石野純也のモバイル通信SE
第85回
「上り」重視の通信品質競争の幕開け AI・マルチモーダル・6G
2025年10月22日 08:20
下り(ダウンリンク)と上り(アップリンク)が非対称で、前者が重視されていたモバイルネットワークが、6G時代に向かう中、徐々にその姿を変えようとしている。
背景にあるのは、スマホで使うAIの普及と、そのマルチモーダル化だ。また、5G時代により高い周波数を使うようになったことも、上りのネットワークを強化する契機になっている。
変わる「下り」重視の常識 AIとマルチモーダル
元々、モバイルネットワークは下り偏重の傾向があった。一例を挙げると、4G時代に導入された複数の周波数を束ねるキャリアアグリゲーション(CA)は、まず下りから始まった。日本では、14年に下りのCAをまずKDDIが導入したが、上りの通信にこれが拡大されたのは18年のこと。およそ4年程度のタイムラグがある。
また、周波数の上りと下りを時間で分けて通信するTDD方式の場合も、下りの方により多くの時間が割り当てられており、速度差が大きい。TD-LTEは、1つの帯域を時間で区切るため、周波数で上下を分けるFDD方式に比べて、下りにリソースを割きやすいと言われていたことからも、キャリア各社が下りの通信を重視していたことが分かる。
一方で、今後必要とされるのは、上りの通信の強化だという。ソフトバンクの専務執行役員兼CTOの佃英幸氏は、10月15日にCEATECで開催された講演で、「AI時代にトラフィックの増大に対処するのは一般的なことだが、一番重要なのはアップリンク」と語った。スマホのAIが進化していくと「今後はカメラで入力し、アウトプットを出す」ことが増えてくるからだ。
実際、Androidに搭載されるGeminiも、iPhoneのApple Intelligenceも、カメラで写した目の前の風景や物をAIに見せ、それを元に解説してもらうことができる。Geminiに関しては、動画として常に映像を送り続けながら、その映像についての会話をするといった使い方も可能だ。こうしたユースケースでは、下り以上に上りの方が帯域を消費していることもある。
同様の見立ては、キャリアだけでなく、通信機器ベンダーからも発信されており、業界の共通見解とも言える。ノキアのストラテジー&テクノロジー フェロー 特別研究員 ハリー・ホルマー氏は、10月8日に開催したイベントで、「新しい種類のデバイスによって、ネットワークの要件が変わってきている」とコメント。Metaが投入したスマートグラスなどを挙げながら、「アップリンクで、より多くのパフォーマンスが必要になる」との見通しを語った。
確かに、現時点では動画再生などが急増しており、「今のところはダウンロードが圧倒的に多く、(アップロードの)10倍使われている」(ホルマー氏)ため、上下非対称な構成は正しい設計と言える。一方で、AIスマホや、カメラで画像を常時解析するスマートグラスが増加していけば、その差が縮まる可能性が高い。キャリアも通信機器ベンダーも、上りのトラフィックをよりさばけるようにしておかなければならないというわけだ。
上りが“パケ詰まり”の原因に 6Gに向けた新たな競争へ
また、5Gでより高い周波数が使われるようになったことで、端末からの電波が基地局に届かず、上りの通信が“パケ詰まり”の原因になるケースも出てきた。例えば単にWebサイトを表示するだけでも、そのリクエストをサーバー側に上げなければ下りの通信は始まらない。ここに時間がかかりすぎてしまうと、通信全体のスループットを落としてしまうことになる。
こうした背景もあり、ソフトバンクでは「広帯域の周波数とアップリンクの品質をもっともっとも高めていく」(佃氏)方針だ。その1つとして、ソフトバンクが活用するのは、FDD方式とTDD方式のキャリアアグリゲーションだという。
前者はより低い周波数を使っていることもあり、遠くまで電波が飛びやすい。上りが切れてしまってパケ詰まりが起ることは、これで防ぐことが可能だ。佃氏は、「アップリンクはローバンド(低い周波数)も足すことで徐々に5G側に持っていくと、Sub 6を単体で使うより高速領域が1.5倍になる」と話す。
もう1つの対策が、HPUE(High Power User Equipment)の導入である。これは、端末側の上りの出力を上げ、よりつながりやすくする仕様のこと。ソフトバンクは、4月に国内で初めてHPUEを導入しており、ドコモやKDDIもこれに追随した。これも、エリア端での通信品質を向上させる効果が見込めるという。
佃氏が「ソフトバンクとチャイナモバイルで提唱した」と語っていたように、実はHPUEをモバイルネットワークの規格として標準化の提案をした会社の1社がソフトバンクだった。
さかのぼること8年前の17年にスペイン・バルセロナで開催されたMobile World Congress(現MWC Barcelona)では、ソフトバンクグループの代表取締役会長兼社長の孫正義氏がイベントに登壇。その1年前の16年のMWCで、当時子会社だった米Sprint(現T-Mobile)のエリアを拡大するため、クアルコムやアップル、サムスン、ファーウェイなどの合意を取り付けたエピソードを明かしている。
当時は5Gも商用化されておらず、4G用の規格として導入されたHPUEだが、上りの通信の重要性が増しつつある中、改めて脚光を浴びたというわけだ。元々は下り重視だったモバイルのネットワークだが、AIの登場、普及により、比重が変わろうとしていると言えるだろう。6Gに向けた、課題の1つとして注目しておいた方がよさそうだ。









