トピック

第4回

遠隔介護の“移動”と“お金”の課題【ITを介護の味方にする】

高松港にある灯台

認知症に限らず、家族の介護には様々な負担がかかります。そのひとつが金銭的な負担です。特に、介護する家族と離れて生活している場合には、行き来する交通費はかなり大きな負担となります。また、留守中の見守りも重要です。そこで今回は、ITからすこし離れて、東京との間の移動手段やコスト削減、見守りなどで実践していることを紹介しようと思います。

香川と東京の移動にLCCを利用

筆者は、認知症の母を介護するために、当初は東京の自宅を離れ、実家で生活しながら介護を行なっていました。介護を始めた当初は、まだコロナ禍が収束しかけていた頃で、実家でもリモートで仕事が行なえていました。ただその後は、日常の生活が戻ってきて、筆者が参加することの多い発表会や展示会も、徐々にオンライン開催からオフライン開催へと戻っていきました。

そういった発表会や展示会は、どうしても参加しておきたいものも少なくありません。そのため、実家で生活しながら、発表会や展示会に合わせて東京へ取材に行くことも増えていきました。

香川から東京への移動手段としてはいろいろありますが、現実的な手段としては、飛行機を利用するか、新幹線を利用するか、のどちらかとなります。そして、どちらを利用するにしても、往復で3~6万円ほどかかってしまいます。

筆者は、母の介護をはじめて以降、対応できる仕事の量が大きく減ってしまいました。同時に、母の介護にもいろいろとコストがかかってしまいます。それまでの蓄えや母の年金などを考慮しても、今後認知症が進むほどにかかるコストも増えていくでしょうから、今のうちからなるべく節約しておく必要があります。となると、香川と東京を頻繁には行き来できません。

ただ、実は当初はそこそこコストを抑えて香川と東京を往復できていました。それは、飛行機や新幹線などの移動手段と宿泊を組み合わせた、いわゆる「ダイナミックパッケージ」と呼ばれる旅行商品の存在です。ダイナミックパッケージを利用すれば、宿泊費を含めても通常のチケット代より安く手配できていました。

具体的には、ANAの高松-羽田の往復チケットと、都内での1泊のホテル宿泊を組み合わせて、2万円台で確保できていたのです。通常だと宿泊費を合わせると最低でも4~5万円はかかりますので、かなりのコスト節約になりますし、実際にとても助かっていました。

しかし、2023年にコロナの水際措置が撤廃されて、訪日外国人観光客が徐々に戻ってきました。そして、それに合わせるかのように、ダイナミックパッケージの金額も一気に高騰したのです。具体的には、それまで2万円台だったものが、2023年9月以降は6万円以上に高騰したのです。こうなると、さすがに利用を躊躇してしまいます。そこで、別の手段を考えるようになりました。

東京で仕事があるときには、ANAやJALのダイナミックパッケージを利用することで交通費を抑えられていたが、2023年9月以降は価格が大幅に上昇し、使いづらくなった

まず、安い移動手段として定番の高速バスですが、香川-東京間では、移動時間や身体への負担を考えると、仕事ではなかなか使えないという印象です。しかも、香川-東京間の高速バスの運賃は平均1万円前後、混み具合によっては1.5万円ぐらいになりますので、実は思ったほど安くありません。

そこで筆者が選択したのが、格安航空会社、いわゆるLCCの利用です。香川と東京の間では、LCCのJetstarが飛んでいます。それまでは、ダイナミックパッケージで安く往復できていたことや、東京側が成田空港発着となることもあって、選択肢にはなっていませんでした。ただ、成田空港発着であっても、安い時期なら手数料を入れても4,000円台、平均しても6,000円程度で飛べるとあっては見逃せません。

香川-東京間の移動にLCCのJetstarを利用することで、交通費を大きく抑えられている

実際に、香川と東京の移動にJetstarを使うようになってからは、渡航費をかなり抑えられるようになりましたし、往復する頻度も増やせるようになりました。移動にかかる時間は羽田空港利用時よりも増えますし、遅延が多いなどデメリットもありますが、そこはコストとのバランスで妥協ですし、ラッキーなことにこれまで大幅な遅延や欠航にも遭遇していません。

それでいて、ANAやJALの片道運賃と同等の金額で、往復の運賃と、場合によっては宿泊費もまかなえるのですから、積極的に利用するようにしています。

東京に住民票を戻し、LCCに頼れない場面での移動手段を模索

2025年の6月頃より、筆者は拠点を東京に戻しました。以前東京で住んでいた賃貸住居を退去し、荷物を香川に持っていっていたのですが、東京での新しい拠点が決まったことで、まずは荷物をそちらに移動させて、住民票も東京に戻すことにしたのです。

とはいっても、認知症の母をひとり残して東京に戻る訳にはいきません。ですので、住民票は東京に戻しつつも、香川での生活が続いています。

ただ、東京に拠点を移して以降は、意図的に実家を留守にする期間を増やすようにしてみました。それは、拠点を東京に戻しつつ、香川との2拠点でうまく介護できないか模索する意図もありました。

ところで、東京と香川の2拠点で介護を行なう場合に問題となるのが、東京滞在中に発生する不測の事態への対応です。もし母が体調を崩した場合には、即座に香川へ戻る必要があります。

LCCは、確かに低コストで移動できますが、時間の融通はききません。実際にJetstarの成田-高松便は1日2または3往復と便数が少ないですし、成田空港までも時間がかかりますので、急いで戻りたい時には使いづらいのです。

そうなると、東海道新幹線か、羽田発のANA/JAL便の利用のどちらか、ということになります。

東海道新幹線を利用する最大のメリットは、時間の制約が少ないという点です。高松まで新幹線で帰るには、東京から岡山まで新幹線を利用することになりますが、のぞみに限ると1時間に3本以上運転されていますから、時間の制約はほぼありません。運賃も片道18,200円(高松までの乗車券11,650円、EX予約利用時の東京-岡山のぞみ指定席特急券6,550円)ですみます。

ただ、新幹線を利用して高松まで帰るとなると、東京駅から最短で4時間半ほどかかります。

のぞみなら、東京から岡山間まで毎時3本以上あるので、時間の制約なく利用できるのが大きなメリット

それに対して、時間さえ合うなら、羽田発のANA/JAL便を使った方が1時間ほど早く到着できますし、羽田-高松便はANAが1日6便、JALが1日7便と、比較的多く飛んでいますので、時間にも比較的融通が利きます。

ただ、飛行機はやはり運賃が高くなります。羽田-高松便の場合、通常運賃はANA/JALともに42,470円です。それより安くて、当日購入できる運賃としては、ANAだとビジネスきっぷ(31,250円)、JALだとJALカード割引(29,820円)などがありますが、新幹線に比べるとかなり高額です。

ANA/JALを合わせると高松-羽田間は1日13往復あり、新幹線より早く到着できるため、こちらも比較的使いやすいが、運賃はかなり高くなる

介護割引という選択

不測の事態への対応ですから、コストを気にせず最も早く戻れる手段を使えばいいのですが、できればコストを抑えられると助かります。そこでいろいろ調べてみたところわかったのが、ANAとJALが用意している介護割引制度です。

この制度の条件はANA、JALともにほぼ同じで、『要介護または要支援認定された方の「二親等以内の親族」と「配偶者の兄弟姉妹の配偶者」ならびに「子の配偶者の父母」に限り、介護する方と介護を必要とされる方の最寄り空港を結ぶ1路線限定』で利用できる特別運賃制度です。具体的には、ANAの羽田-高松線の場合、介護割引を利用すれば22,650円(いずれも2025年4月現在の価格)と、通常運賃や当日利用できる割引運賃と比べても安く利用できます。

ANA、JALともに、介護のために帰省するときに利用できる介護割引制度を用意している

しかも、ANA/JALの介護割引運賃は当日便でも利用できますし、他の割引運賃に比べると座席数に余裕があるようで、比較的取りやすいのもメリットです。

そこで、万が一の事態に備える意味でも、羽田-高松便を運行しているANA/JALの双方で介護割引制度への登録を行ないました。

制度へ登録するには、介護される側の介護資格情報がかわる介護保険被保険者証などの書類、介護する側の身分証明書、介護される側と介護する側の関係がわかる戸籍謄本または戸籍抄本が必要となります。それら書類を用意して、ANAの場合は郵送もしくはWeb、JALの場合は郵送もしくは空港などのカウンターで申請し、登録された後に介護割引運賃が利用可能となります。なお、有効期限は登録から1年間なので、1年ごとに更新する必要があります。

筆者は、ANAはWebで、JALは郵送で申請しましたが、どちらも1週間ほどで認証されて、介護割引が利用可能となりました。

ANAとJALで介護割引制度に認証されたので、急いで帰る場合でも割引運賃が利用できるようになった

個人的には、東海道新幹線にも同様の制度があると非常に助かるのですが、現時点では東海旅客鉄道に介護割引制度はありません。新幹線のチケットは飛行機のチケットのように記名式ではありませんので、運用が難しい側面もあるとは思いますが、介護にかかる交通費に苦労している人は多いでしょうから、JRグループにもぜひ導入を検討してもらいたいと思います。

2拠点介護を目指して意図的に留守の時間を増やしてみた

筆者は、東京に住民票を移したことをきっかけとして、東京と香川の2拠点で介護ができないかと、試験的にいろいろなことを試しています。そのひとつが、先ほど紹介したLCCの利用や、ANA/JALの介護保険制度への登録です。これは、移動コストを抑えるという点で大いに役立っています。以前に紹介した携帯電話の機種変更やGPSトラッカーの導入も、当初は別の目的での導入でしたが、結果的に筆者が実家から離れている時の見守りで役立っています。

ただ、2拠点で介護を行なううえで大きな課題が、食事です。介護を始めた当初は、母が「手作りのもの以外は食べない」と頑なだったこともあって、私が3食を作って用意していました。それもあって筆者は実家で寝泊まりしていたのですが、自分自身も多少楽をしたいということもあって、たまにスーパーで買った惣菜を入れてみたり、母の好きな太巻きやいなり寿司などを買ってきて出すこともありました。当初は、手作りじゃないとと文句を付けられることもありましたが、手作りの惣菜を用意して一緒に並べるなどすることで、1年ほどかけて徐々に手作り以外の食事への抵抗感を減らしていきました。

母の食事は、当初は3食とも作っていたが、徐々にスーパーの惣菜などを加えて、手作り以外の食事への抵抗感を減らしていった

そして、そろそろいけるかもと考え、東京に住民票を移すタイミングを見計らって高齢者向けの宅食を頼んでみることにしました。すると、思っていたよりもすんなり受け入れてくれて、喜んで食べてくれたのです。

とはいえ、届けられた食事を受け取り、正しい時間に食べる、ということは母ひとりではできそうにありませんでした。そこで、実家の近所に住む私の従兄弟の分も合わせて2人分の宅食を取り、一緒に食事をしてもらうように頼んだのです。

実は、従兄弟には少し障害があり、従兄弟の両親が既に他界していることもあって、私の両親が従兄弟の世話をしつつ、以前から毎日のように一緒に食事をしていました。そして、私が食事を作るようになってからも、従兄弟の分も作り、一緒に食べていたのです。ですので、私が実家を留守にして宅食を手配した時には、従兄弟に食事の用意を頼むことで対応できるだろうと考えたわけです。

実際に、私が東京に行き数日実家を留守にしても、従兄弟がうまく対応してくれたおかげで、母も問題なく食事が取れていました。これにはひと安心でした。
ただ、従兄弟は仕事をしていますので、常に母を見守れるわけではありません。そこで、もうひとつの見守り手段として、訪問介護を頼むことにしました。しかし、こちらは一筋縄ではいきませんでした。

介護を始めた当初にも、訪問介護に来てもらえないかと試行錯誤したのですが、その当時母は、自分が家事を全てこなしていると思い込んでいて、見ず知らずの他人を家に入れて家事など手伝ってもらうことを拒否して受け入れなかったのです。また、デイサービスなどの介護施設に通って日中過ごしてもらうことも考えましたが、そちらも、自分を年寄り扱いするなと断固拒否です。

筆者が実家に住み込んで母を介護することになったのには、こういう理由もあったのです。

それでも、私が留守にしている間だけでも見守りができないかと、担当のケアマネージャーとも相談しながら方法を考えたところ、医療資格を持つ介護ヘルパーに、母のかかりつけの医者から血圧を測るように言われて来たということにして、血圧を測りつつ見守るのがいいんじゃないか、ということになりました。こちらも、当初は母も怪訝な感じで、ヘルパーに悪態をつくこともありましたが、長年のかかりつけ医のことはしっかり記憶していることもあって徐々に受け入れ、週に3日ほどでしたが、家に上げて血圧も測れるようになりました。

これで、私が留守にし、従兄弟が仕事に行っている間の見守りも、なんとか対応できるようになりました。

こういった対応を整えたうえで、まず3日間ほど東京に戻り、実家から離れてみました。その間、実家に頻繁に電話するなどして母の様子をうかがったりしながらでしたが、なんとか無事に過ごせたのです。その後、離れる期間を1週間、半月と徐々に増やしてみましたが、その時も問題は起きませんでした。

これなら、月の半分は東京、半分は実家でうまくやっていけそうかな、と思ったのですが、実際にはそううまくはいきませんでした。

母が夏の暑さで体調を崩し、長期の東京滞在を断念

昨年(2024年)の夏は、記録的な猛暑が続きました。実家のある香川県高松市も同様で、35度を超える猛暑日を48日も記録しました。

この暑さは、高齢者にとって非常に危険です。しかし、よくニュースで報道されるように、筆者の母も、どれだけ暑くなっても自分で冷房を入れることはありません。私が冷房を入れても、寒いと言ってすぐに消してしまいます。

一応、窓を開けると比較的風通しはいいのですが、それでも室温が35度を超えることが珍しくなかったので、筆者が実家にいるときには、こまめに冷房を入れるようにしていました。同時に、夏の間は危険ということで、筆者が実家を留守にしている間は、介護ヘルパーにも毎日来てもらって、様子を見てもらうようにしました。

ただ、あまりの暑さに母も耐えきれなかったようで、9月後半に東京で滞在していたある日、介護ヘルパーから「様子がおかしいので、すぐ戻ってほしい」と連絡がありました。

実はそのタイミングで筆者は海外に出張していて、即座には対応できませんでした。そこで、妻に急遽実家に行ってもらったのですが、妻が実家に戻ると、母は玄関で座り込んで全く動けなくなっていたのです。その場で妻は救急車を呼び、即入院、ということになりました。

筆者が連絡を受けたタイミングでは、最速でも帰国できるのは翌日の便だったのですが、入院した母は比較的落ち着いたとの連絡があったため、当初の予定通り連絡を受けた翌々日の便で帰国し、そのまま実家へ直行しました。

母は、1週間ほど入院したのち、症状が回復したため退院となりました。症状は不明とのことで、なんとも釈然とはしなかったのですが、病状が回復した以上、それ以上は入院できないと、追い出されてしまったのです。

入院した母は、翌日には動けるようになり、1週間ほどで退院となった

しかも、それ以降、母はそれまでできていたことのいくつかができなくなってしまったのです。そのため、実家を長期留守にして東京で滞在することを断念し、実家を拠点として生活するスタイルに戻しました。

そして、この件があってからは、実家内での見守りも、それまで以上にしっかりやらなければならない、と考えるようになりました。というわけで次回は、実家での見守り手段について紹介します。

平澤 寿康