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一度は廃線、復活延伸した広島・JR可部線を全踏破

可部駅に入線する電車

いったん廃線になった鉄道路線が、歳月を隔てて復活することは稀です。特に国鉄が分割民営化してJRに改組してからは採算性を厳しく求められるようになりました。

そうした中、2017年に一部の区間が復活した路線があります。それが広島県広島市を走るJR可部線です。なぜJR可部線は復活できたのでしょうか? 鉄道路線の廃止やバスへの転換が進む昨今、奇跡の復活を遂げた可部線の復活区間を踏破してみました。

各地で議論されている赤字ローカル線の縮減

日本では高度経済成長期までマイカーが少なく、それゆえに市民の足はもっぱら鉄道が担ってきました。高度経済成長期にマイカーが増え、東京から少しずつ道路整備が始まりました。それは地方にも波及していきます。

地方都市では、列車が1時間に1本しか走らないという路線は珍しくありません。これでは通勤・通学に不便のため、多くの人がマイカーを使って移動するようになり、免許を持たない学生も保護者などに送迎してもらうようなライフスタイルへと変化していきました。

マイカーへの移動手段転換が進んだことで、地方の鉄道路線はますます需要が細くなっていきます。そうなると、鉄道事業者も運行回数を減らして赤字を圧縮しなければなりません。運転本数が減れば利便性は低下するので、ますます鉄道から客足が離れます。それは地方の鉄道が負のスパイラルに陥ることにつながりました。

平成期は何とか持ち堪えてきた赤字ローカル線でしたが、政府や自治体も莫大な負担に耐えきれず、現在は不採算路線に対して厳しい見方が強まっています。今後も人口増加が見込めない地方都市では、税収減とも向き合わなければならず、その一策として公共交通の縮減も現実的になっています。

各地の鉄道路線は利用者減を理由に路線そのものを廃止する案、BRTや路線バスに転換する案など、代替案が提案されています。これら代替案は、いずれも鉄道の廃止を前提にしています。

JR可部線では2003年に可部駅-三段峡駅間が廃止

広島県広島市は中国地方の中核都市として、高度経済成長期は大手企業が支社を構える一大都市として発展してきました。1980年には中国地方では初となる政令指定都市となり、大都市の仲間入りを果たしています。

しかし、新幹線や高速道路などの交通インフラの整備が進むと、企業は効率性の観点から中国地方と四国の営業拠点を統合する動きを強めます。その流れから、中国地方にも四国にもアクセスできる岡山県の重要性が高まりました。そして、企業は広島市から岡山市へと営業拠点をシフトさせるようになったのです。

そうした兆候はあるものの、今も広島市の人口は約117万2,000人と中国地方でもっとも多く、中国地方を代表する経済都市であることに変わりはありません。

高度経済成長期から1970年代にかけて、広島市は経済発展によって人口を急増させ、周辺にベッドタウンを開発する機運が高まりました。ベッドタウンを切り開くため、市郊外にニュータウンを造成することになり、それらニュータウンは後に広島市へと編入されます。

造成されたニュータウンに転入してきた住民たちの多くは、広島市中心部へと通勤するサラリーマン世帯です。そのため、広島駅では朝・夕に大都市特有の通勤ラッシュを見ることができます。

JR可部線はかつて、横川駅-三段峡駅を結ぶ約46.2kmの路線でした。同線は2003年に利用者減少を理由に可部駅-三段峡駅間が廃止されています。これにより、横川駅-可部駅の約14.0kmの短い路線になりました。

横川駅-可部駅間は、沿線に広島市のベッドタウンが造成されていたこともあり、通勤・通学需要があるとの判断から生き残っています。可部線の正式な起点は横川駅ですが、電車は広島駅まで直通運転されています。そのため、可部線の沿線住民は広島駅まで通勤・通学する人たちが多く居住しているのです。

また、可部駅から少し離れた場所にも住宅地が点在し、その住宅地の住民から可部線の復活を望む声が出ていました。こうした住民の声を受け、行政は動き出します。そしてJR西日本から合意を取り付けて、可部線の一部区間が復活を遂げたのです。こうした経緯をたどって、可部駅-あき亀山駅間が2017年に復活開業しました。

出典:可部線電化延伸事業について「鉄道事業許可」取得を伝えるJR西日本ニュースリリース(2014年2月25日)
電化延伸区間図(出典:広島市 JR可部線電化延伸事業の概要)

復活した区間は以前とは少し異なるルートですので、純粋な復活ではありません。それでも、いったん廃止された線路に再び列車が走ることになったことは150年を超える鉄道史においても数少ない事例です。

市内の主要交通となっている路面電車

そんな可部線の復活区間を踏破するため、可部駅に向かいました。先述したように、可部線は横川駅が起点ですが、列車は広島駅まで乗り入れています。広島駅は言うまでもなく、広島県を代表する駅です。新幹線も頻繁に発着し、県外からの来街者を多く受け入れている玄関口の機能も担っています。

広島市は人口100万人を超える政令指定都市ですが、地下鉄は走っていません。1994年に全通したアストラムラインは地下を走る区間はあり、運行事業者である広島高速交通は日本地下鉄協会に加盟していますが、一般的に地下鉄と呼ばれていません。

広島市の主要交通は長らく広島電鉄(広電)が運行する路面電車が担ってきました。法律に照らして厳密に記すと、広電は軌道法に準拠して運行されている路面電車と鉄道事業法に則って走る鉄道の2つの路線で成り立っています。

後者は広電西広島駅-広電宮島口駅間になりますが、市内線を走る路面電車がそのまま乗り入れているため、鉄道に詳しくなければ、その違いを感じることはなく、どちらも路面電車と認識することでしょう。

広島の主要交通になっている広電は路面電車になるため、気軽に乗り降りできるのがメリットです。2023年に栃木県宇都宮市・芳賀町で新型の路面電車が開業し、事前の需要予測を大きく上回るほど、市民から利用されています。

こうした追い風を受けて各地の路面電車も見直しの機運が高まりつつありますが、以前から路面電車を市民の足と位置付けてきた広島市は利便性をさらに向上させるべく、広島駅を丸ごと改良しました。

それまで広電のホームは広島駅南口の駅前広場にあり、いったん駅を出て歩かなければなりませんでした。駅前広場にホームがあるので長い距離を歩くわけではありませんが、乗り継ぎは不便ですし、雨の日などは濡れてしまいます。また、広島を初めて訪れる観光客は、のりばを探して右往左往してしまいます。

広島市・広電・JR西日本の3者は広島駅の利便性を向上させるべく、広電のホームを広島駅の2階部分、しかも駅構内に移設するという大胆な改築を断行しました。ホームの移設工事は、アプローチ線を伴う大規模なものだったこともあり、計画の策定・着工から完成までに約10年の歳月を要しました。

25年8月に広電のホームが広島駅2階構内へと移設され、広電とJRの乗り継ぎが格段に向上
広島駅2階に移設された広電のホーム

可部駅は日本初の乗合バスが運行された地

広電とJR線の乗り継ぎを向上させる取り組みは、広島駅のほかにも試行されています。

可部線の起点となっている横川駅は、交差点を挟んだ向かい側に広電のホームが所在し、乗り継ぎの不便さが利用者から指摘されていました。

2003年、広電のホームを約100m横川駅寄りに移設。これにより、ホームが駅前広場に隣接するようになり、雨の日でも濡れずにJRと広電の乗り継ぎができるようになりました。広島駅の大規模改良工事に先立って実施された横川駅の改良工事は、いい先例になり、それを広島駅でも踏襲したことになります。

横川駅から発車する広島電鉄の路面電車

このように、広島市内では公共交通の利便性向上を図ることで利用促進につながる施策に取り組んできました。可部線の廃線区間の復活も、公共交通を重要視する広島市の施策に影響を受けているといえます。

可部線は電化されている路線ですが、全線が単線区間なので運転本数を増やすことには限界があります。それでも平日の広島駅行きは朝7時から9時台にかけて4〜6本運行されています。可部線の電車は10〜15分間隔で運行されているので、これなら通勤・通学の足として十分に利用できます。

可部線は、横川駅からずっと進行方向右手(東側)に太田川を望んで走ります。上八木駅を過ぎると太田川を渡り、川は西側(進行方向左手)へと移ります。そして、これまで終着駅だった可部駅に到着。

可部駅は2003年に可部線の大半が廃止されて一時的に終着駅になっていた
可部駅に隣接した踏切から見た可部駅ホーム

全線踏破のスタート地点である可部駅は、広島駅で感じるような都会の喧騒から離れたのどかな雰囲気を醸しています。その一方、駅西側に整備されているロータリーはバスのりばになっていて、多くの路線バスが発着しています。

可部駅は日本初の乗合バスが運行された地でもあり、発祥の地を検証するレリーフがひっそりと設置されています。

可部駅前の地面には乗合バス発祥レリーフが埋め込まれている

また、可部駅周辺は江戸時代後期から鋳物産業が盛んになり、羽釜や五右衛門風呂と通称される芸州風呂が特産品です。時代が移り変わり、風呂はFRP製が主流になりましたが、現在でも可部では鋳物技術を活用したエンジンや機械部品、マンホールの蓋といった製造業が主要産業です。戦前期、五右衛門風呂の国内シェア8割を誇っていた大和重工は可部駅前に本社・工場を構え、駅から眺めることもできます。

可部駅の駅前広場には、地場産品の五右衛門風呂が展示されている
可部駅前には可部の鋳物産業を牽引してきた大和重工の工場がある

逆側の駅東口は閑静な住宅街が広がっていて、どことなく終着駅の雰囲気を醸し出しています。

可部駅東口

復活時に解決できた課題と解決できなかった課題

可部駅を出て線路に沿って歩きながら、復活したあき亀山駅を目指します。可部線の横川駅-可部駅間が廃止されずに残存した理由は、沿線住民の利用が多かったことが最大の要因ですが、それは同区間が電化していたことも無縁ではありません。

非電化区間を走る汽車と比べ、電車は加減速に優れているため、駅間を短く設定することが容易です。そのため、住宅密集地に駅を開設でき、需要を掬い取ることができるのです。

可部駅を出発して、新たに終着駅となったあき亀山駅へと走る電車

2003年に可部線の大部分は廃止されましたが、すでに当時から横川駅-可部駅間は電化されていました。非電化区間である可部駅-三段峡駅間は電車が走ることができません。そのため、可部駅から三段峡駅方面へと向かうためには可部駅で乗り換えが生じてしまいます。

そうした系統の分断も利用者を遠ざける一因になったわけですが、2017年に復活した区間は当然ながら電化で整備されました。この電化によって、広島駅方面から走ってきた電車が、そのままあき亀山駅まで直通できるようになったのです。

とはいえ、可部線の時刻表を見ると、広島駅発の電車は途中の梅林駅や緑井駅までしか運行されないものがいくつかあります。終点のあき亀山駅まで走る列車は朝ラッシュ時でも1時間に2~3本程度です。沿線の宅地化が進んでいるとはいえ、まだ運行本数が多いとは言えない状況です。運行本数を増やせない障壁になっているのが、可部線が全線単線という点です。全線が単線の可部線では、のぼりとくだりの列車が駅で行き違いをしなければなりません。

全駅に行き違い設備があるわけではないので、列車の行き違いは限られた駅でしかできません。そうなると、どうしても対向列車を待つために駅での停車時間が長くなってしまい、運転本数を増せないのです。

可部線を延伸復活する際、可部駅の改良工事を実施して東西自由通路を新設しました。そのほかにも、行き違いができる駅を増やして運行本数を増やせるような施策が検討されました。ただ、行き違い施設を設けるには、駅近隣の用地買収を伴います。それは簡単な作業ではありません。そのため、復活は果たしたものの、行き違い駅を増やすことは実現できていません。

そんな可部駅を出発した可部線の電車は西へとカーブしながら、国道183号線の下をくぐります。国道183号線はそれなりに交通量のある幹線ですが、道路脇には耕作放棄地のような原っぱも点在しています。

ふと原っぱに目をやると、周囲には民家が並んでいるにも関わらず野生のシカが草をついばんでいる姿を至近距離で目撃しました。可部駅が所在する安佐北区内では、シカやクマといった野生動物が多く出没し、庭で栽培している果樹などを荒らす被害が多数報告されています。

広島市安佐北区では、駅前の住宅地にも野生のシカが頻繁に出没

昨今、日本列島のあちこちでクマが市街地に出没して社会を恐怖に陥れています。シカとクマでは恐怖感に大きな差がありますが、小さな子供を育てる親だったら野生の動物が市街地へ頻繁に出没したり、自宅の庭先を徘徊していたら心配になるでしょう。筆者も駅や国道から離れていない場所でシカに遭遇し、どう行動していいのかわからず、凍りつきました。

シカと遭遇したところから歩いて国道183号線を越えます。可部線は住宅地の間を走りますが、側道は見当たりません。そのため、県道257号線を西へと歩いていきます。

県道257号線を歩くと前方に高架道路の国道54号線が見え、それをくぐると小さな水路がありました。小さな水路なので気にせずに通り過ぎてしまいそうになりますが、傍に説明板が立てられていて、これが帆待川だとわかります。説明板を読むと、神武天皇ともゆかりがある由緒正しき河川のようです。

由緒正しき帆待川の伝承を記した説明板

ニュータウンのために開設された新駅といった雰囲気の終点駅

説明板を通り過ぎると、道路の左手にこぢんまりとした河戸帆待川駅と駅前広場が見えてきます。河戸帆待川駅は復活にあたって新たに設けられた駅です。それでも先ほど通り過ぎた帆待川が駅名になっていることから、地域に根ざした河川であることが窺えます。

河戸帆待川駅は2017年に復活した区間で唯一の中間駅

駅前広場には、可部鋳物による帆船のモニュメントが設置されていて、可部駅と同様に一帯が鋳物産業で栄えた歴史を伝えています。

河戸帆待川駅を過ぎて、さらに県道257号線を真っすぐ進むと、住宅と住宅の間から大きな跨線橋が見えました。路地を通り抜けて跨線橋に近づいてみると、単線には不似合いな立派なものでした。跨線橋には階段の上り下りが大変な人にも配慮して、エレベーターも併設されています。

河戸帆待川駅の近くにある跨線橋

跨線橋の前後100mに踏切が設置されていることもあり、跨線橋の利用者はそれほど多くないようですが、筆者が走ってくる電車を撮るために跨線橋の上でカメラを構えて待っている間、何人かの近隣住民が通行していました。

跨線橋の上から可部駅方面へと走る電車を撮る

跨線橋から再び県道265号線に戻り、終着駅のあき亀山駅へ向かいます。

河戸帆待川駅-あき亀山駅間を走る電車

途中で河川を渡る鉄道橋を横目に歩き続けると、目の前には丘が現れました。目を凝らすと、その上に住宅群があるのがわかります。

鉄橋を渡る電車
あき亀山駅の北側には小高い丘があり、その上に住宅地が形成されている

さらに線路側に大きくて真新しい建物が見えてきますが、これは広島市立北部医療センター安佐市民病院です。同病院は旧来の病院を新築・機能拡張するため、同地に移転してきました。あき亀山駅前に立地していることもあり、市内各所からのアクセスは抜群です。同病院の利用者が、可部線の需要を下支えしていることは言うまでもありません。

あき亀山駅に隣接する広島市立北部医療センター・安佐市民病院

病院を見ながら歩き、終点のあき亀山駅に到着。駅舎は小さく、いかにもニュータウンのために開設された新駅といった雰囲気です。

あき亀山駅。駅名にちなんで、亀の石像が設置されている

しかし、駅前にはバスロータリーが整備されています。病院の利用者のみならず、おそらく丘の上に見えていた住宅に住む人たちや、廃止された可部線の沿線に住んでいた人たちが利用していると思われます。

可部線の復活区間は、わずか1.6kmの短い区間です。それでも廃線区間が復活したことは大きな意義があります。冒頭でも触れたように、昨今は人口減少により地方都市の鉄道路線は相次いで廃止が検討されているからです。

目先の費用だけで鉄道を廃止していいのか? まちづくりと組み合わせることで、まだ需要を掘り起こせる可能性があるのでは? 地方には地方独自の問題があり、それらを一律に論じることはできません。その一方で、可部線の復活は、まだ鉄道には公共交通として果たすべき役割があるということを再認識させることにもつながりました。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。