鈴木淳也のPay Attention

第263回

万博きっかけで導入の“タッチ”乗車 国内利用者に定着

梅田駅周辺ではJR西日本を除いてすべての鉄道がクレジットカードのタッチ乗車で利用できる

非接触に対応した普段使いのクレジットカードやデビットカードを駅の改札などで“タッチ”するだけで、そのまま電車やバスに乗れる……この“タッチ”乗車に対応した交通機関が日本国内でも増えてきた。

国内においては三井住友カードが推進するstera transitとQUADRACのQ-moveを組み合わせたソリューションがほぼ独占的にこの市場を開拓しているが、2021年4月に南海電鉄で導入されて以降、関西の大手鉄道事業者ではJR西日本と京阪電気鉄道を除いてほとんどがこの仕組みを導入したこともあり、「クレジットカードさえあれば交通系ICがなくても鉄道で移動が可能」という状況が生まれた。

万博きっかけで導入が進んだ関西のタッチ決済乗車

関西の鉄道事業者が積極的にこの仕組みを積極的に取り入れた理由は、「大阪・関西万博」での主に外国からのインバウンド客の取り込みを主眼に入れていたことがある。

海外からの旅行客が日本の公共交通機関を利用するには実質的に交通系ICカードが必須で、しかも残高チャージのためには日本円の現地通貨を入手する必要がある。逆の立場で考えた場合、それほど海外渡航をしない、あるいはめったに行かないような国で、滞在期間中にどれだけ利用するか分からない現地通貨の入手を要求された場合にどう思うか。両替自体は受け入れても、面倒だと思うだろう。キャッシュレス決済が叫ばれる時代、現金を必ず必要とするのは旅行者にとって負担でしかない。

関西での“タッチ”乗車の導入状況

このようにインバウンドを対策として“タッチ”乗車を導入するケースが最初は見られたが、三井住友カード Transit本部長の石塚雅敏氏によれば、現在は地域交通を支える社会インフラになりつつあるという。

石塚氏:昨今でいえば、熊本県、石川県、茨城県などでは県下全域のバスに入っていたりと、社会インフラを支えるソリューションに変化しつつある。熊本の場合、更新コストの問題から全国共通のICカードを廃止してタッチ決済導入を決断いただいており、長崎でも免許返納後の対応として(クラウド機能による割引サービスを合わせて)活用いただいている。

三井住友カード Transit本部長の石塚雅敏氏

海外よりも国内発行カードの利用の伸びが大きい

このように国内で利用できる場所が拡大した恩恵もあるのか、「海外のカード利用者よりも国内のカード利用者の伸びの方が大きい」という事象が発生している。

大阪・関西万博の期間の関西地区を対象にしたデータとなるが、インバウンド対策で整備したインフラだが、実際には国内在住者の利用の方が増加している。

石塚氏:これは我々も分析して発見だったが、国内と海外のカードで分けると、実は海外の人よりも 国内の人が伸びているという状況もあり、国内でいろいろな乗車手段がある中で、『タッチ決済で乗りたいよ』という意志を示す方も出てきたんじゃないかと考えている。

交通系ICカードが使えるにもかかわらず、日本国内の在住者でも“タッチ”乗車を積極的に使っていることを意味する。もう少し詳しくデータを見ていくと、利用可能事業者が拡大するごとにトランザクション数が増加していることが分かる。

関西エリアに絞ると、2025年9月時点での月間利用数は196万件で、前年比で15倍の増加。グラフの増減で注意すべきなのはキャンペーンの有無で、まず万博開始直後の4-5月はVisaの50%還元を含む大型キャンペーンが存在しており、以降も大阪メトロのキャンペーンなどが実施されたことがあり、利用増に貢献している。

そうした理由もあるのか、万博会場に通じる唯一の公共交通機関である「中央線」を運行するOsaka Metroでは、同期間中の乗降人員の増加が約15%だったのに対し、“タッチ”乗車の利用者は約80%の伸びとなっており、大きな効果を上げている。

stera transitの全国でのトランザクション数の推移
関西地区での1年間のトランザクション数の推移

次に、同項でのトピックである国内在住者の利用状況をみると、stera transit導入が進んでいる地域ほど利用者が多いことが分かる。加えて、こうした地域の在住者は他の地域に移動しても“タッチ”乗車を利用する可能性が高いと三井住友カードでは分析している。

ここは筆者の推測も混じるが、普段から交通系ICカードを利用しない人の場合、他地域に移動しても都度切符を購入したり、何かしら現金で支払おうとする傾向があり、こうした人々が“タッチ”乗車を移動手段として選んだ場合、他地域でも交通系ICカードは使わず、「“タッチ”乗車できる場所では“タッチ”乗車で」という流れになるのかもしれない。

国内在住者の利用状況

一方でインバウンドでの利用状況を見てみると、東アジア圏の国を除けば、米国、英国、シンガポールなど、すでに“タッチ”乗車を導入している都市が複数ある国の利用者が多いことが分かる。しかも、訪日外国人の国別ランキングではトップ10圏外の英国とシンガポールは、どちらもstera transit利用の国別ランキングでは10位以内にランクインしており、こうした見方の補強材料となっている。

このほか、インバウンドでの利用状況で見えてきたのは、万博会場の夢洲駅を利用するのは欧州や北米からの旅行者で、アジア圏の在住者はツアーバスを利用する傾向があったという。また、こうして万博を訪問した外国人旅行者のうち、欧州や北米からの訪日客はホテルや居酒屋などでの支出が多く見られた一方で、アジア圏からの訪日客は百貨店や免税店での支出が多い傾向があったという。

訪日外国人の利用状況
訪日外国人の利用属性
訪日外国人の消費傾向

さらなる拡大のための機能拡張や改良策は?

このように徐々に伸びている“タッチ”乗車利用だが、三井住友カードでは「選ぶ理由」「選ばない理由」をアンケート調査などを基に分析している。

選ぶ理由としては、交通系ICカードで必要となる「チャージ」が不要となる部分が大きい。加えて、スマートフォンのみで利用したいというニーズもあり、交通系ICカードを発行する会社によってはモバイル対応をしていないケースがあり、それを代替する手段として“タッチ”乗車を選ぶというケースがあるようだ。

またクレジットカードの特性として「ポイントが貯まる」というのがあり、これにメリットを感じる層も一定数いるという。

逆に「選ばない理由」の方だが、こちらは「なんとなく」であったり、「メリットを感じない」「利用に不安がある」「そもそも使い方が分からない」といったもの。また「自分の住む地域が対応エリアじゃない」「改札が少なく使いにくい」といった意見もあるため、三井住友カードなど関係各社が認知向上のためのさまざまなキャンペーンを実施し、対応駅や路線の増加、さらに対応改札機の増設など、インフラとしてより使いやすいものになるよう、さまざまな施策を打っている段階だ。

同社によれば、2026年度以降に全国47都道府県すべてをカバーする計画で、関東エリアでの鉄道会社11社共同での相互直通運転対応に向けた取り組みなど、積極的に拡大策を採っていく。

認知向上のためのキャンペーンの数々
インフラ整備に向けた取り組みの例。なお、大阪メトロは乗降者数の多い駅を中心に複数の改札機で“タッチ”乗車を可能にしており、実際に非常に使いやすい

今後のstera transitだが、機能拡張面では「通勤・通学定期」への対応や、マイナンバーカードや学生証と連携しての「子供運賃」「障害者割引」の適用、商業施設や特定カード会員向け割引など、クラウドを用いた柔軟な料金設定が可能な“タッチ”乗車の特性を活かしたサービスを開発していく。一方で、例えば路線バスの定期券は、区間定期券であったり運賃ベースの定期券であったりと事業者によって料金やルートの設定ルールがまちまちで複雑であり、問題の解決には時間を要する。ただし石塚氏によれば、これを機会にシンプルな体系に改定したいという要望もあり、現在鉄道・バス事業者にとって負担となっている窓口対応や管理コストを下げるべく、そうしたニーズをカバーできる定期券発行機能を開発中という。

一部には、国際ブランドのクレジットカードを利用することによる手数料やstera transitの利用料を嫌がる鉄道事業者もいるという話を聞くが、石塚氏によれば「導入時に決済手数料がネックになることは少なく、むしろ券売機や運賃箱の維持管理コスト削減効果が評価される傾向がある」と述べており、最終的に導入の契機になるのはこのコストや将来的な負担を見越してのものになるという。

実際、バス事業者や鉄道事業者は運賃徴収機器の高額な更新コストに頭を悩ませており、そうしたなかでstera transitを解決手段の1つと捉えているようだ。

stera transitに今後開発予定の機能。法人カードと経費精算の連携など、より企業での活用を増やす仕組みの検討が進められている

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)