西田宗千佳のイマトミライ

第29回

パナソニックが液晶パネル終息。「日本のディスプレイ産業」を振り返る

パナソニック液晶ディスプレイ

11月21日、パナソニックは、パナソニック液晶ディスプレイ株式会社による液晶パネル生産を、2021年を目処に終了する、と発表した。これにより、同社による液晶パネルの生産はすべて終了する。

パナソニック、液晶パネルの生産終了

同社の液晶パネル事業がどのような経緯をたどってきたかを、ここでまとめてみたい。そのことは、日本のディスプレイパネル産業のひとつの歴史でもある。

「IPS」を生んだ日立からパナソニックへ

パナソニック液晶ディスプレイは、社名と出資母体を二度、大きく変えている。

最初に設立された時、同社は日立ディスプレイズの子会社である「日立液晶TVディスプレイ」だった。そこから、松下電器(当時)・東芝の出資を受け「IPSアルファテクノロジ」として本格的にテレビ向けディスプレイパネルを中心に製造を開始した。これが2005年のことである。

そもそも日立ディスプレイズは、日立における液晶ディスプレイ開発の拠点であり、日本における液晶ディスプレイ開発の主軸のひとつでもあった。ここから生まれ、1996年に製品化されたのが「IPS液晶」。視野角の広さから、現在も広く使われている液晶の駆動方式となっている。

2000年代の間、IPSアルファテクノロジの液晶パネル生産は比較的好調だった。20型から40型未満までのテレビの需要が旺盛であったからだ。当時、37型を超える領域については日立・松下ともにプラズマを主軸としており、棲み分けもなされていた。

だが、次第に各社の思惑は変わっていく。

日立は2008年以降、まずプラズマ・液晶ともに、テレビ向けの大型パネル製造からは一歩引き、中小型液晶へと軸を移す。ここで松下はテレビ向けパネル事業を強化すべく、東芝からも全株式を取得し、IPSアルファテクノロジの経営権を取得。プラズマディスプレイの製造も拡大した。

テレビのパネル需要はいよいよ本格的になってきたが、サムスン・LGの2社との競争も激化してきた。生産効率の追求には規模も必要であり、松下は戦略的に規模拡大に乗り出していた(この時期、松下は商号を「パナソニック」に変更する)。

2010年、IPSアルファテクノロジは社名を「パナソニック液晶ディスプレイ」に変更する。

「テレビ向けパネルへの賭け」でつまづいたパナソニック

だが、パナソニックの目論見はうまくいかなかった。

日本では2011年の地デジ移行によってテレビの需要が急増したものの、そこで数年分の「需要の先食い」が起きて、販売状況は急速に悪化した。特に、液晶のコストメリットが大きい小型のテレビの落ち込みが大きかった。

JEITAの資料より筆者が作成。2011年から2017年までのテレビの国内出荷台数をグラフにしたもの。青が29型以下の小型テレビ、オレンジが37型以上のテレビ。大型テレビの需要は回復しているが、小型テレビについては今に至るまで需要が回復していない

その分を海外需要で埋められたか、というとそうもいかなかった。韓国のパネルメーカーとの競争は厳しい状態のままであり、コスト構造で不利な点がある国内のパネルメーカーは苦戦が続いた。

パナソニックはまずプラズマについてブレーキを踏み、続いて液晶も構造改革に入った。
テレビについては、収益改善を目的に2013年にプラズマディスプレイを使った製品からの撤退を正式に発表、液晶についても、社外からのパネル調達へと切り換えていった。

パナソニック、プラズマテレビ撤退正式発表

2016年、パナソニック液晶ディスプレイにおいてもテレビ向けパネルからは完全撤退し、自動車向けなどの高付加価値製品へと切り替えが発表された。撤退の時点ですでに、パナソニック製テレビの中には、パナソニック液晶ディスプレイで作られたパネルを使った製品はなかった。

パナソニックTV用液晶パネル生産撤退も「TV事業に影響ない。世界4強へ」

だが、高付加価値パネルの生産も芳しくなかったようだ。結果的にパナソニックは、自社内での液晶パネル事業すべてを終息することとなった。

そろそろ「日本のディスプレイメーカー、全敗」の総括を

こう書くと「パナソニックの戦略の問題」のように思える。もちろん、それは事実だ。だが同時期に、日本のディスプレイパネル事業全体が岐路に立たされていたというのが実情だ。

パナソニック液晶ディスプレイの元となった「日立ディスプレイズ」は、2011年、産業革新機構の元でソニー・東芝の液晶事業と統合し、「ジャパンディスプレイ」となった。当時の東芝の液晶事業体である東芝松下ディスプレイテクノロジーは、東芝とパナソニックの中小型液晶事業が2009年に統合した会社だったし、ソニーの液晶事業には旧三洋とエプソンの液晶事業も合流していた。シャープ・パナソニック液晶ディスプレイ・京セラなどをのぞく国内の事業者がまとまった「日の丸液晶」だったわけだが、その現状はご存じの通りである。

日立を由来とする液晶ディスプレイ技術は、液晶の進化に大きな役割を果たし、一時代を築いたものの、規模の経済の前に敗れた。国内のディスプレイメーカー全体が、戦略面でミスを重ねていたのは間違いない。2005年、松下と東芝からの資本を受け入れてIPSアルファテクノロジになった段階で、「規模の経済によるビジネス環境の激化」は見えていたはずだ。こうして俯瞰すると、2000年代末にもっと適切な手が打てていれば、未来は違ったのではないかとも思える。

一方で、韓国のパネルメーカーは、今度は中国メーカーに追い立てられている。テレビ向けパネルについても、完成したパネルを納入するだけでなく、バックライトなどを分割し、コンポーネントの形でテレビメーカーに納入するようになった。日本のテレビメーカーはそうした方法を使うことで、同じメーカーのディスプレイパネルを使っていても、自社でパーツを組み合わせ、画質などで差別化を行なうようになった。パネルメーカーとしての売り上げ・利益率は落ちるのだが、そうしたやり方も認めないと、さらに単価が落ちて数量確保も難しい時代になっている。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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