小寺信良のくらしDX
第32回
2030年にデジタル教科書正式導入? 是非議論の危うさとは
2025年9月30日 08:20
9月24日、各報道機関が一斉に、『中央教育審議会の作業部会がデジタル教科書を正式な教科書と位置づけて2030年度から導入する「審議まとめ案」を了承』、と報じた。
デジタル教科書自体は、すでに2020年度から導入されているGIGAスクール構想の一部として、すでに多くの学校で導入されている。ただその内容は紙の教科書と同一ということで、デジタル教科書自体は検定を受けていない。それを今後はデジタル教科書の方も独自に検定を行ない、単独の教科書としての機能を持たせようというわけだ。
筆者は導入の議論がスタートした2010年ごろから15年間、デジタル教科書に関してはつかず離れず取材を続けている。デジタル教科書教材協議会(DiTT)の設立シンポジウムにも出席し、記事も書いている。
まずデジタル教科書に対する議論の前に、この報道をどう解釈すべきかを考えてみるべきであろう。長年取材していると、いろんな裏があることに敏感になるのである。
中央教育審議会が了承したとされる審議まとめ案とは、「中央教育審議会初等中等教育分科会 デジタル学習基盤特別委員会 デジタル教科書推進ワーキンググループ」がまとめた、「デジタル教科書推進ワーキンググループ審議まとめ(素案)~学びの可能性を広げる教科書を~」であろうと思われる。
この素案を読んでみたが、2030年という年度目標に関する記載はない。ただ次期学習指導要領の実施タイミングが2030年度ごろからということから、作業部会の議論の中でこの数字が出てきたのかもしれない。学習指導要領は、小中高校で一斉に実施されるわけではなく、大抵は小学校、中学校、高校の順に1年ごとに更新される。もっとも早いタイミングである小学校の更新タイミングが2030年度と想定されているので、数字的には合う。
一般的に紙の教科書は、検定開始から採択、流通まで4〜5年かかる。デジタル教科書の場合は製本・流通過程がないのでその分期間短縮できるが、これまでの検定作業では発生しなかったリンク先の調査などに時間が取られるだろうことを考えて、だいたい5年を見積もるというのは妥当な線だろう。あえて公式発表の前に報道機関を通じて5年先という数値目標を先行させることで、関係各所に準備を促すという目論見もあるのかもしれない。
教科書採択については、紙媒体、完全デジタル、双方を含むハイブリッドの3形式を教育委員会が1つ選択できるとしている。文科省は、紙かデジタルかの二項対立ではないと強調する。とはいえ、教育委員会がハイブリッド以外の方法を選ぶのであれば、その段階で二項対立の議論が起こることになる。
賛成? 反対? 議論の危うさ
この報道を受けて、ネットメディアではデジタル教科書に対して賛成か反対かのアンケートを取るところもある。ただ、デジタル教科書の是非はこうした単純な賛成か反対かの議論で見るべきではない。
筆者が考えるデジタル教科書のメリットは、「動くこと」である。例えば何らかの統計が年ごとに順位が変わってきた様子を、世界の事件とともに見せるといった、多軸的な考え方は、紙の教科書では難しかった。
またこの図形のこの部分とこの部分は相似、といったことを示すために、三角形がくるっと回って角度を合わせるといったアニメーションは、数学的な考え方を育てる意味で重要である。一度イメージを見せれば、あとは頭の中で同じことができるようになる。
実は筆者は通信課程で大学に通う学生でもあるが、大学の授業で採用される教科書の中には、Kindleで販売されている電子書籍もある。こうした電子書籍では、誰かがマーカーを引いた部分が表示され、ああここがポイントだと思っている人が何人いるな、ということがわかる。紙の教科書ではこうした緩いコミュニケーションは存在しえなかったわけで、共に学ぶという感覚が共有できるというメリットが感じられる。
OECDが定期的に行なっている学習到達度調査によれば、2022年は前回調査の2018年よりも多くの分野で向上しているのが見て取れる。これはGIGAスクールが1〜2年経過したタイミングでの調査であり、デジタル学習の成果はあったと言える。
一方でデジタル教科書先進国である北欧では、紙の本や手書きを重視する方向に舵を切る動きがある。スウェーデンでは行き過ぎたデジタル教育により基礎学力が低下したとの指摘を受けたことから、旧来の印刷物を中心とした教育へ戻ろうとしている。同様にフィンランドの一部の中学校でも、紙教材の授業へ戻すところもある。
ただしこれらは国を挙げての方針転換ではなく、一部の地域や学校で行なわれているに過ぎない。ポイントは、「デジタル教育の限界に突き当たった」ことである。つまり行けるところまでいった結果、旧来のやり方に戻ってみようという取り組みである。日本はまだ始まったばかりで、行けるところまでは行ってない。
日本において、デジタル教科書への反対意見は根強い。特に低学年の学習初期のお子さんをお持ちの方なら、当然漢字の書き取りや手書きで文章を書くことは大事だ、と思われるはずだ。
日本において漢字学習は、非常に重要である。いくらパソコンで文章を書くようになっても、正しい漢字が選べるかは、正しい漢字を書いた経験があるかに大きく左右される。例えば同じ「せい」と読む「晴」と「睛」が正しく選択できるかは、これらの字を書き分けたことがあるかで、その判断スピードは大きく変わる。ちなみに「晴」は「はれ」、「睛」は画竜点睛に使われる「ひとみ」の意味である。
また日本語は、世界に類似の言語がない、孤立言語の1つである。これに対する学習効率は、他国・他言語の国語教育の例はあまり参考にならない。長年やり続けた方法論で成果が出ているのであれば、下手にいじるべきではないとも言える。
つまり学習スタイルは、教科の内容や学齢などによって最適な方法を見つけることが重要であり、教育委員会、つまりは市町村単位で一律にデジタルか紙かの選択が行なわれるのは、適切ではない。
ここで注意したいのは、デジタル教科書の導入は、必ずしも「ペーパーレス」を意味しないということだ。教科書はデジタルでも、紙のノートに書き取りを行なうことは否定されていない。そこを踏まえるか踏まえないかで、賛否は全く変わってくる。このあたりは先生の指導によるところが大きいだろうし、中学生以上では自主的に紙のノートを使うことが効果的かどうか、ある程度自分で試行錯誤していくことになる。
5年後に必ず指摘される課題
デジタル教科書のプラットフォームとなるのは、PC、iPad、Chromebookのいずれかということになる。このどれもがネットに繋がり、ブラウザによるサイト閲覧が可能である。
日本経済新聞が報じたところによれば、米国ではGoogleがChromeに搭載した「宿題支援」ボタンを削除したという。Googleレンズがページの問題を読み取り、AIが即座に回答を示す機能が、「カンニングが簡単になる」との批判を招いた。
とはいえ、単にボタンが削除されただけで、GoogleレンズとGeminiの組み合わせで宿題の答えが一発で出せることには変わりない。AIをうまく使えば学習に効果があることは間違いないが、勉強せずに答えだけを得ようとする子供は常に存在する。
学習とAIの関係は、先の「審議まとめ案」の中でも指摘されてはいるが、具体的な指針が示されているわけではない。専用のAIを使った学習ツールはすでに学習塾やオンライン学習サービスで提供されているところではあるが、学校という場でAIをどのようにドライブしていくか。
5年後の社会状況を予測すれば、単に「学校ではAI禁止」では済まされないだろう。政府が今年6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2025」においても、「こどもたちの個別最適な学びと協働的な学びの一体的な実現及び教職員の負担軽減に向け、国策として推進するGIGAスクール構想を中心に、生成AI活用も含めて教育DXを加速する」と明記されている。
では具体的にどう活用し、それを国策としてどう進めていくのか。正直この大きな議論の前では、デジタル教科書云々など小さい話である。この具体策は、5年後の学習指導要領に間に合うのか。
学校教育が学習指導要領に縛られる限り、この5年は縮まらない。しかしその隙に、試験的にAIの使いこなしを進める私立校や大学教育学部付属校は出てくるだろう。こうした先進校に行く子、行かない子で、教育格差はどのようになるだろうか。子供にとって5年間の差は、そう簡単には埋まらないのではないか。





