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Arm上場 スマホ時代の超優良企業はAI時代もリードできるか

米ニューヨークのNASDAQで行なわれたArmの上場記念セレモニー(写真提供:Arm)

ソフトバンクグループの子会社となる英Arm(アーム)社の株式再上場が大きな話題を呼んでいる。9月14日にニューヨークの証券取引所「NASDAQ」に上場されたArmは、全体の約10%強が売りに出され、公募時の価格は51ドル(1ドル=149円換算で、日本円で7,599円)で、今年上場された中では最大規模の上場として投資家の間で話題になった。

そもそもArmはどういう企業で、ソフトバンクグループはどうしてそれを売ることにしたのか、また、上場したArmは今後どうなっていくのか。上場直後にArmに取材した内容などをもとに解説していきたい。

「スマホが一台売れるたびにお金が入る」 Armのビジネスモデル

2023年の5月末に行なわれたCOMPUTEX 2023の発表会で半導体の設計図(同社はTCSのブランドで呼んでいる)新製品を発表するArm(撮影:笠原一輝)

Armは1990年にイギリスで設立された半導体設計企業で、半導体の設計を専門に行なっている。かつての半導体産業は、半導体の設計、製造、マーケティング・販売などを一気通貫に行なう「垂直統合」の企業がほとんどだった。現在でもSamsungやIntel、Micronなどの半導体メーカーはこの体制を維持しているが、今はそれぞれを分業して行なうのが一般的だ。この分業は「水平分業」と呼ばれる。

そうした水平分業方式の代表例は、NVIDIAやQualcommといったファブレス(工場をもたない)半導体メーカー。ファブレスの場合、半導体の設計とマーケティング、販売は自社で行なっているが、製造はチップの製造を受託する半導体メーカー(ファウンダリーと呼ばれる)であるTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)などに委託して製造する。

Armはそうしたチップを設計する半導体メーカーに対して、言ってみれば「設計図」(IP=知的財産権)を作って提供する企業となる。半導体メーカーはArmが提供する半導体の設計図を、自社のチップに組み込んで完成させ、ファウンダリーにマスクと呼ばれる「チップのイメージ図」をわたして製造してもらう形になっている。Armはその「設計図」を半導体メーカーに提供することで、チップが1つ製造されるたびに「対価」を支払ってもらうという形で売上を立てている。

Armの強みは、そうした設計図が、今やスマートフォンのほぼ100%を占めるようになっていることだ。AppleのiPhoneシリーズ、GoogleのAndroidと、スマートフォンには2つのプラットフォームがあるが、どちらのシリーズもArmの技術や設計図を活用したチップが内蔵され、動作しているのだ。俗な言い方をすれば、「スマートフォンが1台売れるたびに、Arm社のお財布にチャリンチャリンとお金が入ってくる」。そうした仕組みを作り上げたことが、Armの高い収益性につながっている。

そして、今やArmの技術や設計図はスマートフォンだけに使われている訳ではない。スマートフォンに使われていた半導体は、今や自動車やスマートウォッチ、そして白物家電などにも採用されるようになっている。そのため、Armの顧客はApple、Google、Microsoft、Amazonなどのプラットフォーマーと呼ばれる巨大なIT企業はもちろんこと、NVIDIA、Qualcomm、MediaTekなどの半導体専業のメーカー、そしてこれからは自動運転自動車など自動車メーカーも顧客になっていく。

今やArmの知的所有権を採用した半導体があまり採用されていないのは、PCやデータセンターに置かれるサーバー機器などぐらいだ。それ以外の高い演算性能を持つ半導体の多くがArmベースになっている。つまり、スマートフォンだけでなく、デジタルの利用率が高くなればなるほど、Armのお財布に入ってくるお金が増えていく仕組みになっているのだ。

Armの流転。ソフトバンクグループとNVIDIA、規制当局間で翻弄

そうした「エクセレント」な企業のArmだが、2016年に世界を「あっ」と言わせた買収劇の主役になった。それが、日本のソフトバンクグループによる買収劇だ。

2019年の5月に行なわれたソフトバンクグループの決算発表でArmの成長戦略を説明する孫正義氏(撮影:笠原一輝)

前述の通り、Armはスマートフォンが売れるたびにお財布にチャリンチャチンとお金が貯まっているビジネスモデルであるため、収益性も高く、健全な経営の会社として知られていた。

「誰もが買いたい会社」だったが、それが売りに出ているということは誰も知らなかったし、そういう認識を持たれていなかった。しかし、孫氏はどのようにしてそれを知ったのかは今まで明らかになっていないが、当時のArmの経営陣と話をつけて、買収し100%子会社にすることに成功したのだ。買収金額は244億ポンド(当時のレートで約3.37兆円)と巨額の買収であることも含めて大きな話題になった。

このことが発表された当時、半導体産業を追いかける記者の一人として「孫氏は金のなる木を安く買えたのだな」と感じたことをよく覚えている。というのも、既にその時点でArmはスマートフォンの市場をほぼ100%抑えており、今後自動車やIoT(家電など、何らかの形でネット接続機能を持つデバイス)に進出してそこでも高いシェアを抑えるようになることは目に見えていた。今後も高成長を続けることは明らかだったからだ。

その意味で、孫氏の相場師としての「勘」は天才的だなと思ったし、いつかどこかのタイミングである程度上がったら誰かに売り抜けるのだろうと考えていた。

ただ、当時孫氏は「Armを長期的に持つつもりであり、一緒にIoT事業をやっていくつもりだ」と述べており、短期的に高く売り抜けることを考えているのではなく、ソフトバンクグループの企業が、Armと実業を一緒に行なうことでビジネスのシナジーを出すためだと説明していた。

ところが、それがポーズでしかなかったことが明らかになったのが、2020年だ。

AI向けの半導体で大きな市場を獲得して、AI半導体のトップ企業という認識が強まっているNVIDIAに、Armを売却することが明らかにされたのだ。「短期的には売らない」と言っていたソフトバンクグループがArmの株式をNVIDIAに売却をした背景としては、コロナ禍になったことで参加の投資ファンドであるソフトバンクビジョンファンドなどの投資状況が思わしくなくなったことで、虎の子のArmを売却することになったのだと理解された。

当時のソフトバンクグループとNVIDIAの発表によれば、売却額は約4.2兆円で、買収したときより約8,300億円という巨額の差額がソフトバンクグループに利益として入ってくることになる。また、この売却の大部分は、NVIDIAの株式と交換されるというスキームになっており、実現すればソフトバンクグループがNVIDIAの筆頭株主になる予定になっていた。なお、現在のNVIDIAの株価は、2020年時点と比較して倍になっており、そのまま実現されていればソフトバンクグループにさらなる利益をもたらすはずだった……。

「はずだった」と書いたのは、結局この取引は不成立に終わったからだ。

米国と英国の規制当局の調査の結果、NVIDIAがArmを買収することは、NVIDIAの競合となるAppleやQualcommとの競争を阻害すると判断され、許可されなかったからだ。このため、NVIDIAはArmの買収を断念し、ソフトバンクグループのArm売却は振り出しに戻ることになった。

再上場時の時価総額は買収時の倍以上に

ソフトバンクグループは、NVIDIAとの取引が不首尾に終わった後でも、Armを売ることを諦めなかった。

しかし、NVIDIAに売ろうとした時のように、どこかの半導体メーカーなどに販売することはさすがに諦めたようだ。というのも、仮にその相手がAppleであろうが、Qualcommであろうが、あるいはArmの競合になるIntelだろうが、Armを買収できるような規模の巨大な半導体メーカーに売ろうとすれば、規制当局の調査で許可が出ないのは明らかだからだ。

Arm CEO レネ・ハス氏(右)とArm 上席副社長 兼 オートモーティブ事業部門 事業部長 ディプティ・ヴァチャーニ氏(左)(写真提供:Arm)

そこで、ソフトバンクグループがプランBとして検討してきたのが、Armの上場だ。正確に言うと、Armはソフトバンクグループに買収される前には上場していたので、再上場という形になる。

その再上場は、米国のNASDAQ(ナスダック)において9月14日に取引が開始され、9月18日に公表された。同社が公開した資料によれば、ソフトバンクグループが所有していた全株式(約10億株、2023年3月31日時点)のうち、約11%になる9,550万株が売り出され(今後700万株が追加で販売される予定)、上場時の公募価格は51ドル(1ドル=149円換算で、日本円で7,599円)。それによりArmの時価総額は約510億ドルとなり、日本円(1ドル=149円換算)で約7兆5,990億円という計算になり、再上場の時点でソフトバンクグループが買収した当時の3.37兆円と比較すると倍以上の時価総額になっている。

時価総額で見れば、NVIDIAに売ろうとしていた時点の4.2兆円よりもさらに高くなり、ソフトバンクグループ側の視点で見れば再上場はひとまずは成功だったと言ってよいだろう。

もちろん、その時価総額を今後も増やすためには、Armをさらに成長させることが必要だ。今回1割程度を売ったが、約9割を所有しており、引き続きソフトバンクグループがArmの圧倒的な支配株主である状況に変化はない。それは、再上場直後に行なわれた記者との質疑応答の中でArm 上席副社長 兼 オートモーティブ事業部門 事業部長 ディプティ・ヴァチャーニ氏が「上場しても半導体の設計図を作るという弊社のビジネスモデルは何も変わらない。また、ソフトバンクグループとの関係もこれまで通りだ」と述べていることからも明らかだろう。

データセンターとAI市場でIntel・NVIDIAに勝利できるか

いずれにせよ、スマートフォンが売れるたびにお金が貯まっていくというArmのビジネスモデルは依然として強力で、IoTや自動運転自動車などに拡大していくこともほぼ確実だ。今後もArmが成長を続けることに疑いの余地はないと思う。

NVIDIAが発表したAI向け半導体「NVIDIA GH200」のCPUにArmの設計図が採用されている、手に持つのはNVIDIA CEO ジェンスン・フアン氏(撮影:笠原一輝)

ソフトバンクグループにとって、Armの時価総額を上げるためには、そのペースが今後も急カーブを描いていくのか、それとも緩やかになっていくのかという点にある。既に市場を得ているスマートフォン市場、そしておそらくほぼ手中に収めている自動車IoTなどの市場に加えて新しい市場を得ることができるのかがArmにとって今後の成長を左右する。また、OSの世界で独自規格のMicrosoftに対抗してオープンソースで開発されるLinuxが登場したように、独自規格のArmに対抗するオープンソースの規格であるRISC-V(リスクファイブ)が勢力を伸ばしつつあるのも、Arm成長にとってのリスクファクターとなり得る。

今後のArmの成長戦略に関してヴァチャーニ氏は「今後も従来と同じようにモバイル市場の強みを生かしながら、新しい市場の開拓を行なっていく。既に取り組んできたIoTや自動車への投資は継続していくし、これからは何よりもAIに力を入れていくことになる。次の時代にArmと言えばAIという世界を作り出していく」と述べ、今後ArmとしてはAI市場向けの製品に力を入れていきたいと強調している。

Armが参入を狙っているAIの市場は、主戦場がデータセンターで、そこはArmの直接の競合であるIntel、そして「Armを買い損なった」NVIDIAが非常に強い市場だ。Armはこれまで10年近くデータセンター市場に参入すべくさまざまな取り組みを行なってきたが、率直に言って王者Intelの牙城を脅かすまでの成功は収められていない。

AIではNVIDIAとパートナーシップを組んで参入していく計画で、既に5月にNVIDIAがArmの設計図を利用した製品を発表するなどしており、徐々に採用が進んではいる。ただし、大成功を収めたとまでは言えないのが現状だ。「AIと言えばNVIDIA」というNVIDIAの強みをテコにして、データセンター市場でIntelや今はパートナーのNVIDIAに挑戦していけるか。それがArmにとっての次の成長の鍵となる。

笠原一輝

1994年よりテクニカルライターとして活動を開始し、プロフェッショナルライターとして25年近いキャリアがある。90年代はPC雑誌でライターとして、00年代からはPC WatchなどのWeb媒体を中心に記者、ライターとして記事を寄稿している。海外のカンファレンス、コンベンションを取材する取材活動を1997年から20年以上続けており、主な分野はPC、半導体などで、近年はAIといった分野での執筆が増えている。また、2008年からはインプレスのCar Watchに寄稿を開始しており、日本モータースポーツ記者会(JMS)の会員としてCar Watchにモータースポーツ関連の各種レポートの他、自動車向けのITソリューションの記事を寄稿している