鈴木淳也のPay Attention

第123回

2022年以降のApple Payに期待するもの

米アリゾナ州セドナ。同州のフェニックス空港から片道2時間ほどだが、機会があればぜひドライブで訪問してほしい

2020年末にApple Payが日本にやってくるまでのエピソードを紹介し、その際に言及した「Apple PayのVisa対応」については、2021年5月に対応した。このあたりの背景については連載の解説を参照いただくとして、今回は将来のApple Payについて少しだけ言及したい。

Apple Payは決済手段から“ウォレット”になる

Apple PayがVisaブランドに正式対応したことで、本稿執筆時点でメジャーなクレジット/デビットカードのほか、楽天Edyを除く国内のほとんどの電子マネーをサポートし、“決済手段”としてのApple Payはほぼ完成した状態になっている。

中でも最も大きいのが、日本のブランド別決済シェアで過半数を握るといわれるVisaのサポートで、これにより利用場面は大きく広がった。iDやQUICPay、nanacoやWAONなど'21年にApple Pay対応した各種電子マネーは対面での決済手段向けで、「オンライン」での決済には実質的に利用できない。一方で、コロナ禍で広がったフードデリバリーやモバイルオーダー、テーブルオーダーなど、対面ではなくモバイル端末上で決済が完了してしまう仕組みにはクレジットカードを利用せざるを得ない。アプリやサービスごとにクレジットカード番号を入力すればいいのだが、入力フォームをモバイル端末で埋めていくのは手間であり、カード情報を先方に預けるというセキュリティ上のリスクもともなう。

VisaのApple Pay対応とは、こうしたサービスの利用価値を上げることにほかならない。

さて、決済機能としては完成しつつあるApple Payだが、次なるステップは「デジタルウォレット」としての機能拡充だ。Walletアプリにはすでに航空券や高速鉄道のチケット、ロイヤルティカードやポイントカードなど、支払いに直接利用するわけではない各種カードが格納されている状態だが、その適用範囲はさらに広がりつつある。

「ウォレット(Wallet)」というキーワード自体が「財布」であり、普段から財布に入っている“もの”をデジタルデバイスに格納していこうというのが「デジタルウォレット」の目指すところだ。Apple Payの日本上陸の話でも触れたように、2010年にモバイル端末へのNFC機能が実装され始めたころからこの仕組みの検討は進んでおり、当時の各社のプレゼンテーションでも触れられていた。ただし、それにはデジタルウォレット自体のエコシステムを拡大しない限り賛同するパートナーがついてこないため、当初は「決済機能」を中心にサービスが拡充されることとなった。

Apple Payなどを中心にデジタルウォレットの仕組みが一定の支持を得たいま、ようやく本当の意味でのデジタルウォレットの世界実現へと突入しつつある。

デジタルウォレットの標準を目指して提供が進められていた「Google Wallet」
2011年に米イリノイ州シカゴで開催されたイベントでのGoogleのプレゼンテーション。これはホテルでのチェックイン例だが、当時同社が推進していた「Google Wallet」で実現しようとしていた構想の一端が示されている

一般に、多くの人が財布に入れているような“もの”を考えたとき、紙幣や硬貨、クレジットカード、交通乗車カード(Suica以外に筆者は滞在都市に応じて現地の交通乗車カードを入れ替えている)、ポイントカード、会員証などのほかに、「運転免許証」や「健康保険証」を入れていたりするだろう。今後は「マイナンバーカード」がそれに取って代わるかもしれない。また、筆者はホテル利用時はカード状の「ルームキー」を財布の中に入れている。

物理的な財布でいえばここまでだが、デジタルウォレットではまだその先の可能性がある。自宅にスマートロックを導入するユーザーは増えていると思うが、アプリによる操作だけでなく、将来的にNFCを使った「デジタルキー」が増えてくると思われる。ホテルキーや施設の入館証で利用されているプラスチックのICカードでもいいが、“鍵”情報をデジタルウォレットに入れておけば、スマートフォンそのものが家の“鍵”となる。

WWDC 2021での基調講演より。Walletアプリ上に「ホームキー」を実装した例
ホテルにオンラインチェックインすればルームキーが自動発行される仕組みも。Apple Watchに連動させればiPhoneを持ち歩く必要もない

デジタルデバイスに“鍵”を入れるメリットはいくつかあり、例えば「“鍵”の一時的な発行」という仕組みが可能だ。Airbnbのようなシェアハウスサービスで家や部屋を借りる人に対して「期間限定の“鍵”」を発行したり、あるいは不在時にクリーニング業者を入れるために「特定日時限定の“鍵”」を発行したりと、有効期限付きの“鍵”の発行が容易になる。ホテルを例にすれば、ロイヤルティプログラムに紐付いたアプリでオンラインチェックインすると自動的にルームキーが発行され、フロントを介さずにそのまま部屋に直行できたりと応用範囲も広い。

同様に、カーシェアで「自動車の“鍵”」を一時的に発行できれば、サービスはより使いやすくなるだろう。ここ数年はメルセデス・ベンツのような自動車メーカーが上位クラスの車種にスマートフォンと連動する「デジタルカーキー」の仕組みを導入していたりと、“鍵”をスマートフォン、特にApple Payのようなデジタルウォレットに入れるケースが増えてきた。

「デジタルカーキー」の例。従来の物理的なスマートキーはセキュリティ上の問題が指摘されており、中継攻撃などが行われないよう“鍵”と車の位置関係を把握するようインテリジェント化が進んでいるが、最新のiPhoneに導入されているUWBなどの技術はその問題解決に役立つと考えられている

2022年以降のApple Pay

次のステップは運転免許証だ。企業などの私的機関が発行するチケットや“鍵”などとは異なり、運転免許証は公的機関が発行する「正規の身分証」だ。ゆえに相応の裏付けが必要になる。法的問題に加え、公的身分証としての相応の安全性が求められる。

Apple Payにおいては2021年のWWDCでこの件が触れられたが、公的身分証のデジタル化の流れは必然として、ようやく本格的な取り組みがスタートしつつある。

運転免許証(Driver's License)をApple Payで取り込む。基本的に米国は州ごとに異なる免許証が発行されるので、対応の有無は州単位になると思われる。写真は特に州表記のないダミーと推測
取り込まれた運転免許証。識別番号などの表記が一切ないが、警察官などはスキャナを用いてNFC経由で情報を確認する形となる

AppleはWWDCが開催された6月時点で「2021年内に運転免許証(Driver's License)や州発行の身分証(State ID)をWalletに追加できるようにする」と発表しており、後に9月になって「アリゾナ、コネチカット、ジョージア、アイオワ、ケンタッキー、メリーランド、オクラホマ、ユタの8州が最初にWallet上で公的身分証が利用できる州となると報告している

米国では州単位で運転免許証が発行されており、それぞれに異なるデザインの券面となっている(交通ルールも州ごとに異なる)。基本的に米国における公的身分証はこの運転免許証ということになるが、免許を取得しない人や規定年齢に達していない人を対象に運転免許証ではない州発行の公的身分証として「State ID」が用意される。ゆえに、これら身分証のデジタル対応も州単位で許認可が行われるというわけだ。

また、普段はこの運転免許証を所持していても、実際に提示する機会は限られている。例えば公的施設の入場時や書類受け取りの本人確認に用いられたり、夜のクラブなど年齢確認が必要なケースだ。

身近な運転免許証の提示機会としては「空港での飛行機の搭乗時」が挙げられる。米国では国内線と国際線の区別がなく、セキュリティチェックを越えて制限エリアに入る際の本人確認に(パスポートの代わりに)運転免許証や前出State IDが利用できる。ゆえに、運転免許証などを身分証として提示する米国人は多い。

近年、モバイル発行した航空券をiPhoneなどのデジタルウォレット上に格納できる仕組みが増えているが、セキュリティチェック時での身分証確認と合わせてデバイス1つですべて賄えれば利便性が高くなる。Appleでは空港のセキュリティを担うTSAとの協議で「Apple PayのWallet上に登録した運転免許証やState IDを公的身分証として利用できる仕組み」の実現を目指しており、航空券の2次元コードをスキャンした後、そのまま身分証を専用の非接触スキャナで読み込めば、いちいち財布から物理カードを取り出さずとも本人確認を問題なく行なえるようになる。

Apple Payに身分証を取り込んだところで、実際に使えなければ意味がない。米国の空港では行き先が国内外問わずにセキュリティチェックの身分証提示で運転免許証や州が発行する身分証の「State ID」が利用できるが、現在空港セキュリティを担っているTSA(Transportation Security Administration)との協議でこのデジタルIDでの代替を可能にする仕組みが模索されている
コロナ禍で空港セキュリティはTSAの審査官前にプラスチックの“敷居”が用意されるなど厳重になっているが、モバイルチケットを所持していたとしても、身分証を別途用意したり、顔の確認のためにマスクを毎回外す必要があったりとチェックは煩雑だ。完全モバイル対応で、このあたりがシンプルになることを願う

このデジタル運転免許証(Mobile Driver's LicenseあるいはmDLなどと呼ばれる)はISO/IEC 18013-5標準をベースとしており、Apple PayのWalletへの実装もまたこれをベースに行なわれる。

2021年内を目標にしていたAppleのサービス開始だが、実際には2022年初頭にスライドする形で遅れており、同時期に配布されるiOS 15.xのアップデートで正式導入するとみられる。Patently Appleによれば現時点で30の州で導入意向が確認されているとしているが、運転免許証の発行ルールは州ごとに異なるものの、もともとは同じ標準仕様に則ったもので、ルールと“仕組み”の整備さえ進めば導入は比較的スムーズに進むとみられる。

デジタルウォレットでのIDの取り込みのトレンドは10年以上前から追いかけているが、米国はこの仕組みへの取り組みがかなり進んでいる国であり、ロールアウトにおける見本のような存在になるだろう。

運転免許証や国が発行するIDについて、スマートフォン上で利用できるようにする試みは筆者の把握する範囲で10年近く前から存在する。写真は2019年にQualcommのイベントで見かけたもの

また9to5Macが報じているが、Secure Technology Allianceが公開している情報によれば、TSAはまず2022年2月に2つの州を対象にした空港でのmDLの受け入れのパイロットプログラムを開始し、翌3月にはさらに2つの州を試験対象として追加するという。

興味深い話題としては、デジタルIDの発行システムそのものは「州政府」が行なうため、そのコスト負担も「州政府が担うべき」とAppleが述べている点だ。CNBCが報じているが、“独自裁量”をもってiPhoneとのやり取りはAppleが中継するが、そのベースとなるシステムは州政府の負担をもって然るべきという契約書の内容が出ている。以前のApple Pay日本上陸話でも触れたが、日本でのApple Payの発行システム(TSMに相当する)負担は携帯キャリアが行なっているという話があり、それに近いものがあるのだろう。

日本では「公的身分証のデジタル化」の次のステップとして、マイナンバーカードへの運転免許証と健康保険証の統合、そしてマイナンバーカード自体のモバイル端末への発行というロードマップが見えている。どのような発行システムとなるかはまだ見えないが、国が発行システムを一通り揃えつつ、最後のiPhoneへの書き込みはAppleがすべて厳密に制御するという仕組みは変わらず、このあたりの調整が今後の課題となるだろう。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)