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静岡の工事容認でリニア開業は見えてきたのか? リニアの歴史を振り返る

リニア見学センターでは、リニア試乗体験も実施中(20年10月撮影)

東京~大阪間を約60分で結ぶ中央リニア新幹線(リニア)計画。そのうち、東京~名古屋駅間を先行開業することが決まり、東京側の起点が品川駅、名古屋側が名古屋駅に定められました。

リニアの建設は、主に静岡工区が全国的にクローズアップされることが多く、そのために静岡県と運行を担うJR東海との交渉・対話が目立ってきました。

2024年に新たに鈴木康友氏が静岡県知事に就任。このほど新知事の下で静岡工区の着工が容認され、長らく膠着状態に陥っていたリニア工事が動き始めようとしています。改めて、これまでのリニア計画を振り返るとともに、今後どのようにリニアが建設されていくのかを見ていきましょう。

1960年代から持ち上がっていたリニア構想

東海道新幹線は毎日多くの利用客を乗せ、その数は1日平均で44万人といわれています。全乗客が東京駅~新大阪駅間を利用しているわけではありませんが、東西両都を結ぶ大動脈として計画・整備された高速鉄道ですから、その意義は第一に東京と大阪を短時間で結ぶことにありました。そして、東海道新幹線の目的はリニアに受け継がれます。

そのリニアは試験走行時に当時としては世界最速の時速603kmを記録するなど、次世代高速鉄道を牽引する存在になっています。そのため、東海道新幹線の後継として注目を浴び、政財界や沿線自治体の関係者から期待を寄せられています。

東京側の起点になる品川付近のリニア工事現場(20年10月撮影)

世界最速のスピードという響きは、未来の技術をイメージしがちです。しかし、リニアは決して未来の技術ではありません。

1964年、東海道新幹線が華々しく開業しました。このとき、すでに当時の国鉄内では新しい高速列車の構想が持ち上がっていたのです。この高速列車の構想は1966年に超伝導という技術を使って列車を走らせる方針に定まります。これが現在のリニアへとつながる鉄道です。

政治の世界でもリニアの有用性が早くから認識されてきました。1972年に田中角栄氏が上梓した『日本列島改造論』でも、リニアの整備に触れています。田中氏は同著で、新幹線は地域開発のチャンピオンと形容していますが、それら新幹線とは別にリニアを第二東海道新幹線と名づけて早期の開業を訴えています。

国鉄でリニアの研究・開発に尽力した京谷好泰氏は、超伝導で走行する高速列車をリニアモーターカーと名づけ、リニアの父とも呼ばれる人物です。リニアという名称が人口に膾炙するきっかけは、1970年に開催された高速鉄道講演会です。講演後、記者団から「講演で話していた高速列車の名前は?」と問われた京谷氏は、「超伝導磁気浮上列車」と答えました。

漢字ばかりが並ぶ、一般に馴染みにくい名称だったこともあり、記者団から「もっと親しみやすい名前を」とお願いされたのです。そこで京谷氏は即座に「リニアモーターカー」と答えました。このときに京谷氏が口にしたリニアモーターカーが世間に浸透していき、略してリニアと呼ばれるようになって現在に至ります。

技術者の京谷氏にとって超伝導で走る高速列車をリニアと名づけたつもりだったようですが、普及拡大するにつれて、京谷氏の思惑を大きく超えて意味合いが変わっていきます。

2005年には愛知県名古屋市~豊田市間を走る東部丘陵線が開業しましたが、同線を走る列車も浮上して走行しています。そのため、東部丘陵線もリニアの一種と見ることができ、リニモという愛称がつけられました。

リニモに用いられている技術は常電導吸引型と呼ばれるもので、これはリニアに用いられている超伝導とは異なる技術です。それでも、リニモはリニアモーターカーと同一視される向きがあります。このような混同が散見されるようになったのは、ひとえにリニアが世間に広く浸透しているからでしょう。

1977年に宮崎の実験線を建設・試験走行

リニアという名称が普及するスピードは速かったものの、田中氏がリニアの原型ともいえる第二東海道新幹線として整備する方針を著書で表明しながらも、リニアは長らく研究所内で実験走行を繰り返すだけで、遅々として事業化は進んでいませんでした。

リニアが、ようやく試験所内から外へと飛び出したのは1977年です。国鉄は宮崎県日向市から都農町にいたるまでの、日豊本線に沿う形で約7kmの実験線を建設。宮崎の実験線では実用化に向けた試験走行を繰り返しました。

しかし、同区間での実験はすぐに行き詰まります。なぜなら、当時のリニアは時速500kmで走ることが可能で、実験線は明らかに短かったのです。そのため、実験線では時速400kmまで出すことができませんでした。これでは時速500kmで運転し、そのデータの計測・収集ができません。また、長時間にわたって走ると車体や乗員にどれほどの負荷がかかるのかといった問題点を洗い出すこともできません。

さらに、実験線は直線区間でカーブや勾配がありません。そうした区間を安全に走るためには、どのぐらい減速しなければならないのか? といった検証もできませんでした。トンネル区間もなかったので、高速で移動する乗り物がトンネル進入時に発生するトンネル微気圧波と呼ばれる現象についても不明点が多く残りました。

これら多くの課題をクリアしなければ、乗客を安全に輸送できません。安全が確保できなければ、当然ながら営業運転はできません。

実験線の限界が見えつつあった1987年、竹下登内閣で運輸大臣を務めていた石原慎太郎氏が実験線を視察しました。石原氏はリニアの試乗をした感想で、「鶏小屋と豚小屋の間を走っている実験線」という表現をしています。これは実験線の沿線が農地ばかりであることを揶揄した表現です。

石原氏の悪態は、当然ながら沿線の住民の怒りを買いました。地元自治体や住民から抗議の声があがる中、リニアの開発責任者である京谷氏は違った感想を抱きます。それは、「鶏も豚も素晴らしい公害センサーである」ということでした。京谷氏の主張を噛み砕いて解説すると、以下のような趣旨になります。

騒音や振動は機器で計測でき、それは数値化することによって視覚化できます。数値化できるデータは対策を講じることが可能です。しかし、微弱な騒音や振動は、すぐに心身に影響を及ぼすことはなくても、長期間にわたって続くとストレスとして蓄積されて心身を害することがあります。

そうした長期間にわたる騒音や振動のストレスは、計器類では測定できません。京谷発言は、実験線の沿線に並んだ鶏小屋と豚小屋が人間の代わりにストレスチェックをしてくれて、それによってリニアの安全性が再確認できたということを示唆しているのです。

沿線農家の心情を害することに臆面もなかった石原発言でしたが、石原氏の取り計らいもあってリニア実験線は新天地を求めます。

山梨の実験線で中間駅の設置可能性を広げた

1970年代後半、愛知県名古屋市で五輪の誘致活動が盛んになり、その一環として愛知県・岐阜県・三重県にリニア実験線を建設する計画が持ち上がりました。同計画は1981年の国際オリンピック委員会で開催地が韓国・ソウルに決まったことで立ち消えになりますが、その後も各地からリニアの実験線を建設したいというオファーは殺到しました。

こうした中、既存の実験線を延伸する形で対応する宮崎案、広大な土地を確保できる北海道案、そして実験線をそのまま営業線へと転用できる山梨県案の有力3候補に絞り込まれます。1989年、3候補の中から最終的に山梨県案に決まりました。

実験線の選定が進む中、リニア開発を主導していた国鉄は1987年4月に分割民営化されて姿を消します。そのため、リニア計画も頓挫するように思われていましたが、JR東海が計画を引き継ぐことになりました。

こうして1996年に山梨県に新しいリニア実験線が開設されることになりました。同時に宮崎の実験線は閉鎖され、その後はエアロトレインの実験や大規模な太陽光発電に使用されています。

山梨県都留市に所在する山梨県立リニア見学センターでは、リニアの走行を実際に目で見ることができる(24年4月撮影)

新しく誕生した山梨の実験線は時速500kmを3分間にわたって走行できることが条件として課されていました。そのため、計画当初から約42.8kmの実験線を建設する予定になっていました。しかし、用地買収が順調に進まず、約18.4kmを先行区間として供用を開始します。

京谷氏は「リニアに複線区間は必要ない」としていましたが、山梨の実験線は複線で整備されました。複線で整備されたことによって、超高速で走るリニア同士がすれ違った際に発生する風圧などの影響も分析できるようになりました。また、待避線も整備されているので、東海道新幹線でいうところの“こだま”に該当する各駅停車タイプと“のぞみ”に該当する最速達タイプの列車を運行することの検証も可能になりました。

待避線の整備によって列車の追い越しが可能になり、それは同時に中間駅の設置という可能性を広げました。そのため、リニア計画では、東京~大阪間の各県には最低でも1つ駅を設置するという方針が規定路線になっていきます。これが、後に静岡問題として微妙に立ちはだかることになるのです。

2013年、計画当初から予定されていた約42.8km全区間が完成。ようやく本格的な試験走行が可能になりました。これを受け、L0系と呼ばれる車両による試験走行が開始されます。L0系は改良を加えられながら少しずつ性能を向上させ、2015年には時速603kmを記録しました。これは有人運転の鉄道では世界最速記録(当時)となっています。

このようにリニアの研究・開発が進められながら、並行して政治の世界ではリニア開業までのスキームが少しずつ固められていきます。

ルート確定後に壁になった静岡県

2011年には政府による整備計画が決定。東京~中京圏の開業時期が2027年、東京~大阪の開業は2037年を目標に定められました。それ以前は、非公式ながら東京~名古屋のリニアは2025年の開業をメドにしていました。非公式的な目標年ですから、詳細な計算に基づくものではなかったかもしれませんが、この段階で約2年の後ろ倒しになっています。

品川駅前に掲げられたリニア計画を周知する看板(23年12月撮影)

また、東京~中京圏を結ぶことは確定していましたが、詳細なルートまでは決まりません。直線的に2都市を結べば、それだけ工費は圧縮できて工期も短くなります。

開業後にリニアを利用する人の大半は東京・名古屋・大阪の大都市間を短時間で移動することを目的に乗車すると想定されていました。つまり、中間駅の必要性は低かったのです。

山梨県や長野県に駅を設置するとしたら、それなりの人口規模を有する都市でなければなりません。東京・名古屋・大阪を一直線で結ぶと、リニアは南アルプスの山中を走ることになります。当然、そこに駅を開設しても需要は見込めません。需要を少しでも取り込もうとすれば、大幅に北へと迂回することになってしまいます。それはリニア最大のセールスポイントでもある東京・名古屋・大阪を短時間で移動する意義を没却することにもつながります。

一方、直線的なルートで建設されると、山梨県・長野県に設置されるリニア新駅は人口が少ない人里離れた場所に開設されるのです。これは山梨県・長野県から乗車しようとする利用者にとって利便性がいいとは言い難く、リニアを推進する行政にとっても駅までの道路をはじめとするインフラ整備に莫大なリソースを要するので好ましい話ではありません。

JR東海や沿線自治体などの協議を踏まえ、山梨県・長野県ともにリニア新駅は在来線と接続しないリニア単独駅となることが決まります。岐阜県駅はリニア単独駅という触れ込みながら、中央本線の美乃坂本駅に近接した場所に計画されています。そのため、一応は中央本線との乗り継ぎが可能です。

こうしてルートが確定し、少しずつ建設工事が始まりました。ここで壁となったのが静岡県です。リニアは静岡県をわずかに通過します。しかし、全区間が南アルプスの山中なので、駅を開設することが物理的にも難しく、開設しても需要はありません。静岡県はリニアが通過しながらも、リニア新駅が設置されないことになりました。

それだけだったらリニアの建設工事はスムーズに進むはずですが、南アルプスは静岡県にとって重要な大井川の水源にあたります。そのため、リニア工事によって大井川を流れる水が枯渇してしまうのではないかという心配がありました。日本では蛇口をひねれば、どこでも簡単に水を得られるので、水問題と言われてもピンときませんが、静岡県では東海道新幹線の建設時にも水問題が発生し、県民の暮らしが脅かされた過去があるのです。水は飲用水をはじめ日常生活に欠かせませんが、工業用水・農業用水といった形で経済・企業活動にも必要不可欠です。

県民の生活を守ることを使命とする静岡県知事ですから、「たかが水」といって水問題を看過すること、リニアのために県民生活を犠牲にすることはできません。

リニアによる恩恵は静岡県にはありません。「リニアが完成することで東海道新幹線は“のぞみ”中心のダイヤから“ひかり”中心のダイヤになるので、静岡駅もしくは浜松駅に停車する新幹線が増える。だからリニア開業は静岡県にもメリットがある」という指摘もあります。

リニアが開業しても太平洋側は人口が密集しているので、東海道新幹線の需要がそのままリニアに遷移しません。特に、神奈川県川崎市・横浜市の利用者は引き続き東海道新幹線を利用することになるでしょう。

また、リニアの開業は名古屋駅までです。開業年が延期になったことで大阪方面への予定も変更になり、明確な開業年は示されなくなりました。そのため、東京~大阪間の移動には乗り替えが生じます。そうした手間を忌避する乗客も一定数いると考えられます。実際、JR東海は歳月を経るごとに“のぞみ”の運行本数を増やしており、26年3月のダイヤ改正では1時間あたり最大13本の“のぞみ”運行を実現しています。こうした“のぞみ”需要の高まりを考えると、リニアが開業しても“ひかり”中心のダイヤになるという確証はありません。

他方、静岡県はリニア開業で水という貴重な資源を失ってしまう可能性があります。一度水を失ってしまえば、それは元に戻りません。そうした問題を懸念して、静岡県知事の川勝平太氏(当時)がリニアの建設計画に猛烈に反対したのです。

大井川の水問題に対して、川勝氏はJR東海に対策を求めました。川勝氏はJR東海の回答に納得せず、工事を許可しませんでした。そのため、リニアの建設工事は遅々として進んでいなかったのです。

JR東海は静岡県民の理解を得るため、静岡駅構内にリニアの説明パネルを設置(21年3月撮影)

川勝氏の主張は、特に静岡県民以外からは難癖をつけていると見られがちでした。筆者は会議で東京を訪れていた川勝氏を取材したことがあります。会議中の川勝氏はテレビカメラを前にしても、特に笑顔を見せることなく、常に険しい表情をしていました。また、他県の知事と会話をすることもなく、手元の資料に目を落としていました。近寄り難い雰囲気が充満し、そうしたふるまいも川勝氏のリニア建設を妨害する悪役キャラを増幅させている要因になっていると感じました。

東京で開催された知事の会議に出席した静岡県知事(当時)の川勝平太氏。2009年7月から24年5月まで知事を務めた(11年5月撮影)

静岡県以外でも発生している工事の遅れ

昨今、南海トラフによる大地震の可能性も指摘されるようになりました。仮に震災で東京が壊滅的な被害を出せば、東海道新幹線は長期間にわたり不通になることが容易に想像できます。東海道新幹線は経済面でも大きな役割を果たしていますから、長期的な不通は日本経済にとって痛手です。

有事の際に東海道新幹線が不通になることを念頭に置き、リニアが東海道新幹線の代役にするという考え方もあります。そうした考え方にも一理ありますが、東海道新幹線とリニアは近接した場所を走っているため、例えば南海トラフに起因する震災では同時被災してしまう可能性があり、必ずしもリスクヘッジになりません。

24年、川勝氏は舌禍によって辞任に追い込まれました。後任を選ぶ県知事選で、リニア問題は争点になると思われました。そのため、筆者も静岡県まで足を運び、各候補者の街頭演説でその主張に耳を傾けました。

各候補者はリニア問題に触れるものの、一票を投じる静岡県民にとってリニアは重要な争点になっておらず、それは街頭演説の場にいても感じました。

同県知事選で鈴木康友氏が当選しましたが、その選挙期間中に岐阜県瑞浪市で地盤沈下や水枯れが確認されています。これら地盤沈下や水枯れは、すぐにリニアの建設工事に起因していることが判明。リニア工事が環境に大きな負荷を与えることを再認識することになり、川勝氏が求めていた対策が過剰ではなかったことを浮き彫りにしました。

愛知県が中心になってリニア中央新幹線建設促進期成同盟会の会合が実施されている。写真は、式典のあいさつをする愛知県知事の大村秀章氏(24年6月撮影)
当選した直後にリニア中央新幹線建設促進期成同盟会の会合に出席した静岡県知事の鈴木康友氏(24年6月撮影)
リニア中央新幹線建設促進期成同盟会の会合に高市早苗経済安全保障担当大臣(当時)も出席した(24年6月撮影)
リニア中央新幹線建設促進期成同盟会の会合であいさつするJR東海の丹羽俊介代表取締役社長(24年6月撮影)
斎藤鉄夫国土交通大臣(当時)にリニア建設を要請する知事一同(24年6月撮影)

実のところ、もともと川勝氏はリニア反対派ではありませんでした。土木学会は2014年に設立100周年を迎え、同年は東海道新幹線と首都高が開業50年という節目だったことから、これらを語るシンポジウムを開催しています。同シンポジウムには国土交通省の太田昭宏大臣(当時)をはじめ、JR東海の葛西敬之代表取締役名誉会長と並び、川勝氏も一緒に登壇しています。

基調講演に立った川勝氏は、2020年に東京五輪の開催が決まったことを念頭に置き、リニアを五輪開催前までに開業させて観戦のために訪日する外国人観光客にリニアを体験してもらうことを提案しています。

リニア計画は、当時から東京~名古屋間を一気に開業させることになっていました。それでは東京五輪に間に合いません。訪日外国人観光客にリニアを体験してもらうことは、リニア開業後に海外に超伝導の技術を販売することを意図していた政府の思惑にも合致し、海外の販路を開く第一歩になります。そうしたことを踏まえ、川勝氏は東京~山梨間の部分開業を急ぐべきだと締めくくりました。

川勝氏の提案に対して、同じくシンポジウムで基調講演に立った多摩大学学長の寺島実郎氏も賛意を示しています。寺島氏は部分開業とともに神奈川県相模原市に予定されているリニア新駅が完成するだけでも日本全体の交通体系が劇的に変化するので、経済・産業分野でも大きな成長が期待できると主張しました。

神奈川県相模原市では橋本駅の隣接地にリニア新駅を設置予定。現在、急ピッチで工事が進められている(25年2月撮影)

同シンポジウムから10年以上が経過し、その間にもリニアは紆余曲折を経ました。水問題では川勝氏とJR東海にズレが生じました。それがリニアの建設工事の遅れにつながったと指摘されることもありますが、そもそも静岡工区は約8.9kmと短く、工事をストップした影響は限定的です。

川勝知事が退任してからも、岐阜県の地盤沈下・水枯れ問題が表出し、長野県でも同様に地盤沈下や水枯れが観測されました。岐阜県の地盤沈下・水枯れと前後して、長野県ではトンネル工事による発破作業で法面が崩落したり、工事現場で土砂崩れを起こしたりといった事故も報告されています。また、工事で発生した要対策土の処理といった問題も解決していません。

さらに東京の品川駅付近でも、リニア工事の影響で道路が隆起するといった現象が確認されています。こうした問題が起きるたびに、安全第一の観点から念入りに点検・確認作業が実施されました。それが工事の進捗を遅らせることにつながっています。静岡は、あくまでも目立っている一例に過ぎず、ほかの工区でも計画が順調に進んでいるわけではありません。

リニア開業までの残された課題

このほど静岡県は静岡工区の工事を容認しましたが、静岡工区の工事が容認されたからといって、すぐにリニアが開業するわけではありません。これまでにも述べてきたように、リニアの建設予定地は静岡工区以外にも問題を抱えています。そのため、東京(品川駅)~名古屋間の開業はどんなに早くても2036年までズレ込むことが確実な情勢です。

さらに近年は建設業の人手不足や資源高・資材費の高騰、円安といった先行きが不透明になる要因を多く抱えています。

これはリニアだけに影響を及ぼす話ではなく、建設業全般、ひいては日本経済全体を左右するものです。そうした目の前の問題をひとつひとつ解決していくには時間が必要です。JR東海は26年度中にリニア開業の見通しを示すとしていますが、大幅に開業時期がズレ込むことになっても不思議ではありません。

リニア開業が早くても10年後ということを踏まえると、東京・名古屋・大阪の大動脈は、今後も当面の間は東海道新幹線が担うことになりそうです。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。