小寺信良のくらしDX
第37回
60歳で大学に入るということ 人生100年時代に備えた学び直し2年目の現在地
2026年2月28日 09:30
社会人になってから仕事に必要なスキルや知識を学び直す、「リカレント」が注目されて久しい。その背景には、リストラや早期退職、あるいは役職定年などにより、いつでも転職・転業の可能性があること、急速な技術発展により、今までの知識では対応できなくなったことなど、様々な背景がある。
リカレントは、技能取得の場合は専門学校や職業訓練校になるが、資格取得の場合は大学が対応するケースもある。昨今は大学も積極的に社会人の受け入れをはじめており、夜間や通信教育課程を開設するところも多い。
若い人ほど、これまで散々勉強してきてまた勉強するのは、さすがにうんざりすることだろう。だがいい年になってくると、若い頃に学んでみたかったことを知らないままで死んでいいのか、という気になってくる。これは仕事とは直接関係ない、知識的欲求である。
筆者は高校の文理選択以降ずっと理系で、音響・映像の技術専門学校へ進み、仕事も映像作品制作をサポートする技術畑を歩んできたわけだが、本当は芸大で芸術を学びたかった。だが当時は理系選択からでは芸大に進学することができなかった。今でもそうなのかもしれない。
現在の仕事は文筆家なので、念願の文系の仕事への転職を果たしたことにはなるのだが、内容はほぼ技術系である。よってプロダクトデザインや文化的背景を解説する際に、芸術の知識が足りていないと思うときがたびたびあった。こうした知識は、仕事上必須ではない。ただ知識があればもう少し深掘りできる話を、薄くしか切り取れないのは無念である。
筆者が60歳の還暦を迎えた記念に、大学で芸術を学びたいと思ったのは、そうした思いからであった。また両親に将来を嘱望されながらも、兄弟で唯一大学へ進学しなかったという懺悔もあった。
筆者は現在、京都芸術大学 通信教育課程 芸術教養学科の4回生である。専門学校卒なら1、2年の一般教育課程を飛ばして3回生から編入できるので、現在2年目ということになる。
ただすでに両親とも他界しており、大学進学を報告するには決断が遅すぎた。
大学は最短では2年で卒業は可能だが、それには1年と3四半期のうちに60単位を取得しなければならない。試験は4半期ごとに行なわれるので、1期につき8~9単位を取得しないと間に合わないことになる。これは学生なら可能だろうが、仕事しながら学ぶ社会人にはなかなか難しいペースだ。筆者も2期ぐらい頑張って8単位を取得したが、さすがに2年間での卒業には間にあわなかった。多くの人は3年から4年かかるようである。
卒業に必修の専門教育科目のほとんどはWebスクーリングで、動画とテキスト教材で学習したのち、レポート試験を受けるというスタイルだ。専門教育課程は、教養芸術講義が12のほか、芸術史講義としてアジア、ヨーロッパ、日本、近現代をそれぞれ4講座を学んでいく。
ヨーロッパの歴史自体は、高校の世界史の授業で学んだところであるが、記録がしっかり残っていることから実に長大であり、正直苦手であった。しかし芸術史という観点からヨーロッパの歴史を見ると、ひたすら一直線に長大というわけではなく、古典主義としてかつての芸術が復活してはその反動で前へ進むといった繰り返しであり、ある意味「歴史は繰り返す」という図式そのままであることが学べたのは収穫であった。つまり、歴史は折りたためるのである。そう考えれば、長大な歴史もずいぶん短くまとめられる。
1~2年で学ぶ総合教育科目のテキスト形式の科目も受講できる。ただし必修ではないので卒業単位数にはカウントされない。筆者も力試しのつもりで、「情報」、「色彩と形」の科目を受講した。これらは仕事をしていく上で身につけた内容だが、一度もアカデミックな場で学んだ事がない知識である。それがアカデミックの場ではどのように教えられているのか、また自分の知識が通用するのかを試してみるのは、楽しい経験であった。
子供とは違う大人の学び
現在同居中の子供たちは、上の娘は大学1年生、下の息子は大絶賛大学受験の真っ最中である。おそらく来年度にはどこかの大学に行くことになるだろうから、4人家族のうち3人が大学生という、妙な家庭になる。
子供の大学進学は、そもそも将来どういう方向に進むのか、平たく言えば職業に何を選ぶのかを睨んでの大学・学部・学科選択がある。4年間の学びは、就職という難関にどのように挑んでいくのかに繋がっていく。社会人でも、独立や起業を睨んでの学びであれば、そこは変わらない。すでに家庭があるなら、余計に失敗はできない挑戦となる。
一方で筆者の学びは、学んだ結果職業を変えるということでもなく、大学卒業と並行しての就職活動もない。これはリカレントというよりも、生涯学習に分類される学びである。
その結果得られるものは何か。それは、これまで漠然とした状態把握でしかなかった様々な事象の「見え方が変わる」ことである。例えば地域の町おこしや伝統行事も、それを評価・分析する視点を持つことができる。「ああお祭りやってんだ」ではない観点で観る伝統行事は、楽しい。神事や仏事は、これまで宗教や信仰の側からしか見ることができなかったが、知識があれば継承文化の視点で見ることができる。その行事が思いがけなく希少なものであるという事実に気づくかもしれない。
あるいは町内のゴミ捨てがどうしたこうしたといった不毛とも思える争いも、地域連携や文化、対話のあり方といった学術的視点から俯瞰することができる。俯瞰できれば問題解決の糸口も見える。大人になってからの学びは、就職や仕事には直結しないが、社会や生活と直結する。
また学生であることで、社会的にも優遇されるケースがある。例えばAdobeの全部入りプラン「Creative Cloud Pro」は一般であれば月額9,080円だが、学生プランが利用できる。初年度2,180円、2年目以降は4,180円だ。初年度は82,800円の節約となる。
パソコンもApple、DELL、Lenovoといったメーカーは学生割引プログラムで購入できる。メーカーによって単体価格を割り引くものや、クーポンなどで還元するものがある。また見た目はオジサンでも学生証はちゃんとあるので、博物館、美術館、劇場、映画館などで割引がある。もっとも、学割よりもシニア割のほうが安かったこともあるので、そのあたりは事前に調べていく必要がある。
現在もまだ大学での学びの最中だ。何よりも、夜の時間の充実度が格段に上昇した。これまでは晩飯を食ってビールでも飲んでしまうと、あとはもうぼんやりテレビを眺めたり寝転がってマンガを読んだりしていただけで、生産的なことは何一つなかった。
だが大学の勉強は、仕事が終わって飯食ってからが本番である。筆者が学ぶ場所は地方都市のありふれた賃貸マンションの6畳間でしかないが、ここにいながら心は世界中を旅して、知見を広げている。これはネットサーフィンでどこでも行けますねというのとは、次元が違う話である。
先日も4科目分のレポートを提出したところである。大学のレポートは1,200字程度なので、これまで25年以上、毎日6,000字ぐらいの原稿を書いてきたプロのライターからすれば、どうということもない作業である。これはズルではないが、他の職業の方には申し訳ない。
年をとったら、仕事を引退したら、もうやることがないんじゃないか、旅行でもするか、と思っている人も案外多いのではないだろうか。もちろん旅行するのもいいが、永遠に旅行はしていられない。
子供が大きくなり、社会に出れば自分に使えるお金や時間も増えるだろう。そうしたら、今度は自分が好きなことの学びに戻る番である。「知らないことを学ぶこと」は、永遠に終わらない。そしてやりたいことが山ほどできる。
大学の通信教育課程は3月中旬あたりまで願書を受け付けているところも多い。人生において、勉強するには年を取りすぎたということはない。
なりたかった自分を取り戻すことはできないかもしれないが、知りたかったことは取り戻せる。実際に思い切ってやってみたら、それほど難しいことではなかった。学び直しを決断するなら、多くの受験生が頑張っているこのタイミングであろう。




