリーが整備されています。そして、その向こうには路線の一部を失うきっかけになった天白川が流れています。

八王子線の終点となっている西日野駅

天白川の堤防には伊勢八王子線まで延びていた線路が敷設されていたようですが、その痕跡を見つけることはできません。西日野駅から堤防にかけて少し急勾配になっている地形だけが、微かに線路があったことを伝えています。

巨大なイオンタウンがあるも鉄道利用促進はしていない

堤防沿いの道から日永駅へと戻って、再び内部駅方面へと歩きます。日永駅から南日永駅へと歩いていくと、街並みが純然たる住宅地から大型店舗が並ぶ郊外の光景に変わっていきます。南日永駅の手前で線路を横切る笹川通りがあり、笹川通り沿いにはショッピングモールが立地しています。交通量はぐっと増えますが、笹川通りを越えると再び静寂な住宅地に戻ります。

南日永駅の周辺は住宅地だが、少し歩くと大通りがあり、郊外でよく見る大型店が並ぶ

こぢんまりとした南日永駅を通り、さらに線路に沿って歩くと泊駅に到着です。同駅の東側には東海道が南北に走り、その道路沿いには巨大なショッピングモールの「イオンタウン四日市泊」があります。開業時、同イオンタウンは国内で2番目の規模を誇っていました。そのため、周辺住民のみならず、遠方からも買い物客が押し寄せる一大商業施設になっています。

そうした商業施設がオープンすることは、あすなろう鉄道にもプラスに作用するはずですが、泊駅の周辺には駐車場・駐輪場、バスロータリーなどは整備されていません。そのため、パークアンドライドといった鉄道利用を促すような取り組みは見られません。イオンタウンで買い物をする人の多くは自動車でそのまま乗りつけていると推測されます。

泊駅の近くには巨大なイオンタウンが立地しているが、鉄道利用を促すコラボレーションは見られない

駐車場やバスの乗降場を整備することで四日市市が目指すウォーカブルな街にも弾みがつきそうな気もしますが、用地の確保などが難しいのかもしれません。こうした点からもウォーカブルシティという取り組みが一朝一夕には実現できない難しさを感じさせます。

イオンタウンから遠ざかるにつれて再び住宅地の趣が強くなり、追分駅に到着です。追分駅は東海道と伊勢街道が分岐する日永追分に由来する駅名です。街道の分岐点を意味する追分は全国各地に点在し、追分駅や〇〇追分駅も多数あります。同駅は開業時から一貫して追分駅を名乗り、伊勢追分駅といった駅名にはなっていません。そのあたりに街道の中でも最上格の東海道、その追分であるとの自負を感じさせます。追分駅は無人駅にもかかわらず瀟洒な駅舎デザインになっていて、駅内部にも四日市市制100周年を記念して誕生した四日市市のマスコットキャラクター「こにゅうどうくん」のアート作品が展示されています。

東海道と伊勢街道の分岐点となる日永追分
あすなろう鉄道の追分駅

追分駅から次の小古曽(おごそ)駅までは線路沿いを歩くことができず、線路から離れた住宅地を歩きます。家と家の間に視線をこらしても、電車や線路を見ることはできません。

住宅地から小古曽駅は接道が細く、ゆえに駅前に自動車を乗りつけることができません。そうした駅への細いアクセス道からも、同駅周辺が昔ながらの住宅地であることが窺えます。

小古曽駅に通じる道は細く、駅前まで自動車で乗り付けることはできない

小古曽駅を後にして、終点の内部駅へと向かいましょう。小古曽駅からは再び線路に沿う側道が現れますが、約200m南へ歩くと、線路から離れていきます。そのまま旧東海道に合流し、線路の方角へ歩いて行くと内部駅に到着です。

終点の内部駅。当初は、ここから鈴鹿まで延伸する予定だった

内部駅は車両工場が隣接し、側線もあります。鉄道要素の強い内部駅ですが、駅そのものは小ぶりです。そして、小さいながらも駅前ロータリーが整備されています。

内部駅と併設されているあすなろう鉄道の内部車庫

駅のすぐ南側には交通量の多い県道407号線が走っています。のんびり走る内部・八王子線の電車は時間の流れもスローに感じます。一方、県道は自動車が猛スピードで走り抜けていきます。また、県道を境に街の雰囲気も大きく違っているような印象でした。その対比は、とても象徴的な光景です。

四日市駅へと走る電車

前述したように、現在の内部・八王子線は八王子線が支線のようになっています。しかし、八王子線の方が早く建設され、内部線は鈴鹿支線という位置付けで計画・建設されました。内部駅から建設予定地とされた深伊沢村(現・鈴鹿市)までは西へ約10.5kmあります。鈴鹿市の玄関駅となる鈴鹿駅も南へ約6.5km離れています。

内部線は約5.7km、八王子線は約1.3kmですから、あすなろう鉄道の総延長は約7.0kmです。沿線には観光地のような名所やレジャー施設はありません。

昨今、少子高齢化が加速度的に進んでいます。特に地方都市は若年層の転出が激しく、ローカル線の存続が危ぶまれています。一部のローカル線は観光客など沿線外需要を創出して存続を図ろうとしていますが、内部・八王子線に沿線外需要を生み出せる目玉コンテンツはありません。

コロナ禍以降、全国各地のローカル線廃止が現実味を帯びて議論されるようになりました。あすなろう鉄道も決して安泰な経営状況ではありませんが、本格的な存廃議論は出ていません。

内部・八王子線の両線は発足当初から難題を抱え、2015年に四日市あすなろう鉄道として再出発。決して平坦な道のりではありませんでしたが、なんとか10年間を走り抜きました。あすなろう鉄道にとって苦しい時期は続きますが、次の10年も現役路線として迎えられることを期待しましょう。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。