鈴木淳也のPay Attention

第69回

「長崎キャッシュレス」とジャパネットと地域創生

長崎市の鍋冠山公園から見る街の風景

8月後半のある日の午後、いつものようにメールをチェックしていると「長崎をもっと便利に! 長崎キャッシュレスプロジェクト始動のご案内」というタイトルのプレスリリースが目についた。

このプレスリリースを発行しているのは通販事業で全国的に有名なジャパネットホールディングスであり、同社が拠点とする長崎県佐世保市から、2024年開業予定の長崎スタジアムシティでの完全キャッシュレス化を見据えて「長崎キャッシュレスプロジェクト」を開始するという。その前段階として、著名な観光スポットである稲佐山山頂エリア「INASA TOP SQUARE」の3店舗を完全キャッシュレス化していくというものだ。

長崎県自体はハウステンボス取材や佐世保訪問などで最近顔を出しているが、長崎市自体は高校時代の修学旅行以来久しく訪問していない。交通面などでも、隣の佐賀県と比べて九州の中心都市である博多からは離れており、キャッシュレス化への取り組みにまつわる話題もあまり聞こえてこない。だからこそ逆にジャパネットの取り組みが非常に興味深く思えた。

過去にはキャッシュレス比率で全国最下位と言われた和歌山県を2019年に2回にわたって取材しているが、やはりキャッシュレスとは遠い位置関係にあると思われる長崎の現状とジャパネットの取り組みの狙いについて紹介したい。

久しぶりの長崎市は現金とGoToトラベルの味

高校の修学旅行時はキャッシュレスのキャの字さえなかった世界だが、いま現在の長崎市はどうだろうか。交通系ICカードが全国規模で相互乗り入れしたこともあり、“10カード”の1つである九州エリアの「nimoca」が使える場面が増えている。

例えば、長崎空港に到着してコンビニや自販機でSuicaが使えるし、空港から市内へのバスもモバイルSuicaのタッチでそのまま乗車可能だ。お土産屋をはじめ、市内いたるところに全国チェーン店が存在し、クレジットカードやいつもの電子マネーがそのまま利用できる。その点、現金なしでの旅行がどれほど楽になったかと実感もする。

長崎名物の1つトルコライス

一方で、街を少しでも歩けば現金しか使えないという場面に何度も遭遇する。現地の名物として「ちゃんぽん」や「皿うどん」「トルコライス」などが挙げられるが、チェーンではない現地の食堂や喫茶店に入ってこれら名物を食べようとすると、とたんに「現金払いのみです」と言われてしまう。

こうした地元の店でも、最近ではAirペイを入れてクレジットカードや電子マネーが使えるようになっていたり、キャッシュレス決済手段としてPayPayのみ対応をうたう店舗もあったりと、徐々に増えつつある印象があるが、やはり現金中心にまわっているようだ。

地元の方々にいろいろ話を聞いたが、やはり全国的にみても長崎の高齢者比率は高く、これが新しい決済手段が広まらない理由の1つではないかという声が出ている。また「自分は電子マネーやコード決済を使っている」という人もいたが、実際に使える店舗は限られているため、やはり現金を使う場面の方がどうしても多いようだ。

また興味深い話題として、「GoToトラベル」対応店舗がかなり多かったことも挙げられる。長崎訪問時は10月のGoToトラベルのクーポン利用解禁直後だったこともあり、土産物屋に限らず、現金のみの飲食店からタクシー、稲佐山に登るためのロープウェイまで、かなりの場所でクーポンを利用することができた。

残念ながら電子クーポンを利用できる場所が限られており、どちらかといえば紙クーポンが中心だったが、「修学旅行生が多いようで、買い物やタクシー乗車をGoToのクーポンで支払う客がけっこういる」という話を何度も聞いた。「キャッシュレス化はしないが、クーポンを受け取る体制は用意する」という状況には感心したが、同時にこれは「観光促進を通じて予算を配分する」という政策が、ここ長崎では少なくともまわっているということでもある。

バスと並んで市民の貴重な足となっている路面電車の長崎電気軌道

そんな長崎だが、しっかりキャッシュレスが浸透していると思ったのが交通系ICカードだ。長崎名物の1つである路面電車(長崎電気軌道)は観光客と同様に市民の重要な足だが、おそらく敬老パスのようなものを持つ人を除いて、ほとんどの人がnimocaで乗車している。路面電車は後払い方式で運転手横に料金箱とICカード読み取り機が設置されているが、進行方向が反転したときのために車両後部にも運賃箱と読み取り機が設置されており、ここで現金を投入してnimocaをタッチすることで残高チャージが行なえる。今回、何度か路面電車に乗っているが、車内の運賃箱でnimocaチャージを行なっている人をかなり頻繁に見かけたので、この部分だけはキャッシュレス化が進んでいるのだと考えている。

車内改札では現金とnimocaが利用可能だが、交通系ICカードを利用する人は多いようだ

だが通勤や通学などで1日に1往復だけ移動する市民と違い、観光客は目的地を短時間に効率よく移動するために路面電車に頻繁に乗ることになる。長崎電気軌道ではこうした利用者のニーズに応えるため、乗車時間や移動ルートを紹介するための「長崎電気軌道アプリ」を用意しており、アプリ内で1日券または24時間券を購入できる仕組みが提供されている。

クレジットカード登録やApple Payなどでの決済になるが、筆者の場合はソフトバンクのキャリア決済が利用できたため、これで支払って24時間券を購入した。アプリで残り時間を表示できるようになっており、画面キャプチャで静止画を見せて誤魔化すことのないようにつねに残り時間がカウントダウンされるようになっているため、降車時に運転手に当該の画面を見せるだけでいい。シンプルだが、非常に有用な手段だろう。

短時間に市内を多く移動する観光客には長崎電気軌道アプリで購入する1日券が有効

地域創生と払い戻し可能なオリジナルプリペイドカード

さて、ここでジャパネットの「長崎キャッシュレスプロジェクト」だ。部分的にキャッシュレス化しているところも見受けられるものの、やはり現金が根強いという印象は強い長崎において、なぜいま地元の有力企業がキャッシュレス化をプロジェクトとして推進するのだろうか。その陣頭指揮を執っているジャパネットサービスイノベーション執行役員でペイメント事業部事業企画担当の横田幸平氏に話をうかがった。

ジャパネットサービスイノベーション執行役員でペイメント事業部事業企画担当の横田幸平氏

「まず前提として、ジャパネットが拠点とする長崎は日本で人口流出が一番進むことで衰退しつつあります。通信販売で知られる会社ですが、地元企業としてスポーツ新興を通して民間主導の地域創生を成功させたいという思いがあり、2024年に予定されている長崎スタジアムシティ(事業主はジャパネット)の開業を見据えた取り組みとして、今回のキャッシュレスプロジェクトがあります。現在ジャパネットはJ2リーグのV・ファーレン長崎を抱えていますが、来年2021年にはBリーグのバスケットにも参入予定です。サッカーとバスケットはいい具合にシーズンが重なるようになっているので、それら2つのリーグが試合を行なうスタジアムはどのようにあるべきかを考えました。世界中のスタジアムを視察するなかで、英国のトッテナム(Tottenham)やドイツのシャルケ(Schalke)といったチームの本拠地は完全キャッシュレス化されており、いかにローコストで回転率を上げつつ、利用者の購買情報や売上の可視化が重要になるかを知りました。一方で長崎に目を向ければ、キャッシュレス化は進んでいません。そこで、まずはジャパネットが関わっているスタジアムや試合、そして観光名所の稲佐山山頂エリアにオープンしたばかりの『INASA TOP SQUARE』で率先してキャッシュレスを推進し、実際に体験してもらうことが必要だと判断しました。また、Jリーグサポーターの文化として『おもてなし』があり、チームの試合を地元サポーターだけでなく、外部から遠征してくるサポーターも迎えて一緒に盛り上がる傾向があります。そうやって外部から来ていただく方が『Suicaが使えない』というのでは困りますので、まずは不便のないように……というのが取り組みの一歩になります」(横田氏)

10月中旬にトランスコスモススタジアム長崎で開催されたV・ファーレン長崎の試合に詰めかける多くのファンたち(写真提供:ジャパネット)

「そうした形で稲佐山のキャッシュレスプロジェクトが走り出したのですが、コロナ以前のタイミングでいちどスタジアムに出店している地元企業の方々に集まっていただいて『東京五輪開催を前提に、その後の完全キャッシュレス化を実現したい』と説明し、そこで『キャッシュレスだけだと混乱する』「現金も同時に扱えるようにできないか」『現金を使いたいと言われたときの対応をなんとかしてほしい』という多数のリクエストをいただきました。そうした声を反映して誕生したのがオリジナルのプリペイドカードとなります。その場で発行して現金チャージが可能ですが、さらに『現金払い戻しができる』という点にこだわりました。サッカー好きの小学生や中学生といったお子様方はキャッシュレス決済の手段を持っていなかったりするわけですから、そうした方々も対象になります。もう1点こだわったのは『キャッシュレスを導入したいけど、キャッシュフローが大変』という店側の問題で、月2回締めとかではなく、決済代金はジャパネットがすべて肩代わりして翌日全額払いとさせていただきました。スタジアムに出店しているのは企業とはいっても、本当に個人経営の小さなところが中心ですので、こういった点が重要になります。お渡ししている端末には簡単なPOS機能もあるため、これを見て『実際に自分のお店で使えないか?』と問い合わせがある効果も期待しています。まずは10月の最終戦まではジャパネットが全額負担しますので、どんどん使ってフィードバックを行なってほしいという形で、現在トライアルを進めている段階です」という。

実際、これらスタジアムに出店している企業は規模が小さく、カード会社に申し込んでも審査が通らなかったり、高い料率を設定されるケースが想定されると横田氏は加える。

実際の反応をTwitterなどの検索を通じて見てみると、キャッシュレス決済の手段が多めに用意されていること、また実際に売上が伸びているケースも報告されるなど、まずまずの出だしだという。

実際にオリジナルのプリペイドカードの利用を見ていると、最初に1万円程度をチャージし、変える際に8,000円や9,000円を払い戻すケースが意外と多かったという。また資金決済法の関係で「プリペイドカードで払い戻し」の実装はいろいろ苦労したというが、諸処のルールを確認したうえで「これで問題ない」という形まで漕ぎつけたということで、最後まで「払い戻し」にはこだわったという。またプリペイドカードが自社発行ということもあり、ファンクラブカードや会員証との一体化、決済端末へのレシートクーポンの実装など、いろいろ考えていることはあるという。

試合会場内は出店も完全キャッシュレスのため、キャッシュレス決済手段を持たない来場者は共通プリペイドカードを利用する。発行チャージ機には係員が張り付いて説明を行なう(写真提供:ジャパネット)
チャージ機ではICカード発行や現金チャージのほか、残金は最後に払い戻しが可能(写真提供:ジャパネット)

利便性のこだわりはジャパネットカードにも

今回のジャパネットのキャッシュレスプロジェクトの特徴だが、前述のように「決済手段が豊富」という点が挙げられる。現金こそ使えないが、それ以外の手段は豊富にある。横田氏が説明するように、「あくまでも外部からやってくる方々でも困らないようにする」「まずはキャッシュレスの便利さを知ってもらいたい」ということで、オリジナルのプリペイドカードは「現金しか決済手段のない人の最後の手段」と捉えている点だ。このプリペイドカードのみに限定することも可能だろうが、「そこは事業主体にない」(横田氏)ということで、自社独自の決済手段のプロモーションにはこだわらないという。

2020年7月にリニューアルオープンした稲佐山山頂エリアの「INASA TOP SQUARE」では、完全キャッシュレス化が実施されている
現金利用不可を告知する立て看板
対象となる3つの店舗では現金が使えないため、キャッシュレス決済手段を持たない利用者にはその旨を伝えて展望台内にある機械で共通ICカードの発行を促す
富山を拠点とするSHOGUN BURGERが稲佐山独自のオリジナルメニューとして提供しているナポリタンバーガー。バーガーの隙間にナポリタンを挿入して一緒に食べる

「ジャパネットの通販は高齢者の方の利用が多いので、あくまで利便性にこだわる社風です。とはいえ、通販そのものは日々利用するわけではありませんから、スタジアムシティのように365日の運営を考えている事業とは異なります。Jリーグ上位にずっといるようなチームなら特定の手段にこだわるのもいいかもしれませんが、たまにやってきて同じ衣装を着て発散するというのであれば、やはりバランスが需要で、そのときに体験して便利さを知ってもらう必要があります。考え方としては、アミューズメント向けの決済事業提供者として、もし今後このプロジェクトが認知されるようになれば、成功パターンを逆に長崎から広げていくことも可能かと考えます」(横田氏)

ジャパネットの利便性の話で1つ面白いと思ったのは、同社が発行している年会費3,000円(税別)の「ジャパネットカード」の存在だ。送料無料の特典や分割手数料割引が特徴の同カードだが、ジャパネット通販を利用する顧客のロイヤリティカードであると同時に、買い物客や電話オペレーターの負担を減らすことが狙いにあるという。分割払いは契約書の締結など面倒な作業が発生するが、クレジットカードであればそういった負担が少なくなるという点でメリットがある。

また、ジャパネットの利用層が高齢者に多いということもあり、そのまま電話口でカード番号を読み上げて決済を行なうのは顧客とオペレーターの両方にとって負担だ。そこでカード番号ではなく別の項目を質問で聞く形で認証を行ない、注文時間の短縮と負荷軽減を両立しているという。実際、ジャパネットカード契約者の購入回数は平均と比べて3-4倍高いということで、リピート利用が非常に多いことが分かる。

また、キャッシュレスプロジェクトにおけるジャパネットの収益モデルだが、現在はあくまで先行投資の段階だという。重要なのは2024年の長崎スタジアムシティの開始で、例えばスタジアム内のカフェで毎月3,000円を支払えばコーヒーが飲み放題になったり、貸し会議室を分単位で課金したりと、現金では難しいようなビジネスモデルがキャッシュレスが当たり前になることで可能になり、取りこぼしの可能性も減るという。

もともとのジャパネットのビジネスモデルが「大量仕入れで価格競争力と付加サービス」という点にあり、キャッシュレスについても一連の取り組みがうまくいくようであれば、同様に長崎モデルの全国輸出も視野に入れたいと横田氏は説明する。いずれにせよ、まずは実験でのフィードバックを得て2024年のスタジアムシティがどのような形で完成するのかという点で、そのときを楽しみに待ちたいと思う。

稲佐山山頂エリアからの夜景の眺め

鈴木 淳也/Junya Suzuki

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)