小寺信良のシティ・カントリー・シティ

第47回

家族の感染で痛感したDX無縁の地方のコロナ支援

宮崎県の感染者数の推移(7月1日から10月1日)

すでに新型コロナウイルスの感染状況は、テレビニュースでも冒頭に短く読み上げる程度で、多くの人はあまり関心を払わなくなったように見える。この夏の感染ピークが過ぎ、現在は減少傾向にあるからだろう。この状況は宮崎県でも同様だが、この夏の感染状況は相当なものであった。若干タイミングを逸した感はあるが、今年の夏休みの状況を語ってみたいと思う。

日本全体の感染者数の推移(7月1日から10月1日)

筆者の妻も子供達も埼玉育ちなので、実家のほうが逆に首都圏にあるという状況にある。宮崎に転居して3年、一度も里帰りしていないので、実家の様子の確認も兼ねて一度戻ってみたらどうだ、という話になった。そこで7月30日から8月4日まで、妻と子供2人でさいたま市の実家に帰省した。

筆者は留守番だったが、別件で東京に用事があったため、8月4日から1泊で東京に出張した。ちょうど妻子が宮崎に戻った日に、すれ違いで東京へ行ったわけである。

出張中に妻から連絡があり、下の息子が高熱を出したという。東京から戻ってすぐ、近くの病院に連れて行き、抗体検査を受けた。翌日は土曜日だったが、保健所からSMS経由で連絡があり、陽性と判定された。発症日から考えても、埼玉にいるころに感染したものと思われる。妻と娘も行動を共にしていたはずだが、検査を受けたが陰性であった。妻の実家の両親は既往症があり、感染が懸念されたが、こちらも陰性であった。

夏休み中のことであり、すでに中学3年生で部活動も終了しているので、学校のほうは問題ない。だが保護者間で話を聞くと、やはり8月に入って子供から感染した保護者もおり、もはや地方であってもコロナ感染とは無縁ではいられない状況となった。

家庭内に感染者が出ると、家族は濃厚接触者扱いとなる。当時の基準では、1週間は不要不急の外出を自粛しなければならない。筆者は元々家の中で仕事をしているのであまり関係ないが、妻はその間仕事を休む事になった。娘も部活動も同様である。

困るのは、食事の買い出しである。長期旅行後ゆえ、家には食料がなにもない。食料の買い出しは命に関わる案件ゆえに不要不急ではないとは解釈できるが、できれば最小限に控えたいところである。そんな中、すでに感染中のママ友から、宮崎県には自宅療養者向けに食糧支援を行なう制度があると教えられた。

筆者らは昔からここに住んでいたわけではなく、近所で買い出しを頼める人もない。しかもやってもらえそうなママ友も家族で感染中とあっては、この制度を利用したほうが無難だろう。

ところがサイトを探しても、連絡方法がどこにも記載していない。再びママ友に話をきいてみると、なんと保健所に電話をして、ヒミツの電話番号を教えてもらうのだという。

ヒミツではないだろうと笑ってしまったが、ネットを探してもどこにも連絡先がない以上、電話するしかない。保健所も相当忙しい中で対応して頂いたが、食糧支援センターの連絡先は、本当に保健所から口頭で教えてもらう以外に方法がないようだった。

教えてもらった電話番号に電話してみるも、ずっと話し中で全く繋がらない。保健所から繋がりにくいという話は聞いていたが、まさか半日電話を続けても繋がらないレベルだとは思わなかった。感染者が増える中で、窓口が破綻しているのかもしれないが、電話でしか受け付けない以上、こうした破綻は予想できたことではないのか。受付してから支援物資が届くまで日数がかかるのはまあ理解するところだが、そもそも連絡しても繋がらないというのでは、それ以前の問題である。

仕方なく、石もて追われる者のようにコソコソとスーパーに買い出しに行くしかなかった。結果的に親2人は感染しなかったのだが、仮に潜伏期間だったとしたら、やはり公衆衛生上は問題があるだろう。

情報も運用も適当

こうしてなんとか1週間を乗りきり、日常生活へ復帰したわけだが、8月中旬にテレビニュースで、県が宮崎港駐車場にて検査キットを無料配付しているという情報を得た。また誰か感染するかもしれないし、もらっておいた方がいいだろうということで、車で出かけて行った。

ところが宮崎港の駐車場に行ってみると、それらしい場所がない。国土地理院の航空写真で説明するが、我々宮崎市民が「宮崎港の駐車場」としてイメージするのは、黄色い丸で囲ったカーフェリーなどが横付けされるポートの駐車場である。

仕方がないので県庁に電話して場所を確認すると、なんと港湾の向こう岸に渡った港の先端であるという。地図で言う赤丸のところである。

「宮崎港駐車場」で検査キットを配付というが…

この出島のようになっているところは土砂の集積場であり、通常は港湾関係者しか行かない、というか一般車両が行けるとは思ってもいない場所である。

港の先端で検査キットを配付

「宮崎港駐車場」という情報だけで、ここまでたどり着ける市民は少ないだろう。受け取り場所は混雑を予想した大きな駐車場だが、そこには車が1台もなく、がらんとしていた。あとで調べたところ、一部新聞報道では「宮崎市港東2丁目」と住所を報道しているものもあったが、実際の場所は「宮崎市港東3丁目」であり、距離にして1.3km離れている。

帰りに同じくキットを貰いに来たと思われる車両が、配付場所がわからないのか徐行しながら走っていたのにすれ違った。検査キットを受け取って帰るまで、すれ違った車両はそれ1台のみである。宮崎港は大型カーフェリーも発着できる、それなりに巨大な港であるわけだが、ただ「宮崎港駐車場」と伝えただけで役目を果たした気になっている地元報道機関に、強い憤りを感じた。

8月26日、今度は娘のほうが感染した。部活動でクラスタが発生し、それに巻き込まれた格好だった。

再び家族は1週間の隔離生活である。一応ダメ元で食糧支援センターに電話してみたところ、5回目で繋がった。誰がいつから感染したとか、HER-SYSのIDを確認するといった手順はなく、要するに電話番号を秘匿することで感染確認手順を省略するという手法のように思えた。穴だらけの方法のように思えるが、ちゃんとしたシステムを確立するヒマもないということかもしれない。

食料の配送は、一般の配送業者ではなく、市内のタクシー事業者を使うという。運転手が到着前に電話して在宅を確認したのち、玄関前に置いていくという手順の説明を受けた。

だが実際には電話連絡もなく、いきなり「ピンポーン」と玄関チャイムを鳴らして、鼻マスクのおじいちゃん運転手が直接手渡ししてきた。繰り返すが、結果的に親2人は感染しなかったので、接触した運転手にも感染はないものと思われるが、せっかく感染防止のために決められた手順も、現場レベルではめちゃくちゃである。

到着した支援食料

食べ物はもちろんありがたかったが、隔離と消毒に必要なポリ袋や手袋、ハンドソープ、消毒液なども入っていたのは助かった。特に消毒液は、当時ドラッグストアでも品切れしており、入手できなかった。

県としては、感染対策や自宅療養のサポートなどを積極的に行なっているとして、一定の評価はできる。ただ、そのアクセスが電話しかないのはいかがなものか。報道も現実の制度利用の役に立っておらず、結局実際にサポートを得るには自治体の該当部署に直接電話連絡するしかないという状況では、自治体の人的負担は増えるばかりである。

報道のやり方に大きな問題がある点を指摘しておくとして、自治体もそこをIT化やDX化ではなく、人海戦術の力技で乗りきってしまうという点において、「地方行政のDX化」など、遠い国の話のように感じられる。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。