トピック

路面電車から鉄道に変身した福島「飯坂電車」全踏破 終点はラジウム発見の地

泉駅-上松川駅間を走る飯坂電車。この区間は松川を渡るので緩やかな上り勾配になっている

明治期から昭和期まで、路面電車は市民の足を担う公共交通機関でした。高度経済成長期にマイカーが普及したことで役割を終えた路面電車は次々と姿を消しました。

しかし、2023年8月に栃木県宇都宮市・芳賀町に新型路面電車「ライトライン」が開業すると、事前予測を大きく上回る利用を記録。これが路面電車を再評価する流れを生みました。

路面電車をゼロから運行するには、運転士や車両などを揃えなければならないほか、線路や車両基地・電化施設などの整備も必要です。これらに莫大な費用がかかることは言うまでもなく、そのために路面電車をゼロから建設することは容易ではありません。そうした要因によって、再評価する機運は高まっても新しい路面電車の誕生が阻まれています。

一方、福島県福島市を走る福島交通飯坂線は路面電車として開業しましたが、1945年に一般の鉄道へと転換しました。そのため、路面電車が次々と廃止された昭和期をも生き抜き、現在は「飯坂電車」と呼ばれて市民に親しまれています。路面電車の生き残りとも言うべき、飯坂電車の沿線を全線踏破してみました。

福島交通「いい電沿線見どころMAP」

かつては福島市一円に広大な路面電車ネットワーク

福島県の県庁所在地である福島市は約26万8,000人の人口を擁する都市です。県内には人口が約31万5,000人の郡山市、約31万2,000人のいわき市があり、県庁所在地ながら県内の人口順位は3位となっている珍しい市です。

福島市には県庁があるので財務省や国土交通省といった行政の出先機関が集積し、行政都市という性格を帯びた都市といえます。

福島市の玄関口となっている福島駅は1887年に開業。来年は開業140年の節目を迎えます。その福島駅にはJRの東北本線と奥羽本線の列車が停車するほか、福島駅-槻木駅を結ぶ阿武隈急行(阿武急)と福島駅-飯坂温泉駅を結ぶ福島交通飯坂線(飯坂電車)の2路線も接続しています。阿武急は、もともと国鉄の丸森線を引き継いだ路線です。

福島駅西口

一方、飯坂電車は福島飯坂電気軌道という路面電車がルーツです。同社は後に福島電気鉄道と合併。福島電気鉄道も路面電車を運行する事業者だったことから、福島市一円には広大な路面電車ネットワークが張り巡らせることになりました。

1945年、福島電気鉄道は時代の流れに応じて、運行していた電車を軌道法から地方鉄道法の適用に切り替えました。適用される法律が変わっても、利用者が変化を感じることはありませんが、簡単に言えば福島電気鉄道が路面電車から一般の鉄道に転換したことを意味します。

戦後、長らく鉄道事業者として市民の足を担っていた福島電気鉄道は、時代の流れもあって主力事業を鉄道からバスへと変更していきました。それに伴って1962年に社名を福島交通へと改めています。

少しずつ鉄道からバスへと事業シフトが進み、1971年には飯坂東線を全廃。このような軌跡をたどって、現在は約9.2kmの飯坂線だけが残っているのです。

ローカル線然としたゲートの先に飯坂電車ホーム

現在の飯坂電車はJRと同じ駅舎を使用していますが、のりばは少し離れた別の場所に設けられています。いったん福島駅を出て駅東口のロータリーに出ます。福島駅東口の駅前広場には、同市出身の作曲家として知られる古関裕而の像が設置されています。

福島駅東口
福島駅東口には福島市出身の作曲家・古関裕而の像が設置されている

2020年前期に放送されたNHK連続テレビ小説「エール」の主人公・古山裕一は古関がモデルです。古関の代表曲は、全国高等学校野球大会の歌としてお馴染みの「栄冠は君に輝く」が有名ですが、「福島行進曲」や「福島県スポーツの歌」など郷土愛に溢れた歌も多く手がけています。

また、歌手で武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)の教師を務めた岡本敦郎の「高原列車は行く」も作曲。同曲の高原列車とは、福島県猪苗代町を走っていた日本硫黄沼尻鉄道部のことです。

日本硫黄沼尻鉄道部は時代とともに名称を次々と変更しましたが、1967年に磐梯急行電鉄に改称。翌1968年に経営破綻し、全線の運行が休止されるという謎の鉄道会社でした。同社は社名に電鉄があるものの、全線が非電化の路線でした。そうした謎めいた鉄道ですが、古関によって後世まで語り継がれることになります。

そうした鉄道とも関係があった古関の像が、福島駅前に建立されているのは何かしらの縁を感じさせます。古関の像を眺めてから駅舎に沿うように北へと歩きます。駅舎北側には横丁のようなゲートがあります。

飯坂電車と阿武急ののりばを示した表示が駅前ロータリーにある
横丁のような雰囲気を放つ飯坂電車と阿武急ののりばを示すゲート

ローカル線然とした雰囲気を放っていますが、駅舎・駅ビルと一体化しているような構造になっているので人通りは多く、利用者が多いようにも感じられます。

ゲートの中へと入ってみると、飯坂電車と阿武急の電車が同じホームを挟んで並んでいます。同じホームを使用している両社ですが、それぞれ電化方式は異なります。飯坂電車が直流電化、阿武急が交流電化です。

明治から昭和戦前期まで山形~東京の物流を支えた万世大路

全線踏破を目的としているので、電車には乗らず線路沿いを歩きます。飯坂電車と阿武急の線路は途中まで並走しているので、側道を歩きながら電車の往来を眺めていると、飯坂電車の線路が複線になっていると勘違いしてしまいます。

10分ほど北へ歩いていくと、突き当たり正面にクラシカルな赤い屋根が特徴の曽根田駅が見えてきます。

曽根田駅の構内にはカフェが営業しています。曽根田駅は2010年に駅舎を改装し、赤い屋根の駅舎になりました。2022年に昔ながらの駅舎へと再び改装。2022年の改装では、窓枠を木のサッシへと取り換えるといったレトロの雰囲気になりました。同時に住民が集まって交流できる場になるように、駅構内に広場のようなスペースも整備されています。

クラシカルに改装された曽根田駅

また、使用していない線路には7000系の車両を留置し、休憩所としても活用されています。同車は東急電鉄から1991年に譲り受けた車両で、2019年まで飯坂電車で活躍しました。30年近くわたって活躍した車両のため、沿線住民にとって身近で親しみのある存在だったことは言うまでもありません。

曽根田駅に留置されている7000系

曽根田駅の東側を南北に走る県道3号線から次の美術館図書館前を目指します。県道3号線は交通量が比較的に多い道で、万世大路とも呼ばれています。

万世大路は明治期に山形県令を務めた三島通庸が、物流を促進するために開削した道路です。山形は庄内平野などで稲作が盛んです。当時、山形県で収穫された米は、日本海側から船で北陸・山口県下関を経て大阪へと運ぶ西廻り航路を使うのが一般的になっていました。

江戸時代の大阪は商都として経済発展し、米の取引も盛んでした。さらに京都も近いことから多くの物資が集まる地だったので、そうした西廻り航路は山形県にとって重要だったのです。

時代が明治に移ると、東京が急速に経済発展し、人口も右肩上がりで増えていきます。そのため、多くの農産品を東京へと届けることが山形の経済発展に寄与すると判断されたのです。日本海側に位置する山形県は西廻り航路で物資を運んでいたので不経済・非効率でした。

三島は船による輸送ではなく、陸路の輸送を考えました。陸路で物資を輸送するには、道路を整備する必要があります。こうして三島は大型道路の開削を断行。三島は山形県令だったので、その権限が及ぶ範囲は山形県内だけです。

しかし、山形県令と兼任で福島県令も務めることになり、山形から南下してきた道路は、そのまま福島県でも道路建設が進められました。

幸運なことに、その後に三島は栃木県令も兼任することになり、これで山形・福島・栃木3県の道路が一気に整備されていきます。そして、整備された道路は万世大路と名付けられたのです。

明治から昭和戦前期まで山形から福島・栃木を経て東京へと至る物流を支えた万世大路ですが、戦後に自動車が普及していきます。それに従って、さらなる大型道路が希求されました。

そのため、県道3号線の東側にある国道13号線に役割を譲ります。これにより、物流の主役は交代して万世大路は静かな道路になりました。現在の万世大路から、明治期の華やかだった面影を感じることはできません。

線路に沿うように万世大路を北へと歩いていくと、交差点に歩道橋が架かっています。この歩道橋の上からは東北新幹線や山形新幹線、飯坂電車の走っている姿を見ることができます。鉄道好きには堪らないトレインビュースポットですが、特に足を止めて行き交う列車を眺めている人は見当たりませんでした。

万世大路に架かる歩道橋から東北新幹線や山形新幹線・秋田新幹線などを眺めることができる
さらに飯坂電車・阿武急の走る姿も眺められる

歩道橋を過ぎると、街並みは一気に住宅街然となります。さらに真っ直ぐ進んでいくと美術館図書館前駅に到着です。駅名の通り、福島県立美術館と福島県立図書館の最寄駅で休日は利用者が多いようです。しかし、駅そのものはこぢんまりとしています。

外観が特徴的な美術館図書館前駅

事故のもととなる第4種踏切の問題を複雑化する“勝手踏切”

ここまで飯坂電車と東北本線の線路は並走してきましたが、美術館図書館前駅を通り過ぎると東北本線の線路は東側へ、飯坂電車の線路は西へと離れていきます。

飯坂電車の線路は県道3号線に沿うように北へと延び、次の岩代清水駅は県道3号線から少し入った住宅街の中にあります。

岩代清水駅の駅前は駐輪場として活用され、多くの自転車が並ぶ

同駅から北へ歩くと国道13号線の高架道路があり、それを潜ると次の泉駅に到着です。福島県内には泉駅が2つあり、ひとつはいわき市に所在する常磐線の泉駅、もうひとつが飯坂電車の同駅です。

泉駅の出入口は県道3号線に面しています。駅出入口付近には商業店舗が並び、その駐車場が併設されています。そのため、駅前広場のような空間にも感じますが、道路沿いにバス停が設置されているほかは、特に広場のような使われ方はしていません。

泉駅の出入口

泉駅を通り過ぎると、線路はゆるい登り勾配になります。これは松川を渡るためです。道路を歩きながら、横目で鉄道橋を眺めます。川を渡り切ると、上松川駅に到着。

同駅は平日の朝夕に駅員が配置されています。飯坂電車の駅は多くが無人駅になっています。つまり、上松川駅は通勤・通学で利用する人が多いということになります。

上松川駅

ラッシュのピークは過ぎていましたが、それでも電車を撮りつつホームを眺めていると、電車を待っている人や電車から降りてくる人をたくさん見かけました。上松川駅の東側には県営団地の住棟が立ち並んでいます。そうした団地住民の利用が多いようです。

上松川駅の東側に広がる県営住宅団地

上松川駅から次の笹谷駅までの途中で、県道3号線が枝分かれする地点があります。西へと分岐するのが県道312号線で、東へと流れていくのが県道3号線です。線路は県道3号線に沿うように右へとカーブしていきます。

分岐地点には御神木のような巨木が立っていますが、特に説明板などは見当たりませんでした。大きな木があるせいか、ここだけ鬱蒼とした雰囲気で厳粛な空気に包まれています。

上松川駅-笹谷駅間に立つ御神木のような巨木

そんな巨木を通り過ぎると、一直線に線路が延びている光景が目に飛び込んできます。延々と続いているように見える線路と側道の県道3号線を歩くと笹谷駅に到着です。

笹谷駅

このあたりから線路と県道3号線は、ピッタリとくっつくように並走します。同区間には線路の東側に民家が並んでいます。そのため、民家の入り口には遮断機・警報器がない、いわゆる「第4種踏切」が点在しています。第4種踏切が多く残っている光景を目にすると、飯坂電車が路面電車だった頃の名残を感じます。

飯坂電車には警報器・遮断機もない第4種踏切が多い

第4種踏切は地方都市に多いことからのどかなイメージやノスタルジーで語られることが多いのですが、そうした懐古的に美化できるものではありません。なぜなら第4種踏切は、現代においては交通事故を起こす原因になっているという社会問題として扱われるからです。

鉄道事故は死傷者を出すという悲惨な話でもありますが、事故によって長期間の運休を余儀なくされれば、その間の代替交通を確保しなければならないという難題も出てきます。踏切事故をなくすことは沿線住民の安全を確保するという意味が大きいのですが、それ以外にも安定的な公共交通という意味も含んでいます。

近年、鉄道事業者や国土交通省・地方自治体が積極的に踏切の廃止に取り組んでいます。踏切を廃止する場合、そのまま踏切を閉鎖するのではなく、立体交差化するケースがほとんどです。

立体交差化の工事は莫大な工費を必要とするので、利用者の少ないローカル線では費用対効果の観点から二の足を踏むことが多く、そのために思うように立体交差化は進んでいません。問題視されながらも第4種踏切が多く存置されているのは、そういった理由からです。

また、第4種踏切は危険とはいえ、地域住民にとって生活に不可欠な道路です。その生活道路に設置されている第4種踏切を廃止してしまうと、生活に支障が出ることもあります。そのため、地域住民が踏切を廃止しないでほしいという要望することもあります。踏切と聞くと、鉄道関連の施設と思われがちです。しかし、交差する道路との兼ね合いもあって鉄道事業者だけの判断で踏切を廃止することはできないのです。

こうした事情に加え、踏切の廃止問題を複雑にしているのが私設踏切の存在です。一般的に“勝手踏切”と通称される私設踏切は、複雑な歴史的経緯から誕生して今に至っています。これら私設踏切は個々の家や地域住民によって設置されてきた歴史があります。そうした私設踏切は全国に3万以上もあります。国土交通省などは私設踏切を早急に廃止するように鉄道事業者や地方自治体に通達していますが、鉄道事業者や地方自治体の判断だけで廃止はできないのが現状です。

個人宅専用とも思える踏切をあちこちで目にできる
安全の観点から、廃止された踏切もある
関係者専用の踏切は原則的に立ち入り禁止のため、通行不可

飯坂電車にも私設と思しき踏切が点在しています。特に上松川駅-花水坂駅間は県道3号線と寄り添うように走っているので、私設踏切銀座と形容できる区間になっています。そうした線路と道路が隣り合う区間を歩いて桜水駅へと到着しました。

沿線で出会える“片岡鶴太郎”と“松尾芭蕉”

桜水駅には車庫と留置線があります。周辺は静かな住宅街ですが、車庫独特の雰囲気も漂っています。

車庫などが併設されている桜水駅の駅舎
桜水駅に併設されている車庫・留置線に電車が並ぶ

桜水駅から線路の東側に広がる農地を見ながら北へと歩きます。そして阿武隈川の支流である八反田川を渡ると、頭上に東北自動車道が見えてきます。東北自動車道をくぐると、再び線路の東側は平原のような光景が広がります。その光景が住宅街へと変わると平野駅に着きます。

平野駅

平野駅からも引き続き県道3号線を歩きます。ここから線路の両端に住宅が並びます。医王寺駅までの途中で、飯坂電車の線路と国道13号線が交差。国道13号線は交通量の多い幹線道路ですが、交差部は立体交差されていないので踏切があります。飯坂電車の踏切では最大級ともいえる踏切です。

平野駅-医王寺駅間にある飯坂電車最大級の踏切

国道13号線との交差部を過ぎると医王寺駅に到着し、そのまま進むと摺上川の支流となっている小川が見えてきます。

医王寺駅
医王寺駅-花水坂駅間を走る飯坂電車

小川を渡ると道路は緩やかな下り勾配になり、「福島片岡鶴太郎美術庭園」があります。福島片岡鶴太郎美術庭園の名称にもなっている片岡鶴太郎さんは俳優・お笑いタレントとして活躍し、その芸能活動と並行して書画・絵画といった芸術活動にも没頭しました。その才能は、日本を代表する岡本太郎さんにも認められるほどでした。

片岡さんの作品は多数あり、作品を収めたミュージアムは同地のほか群馬県草津町・石川県加賀市・佐賀県伊万里市など全国にあります。そのひとつが福島片岡鶴太郎美術庭園ですが、名称からも窺えるように、単なるミュージアムではありません。美しい庭園が併設されているのです。その庭園を鑑賞する目的で訪れる人もいるようです。

福島片岡鶴太郎美術庭園は歴史を感じさせる佇まい

福島片岡鶴太郎美術庭園を過ぎると、花水坂駅が見えてきます。福島飯坂電気軌道が走り始めた1924年、現在の花水坂駅は飯坂温泉駅として開業しました。花水坂駅から飯坂温泉駅までは歩いても数分の距離ですが、それでも温泉を訪れる利用者の利便性を向上するために線路を延伸しました。延伸した1927年、新たに飯坂温泉駅が開業。これにより飯坂温泉駅は花水坂駅へと改称したのです。

開業時は「飯坂温泉駅」だった花水坂駅
花水坂駅の由来となった花水坂が近隣にあり、碑が立つ

同駅を過ぎると、これまで伴走してきた飯坂電車の線路と県道3号とはお別れをします。線路は家と家の間を縫うように敷設されており、そこを抜けると終点の飯坂温泉駅です。

飯坂温泉駅は高低差のある場所に立地しています。そのため、駅舎は高台に建っていますが、ホームに降りるには長い階段を下らなければなりません。こうした構造になっているのは、飯坂温泉の絶景を形成している摺上川の地形によるものです。

飯坂温泉駅の駅舎は2010年に改装されて、温泉街と調和した和風の外観に生まれ変わりました。駅前広場も綺麗に整備されていますが、広場には日本史上最高の俳諧師でもある松尾芭蕉の像が建立されています。同地に芭蕉の像がある所以は、代表作『おくのほそ道』の旅で、芭蕉が飯坂温泉に立ち寄ったからです。

和風の外観に改装された飯坂温泉駅
飯坂温泉駅南側の跨線橋から摺上川を眺める
飯坂温泉駅前には、おくのほそ道で立ち寄った松尾芭蕉の像も建立されている

また、『日本書紀』や『古事記』に活躍が記述されている伝説の英雄・ヤマトタケルも飯坂温泉で療養したとの言い伝えが残っています。

そうした歴史ある飯坂温泉は、近代に入っても話題を振り撒きました。現在、温泉の泉質でラジウムは広く知られていますが、ラジウムの存在が日本で最初に確認された温泉地が飯坂温泉なのです。その歴史を伝える顕彰碑も駅前広場にあり、飯坂温泉の名物となっている温泉卵“ラジウム卵”の形を模しています。

日本最初のラジウム発見を伝える顕彰碑は温泉卵の形

飯坂電車は歴史ある温泉地へと向かう鉄道として地元住民のみならず観光客にも重宝されて、2024年には開業100年を迎えました。

近年は沿線住民が減少しているほか、旅のスタイルが大きく変わり温泉旅行の人気が低下したこともあって、飯坂温泉を訪れる観光客も減少傾向となっています。そのため、飯坂電車も厳しい環境にあります。それでも平日の朝夕ラッシュ時は1時間に4本、デイタイムでも1時間に2~3本のダイヤが組まれるなど、決して利用しづらい電車ではありません。

前述したように、飯坂電車は1945年に路面電車から一般の鉄道へと脱皮しました。それから80年以上が経過し、路面電車は再評価される兆しが出ています。飯坂電車は路面電車ではなくなりましたが、路面電車のように地元・沿線に密着した鉄道です。それだけに路面電車を再評価する世論の後押しを受けて、輝きを取り戻す可能性を秘めているといえるでしょう。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。