Torus by ABEJA

「治す」がゴールじゃない医療もある。患者が幸せになるテクノロジーの使い方

医療現場にも、診断や治療支援のための機器にAIが導入されるようになりました。

一方で、それが医療のあり方や、患者と医療従事者との関係、ひいては社会や私たちの生き方にどんな影響や変化をもたらすのでしょうか。

AIを活用した医療機器を開発するアイリスCEOで医師の沖山翔氏が、医療AIの現在と未来について解説します。

"Torus (トーラス) by ABEJA"より転載(2019年11月9日公開

AIがカバーするから放射線科医はいなくてもいい?

沖山氏:現在、医療の世界で最もAI技術が応用されているのがCT(コンピュータ断層撮影)やMRI(コンピュータ断層撮影)などの放射線科領域です。

2016年には、ディープ・ラーニングの父と呼ばれているジェフリー・ヒントンが「あと10年以内に、放射線診断業務の多くはAIがカバーするようになるから、これ以上人間の放射線科医を増やさなくてもいい」と言いました。

また、当事者である放射線科医のブラッドリー・エリクソンも「2026年までには、ほとんどの読影レポートをAIで自動生成できるようになるだろう」と発言しました。

両者の発言に「そんなことはありえない」と反発する医者が当時は多かった。

AIが正しく診断するためには大量のデータで学習させる必要があります。数千人、数万人の患者がいる病気ではそうしたデータを集められますが、患者数が300人程度の希少疾患はデータが足りず、AIが診断できるはずがないという反論です。

しかしその反論は、いまは有効ではなくなっています。

初めて見る画像でも、今まで見たどの画像とも違うということがわかるゼロショット・ラーニングや、1枚しか見ていなくても予測対象に近いと推論できるワンショット・ラーニングという手法もあります。数千万枚の画像がないと学習できないというAIは数年前の話で、少ないデータで学習できる手法がもう開発されているのです。

人間と同じくらいの精度で、8割の時間短縮

上のスライドはアメリカのゼブラ・メディカル・ビジョンというAIの会社が提供している、CTで撮影した脳の断面画像です。右側にある少し白い縦線が入っている部分が脳出血している箇所なのですが、ここをAIがマークして教えてくれます。

この画像なら人間でも見逃すことはないのですが、CTで脳をスキャンする際、1度に20枚ほど撮影します。1日に100人を撮影するとしたら、医師は2000枚も見なければなりません。この画像に写っているような小さな脳出血なら、前後のスライス画像には写っていない可能性が高い。だから2000枚の中で、脳出血の箇所が写っている画像がこの1枚だけだったら見逃してしまうリスクはあります。

そのリスクを減らすために、AIを使った診断システムがアメリカで導入されているのです。

上のスライドにある「AUC」とは正確性を表す指標の1つで、「0.948」という数値は、人間が丹念に画像をチェックした時の正確性とほぼ同じです。つまり、このAIは人間を上回っているわけではないのですが、人間が診断までに必要とする時間の8割を省けたと評価されているわけです。

国が目指す医療の未来は、まるでSFの世界

医療の世界のAIは、だいたい上記の3つのフェーズで価値をもたらしてくれます。まずは検出や診断で、人間が到達できないほどの効率化を進めることができます。その次が、高い精度や成功率の水準。その先に待っているのが、人間が想像もつかないようなアプローチによる診断方法の実現です。

このような医療AIの開発は、民間企業が取り組んでいるだけでなく、国もバックアップしています。厚生労働省が6つの重点強化領域を指定し、それぞれ目標を明確に提示しています。

なかでも興味深いのが、手術支援の項目です=上図。麻酔科のAI支援実用化や自動手術支援ロボットの実用化などの技術は、まるでSFの世界です。

こうした夢の技術について、政府の役人や研究者たちがスーツにネクタイで大真面目に議論しているのです。私も「新しい時代になったな」と思いながら取り組んでいます。

テクノロジーの進歩に終わりは見えない

今はテクノロジーが爆発的に進歩している時代です。上のグラフにあるINTEGRATED CIRCUIT(集積回路)は1.5年ごとにコンピューティングパワーが2倍になっている。これを「ムーアの法則」と呼びます。

毎年のように「ムーアの法則はそろそろ終わるんじゃないか」と言われていますが、最近グーグルが「量子コンピューターを使って量子超越性を達成した」と発表しました。

この量子コンピューターという新たなパラダイムが出現して、ムーアの法則は続いていくだろうという人もいます。

現代こそが革新の時代

大正や昭和の10年間よりも、平成の10年間に起こった進歩のスピードの方が速いと感じていると思いますが、令和になるとそのスピードはもっと加速していくでしょう。テクノロジーの進歩にともない、農業や畜産などの生産力や上下水道などのインフラ整備も飛躍的にアップします。

その影響で世界人口も爆発的に増えます。今50歳くらいの人は小学生の頃に世界人口は40億人と教わったと思います。現在の人口は75億人で、毎年0.8億人ずつ増えているので、今年生まれた子どもが小学生になる頃には85億人だと教わるでしょう。

どの時代に生まれた人も、自分が生きている時代こそが激動の時代だ、と思っているかもしれません。しかし、人類が誕生して以来、1万年間のたった0.5%であるこの50年で人口が倍以上になっています。少なくとも人口爆発の観点からは、現代こそが変革の時代だと言えるでしょう。

日本人の寿命も右肩上がりです。平均寿命は毎年0.3歳ずつ増えているので、今30代の人は100歳まで生きると言われる時代です。寿命が伸び、義足の進化しかり、人体とマシンの融合の先では今まで不可能と思われていたこと、例えば100メートル走の記録も9秒はおろか8秒を切るようになるかもしれません。

発展を目指すことが人類にとって幸せか?

そんな時代に、どのようにして医療にテクノロジーを導入するべきなのでしょうか? 我々人類はどこまで発展していくべきなのでしょうか? 際限なく発展を目指すのが人類の幸福に繋がるのでしょうか?

答えがない問題ですが、この問題に対する1つのアプローチとして、「足るを知る」こそが人類の幸福の秘訣だという考え方があります。

そもそも我々は未来を選べるのでしょうか? 私はできないのではないかと思っています。未来は決まっているという運命論のような考え方では決してなくて、それがテクノロジーの本質だと思うからです。

あらゆる技術はニュートラルで、活用のさじ加減次第でいいものにもなれば悪いものにもなります。しかし、放射線技術や遺伝子編集など、どんな技術であっても、世の中には必要としている人がいます。

そうしたニーズがある限り、誰かが隠れて技術を開発して、発展させてしまいます。技術発展は不可避、つまり未来を選択することは不可能だとすれば、人類の幸福のために、別の解決策があると思うのです。

人を癒やすものすべてを「医療」と呼んでいい

医療の目的は、時代とともに変化してきました。過去には、まず患者の病気を治すことや延命することが正しいとされていた時代がありました。

そこからQOL(Quality of life)という概念が生まれ、病気を治せなくても痛みが抑えられれば医学的な価値はあるとされるようになりました。

さらに、病気を治せなくても、痛みを取れなくても、不安を解消するだけでも価値はあるという考え方も出てきています。これで終わりではなくて、きっとまだ私たちが言語化できていないけれど、心の中にある未来のQOLのような概念がこれからどんどん生まれてくるでしょう。

そして最終的には、人を癒やすものすべてを医療と呼んでいいという考え方に行き着くし、実際に少しずつそう変化していると感じています。

昔から、医師と患者の意識には大きなズレがあると言われています。医師は大学で医学を学ぶので、思考がサイエンスベースになっており、彼らの意識は学問としての医学に寄りがちです。

しかし、患者が求めているのは学問としての医学ではなく、悩みや不安を取り除いてくれる医療です。この両者のギャップを埋めるためには、医師が患者に対してきちんと向き合うことが重要です。

幸せに生きられるようサポートすることが、本質的な医療

技術者や研究者は、どうしても医療というと「病気を治すものだ」と思いがちなので、主に開発されているのは病気を治すためのAIです。しかし、患者の生き方をサポートしたり、患者の幸福感を増すことを目的とした医療AIはまだまだ関心が低いのが現状です。

医療と医学のギャップを示す印象的な動画(=下)があるのでご紹介します。

グラフィックデザイナーだったエマは29歳の時、若年性パーキンソン病にかかり、手が震えて直線や自分の氏名を書けなくなりました。そのせいで仕事を辞め、人生に絶望しました。そんな彼女のために、エンジニアがAI技術を使ったウェアラブルデバイスを開発したのです。

手首に装着して、手の震えるタイミングと方向を感知して動いた瞬間に逆方向に振動させて震えをキャンセルするというシステムです。どのタイミングでどれくらいの振動をかけたら震えが止まるか、というところに機械学習の技術を応用しています。その結果、彼女は再び線をまっ直ぐに引けて、自分の名前も書けるようになり、涙を流して喜びました。

この動画を初めて見た時、すごく衝撃を受けました。このデバイスは、サイエンスの医学から見たら、彼女のパーキンソン病を全く治しておらず、ただ症状を取っているだけです。しかし、このAI技術を搭載したデバイスは彼女にものすごい喜びと希望を与えている。

病気を治すだけが医療ではないし、AIも根本治療だけを目的としたテクノロジーではない。医療の課題は一つひとつがものすごく深いので、それときちんと向き合い、どのように医療的な価値を生み出すかを考えていけば、患者のためにできることは無限にあるはずです。

私たちは病気ごとに疾患を診断するAIを開発していますが、世の中の疾患すべてを自分たちだけでカバーできるなんて思っていません。ですから、私と同じような考え方をもつ仲間を増やし、一人でも多くの患者さんの幸せに寄与したいと思っています。

沖山翔(おきやま・しょう)アイリス株式会社代表取締役社長・医師。東京大学医学部卒業後、日本赤十字社医療センター(救命救急)での勤務を経て、ドクターヘリ添乗医、災害派遣医療チームDMAT隊員として救急医療に従事。2015年、株式会社メドレーでオンライン医療事典「MEDLEY(メドレー)」の立ち上げや、AI技術を用いた「症状チェッカー」等を開発。2017年 アイリス株式会社を創業。AI医療機器の研究開発に取り組む。

(取材・文:山下久猛 編集:川崎絵美)

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Torus(トーラス)は、AIの社会実装を手がける、株式会社ABEJAのメディアです。「テクノロジー化する時代に、あえて人をみる」というコンセプトで、人間らしさと向き合う物語を紡いでいきます。