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埼玉高速鉄道の延伸予定区間を全踏破 埼玉スタジアムが“近く”なる
2026年9月9日 08:20
埼玉県川口市・さいたま市を南北に貫く埼玉高速鉄道は、2001年に全線開業した鉄道路線です。開業時から赤羽岩淵駅で東京メトロ南北線と相互直通運転をしているので、通勤路線としても広く利用されています。
さらに埼玉高速鉄道の電車は、南北線から東急目黒線・東急新横浜線にも乗り入れています。そのため、埼玉高速鉄道の電車を遠く離れた新横浜駅で見かけることもできます。
埼玉高速鉄道は乗り入れにより広範囲なネットワークを築き、高い利便性を有します。その半面、複雑な運行形態になっているので慣れていないとどこに行くのかわからない、乗り間違えてしまうといったリスクも含んでいます。
東京都を抜け、神奈川県まで直通する埼玉高速鉄道ですが、開業時から埼玉方面への延伸はしておらず、それを求める声は強くありました。目立った動きがなかった埼玉方面への延伸ですが、26年3月に埼玉県とさいたま市が延伸事業を要請。
これを受けて、7月に運行事業者の埼玉高速鉄道と建設主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構が前向きに準備を進めることを快諾しました。ようやく動き始めた埼玉高速鉄道の延伸は、27年度頃より、浦和美園駅-岩槻駅間で工事が始まる見込みです。着工を前に、延伸区間となる浦和美園駅-岩槻駅間を全踏破してみました。
埼玉高速鉄道が開業するまで
埼玉県南部エリアは東京近郊のベッドタウンのひとつで、東京へ通勤・通学している人は珍しくありません。そうした需要から、埼玉県は長らく鉄道路線の延伸を要望・計画していました。特に東京メトロ南北線と直通することを想定していた埼玉高速鉄道は、埼玉県が有望な路線と見ていました。
東京メトロは東京一円にネットワークを築く地下鉄です。また、東京都が大株主になっています。そうした背景もあって、東京メトロが埼玉県内まで地下鉄路線を延伸することは非現実的でした。そうした事情から、埼玉県は南北線と直通する路線を独自に模索しました。
埼玉県および県内の関係自治体、企業が一丸となり、南北線と直通する鉄道の計画議論が繰り返されました。埼玉高速鉄道は全線が埼玉県内を走りますが、南北線と直通運転することが前提になっていたこともあり、東京メトロも出資。こうした協力もあって、埼玉高速鉄道の建設機運は高まっていきました。
そして、議論が本格化する端緒になったのが2002年に開催された日韓ワールドカップの開催が決まったことです。同ワールドカップでは、埼玉スタジアムが主要会場になり、日本VS.ベルギー戦や準決勝のブラジルVS.トルコ戦といった熱戦が繰り広げられました。
埼玉スタジアムがワールドカップの開催会場になることが決まった時点で、埼玉高速鉄道の建設は前倒しで進められることになりました。そして、開幕前に開業へと漕ぎ着けています。
ワールドカップでは多くの観客を埼玉スタジアムへと運んだ埼玉高速鉄道ですが、埼玉スタジアムはその後も、東京五輪2020などの試合会場として使用されるなど国際試合を多く開催。埼玉高速鉄道も公共交通機関という移動目的のみならず、国際親善や諸外国との友好、さらにスポーツ振興に貢献しています。しかし、国際試合は頻繁に開催されるわけではありません。
埼玉スタジアムまで徒歩15分という不便解消へ
埼玉スタジアムは浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)のホームスタジアムでもあります。浦和レッズは1950年に設立された三菱自動車工業のサッカー部(設立当初は中日本重工業サッカー部)を前身とする伝統あるプロサッカーチームです。長らく浦和市を拠点に活動を続けているので、地元住民からも深く愛される存在になっています。
2001年に浦和市・大宮市・与野市の3市が合併してさいたま市へと移行した後も、頑なに浦和という地名をチーム名に冠しています。
浦和レッズは1992年にJリーグが発足した当初からJリーグに参加しています。発足時にJリーグに加盟した10チームは、ファンの間でオリジナル10団体と呼ばれてレジェンドとして語り継がれる存在です(オリジナル10のうち、横浜フリューゲルスは横浜マリノスと統合したため、9チームが現存)。
こうした経緯もあり、浦和レッズはサッカーファンだけではなく、郷土愛を語る上でも欠かせないチームになっています。
浦和レッズがホームスタジアムにしている埼玉スタジアムは、浦和美園駅が最寄駅です。浦和美園駅から埼玉スタジアムまでは、徒歩で約15分の距離にあります。駅からスタジアムまでは歩行者専用道が整備されていますが、少し距離があることが難点です。
試合終了後の余韻に浸りながら一緒に観戦した仲間と駅まで歩く時間は楽しいひとときですが、利便性の面を考慮すると駅が近くにあることは望ましいことといえるでしょう。そうした要望も採り入れて、埼玉高速鉄道の延伸は要望されていました。しかし、長らく延伸議論には進展が見られませんでした。
2019年に埼玉県知事に就任した大野元裕氏は選挙戦でも“あと数マイルプロジェクト”を推進すると公約を掲げていました。大野知事が掲げた“あと数マイルプロジェクト”とは埼玉高速鉄道線、東京12号線(大江戸線)、東京8号線(東京メトロ有楽町線)、多摩都市モノレール、そして日暮里・舎人ライナーの5路線を延伸させる取り組みです。
掲げられた5路線は埼玉から東京へと向かう路線で、埼玉県民が日常的に利用しています。それらの利便性を高めることは埼玉県にとってもメリットがあり、東京との関係を強固にする意図を含んでいます。
“あと数マイルプロジェクト”に掲げられた5路線のうち、埼玉高速鉄道線はすでに埼玉県内を走っていましたが、終点の浦和美園駅は他路線との乗り換えがありません。そのため、決して使い勝手がいい路線にはなっていませんでした。これを延伸し、他路線と接続することで利便性を高めようとしていたのです。
“あと数マイルプロジェクト”では、最終的に埼玉高速鉄道線を北へと延伸させて東北本線(宇都宮線)の蓮田駅までつなげることを構想しています。しかし、浦和美園駅からいきなり蓮田駅まで延伸すると、工費・工期は莫大になります。
現実的な選択として、埼玉県は第一段階として途中にある東武野田線の岩槻駅までの延伸を目指しました。そして、このほど浦和美園駅-岩槻駅までの約7.2kmの延伸が正式に始動することになったのです。
現在の終着駅「浦和美園駅」はどんな場所?
埼玉高速鉄道線は赤羽岩淵駅で東京メトロ南北線と直通運転をしている関係で、多くの区間が地下を走っています。そうした背景もあり、埼玉高速鉄道を地下鉄と見る向きもあります。
地下区間の最終駅となる東川口駅の北口ロータリーには掘削機(シールドマシン)を模したモニュメントが展示されています。説明板には、同駅が地下駅の最終駅であることが記されています。
終着駅の浦和美園駅は地上駅ですが、電車は駅の直前まで地下を走っています。東川口駅から電車に乗って浦和美園駅を目指すと、ずっと地下区間を走ります。そして地上へ出たと思ったら、すぐに浦和美園駅に到着します。
浦和美園駅の構内や周辺はワールドカップの会場になったことをPRする掲示や多くのサッカー少年を熱中させたマンガ「キャプテン翼」の登場キャラクターのイラスト、浦和レッズの旗で溢れています。
駅南側には大規模なショッピングモールが立地していますが、駅とショッピングモールの間には国道463号線が走っていて街区が明確に区分けされている雰囲気です。
埼玉スタジアム新駅は試合開催日の臨時駅
サッカーに染まる駅を横目に西口から線路沿いを歩きます。駅北側には埼玉高速鉄道の車両基地があり、少し歩くと車両基地を眺められる跨線橋が架かっています。
跨線橋を渡り線路の東側へと出ると、広々とした側道が現れます。この側道は埼玉スタジアム2002公園の一部で、浦和美園駅から埼玉スタジアムへと向かう観戦者をはじめ地域住民のために一般開放されているオープンスペースです。
自動車やバイクは乗り入れできないようになっているので、子連れでも安心して通行できるようになっています。試合が開催されない日も通行でき、愛犬と一緒に散歩している人も見かけました。
オープンスペースとなっている側道を北へと歩いていくと、少しずつスタジアムの姿が見えてきます。国際試合を多く開催してきたスタジアムということもあり、どことなく威厳を感じさせます。スタジアムの周辺には豊かな自然が残り、こちらでもジョギングで汗を流したり、犬の散歩をしている人を見かけました。
埼玉高速鉄道の岩槻駅までの延伸計画では、中間に2駅を新設することが予定されています。そのひとつが埼玉スタジアム駅(仮称)です。同駅は試合開催日の臨時駅として開設される予定です。
スタジアムの周囲を歩くと、周辺は特に住宅地として整備されているわけではなく、目立つような商業施設もありません。完全に埼玉スタジアムへとアクセスするための駅といった立地です。
試合開催日以外は特に需要がないという判断から臨時駅を予定していると思われますが、埼玉スタジアム2002公園は約30haもある広大な公園です。サッカーだけではなく、週末には県内外から多くの人が足を運べるような雰囲気です。
サッカー観戦だけではなく、そのほかの活用方法も考えられそうです。せっかく莫大な費用を投じて路線を延長し、新駅を開設するわけですから有効活用できるのでは? という思いもよぎります。
90年前、埼玉高速鉄道の延伸区間には鉄道があった
威容を誇るスタジアムの周りを取り囲む道路を歩きつつ、スタジアム西側を南北に走る岩槻街道を北上します。岩槻街道の真上には東北縦貫自動車道が走り、先ほどまでとは打って変わり、自動車による喧騒を感じるようになりました。沿道の風景も工業地帯然としたものへと変わり、どことなく殺風景な印象です。
岩槻街道を走り抜けるトラックを見ながら歩き、次の新駅予定地を目指します。先述したように、浦和美園駅-岩槻駅間の中間には新駅が2つ予定されています。臨時駅の埼玉スタジアム駅は仮称ながら、すでに駅名が付されています。
一方、もうひとつの新駅は現時点で仮称すら付されていません。埼玉県などの公式発表や報道各社の情報によると、もうひとつの新駅は目白大学さいたま岩槻キャンパスの近くに開設することが有力になっているようです。
目白大学は東京都新宿区に本部を置く大学ですが、さいたま岩槻キャンパスには保健医療学部と看護学部の2学部があり、耳科学研究所クリニックといった病院も併設されています。同病院は一般外来も受け付けている地域にとって重要な病院です。新駅が開設されれば、通院する患者への利便性を図ることにもなり、駅開設の恩恵は大学生や大学関係者のみならず、広く行き渡ります。
しかし、周辺は特に宅地化されているわけではなく、利用者を見込めそうな集客施設なども見当たりません。今後は需要を生み出すために新駅予定地の開発計画に取り組むことになるでしょう。
さいたま岩槻キャンパスの正門へと向かう道の途中で、武州鉄道の浮谷駅跡地を示す看板を発見しました。武州鉄道とは蓮田駅から岩槻駅を経由して川口市の神根駅までを結んでいた鉄道です。
武州鉄道は本多貞一郎を社長に迎えて東京までの延伸を目指しました。本多は工部省(現・国土交通省や経済産業省など)の役人を務め、退官後は各地の鉄道事業に奔走した人物です。特に京成電気軌道(現・京成電鉄)の初代社長を務め、後に千葉県から衆議院選挙に立候補して当選しています。
千葉県・埼玉県では有力者だった本多を社長に据えるほど力を入れていた武州鉄道でしたが、東京まで線路が通じていなかったことが災いして需要は伸び悩みました。そして1938年に廃止されてしまいます。
廃止から間もなく90年が経過しようとしているだけあって武州鉄道の痕跡をたどることは困難になっています。忽然と農地に現れた浮谷駅の看板は簡素なもので、特に説明板も見当たりません。同地を通る通行者も特に気に留める様子はありません。
埼玉高速鉄道の延伸区間は、奇しくも武州鉄道が通っていた区間をなぞるように建設されます。いわば、埼玉高速鉄道の延伸は約90年の歳月を経て武州鉄道が復活する、とも受け取れそうです。
岩槻の公園になぜ「ロマンスカー」を保存展示?
静かに佇む浮谷駅跡を後にして、終着駅となる岩槻駅を目指します。県道324号線をひたすら北へと歩き続けます。国道16号線を越えてから一気に道路の幅員が狭くなり、いかにも旧道といった雰囲気へと切り替わります。その道路を歩き続けると、昔ながらの商店街が現れます。商店街の街灯には、浦和美園駅でも目にした浦和レッズを応援する旗がかかり、ここでも浦和レッズ愛を感じました。
さらに歩いて突き当たりの幹線道路を左折すると岩槻駅へと通じる交差点が現れ、そこを北上すると岩槻駅に到着です。しかし、そのまま岩槻駅へと向かわずに、いったん逆方向へと歩いてみましょう。
駅から徒歩10分ぐらい歩くと、さいたま市岩槻人形博物館が見えてきます。岩槻は江戸時代より雛人形や五月人形といった人形生産が盛んな地でした。岩槻で人形生産が盛んになった理由は諸説ありますが、桐の産地だったことが大きく影響しているようです。近隣の春日部でも家具の生産が盛んで、有名な家具メーカーが創業しています。
そうしたことを考えると、岩槻にも多くの職人が住み、春日部の家具と棲み分けるように独自の伝統工芸が発達したと推測できます。
かつて雛人形・五月人形は多くの家庭で見られましたが、昨今は社会環境や住環境の変化もあって、必ずしも買い揃えるものではなくなっています。同博物館は、そうした伝統工芸品や岩槻の産業を後世へと伝えるミュージアムになっています。
同館からさらに歩くと、岩槻城址公園内が見えてきます。同園内には東武鉄道のデラックスロマンスカーとして活躍した1720系が展示されています。
ロマンスカーといえば、今では小田急電鉄が運行する特急の代名詞のような列車です。しかし、ロマンスカーというのは小田急の専売特許ではありません。
昭和期、映画館や喫茶店などでは男女2人が並んで座るカップル専用のシートがありました。それを男女の睦まじい仲になぞらえて、“ロマンスシート”と通称するようになります。そこから転じて、ロマンスシートが配置された列車をロマンスカーと呼ぶようになりました。小田急のほかには東武鉄道や京阪電鉄などがロマンスカーを運行しています。
しかし、時代が経過してロマンスシートに斬新なイメージはなくなり、各社はロマンスカーという呼称を使わなくなります。
一方、小田急は新宿-箱根を結ぶ特急列車にロマンスカーという呼称を使い続けました。そこには小田急なりの強い思いがあったことを窺わせますが、それに加えて1929年に発表された歌謡曲「東京行進曲」が爆発的にヒットしたことも無関係ではなさそうです。
同曲は作詞・西条八十(やそ)、作曲・中山晋平のタッグで生まれました。西条は「青い山脈」(作曲:服部良一/歌:藤山一郎)や「王将」(作曲:船村徹/歌:村田英雄)といった歌謡曲を、中山晋平は「シャボン玉」「てるてる坊主」といった童謡を作曲しています。
西条と中山の2人は、童謡「肩たたき」「猫の嫁入り」などでコンビを組んでいますが、2人の代表作ともいえる「東京行進曲」には、歌詞に小田急という語句が出てきます。同曲が男女の仲を歌っていることから、小田急ロマンスカーで箱根へ行くというイメージと結びつき、それがロマンスカーをブランド化しました。今では小田急を代表する特急列車の愛称として広く定着しています。
一方、東武鉄道でも日光・鬼怒川へと走る特急列車としてデラックスロマンスカーを運行していました。デラックスロマンスカーはボンネット型と呼ばれる特急車両だったため、昔を懐かしむオールドファンには人気でした。
しかし、東武はイメージ刷新を兼ねて1990年に新型特急を登場させます。スタイリッシュな車体に変更しただけではなく、列車名もスペーシアと改めました。こうして、デラックスロマンスカーという呼称は使われなくなります。
スペーシアの名称は、その後も引き継がれていきます。2023年、東武は新型特急「スペーシアX」を発表。同列車は新しい観光特急として、東京の浅草やスカイツリーと日光・鬼怒川を走っています。
岩槻には東武鉄道の野田線(東武アーバンパークライン)があります。野田線は埼玉県の大宮駅から千葉県の柏駅を経由して同県船橋駅までを走る路線です。
関東を大きく周回する東武野田線は特急列車が運行されていた時期があるものの、現在は定期運行されている特急列車はありません。そして、デラックスロマンスカーが定期運行されていたこともありません。それにも関わらず、どうして東武野田線の沿線に所在する岩槻城址公園にデラックスロマンスカーとして走った1720系の車両が展示されているのでしょうか?
それは東武鉄道が岩槻市制40年を記念して岩槻市(当時)に寄贈を申し出たからです。東武鉄道の心遣いはありがたいものでしたが、問題は公園までの輸送費負担でした。そこで岩槻出身の実業家で、後に貴族院議員にも選出された斎藤善八の遺族が没後50年を迎えるにあたり、市や市民のためになるとの理由で輸送費を負担したのです。
岩槻の名士でもあった斎藤は、岩槻電気軌道という鉄道会社を立ち上げたりもしています。岩槻電気軌道は大宮-岩槻-粕壁(春日部)に電車を走らせると同時に地域一円に電気を供給することを目的にしていました。
鉄道事業は自身の力では実現せず、後に東武野田線として結実しています。一方、電気の供給事業は成功を収め、岩槻の近代化に大きく貢献しました。
デラックスロマンスカーが静かに保存されている岩槻城址公園を後にして、岩槻駅方面へと向かいます。2016年に新装した岩槻駅は橋上駅舎になりました。東武野田線は地上線を走り、東口と西口は線路によって分断されています。
東西それぞれにロータリーはありますが、商業施設が集積しているのは東口で、にぎわいや人通りも東口で多く感じられます。
現在まで決定している埼玉高速鉄道の延伸区間は岩槻駅までですが、その後は蓮田駅方面へと延伸する計画が議論されているので、埼玉高速鉄道の岩槻駅は地下に設置されるか、もしくは野田線をオーバークロスするように建設ことになります。そうなると岩槻駅の駅前風景は大きく変化することになります。
























