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アルテミス計画で54年振りに人類が月の重力圏へ でもまだ着陸しないその理由

2026年4月1日午後6時24分(日本時間4月2日午前7時24分)、米国の月面探査「アルテミス計画」初の有人飛行ミッション、Artemis IIが打上げられます。4名の宇宙飛行士が月の裏側まで飛行し地球へと帰還するミッションは、1972年のアポロ17号以来、54年ぶりに人類が月の重力圏に到達することになります。

Artemis IIは月面着陸を行なうのではなく、月をフライバイ飛行して帰ってくるもので、アポロ計画でいえば「アポロ9号」にあたるといえます。ですが、アポロ計画ではすでに実現している月面着陸をすぐに再開するのではなく、“行って帰る”ミッションがなぜもう一度必要なのでしょうか? 将来に繰り返し月面に着陸し、火星有人探査も見据えているアルテミス計画の中で、Artemis IIの内容とその位置づけを考えてみましょう。

アルテミス計画では、アポロ計画という過去の遺産と経験がありますが、宇宙船システムとそれに合わせた運用技術は新たに開発されたものになっています。クルーの命を預かるオリオン宇宙船がこれからの深宇宙ミッションで、生命を安全に維持できるかを証明する必要があります。

まずは地球に近い安全な環境で、いざとなったら飛行を中断できるかたちでクルーを健康に保つための環境制御および生命維持システムを実際に稼働させ、確認することができます。

NASAにとっても、打ち上げから運用に至るまでのプロセスを実際に経験することで、地上チームが体で覚えた運用感覚や経験を維持・再構築し、将来的にミッションの実施頻度を高める準備という意味があるのです。

Artemis IIのミッションと意義

Artemis IIは、2022年11月に実施された無人試験飛行Artemis Iに続く、NASAのアルテミス計画における初の有人飛行ミッションです。宇宙船オリオン(Orion)とスペース・ローンチ・システム(SLS)の統合的な能力を、実際に人間を乗せた状態で検証することを主目的としています。

Image Credit: NASA/Joel Kowsky

クルーはNASAとカナダ宇宙庁(CSA)から選抜された4名で構成されます。NASAからはリード・ワイズマン船長、パイロットのビクター・グローバー宇宙飛行士、ミッション・スペシャリストのクリスティーナ・コック宇宙飛行士の3名。カナダから同じミッション・スペシャリストのジェレミー・ハンセン宇宙飛行士が参加します。

左からリード・ワイズマン船長(NASA)、ビクター・グローバー宇宙飛行士(NASA)、クリスティーナ・コック宇宙飛行士(NASA)、ジェレミー・ハンセン宇宙飛行士(CSA)。(Image Credit: NASA/Frank Michaux)

Artemis IIのミッション期間は約10日間の月フライバイ飛行です。軌道計画はアポロ計画の実績を踏まえつつ、安全性を最大限に高めるために設計されました。まずは打ち上げから帰還までを7段階に分けて追ってみましょう。

Credit: NASA/JSC/Goddard
Artemis IIのミッションタイムラインと8の字軌道(Credit: NASA/JSC/Goddard)

1. 打上げから地球低軌道(LEO)への投入

フロリダ州ケネディ宇宙センターからの打ち上げ後、オリオン宇宙船と上段ロケット(ICPS)はSLSのコアステージから切り離され、高度約2,222×185kmの楕円軌道に入ります。

2. 高楕円軌道(HEO)への移行とシステムチェック

打ち上げから約1時間47分後、遠地点を上昇させる燃焼を行ない、約72,000×185kmの高楕円軌道(High Earth Orbit)へ移行します。この軌道で地球の近くに留まりながら約23時間かけてさまざまな試験を行ないます。
中でも重要なのは「ランデブー、近接運用、ドッキング(RPO)」試験。宇宙船から切り離された上段ロケットICPSをターゲットに見立てて、接近、後退、周囲の飛行などをビクター・グローバー宇宙飛行士のマニュアル操縦も含めて実施します。将来、月周回軌道で宇宙船を操縦する技術を初めて宇宙で実施するのです。
また、宇宙船の生命維持システムの機能試験も重要。ミッション前半の山場ともいえる段階で、オリオン宇宙船とクルーがその能力を発揮できるかが見どころです。

3. 月遷移軌道(TLI)への投入

近接運用(RPO)実証を終えた後、フライト2日目にオリオン宇宙船のメインエンジンを噴射します。この月遷移軌道投入(Translunar Injection: TLI)により、宇宙船は月に向かう軌道に乗り、月へと出発するのです。

4. 月への往路

月へ向かう約4日間の旅の間、オリオン宇宙船は軌道マヌーバリングシステムを使用して3回の小規模な軌道修正燃焼(Outbound Trajectory Correction Burn)を行ない、月周回に向けた正確な軌道を維持します。フライト5日目には、地球の重力よりも月の重力の影響が強くなる月の重力圏に突入します。

5. 月フライバイ飛行

フライト6日目、宇宙船は月の裏側を通過し、月面から約6,440〜9,700kmの距離まで接近します。このフライバイでは、地球と月を結ぶ巨大な「8の字」を描くように飛行します。
月への航行と月の裏側の通過時は、Artemis IIの科学的な活動の時間でもあります。
オリオン宇宙船には生物学実験装置が搭載され、深宇宙の環境が生命に与える影響を調査します。また、月の裏側の観測は人類が半世紀ぶりに「訓練された人の目」で月面の地質学的特徴をとらえる機会となります。

6. 自由帰還軌道

月の裏側を回って月の重力圏を抜けた後は、推進力を使用せず、地球と月の重力を利用した燃料効率の良い自由帰還軌道(Free-Return Trajectory)に乗って地球へ自然に引き寄せられます。帰路でも安全な着水に向けて、3回の軌道修正燃焼(Return Trajectory Correction Burn)を実施します。

7. 大気圏再突入と着水

フライト最終日、サービスモジュールを切り離したオリオンのクルーモジュールは、高度約120kmで地球の大気に再突入します。パラシュートを展開して時速約27kmまで減速し、打ち上げから約9日と1時間46分後にカリフォルニア州のサンディエゴ沖の太平洋へと着水します。

科学ミッションに向けて地質学の訓練を受けるクリスティーナ・コック宇宙飛行士(Image Credit: Helen Arase Vargas NASA-JSC)

オリオン宇宙船の能力を検証する

Artemis IIでは、オリオン宇宙船の環境制御・生命維持システム(ECLSS)を初めて、人間が宇宙で使用して試験することになります。実際に4人の人間が10日間にわたって宇宙船の中で生活することで、呼吸し、排泄し、熱を発する環境下での動作を検証するのです。

Image Credit: NASA/Kim Shiflett

オリオンのECLSSは、深宇宙という過酷な環境での運用に向けて、従来の有人宇宙船よりも耐障害性が高く、かつシンプルな構造になるよう設計されています。スペースシャトルの時代には使い捨てだった二酸化炭素・湿度除去システムは再生可能なシステムになりました。システムの体積も大幅に抑え、軽量化を実現しています。

「空気の質」も評価の対象です。人間が呼吸で排出する微量のアンモニアやアセトンなどを除去し、フィルタリングを行なえるかも実際に確認します。人が繰り返し、長期間にわたって深宇宙に滞在する時代に向けて、快適さと安全性は不可欠というわけですね。

万が一の際に船内の圧力低下や空気の汚染によってキャビン環境が失われた場合に、宇宙服を着用しクルーの生存を数日間守りつつ地球へ帰還させる能力が組み込まれています。この機能が必要になるのはアポロ計画以来のことです。

オリオン宇宙船は、有人月面探査の基幹システムとしてある技術的課題を抱えています。それが、地球帰還時に船体を守るヒートシールドの課題です。2022年のArtemis I実証の際に、オリオン宇宙船のヒートシールドで予想外の問題が発生していたことが判明しました。高熱を受けて削れることで船体を守るアブレーション外層材の内部で発生したガスが、想定通りに外部へ放出・排出されていなかったためひび割れや不均一な層の剥離を引き起こしていたのです。

Artemis I後のオリオン宇宙船のヒートシールド。Credit: NASA

Artemis Iの飛行データでは、ヒートシールド自体の熱保護性能は期待を上回っており、カプセル内部の温度は安全な範囲に保たれていた、とNASAは確認しています。とはいえ設計を外れたこの課題に対処するため、2025年秋に予定されていたArtemis IIの実施は2026年までずれ込むことになりました。

Artemis IIではヒートシールドを交換するのではなく、すでに取り付けられている現在のヒートシールドをそのまま使用し、再突入時の軌道を変更することで対応します。軌道の調整で大気中に留まる時間を短縮することで、熱負荷の累積を抑えてクルーの安全を十分に確保できると判断されました。

有人試験における安全設計と緊急時対応

Artemis IIは今後の月探査に向けた実証ミッションという意味を持ちます。では、その実証ミッションの途中で重大なトラブルが発生した場合に、クルーはどのように帰還できるのでしょうか。段階ごとに異なるリスク制御設計をみてみましょう。

まず打上げから間もない段階では、オリオン宇宙船の打上げ脱出システムが重要な役割を果たします。ロケットに異常が生じた場合、カプセルを瞬時に分離して安全距離まで退避させるもので、アポロ計画から継承されてきた最も確実なクルーの保護手段です。

軌道投入後は直ちに月へ向かうわけではなく、軌道上実証をしつつ生命維持装置や電力・通信系の健全性を確認します。もしもこの段階で問題が検出されれば、月遷移軌道(TLI)には進まず、そのまま地球へ帰還するという判断も可能です。

そして月へ向かった後のフェーズでは、「自由帰還軌道」が安全設計の核となります。この軌道は、推進系に深刻な障害が発生した場合でも、月の重力を利用して自動的に地球へ戻るよう設計されています。最悪の場合でも帰れなくなる事態を回避することができるのです。

一方で、すべてのリスクが回避可能というわけではありません。最大の難関は地球を目前にした再突入フェーズです。再突入中に脱出といった選択肢は存在せず、アブレーション材の想定外の挙動を避ける軌道設計が十分に機能することが最も重要になります。

アルテミス計画の再編とArtemis IIの位置づけ

2026年2月27日、NASAのアイザックマン新長官は、アルテミス計画のスケジュールを大きく変更すると発表しました。

先立ってNASAの航空宇宙安全諮問委員会(ASAP)はアルテミス計画の実行性、特にArtemis IIIでの月面着陸の危うさを強く警告していました。そこで、Artemis IIIを月面着陸から地球低軌道(LEO)でのドッキング・システム検証ミッションに変更しました。

月面着陸にあたっては、オリオン宇宙船が単独で月面に降り立つのではなく、SpaceXのStarshipやBlue OriginのBlue Moonといった有人着陸機(HLS)とオリオンのドッキングと宇宙飛行士の移動、そして月でのミッションのためにLEOで宇宙機から宇宙機へと推進剤を供給するといった、現在実現していない技術がいくつも必要になります。

こうした要素の完成を前提としてArtemis IIでの月往復からいきなりArtemis IIIで着陸へ飛躍するのはあまりにリスクが高いというのがASAPの勧告でした。そこでArtemis IIIを安全な地球周回軌道での推進剤供給や、新たなヒートシールドの実証試験に変更し、リスク低減をはかることにしたのです。開発が遅れているHLSはSpaceXとBlue Originの2社のうち、先に完成した方からミッションに採用されることになります。

2028年までのアルテミス計画の再編が発表されました(Credit: NASA)

さらに3月24日、NASAは月・火星探査の方向性を「Moon Base(月面基地)」を加えた方向性に再編しました。日本、欧州との協力で構築予定だった月周回軌道の宇宙ステーション「Gateway」は開発を休止し、2028年までに有人月面着陸(Artemis IVになる予定)を実現した後は、毎年のように有人、無人の探査を実施します。

資源となる水の探査、ホッパー型の探査ドローン、米国が開発する月面有人ローバーのLTV、日本が開発する有人与圧ローバー、原子力エネルギー実証や月面の長期滞在施設の技術実証などを重ねて、2036年ごろまでに月面に長期間滞在できる技術を獲得する目標です。

Artemis IIの実施準備と並行して、アルテミス計画から安全を損なう無理な目標を削減し、繰り返して何度も月面探査を重ねるという再編計画が進みました。おかげで、Artemis IIも「月面着陸までの最後の宇宙船実証チャンス」といった切迫したミッションから、有人探査を安全に成立させるための着実なステップへと位置づけが変わっています。

ミッション内容はこれまでと大きく変わったわけではありませんが、より安全と着実さに重点を置いたものになったといえます。「深宇宙で人が生きるシステムの最終確認」として、ミッションを見つめることができるようになったといえます。

秋山文野

サイエンスライター/翻訳者。1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。X(@ayano_kova)