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15年で消えた愛知のピーチライナー廃線跡を踏破した

桃花台東駅は撤去工事のため仮囲いがされていて近づけない。それでもループ線を公道から間近に見ることができる

1991年3月に開業し、わずか15年で幕を下ろした新交通桃花台線(通称:ピーチライナー)の遺構撤去が、廃線からさらに約16年の時を経て開始されました。間もなく見納めとなる鉄道跡地に沿って歩いてみると、短命だった理由も見えてきました。

愛知県主体のニュータウン計画 足として整備されたピーチライナー

1991年3月、愛知県小牧市の小牧駅と桃花台東駅間を約7.4kmで結ぶ桃花台ピーチライナーが華々しく開業しました。ピーチライナーは、愛知県が主体になって1960年代から計画を進めていた桃花台ニュータウンの足として整備されました。

当時は高度経済成長期で、日本経済が右肩上がりで伸びていた時代です。特に、東京・名古屋・大阪といった日本経済を牽引する大都市は、大企業が多く立地します。大都市には、そうした企業で働く労働者が地方から集まりました。

そのため、都市部に人口が集中。住宅不足が深刻な社会問題になりました。行政は住宅の整備に追われますが、都市部に住宅を建設する敷地的な余裕はありません。また、都心部の不動産価格は高騰していたことも、住宅難の解消を阻みました。こうした経緯から、行政が主導したニュータウン計画が進められていきました。

1968年、愛知県は桃花台ニュータウンの建設計画を発表。その後に都市計画も策定され、ニュータウンの計画人口は約5万4,000人との想定が出されます。しかし、行政が想定した事業計画はすぐに狂いが生じました。事業計画は何度も見直され、想定人口はそのたびに下方修正されていったのです。

計画段階から暗雲が垂れ込めていたニュータウンですが、1979年には愛知県・小牧市・名古屋鉄道(名鉄)などが出資して桃花台新交通が発足。同社はニュータウンまでの足を担うピーチライナーを運行する鉄道会社ですが、発足から開業までに12年もの歳月を要しています。発足から開業までに長い歳月を費やした点を見ても、当初からニュータウン計画が迷走していたことが窺えます。

ニュータウンの足として華々しく開業したピーチライナーでしたが、すぐに利用者が想定を大幅に下回りました。その理由は、なによりもピーチライナーが生活動線と合致していなかったからです。

残ったままになっているピーチライナーの線路

ニュータウン住民がピーチライナーを使わなかった理由

ピーチライナーを運行する桃花台新交通には、小牧市が大株主として出資しています。そうした背景もあり、ピーチライナーはニュータウンから小牧市の玄関となる小牧駅を結ぶ路線となりました。しかし、桃花台ニュータウンに転居してきた住民の多くは名古屋市へと通勤する人たちだったのです。

ニュータウン内に立地する桃花台東駅・桃花台センター駅・桃花台西駅から名古屋市中心部まで鉄道を使ってアクセスするには、東端の小牧駅まで乗り、そこから名鉄小牧線に乗り換えて上飯田駅で下車し、上飯田駅から約800メートル離れた名古屋市営地下鉄の平安通駅まで歩き、平安通駅から名古屋市営地下鉄名城線に乗車しなければなりません。名城線は名古屋市の繁華街でもある栄駅を通りますが、オフィス街の名駅へ行くにはさらに栄駅から東山線へと乗り換えなければなりません。

小牧原駅と小牧駅の間に残る廃線跡

2003年3月に上飯田駅と平安通駅を結ぶ地下鉄上飯田線が開業したことで約800メートルの徒歩移動は不要になり、同時に名鉄小牧線が平安通駅まで直通運転を開始したことでアクセスは向上しています。

それでも乗り換えの手間がかなりあるので、ニュータウンから名古屋市中心部まで行くことは不便です。結局のところ、上飯田線の開業が遅すぎたこともあり、ピーチライナーを使って名古屋市中心部へ行くという動線は機能しませんでした。

ニュータウンの人口が想定を下回っていたこともピーチライナーの不振につながりましたが、それ以上に誤算だったのはニュータウンの住民がJR中央線の春日井駅や高蔵寺駅へと行き、そこから名古屋市中心部へと移動していたことです。

小牧市が出資したピーチライナーが小牧駅発着になったのは、あくまでも行政の都合でしかありません。しかし、住民たちには関係ないことです。住民たちは通勤の足となるよう小牧市や名古屋鉄道に掛け合って、ニュータウンと春日井駅・高蔵寺駅とを結ぶバス路線の開設を要望しています。

住民が要望した路線バスを運行すれば、ますますピーチライナーの利用者が減ってしまいます。そうした思惑から、小牧市も名鉄も住民たちの要望を拒否しました。

行政に要望を受け入れてもらえなかった住民たちは、桃花台バス運営会を結成。桃花台バス運営会は2002年に別のバス会社に委託する形で、ニュータウンと春日井駅とを結ぶ路線バスの運行を開始します。要するに、住民たちは自力で路線バスの運行を実現し、この路線バスの運行がピーチライナーが廃止される決定打になりました。

2006年、ニュータウンの足として期待を一身に背負ったピーチライナーは役目を終えることになりました。わずか15年という短い歳月で幕を下ろしたのです。

廃線後、桃花台新交通の大株主でもある名鉄はニュータウンと春日井駅を結ぶバス路線の運行を開始。そのため、ニュータウン住民が名古屋市中心部に行くことに不便は生じていません。

駅前だったロータリー以外に、幹線道路にも桃花台東というバス停がある

問題はピーチライナーの後始末です。約7.4kmの短い路線とはいえ、高架線や橋脚、駅施設などの撤去には莫大な費用がかかります。廃線後、撤去費用の分担が決まらなかったこともあり、長らくピーチライナーの遺構はそのまま放置されてきました。

不要になったピーチライナーの高架線

しかし、それらの遺構は風雨に晒されて老朽化。このまま放置していると、地震や台風などで倒壊する恐れもあります。高架線や橋脚、駅施設が倒壊すれば人的・物的とも甚大な被害を出すことは容易に想像できます。

そうした懸念から、行政は重い腰をあげ、ピーチライナーの遺構撤去に乗り出しました。まず、ピーチライナーの象徴でもあった桃花台東駅に残っていたループ線の撤去が昨年度から開始されています。

東端の桃花台東駅から西端の小牧駅まで徒歩で全踏破

筆者は愛知県犬山市に所在する博物館明治村が好きで、よく足を運んでいました。名古屋市中心部から明治村までは、栄駅に隣接するバスターミナルから高速バスが発着しています。そのバスは桃花台東駅の近くを通るため、バスの車窓からもピーチライナーの遺構を眺めることができます。

撤去が始まって間もなく見られなくなるという話を聞きつけ、筆者はゴールデンウィークに現地を訪れてピーチライナーの東端である桃花台東駅から西端の小牧駅までを徒歩で全踏破することにチャレンジしました。

まず、スタート地点となる元桃花台東駅まではJR中央線の春日井駅から路線バスが運行されています。それに乗って桃花台東駅のあった場所に到着。平日の昼近くという時間帯だったこともあり、下車したのは私一人だけでした。

かつての桃花台東駅前には小さなロータリーが整備されています。ロータリーの正面には、ループ線が天に浮かんでいるように残っています。間近に近寄ってループ線を見ようとしましたが、すでに駅につながる通路は工事中の仮囲いによって封鎖されていました。それでも巨大な建造物のため、少し離れた位置からも、はっきりとループ線を見ることができます。青空に浮かぶ構造物は廃線から17年もの歳月が経過しているとは思えないほどしっかりしているように見えます。

桃花台線(ピーチライナー)の撤去を知らせる看板

桃花台東駅の周辺はニュータウン然とした街並みが広がります。道路と歩道は立体交差になっていて、そこには歩道橋が架けられています。そうした立体的な構造物が、丘陵地を切り開いて造成されたニュータウンの雰囲気を強くしています。

桃花台東駅からニュータウンの中心地となっている桃花台センター駅までは約0.9kmとわずかですが、起伏が激しく直線的に移動することはできません。道路も勾配があり、高齢者や障がい者、ベビーカーを押す子連れの親は負担に感じることでしょう。

ニュータウンに建設された各住戸からピーチライナーの最寄駅まで移動するだけでも、相当な苦労を伴うことは一駅歩いただけでも実感できました。ピーチライナーの駅間隔よりも、路線バスの方が停留所を短い間隔で設置できます。そうした駅までのアクセスが不便という要因も、ピーチライナーから利用者を遠ざけた要因として考えられそうです。

桃花台センター駅の一帯には、大型商業施設や広大な桃花台中央公園があり、ニュータウンに居住していると思しき家族連れをたくさん見かけました。公園の片隅には篠岡古窯跡、中央には高架水槽といった史跡や産業遺産があります。ピーチライナーの遺構とともに、これらを目的にしてニュータウンを散策するのも楽しそうです。

桃花台中央公園に立つ高架水槽

公園と大型商業施設とを結ぶ歩道橋には、ピーチライナーをかたどったレリーフもありました。ニュータウンの造成時、ピーチライナーへの期待が大きかったことを物語っています。しかし、現実は甘くありませんでした。

桃花台中央公園には、ピーチライナーをかたどったレリーフも

住民に聞いても駅の場所を知らない

桃花台センター駅の近隣では商業施設がいくつか並んでいるので、平日の昼間でもニュータウン造成の初期から住んでいると思われる高齢者の姿も見ることができました。試しに、それら住民と思しき人に「桃花台センター駅の駅舎が残っていると聞いて探しにきたのですが……」と聞いて回りました。しかし、その質問に答えられた人は皆無でした。

話を聞いた方々からは、「ピーチライナー、懐かしいなぁ」とか「乗った記憶はあるけど、ほとんど覚えてないですね」といった感想を聞くことができました。しかし、廃線から17年が経過しているとはいえ、まだ記憶から消えてしまうような歳月ではありません。

そうしたことを考慮すると、多くの地域住民がピーチライナーをたまにしか利用していなかったのではないか? だから駅の場所を覚えていないのではないか? と思えてなりません。

桃花台センター駅は桃花台タウンセンターという大型商業施設の目の前にありました。廃駅になったものの建物は現存しており、駅舎の側面には桃花台センター駅の駅名標が残っています。

桃花台センター駅の駅舎および駅名標は現存

ピーチライナーはほぼ全線が高架線を走りますが、桃花台センター駅の付近は起伏のある地形を活かして堀割で建設されています。ピーチライナーの線路は、厳密にはガイドレールと呼ばれるものですが、側道や歩道橋から残された線路を撮影できます。

桃花台センター駅から隣駅の桃花台西駅までは高架線に沿って歩けば、初めてでも迷うことなく到着できます。桃花台西駅も駅舎だった建物は残っており、その駅前広場だった場所では少年たちがサッカーに興じていました。

桃花台西駅の駅舎および高架線。廃線後に放置されながらも、駅舎そのものは綺麗な姿をとどめている
桃花台西駅の駅舎正面。駅名標も見えず、シャッターも下りているため、一見すると元駅舎とは気づきにくい

桃花台西駅の周辺を地図で確認すると、直線と曲線を綺麗に描いた街路が整備されています。こうした整理された綺麗な街路は、周到に計画されたニュータウンの痕跡といえます。街路に沿うように、住宅が整然と並んでいる様子も確認できました。この光景だけを見ると、ニュータウン計画が失敗したと言われることが不思議に思えてきます。

しかし、桃花台西駅から先に足を進めると、ニュータウンが失敗した理由をうっすらと感じました。

工場街を過ぎると街の雰囲気がにぎやかに

桃花台西駅の次は上末駅です。上末駅付近はなだらかな下り坂になっていて、目の前には遠くの街並みを見下ろせる区間があります。その風景を眺めていると、いかにも丘陵地を切り開いたニュータウンということを実感できます。

上末駅付近はなだらかな傾斜になっているので、丘陵地を切り開いたことがわかる
撤去工事が始まっている上末駅

上末駅の次が東田中駅ですが、両駅の周辺およびその間には住宅が少なく、大規模工場が目立ちました。また、大規模工場があるため、その工場に資材などを運ぶ大型トラックやトレーラーがピーチライナーの高架線の下の道路を絶え間なく走っているのです。そうした大型トラックやトレーラーがせわしなく走っている様子からも、周辺が工場ひしめく工業地帯であるとわかるのです。

東田中駅も入口が封鎖された状態になっている
上末駅や東田中駅の周辺は大規模工場が多く、幹線道路は大型トラックやトレーラーが頻繁に走っている

工場の敷地内には広大な駐車場がありました。資材などを輸送するためのトラックが駐車するスペースとしても使用されているのでしょうが、乗用車などが多く駐車しているところを見ると、工場に勤務する労働者の通勤用としても使われているようです。

そうした広大な駐車場を見れば、工場に勤務する人たちがピーチライナーを通勤で定期的に使うことはなかったことが伝わってきます。

東田中駅を過ぎても工場街といった雰囲気に変わりはありませんが、さらに西へと歩いたところで街の雰囲気がにぎやかになってきました。目の前にピーチライナーとは別の高架線が見えてきますが、それが名鉄小牧線の線路です。

ピーチライナーの小牧原駅は名鉄の小牧原駅と乗換駅になっていましたが、多くの利用者は隣の小牧駅で名鉄線に乗り換えるのが一般的でした。

名鉄小牧線の小牧原駅はピーチライナーとの乗換駅にもなっていた

ピーチライナーの西端となる小牧駅は名鉄への乗り換えができるだけではなく、駅前にバスターミナルが整備されています。ここからJR中央線の勝川駅や春日井駅に向かう路線バスが発着しているので、こちらを利用してJR中央線の駅に行き、そこから名古屋市の中心部へと向かう人が多いようです。実際、私も小牧駅から勝川駅行きのバスに乗車しましたが、座席は多くの乗客で埋まっていました。

小牧駅の近くに残る寸断された高架線の廃線跡

ピーチライナーは小牧駅が終点ですが、小牧駅の南側には桃花台東駅と同じくループ線が残っています。桃花台東駅のループ線は撤去が始まり、すでに欠けた状態でした。一方、小牧駅のループ線はまだ形を保った状態です。とはいえ、こちらもじきに撤去されることでしょう。

小牧駅側に残るループ線の遺構

今回は、ピーチライナーの廃線跡を全踏破することにチャレンジしました。ピーチライナーは約7.4kmなので、計算上は約2時間で踏破することが可能です。廃線跡の遺構を撮影しながら歩いても1日で歩き通すことができます。

いずれにしても、ピーチライナーの撤去作業は進行中です。完全撤去までは時間がかかりそうですが、すでに一部の区間は撤去が完了しています。そして、ピーチライナーの象徴ともいえるループ線は間もなく見納めです。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。