小寺信良のシティ・カントリー・シティ

第3回

“シェアする”が変わる。地方暮らしとネットコミュニケーションの関係

あらすじ

首都圏での37年の生活を終え、3月中旬に故郷宮崎へ帰った。いよいよ4月からは新たな環境での生活……の前に、例年通り米国ラスベガスへNAB 2019の取材へ。しかし、わずか2週間でSNSとのかかわりに変化が……。

地元宮崎に引っ越しして、2週間が過ぎた。これまではたまに帰省するぐらいであったが、これだけ腰を据えてじっくり生活するのは、高校生以来である。

宮崎市街地を空から。飛行機に乗る機会が格段に増えた

宮崎で暮らして大きく意識が変わったところは、SNSに対する接し方である。首都圏に暮らしているときは、Facebookをまめに見ては友だちの投稿にコメントしたり、あるいは自分で投稿したりしていた。だが宮崎に戻ってからというもの、人の投稿は見るものの、自分の投稿はめっきり少なくなった。

首都圏にいる頃から、地方在住の友人は何人かいたが、振り返ってみれば彼らもSNSでの発言は不活発だったように思える。首都圏在住の友人たちの活発な投稿に埋もれてしまっている面はあるだろうが、実際に地方に根を下ろしてみると、SNSに対して不活発な理由がなんとなくわかったような気がする。

Facebookは自分が持っている情報を、親しい人にシェアするという意味合いが強いSNSだと思う。そこには、誰かがその情報を活用して欲しいという思いがある。Twitterが読み手を意識しないSNSで、心の動きや行動等を勝手に公開するものなのに比べて、そのあたりに違いがあると思っている。

そこを踏まえて、なぜ地方に住むとFacebookが不活発になるのか考えてみると、持っている情報に活用性が乏しいからではないだろうか。筆者のFacebookの友人825人のうち、地方在住組は10人ぐらいしかいない。例えばうちの近所のコインランドリーが空いてたみたいな情報は、首都圏に住む多くの友人たちにとって利用価値がない。しかし自分が持ち得る情報は、それぐらいしかないのだ。

実際に宮崎ローカルの情報には、「いいね!」はそれなりに付くものの、コメントはほぼ付かない。実はこの原稿を書いている現在、NAB2019取材のためラスベガスに来ているところだが、ラスベガスのメシ事情を書くと、多くの人がコメントをくれる。今回のNABはプロ向けの機材展なので、普段仲のいいライターはほとんど来ないが、ライター仲間はほぼ毎年1度はラスベガスに行くことがあるし、時期を外した情報もそれなりに価値があるという事だろう。

一部の人しか解らないラスベガスのメシ事情のほうが反応が高い

移動時間が「使えない」生活

もう一つ、SNSが不活発な理由は、可処分時間の違いにある。例えば移動一つとってみても、首都圏での移動はほぼ電車なので、移動中に情報を発信する時間がある。移動が多い人ほど、より多くの情報を発信しているように思う。つまり都市部の人間は、ケータイ・スマホが普及するまで時間的には非生産的だった移動時間が、コミュニケーションのための時間に転換できたわけだ。

一方地方では、ちょっとした移動も自分で運転する車だったり自転車だったりと、自力移動である。つまり、移動中が忙しいのだ。これではいくら移動に時間がかかっても、SNSでコミュニケーションする時間は取れない。

加えて首都圏の公共交通機関で移動中は、移動の最中にも新しい情報を得て発信することができた。こんな中吊り広告があったとか、ふと耳に入った会話が面白かったとか、そういう事もどんどん情報化されていく。

しかし地方の車移動の場合、途中で新しい店が開店したのを見つけても、発信するタイミングがない。目的地に到着した頃には、そんなことは忘れてしまっている。あるいは覚えていても、「そんなこと書いてもなぁ」という躊躇がある。SNSはその場で反射的に発信してしまわないと、じっくり考えだしたらできないのではないだろうか。

情報の受け止め方も変わってくる。首都圏にいるときは、自分に関係なさそうな炎上事件の記事でも、「明日は我が身」とまではいかないが、ある程度の興味関心をもって読むことができた。だが地方に住み始めると、「東京在住の人たちが騒いでいる炎上事件」というスタンスになって、自分の人生とはまったく関係がないことに否応もなく気付かされる。

ここラスベガスは日本から遠く離れてはいるが、これまで何度も訪れている街である。そもそも旅行者として訪れれば、都会も地方も何も考えない。そうなると、また誰かの炎上事件もおもしろおかしく読めるようになる。どこで暮らそうが所詮は人ごとなのだが、野次馬に加われる距離感と、野次馬の輪に入れる可能性のない距離感。そういう境目が、地方のネットライフにはあるような気がする。

その一方で、離れて暮らす家族間のコミュニケーションは密になる。これまではどうせすぐ帰るからと、メッセージも必要最小限しか送ってなかったのだが、今はこれまで使ったことがなかったiPhoneのFaceTimeを、毎日のように活用している。電話ではふと会話が途切れたときに、どうにもやり切れない寂しさを感じるが、顔を見ながら話せるだけでこんなに間が持つものとは知らなかった。我が家にも、急にコミュニケーション2.0がやってきたかのようである。

パブリックなコミュニケーションは、プライベートなコミュニケーションが充足されたのちに発生するものだ。あるいはプライベートなコミュニケーションがない場合に、もあるだろう。

地方では、地元のコミュニケーションが密である。筆者は宮崎に友だちがほとんど居ないが、姉夫婦と連絡をとらない日はないほど世話になっている。それが故に、パブリックなところまで手が回らないという事情もある。

4月半ばから本格的に宮崎での仕事が始まる。そうなったときに、SNSとの距離感はどう変化するだろうか。もちろん、自分の露出という意味では積極的に情報を出すべきだろう。だがそれは、的のない空虚に向かって矢を射るような行為だ。そうした孤独に耐えられるかが、地方で都会の仕事をするものの試練かもしれない。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「金曜ランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。