西田宗千佳のイマトミライ

第21回

Echo StudioとAmazon Music HDから見るAmazon音楽戦略の強さ

中央の大きなスピーカーがAmazonの「Echo Studio」。スマートスピーカー「Echo」の最新モデルで、オーディオ面での機能強化が著しい。他は同時発表された第3世代Echo

先週、Amazonは米ワシントン州シアトルにある本社で発表会を開き、多数の新製品を発表した。筆者は現地に赴き取材していた。そのレポートは掲載済みなので、ぜひそちらも合わせてお読みいただきたい。

AmazonのEcho新デバイスを体験。指輪、スマートグラス、イヤフォン

ウェアラブルEcho、空間オーディオ、新通信規格と拡大するAmazonハード

発表された製品の中でも野心的なのが「Echo Studio」。Dolby Atmosとソニーの空間オーディオ規格「360 Reality Audio」に対応し、低価格に「ステレオの先」を楽しめるのが特徴だ。

Amazon Echo一新。高音質なEcho Studio、コンセントに挿すEcho Flex

Amazonが音楽を攻めることの狙いと、そこでハイデフや空間オーディオをテコにする理由を考察してみた。

「Amazon Music HD」の開始は布石だった

「Amazon Music HD、急に始まって驚きましたよね? もちろん、Echo Studioとの連携ありきですよ」

あるAmazonの幹部は筆者にそう話した。

実際、Echo Studioの登場には布石があった。9月17日、Amazonが突如、ハイレゾかつ聴き放題の音楽配信サービス「Amazon Music HD」をスタートしていたのだ。Echo Studioも、このサービスの存在を前提にしている。

Amazon Music HDはすでにスタートしており、90日間無料で試せる。

Amazon Music HDスタート。月額1,980円でCD品質からハイレゾまで

Amazonは音楽配信に積極的で、自身でも初期からサービスを展開している。過去にCDが大きな商材のひとつであり、その流れから音楽のダウンロード販売を手がけるようになり、さらにクラウドへ……という流れだ。最近は、Amazon Primeと連動した「Prime Music」のお得度が極めて高いことから、注目がそちらに集まっていたようにも思う。

一方で、音楽サービスを選ぶ上で「Amazonでなくてはならない」という強いモチベーションを生み出す要素には欠けていたように思う。Prime会員向けの「Prime Music」があり、また別に単体サービスである「Amazon Music Unlimited」がある、という建て付けの複雑さもある。

Prime会員以外に向けてもサービスを展開する、という目的だと理解はできるが、「どっちがどう違うかを理解するハードルは高い。違いは、Prime Musicは100万曲前後の聴き放題、Amazon Music Unlimitedは6,500万曲前後の聴き放題と、対象曲の量だ。

それに対し「Amazon Music HD」は、久々に「明確な差別化点がある」サービスであり、今は日本国内には他にライバルのいないサービスといえる。Amazon Music Unlimitedを拡張する形で、ハイレゾ・ロスレスでの定額配信を実現したからだ。

「ULTRA HD」のロゴに注目。これはCD以上の品質である、最大192kHz/24bit、最大3,730kbpsでのハイレゾ配信が行なわれているタイトルの印だ

しかも大きいのは、最初から数多くの日本の楽曲が含まれている、ということだ。ハイレゾ・ロスレスの配信は海外には存在しており、熱心なオーディオファンの中には、それらのサービスに加入している人もいた。だが、海外では日本の楽曲、特にポップやロックなどは配信されていない場合がほとんど。日本である程度のマスニーズを狙うなら、「日本の楽曲」は必須だ。Amazon Music HDは最初から意外なほどの量の国内楽曲を用意している。

Amazon Music HDには日本の楽曲もすでに多数用意されている

実は、Amazon Music HDにハイレゾ・ロスレス楽曲が多いのには理由がある。日本の音楽出版社は他のサービス向けに権利処理の手続きを進めており、そのプロセスにのれたがゆえに、スムーズに提供されたのだ。

「日本初のハイレゾ・ロスレス定額配信」として、ソニー・ミュージックエンタテインメントは「mora qualitas」をスタートする準備を進めていた。当初mora qualitasはスタートを今年初春としていたが、その後「今秋」に延期した。現在もまだ正式なサービス開始時期はアナウンスされていない。

日本初のハイレゾ・ロスレス定額配信はソニー・ミュージックエンタテインメントの「mora qualitas」になるはずだったのだが、サービス開始が延期され、一番乗りを逃した

こうした動きがあると、他社もサービス開始に対して動きやすくなる。音楽出版社は「どこかにしか楽曲を出さない」ということはあまりしない。なぜなら、出すストアが限定されると、楽曲から得られる売り上げも減るからだ。「独占のための費用負担を得た上での期間限定独占」はあっても、ずっとどこかだけ……というのはほとんどない(ただし、制作費を特定のサービスが出資した場合は別。ゲームや映像配信ならともかく、音楽ではほとんど見られない)。

結果、同じようなサービスを企画しているところも楽曲調達が容易になる。2015年に、ストリーミング・ミュージックが日本でも相次いでサービスを開始したのはこのような理由に基づく。ハイレゾ・ロスレスも同様だ。

前出のように、mora qualitasはまだサービス時期を公開していないが、そう遠くないうちにはじまるのだろう。また、他のハイレゾ・ロスレスでの定額配信が生まれても、筆者は驚かない。

空間オーディオは「体験向上のコスパの良さ」が美点

一方、Amazon Music HDは、単なるハイレゾ・ロスレス配信ではなかった。Dolby Atmosと、ソニーの「360 Reality Audio」を使った「空間オーディオ」にも対応する。こちらは年末までの対応とされている。

ソニーの新音楽体験「360 Reality Audio」年内配信。Amazon Music HDで

空間オーディオは、空間に配置された音源の位置をデコードすることで、「自分を中心に、音によって包まれる体験」を提供する。映画やゲーム向けには「Dolby Atmos」の利用が広がっているが、音楽向けには、ソニーが360 Reality Audioを開発、音楽配信用に提供を開始した。今年1月のCESで詳しく取材しており、そちらの記事もお読みいただきたいが、まさかAmazonが最初の採用例になるとは予想していなかった。

もっと「空間に響くような音楽」を! ソニーが提案する「360 Reality Audio」

Amazonが空間オーディオを推すのは、もちろん、「Echo Studio」という特別なデバイスをもっているがゆえだ。ワンボディのオーディオ機器であり、ピュアオーディオ的な観点でいえば最高の製品とはいえない。だが、リビングに置くだけで「ステレオを超える音の広がりを楽しめる」という体験は面白く、大きな価値がある。ハイレゾはスピーカー・ヘッドホンからアンプまで、適切な製品を用意できないと価値が見えづらい部分がある。しかし空間オーディオは、Echo Studioという低価格な機器を用意するだけでいい。この連携は強力だ。

余談だが、先日発売されたiPhone 11シリーズも含め、ハイエンドスマホにはDolby Atmosに対応する機器は増えている。これはコンテンツが増えていることに加え、「対応コストの割に効果がわかりやすい」からでもある。Echo Studioが2万円台と意外に低価格なのも、「高価な部材を必須とずるピュアオーディオ的価値観」ではなく、「処理によって新しい体験を提供する価値観」に基づく製品だからだろう。ピュアオーディオ的な音の価値が揺るぐものではないが、広く新しい体験を広めるという意味では、空間オーディオの方が「コスパがいい」のである。

「他社でもいい」、収益パスの多彩さが懐の広さに通じる

もうひとつ、Amazonが「うまい」と思う点を指摘しておかねばならない。

それは、Amazon Music HDのような付加価値サービスを提供する立場でありつつ、「あらゆる他社のサービスにも対応する」ことを明言していることだ。業界のリーダーであるSpotifyはもちろん、Apple Musicやdヒッツ、うたパスにも対応している。

AmazonのEchoやAlexaは多数の音楽サービスに対応しており、「どのサービスとも併存する」自由度の高さが特徴だ

さらには、自社サービス自体も「自社のハードでだけ使ってもらう」意思がない。それこそ、Amazonのショッピングページ内に対応機器コーナーを作って拡販してもいいのだ。

しかも、それらの機器で、同社の音声アシスタント「Alexa」が使ってもらえるならそれでもいい。

非常に多彩な収益確保のルートがあるのがAmazonの強みであり、結果としてハードウェアやサービスの提供価格を下げられる。

今回のEcho StudioとAmazon Music HD、そしてAlexaの連携では、その凄みを久々に強く感じた。これに対抗するには、また別のルールで戦うしかないだろう。

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西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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