小寺信良のシティ・カントリー・シティ

第46回

巨大台風と向き合う風土と気質

9月18日に九州鹿児島県へ上陸した台風14号は、そこから熊本県、福岡県を通り、山口県をかすめたあと日本海側へ抜けた。その後石川県能登半島をかすめて新潟県に上陸、岩手県方面へ横断する格好で、各地に大きな被害をもたらした。続く台風15号も静岡県から関東全域へ大雨をもたらし、9月のシルバーウィークは日本のほぼ全域が2連発の台風で台無しになるという事態となった。

「台風銀座」という言葉を聞いたことがあるかたは、もしかしたら九州の人に限られるかもしれない。台風が直撃しやすい地域を指す言葉で、かつては宮崎県がこう呼ばれたものだ。確かに筆者が子供の頃は、まるでボーリングでストライクを狙うかのようにカーブしながら的確に直撃してくる例が多かった記憶があるが、ここ10数年はコースを外れることが多かった。

今回の台風14号も直撃ではなかったが、台風の東側は風雨が強まる事から、宮崎県でも広範囲で被害が出た。筆者宅は海岸線から約2km離れたところに建つマンションだが、上陸前の18日は朝から強風に見舞われ、外出もままならない状況となった。風雨の強まる模様をYouTube Liveで中継しようと試みたが、頻繁に瞬電が起こるたびにネット機器が再起動してしまうため、断念した。

9月18日午前10時ごろの宮崎の模様
「Yahoo! 防災速報」で見ると、18日昼の段階で停電している地域もあった

東側の窓は、元々強風に備えてなのか、ワイヤーの入った強化ガラスがはめられているので割れる可能性は少ないのだが、風圧のために雨水がサッシの桟から押し込まれてくる。水が沸騰しているように見えるが、実際には風圧によるものである。筆者もこのような現象を見るのは初めてのことだった。

風圧で水が押し込まれてくる

その日は停電に備えて、明るいうちに夕食を済ませておいたが、日が暮れてから水が出なくなっていることに気がついた。筆者宅であるマンションはポンプで揚水していることもあり、雷など電気系の影響で年に1回ぐらいは断水する。いつもは管理会社に連絡すればすぐに復旧するのだが、この日は日曜日であり、しかも夜にこの風雨では修理もままならないだろうから、しばらくは断水するものと覚悟した。

こういうこともあろうかと風呂に水を貯めておいたので、トイレを流すには問題なかった。また飲料水もウォーターサーバーを契約しており、水タンクには十分なストックがあった。

台風は午後6時過ぎに鹿児島県へ上陸した模様だが、速度が時速20km程度なので、3時間たってもまだ鹿児島県を抜けず、強風は一向に収まる気配を見せなかった。ものすごい風の音で夜は寝られないかと思われたが、案外こうした大音量のホワイトノイズは眠気を誘うようで、家族全員午後11時ごろには皆寝てしまった。

粛々と復旧する

翌19日朝は午前7時頃に目が覚めたが、しばらくすると突然ロボット掃除機が起動して掃除を始めた。何事かと思って見に行くと、どうやら停電により、充電ベースから外されたと勘違いしたロボットが自動で清掃モードに入ったようだった。昨晩の強風と豪雨の中で瞬電はありつつも本格的に停電しなかったのは、電力会社系列の多くの人達が懸命にカバーしていたからだろう。

当日はまだときおり強風は吹くものの、雨は上がっている。それほど時間もかからずに復旧するだろうと思っていたが、昼を過ぎても復旧しなかった。ガスは使えるのでお湯ぐらいは湧かせるが、電気が来ないことには水道の復旧も望めないので、食器が洗えない。近くのドラッグストアに食料を買いに行くも、停電のために臨時休業となっていた。一方イオンモール宮崎は巨大施設だけあって電力系統が別になっているようで、通常通り営業していた。

こういうときは、パン類が一気に売り切れとなる。そこそこ日持ちする食材だからだろう。お弁当は潤沢にあったので、最悪のケースを想定して、昼と夜のぶんまで買っておいた。

停電となると、冷蔵庫も使えない。だが元々庫内は断熱性は高いので、頻繁に開け閉めしなければ、通電していなくてもしばらくは冷気をキープできる。今回はあらかじめ停電に備えて冷凍庫に保冷剤を沢山凍らせておいたので、それらを冷蔵室に移して冷気を稼ぐという作戦をとった。またキャンプ用に大型のクーラーボックスもあるので、冷蔵庫に入らない弁当類はそちらに保冷剤と共に保存した。

電気がなければ家に居ても何もできないので、畑の様子を見に行った。何らかの被害を覚悟していたが、案の定ゴーヤーの棚は強風で崩れていた。またショウガも、強風が吹きつけた東側だけ畝が吹き飛ばされて、中身が露出していた。地面の土を吹き飛ばすなど、よほどのことである。

ゴーヤー棚は強風に耐えられなかった
土が吹き飛ばされて露出していたショウガ

路肩に植えてあるソテツも、かなり太い幹が折れて倒れていた。防風林として植えてある松の木も、折れたり抜けたりして、何本か倒れていた。

強風に耐えられなかったソテツ
防風林の松の木も数本根元から倒れていた

一方宮崎市内の名物として、中央分離帯に植えてあるフェニックスは、高さが15m以上ある割には風には強く、倒れたものは見当たらなかった。そもそも宮崎に自生するものではなく、観光のために植樹されているものだが、元は南国の木なので暴風には強いのだろう。その代わり、葉っぱがある頭部分がまるっきり吹き飛ばされたものがいくつかあった。

18日午後10時ごろ。風に耐えるフェニックスの木
「頭」を失ったフェニックスの木

停電が復旧したのは、午後3時ごろだった。都合8時間ほど停電していた事になる。かなり人口が集中している地域でこれだけ長時間の停電は、珍しい。水道は通電しておよそ30分後に復旧した。

今回は翌日風雨が収まってからの停電だったので窓は開けられたが、もし暴風の中で停電したら、エアコンが使えず窓も開けられないため、室温が上がってかなり危険な状況になったのではないかと思われる。確かに子供の頃、台風襲来中に停電すると家の中がサウナのようになっていたのを思い出した。築50年近かった昔の木造住宅でさえ、そんな状況である。今の住宅は、はるかに気密性が高い。スマホ充電用としてモバイルバッテリーなどは準備していたものの、今後はエアコンが駆動できる程度の大型バッテリーを備えておくべきか、悩ましいところだ。

県の西側にある高原町では大きな土砂崩れがあり、1週間が過ぎた今もなお、町内の7割にあたる地域で断水が続いている。9月30日までの復旧を目指しているというが、飲食店はもちろん、日常生活でもトイレが使えないなどの不便を強いられている。幸いにして高原町には綺麗な湧水があちこちにあり、飲み水には困らないのが救いである。

元々「台風銀座」と言われ、台風慣れした宮崎県民は、被害に対して黙々と手を動かして復旧を続けている。折れた木々も、翌日には通行の邪魔になるところから撤去されていた。筆者の畑などは、全体の被害からすればものの数には入らないが、強風でほとんどの葉と実が吹き飛んだ茄子も、短く刈り込んでおいたら、もう新しい葉っぱが出始めている。

倒れてもすぐ起き上がるのは、人も同じである。誰が悪いわけでもない災害に対しては、「仕方がない」と放っておくわけではなく、「仕方がない」として粛々と対応して原状復帰していく。お金の話はあとにしてとりあえず元に戻してしまうという強靱さは、日本全土に共通した気質であり、こういうところはもっと胸を張って誇っていい部分なのではないかと思う。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。