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東京・丸の内の10年後。三菱地所“大丸有”開発の歴史と未来

東京・丸の内エリアの現在

三菱地所が進める大手町・丸の内・有楽町(大丸有)エリアの再開発。直近では東京駅前に「TOKYO TORCH 常盤橋タワー」が竣工し、2027年度には隣接する場所で「Torch Tower」の竣工を予定する。再開発の話題ではこのように、「いつ」「何が」開業するという単体での話題が多いが、再開発自体は点ではなく、面で展開されている。今回は大丸有を面としてとらえ、かつてどのような街だったのかという歴史も振り返りながら、今後どのように変わっていくのかを掘り下げるため、三菱地所にお話を伺った。

お話をしてくれたのは、TOKYO TORCH事業部の谷沢直紀氏と、まちづくり戦略を担うコマーシャル不動産戦略企画部の鈴木将敬氏。取材は、2002年竣工の丸ビルを皮切りに進められている「丸の内再構築」の「第2ステージ」において開発された大手町パークビルにて実施した。

(左)コマーシャル不動産戦略企画部 R&D戦略ユニット 鈴木将敬氏、(右)TOKYO TORCH事業部 事業推進ユニット ユニットリーダー 兼 開発企画ユニット 統括 谷沢直紀氏
2017年竣工の大手町パークビル

「東洋一」と言われた日本ビル跡に63階・390mのTorch Tower

常盤橋タワーとTorch Towerはともに、東京駅前常盤橋プロジェクトとして進められている「TOKYO TORCH(トウキョウトーチ)」を構成する複合施設で、常盤橋タワーは地上38階・高さ212m、Torch Towerは地上63階・高さ390mという規模。Torch Towerは、都心最高層クラスの展望施設、約100室のホテル、約2,000席のホール、約7,000m2の大規模広場を擁する施設となる。

TOKYO TORCH 外観イメージ
TOKYO TORCH 常盤橋タワー

東京駅前に新街区「トウキョウトーチ」。高さ390m「Torch Tower」

Torch Towerが建てられる場所は現在、1962年竣工の日本ビルと1971年竣工の朝日生命大手町ビルがある。特に朝日生命大手町ビル(竣工当時は朝日東海ビル)は当時としては、地上29階・高さ110mとかなり大規模な施設といえるが、この場所に新たなランドマークとなるTorch Towerが建設されるということは、大きな意味があるのだろうか。

朝日生命大手町ビル

「当社にとってはどちらかというと、日本ビルがかつての象徴的な存在だったと言えます。当時の写真を見るとわかるのですが、周辺には何もありませんでした。右下の大きな建物が日本ビルですが、まるで合成写真のように見えますよね(笑)」(谷沢氏)

竣工当時の日本ビル
日本ビル 部分解体工事着手前

「できた時には東洋一の規模を誇ると言われました。旧丸ノ内ビルが地上8階建て・一部9階建てでしたので、14階建ての日本ビルは旧丸ノ内ビルよりもかなり大きなサイズで作られています。高度経済成長期において、当時求められていた形が超巨大ビルだったわけです。今回のTOKYO TORCHではサイズ感は側面の1つでしかなく、地域とつながる東京駅前という面を色濃く出しています。日本ビルとTOKYO TORCHは、いずれもその時々に必要なものを考えた結果といえます」(谷沢氏)

常盤橋タワー 23階から見た朝日生命大手町ビル(左)と日本ビル(右)

その時々に必要なものを考えた再開発。それは当然ながら、個人が自宅を建替えて、リビングが広くなった、最新のシステムキッチンを導入した、と喜んでいるのとはレベルが違う。新しいランドマークとして大きな施設が建設され、そこに最新のテクノロジーが盛り込まれていることも注目すべきではあるが、それ以上に、求められているものや役割を何十年も先を見据えて考えなければならない。TOKYO TORCHの場合はそれが「地域とつながる東京駅前」であるというわけだ。

「TOKYO TORCHでは東京駅前から日本の地域の魅力を発信するため、広場であるTOKYO TORCH Parkでの地方自治体・企業との協業に力を入れています。開業時は新潟県小千谷市および佐渡市、茨城県つくば市、静岡県裾野市と連携し、その後は福島県や、広島のおりづるタワーをパートナーに取り組みを開始しました」(谷沢氏)

協業では、例えば小千谷市とは「錦鯉が泳ぐ池」を設置している。ただし目的の本質は、設置による演出ではなく、そこに集まった人に体験を提供することだという。

「錦鯉のいる池を設置したり、遊具を置いたりというのはあくまでアウトプットのツールで、それを設置したうえで、例えば小千谷市にPRイベントを実施していただく。当社は館内や近隣に告知して多くの人に参加していただき、結果として発信の場となることが目的になります」(谷沢氏)

錦鯉が泳ぐ池

東京駅前で錦鯉が泳ぐ。「TOKYO TORCH 常盤橋タワー」開業

ほかにもTOKYO TORCH Parkや屋内の「MY Shokudo Hall&Kitchen」「コンファレンス」を活用した、「ものづくり産地」「地方自治体」「スポーツ・健康」「シーズナルイベント」を組み合わせたイベントなどを実施している。

また新たな取り組みとして、各都道府県出身の学生が地域産品セレクトショップを経営する「アナザー・ジャパン」を開始。学生自らがセレクトした地域産品が並ぶ物販ゾーンにカフェを併設する。

「いろいろなテナントが入って賑わっている、という施設とは一線を画したものにしていかないと、人が集まってくれるようにはならないのではないかと思っています。東京駅は日本全国への起点であり、また集まる場所でもある。そういったネットワークを活かして、地域の魅力を発信する場となり、国内のみならず海外からの観光客も含めた来街者が、それらの地域に足を運びたくなるようなことを、いろいろやっていきたいという思いがあります」(谷沢氏)

大丸有を1本の道で繋げるため、最も古いビル内に道を作る

現在進行しているプロジェクトとしてTorch Towerのほか、2025年竣工予定の「内神田一丁目計画」がある。大手町エリアと神田エリアの境に位置し、大手町側から見て日本橋川を超えた場所だ。

外観イメージ

内神田 日本橋川沿いに26階建ビル。船着場や橋も新設

このプロジェクトでは、ビル建設とあわせて、船着場や人道橋の整備を計画している。人道橋整備には、大丸有エリアを南北に貫く丸の内仲通りおよび大手町仲通りの「仲通り」機能を神田エリアに延伸させる狙いがある。

「丸の内NEXTステージ」における再開発計画

「神田エリアは大手町・丸の内エリアとは街の特色が異なっていることから、2つのエリアを行き来できるようにすることで、それぞれの特色が混ざりあっていくことにつながるという意味で、非常に大切なプロジェクトだと思っています」(鈴木氏)

プロジェクト自体が完了するのは約3年後となるが、神田と大手町を行き来してもらうための取り組みは、すでに始めている。その1つが、2018年と2020年、そして2021年の10月から11月にかけて日本橋川に面した遊歩道に設置した「大手町リバーサイド・ドッグパーク」だ。

「ハードの整備だけではなく、ソフト面での仕掛けも必要です。ドッグパークに関しては、神田にお住いの方に大手町側に犬の散歩に来ていただき、地域間のコミュニティ形成につなげることを狙いとしています」(鈴木氏)

そのほか仲通りでの取り組みとして、天然芝を敷いた緑あふれる公園空間を創出するなどの活用方法を検証する「Marunouchi Street Park」を、2019年から継続して実施している。

仲通りを有楽町から神田に至るまでひとつなぎにしようと考えた時、物理的な壁がある。1958年竣工の大手町ビルだ。

1958年竣工の大手町ビル

下にあるエリアマップの薄い緑色の線が入った部分が丸の内仲通りおよび大手町仲通りだ。これを見ると、大手町ビルで遮られているのがわかる。

エリアマップ。薄い緑色に塗られている道が仲通り、赤枠部分が大手町ビル

そこで三菱地所では、2018年に着手した大手町ビルの大規模リノベーションにて、丸の内仲通り上に位置する大手町ビル中央部分の貫通通路を屋内外から整備。屋内の床面は丸の内仲通り等で用いられているアルゼンチン斑岩を敷設するなど、“通り抜け”感も演出している。この貫通通路は2020年に完成。加えて2019年に大手町ビルと読売新聞ビル、東京サンケイビル間の区道に横断歩道が新設された。

南北通路

ところで、この大手町ビルは三菱地所が大丸有エリアでオフィスビルとして運営している中では最も古いビルとなるが、解体して新しい施設を建設するのではなく、リノベーションにより生まれ変わらせている。建替えによる機能更新だけではなく、リノベーションにより最新のニーズに応えられる施設とする手法もとられており、大手町ビルは代表例と言えるだろう。

なお大手町ビルのリノベーションは、内装と外装は完了しており、共用空間の“ある仕掛け”が完成したところですべて完了となる。

リノベーション前の大手町ビル

また、歴史的価値のある建築物を復元するという手法で現在まで引き継がれている施設もある。その代表例が1894年竣工の丸の内初のオフィスビル「三菱一号館」だ。ジョサイア・コンドルにより西洋風の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計し、煉瓦造の建物内に会社や銀行が入居した。

丸の内パークビルディングの開発とあわせ、三菱一号館を復元し、カフェ併設の「三菱一号館美術館」として生まれ変わった。竣工は2009年。

三菱一号館
三菱一号館美術館

「丸ビル」から始まった大丸有再開発

現在も続けられている大丸有再開発のトップバッターは、2002年竣工の丸ビルだ。旧丸ノ内ビルの竣工は1923年で、規模は地下2階、地上8階(一部9階)。

再開発前の旧丸ノ内ビル
現在の丸ビル

「仲通りを軸とした歩行者空間の整備と、丸ビル、新丸ビルという当社を代表する旗艦ビルの建替えが、“丸の内再構築 第1ステージ”になります」(谷沢氏)

1960年代の丸の内仲通り
現在の丸の内仲通り

「2001年に“世界で最もインタラクションが活発な街”というコンセプトを立て、ビジネス機能の充実やイノベーション拠点の創出といったビジネスセンターの整備を引き続きやりつつも、働きやすさや賑わいづくり、文化、環境といったことも受け入れるような多様性のある街にしていこうという方針を打ち出しました。丸ビルはそのシンボルという位置づけです」(鈴木氏)

1992年ごろの空撮写真
現在の空撮写真(2021年9月撮影)

丸の内再構築 第1ステージというフレーズが出たが、2002年竣工の丸ビルから2007年竣工の新丸ビルおよびザ・ペニンシュラ東京までが第1ステージ、2009年竣工の丸の内パークビルから2018年竣工の丸の内二重橋ビルまでが第2ステージ、2020年竣工のみずほ丸の内タワー・銀行会館・丸の内テラス以降、現在進められている再開発がNEXTステージとなる。

さて、丸の内再構築に着手したきっかけとして、1995年の阪神・淡路大震災を発端とする耐震性能への意識の高まりも1つにある。それ以上に、六本木や品川、赤坂などへオフィスを移転する企業が出てきたことを受け、施設としての機能の更新に迫られていたという。

「1960年代から70年代に建てられたビルはオフィス一辺倒で、かつ築年数が経ち競争力も低下していて、他エリアへのテナント移転が始まりました。15時を過ぎると人通りがなくなるということも言われました」(鈴木氏)

こうしたことから、建替後の丸ビルでは商業施設の充実、イベントスペースやホール、今でいうインキュベーションオフィスの走りともいえる施設を整備する。

「旧丸ノ内ビルも地下1階から2階を中心に商業店舗が入居しており、ビルの中に商店街がオープンしたのは当時、日本で初めてでした。丸ビル、加えて新丸ビルもそうなんですが、その開かれた旧丸ビルのコンセプトを受け継ぎながら、さらに機能を充実させて、幅広いニーズに対応できる商業施設としました。また、旧丸ビルと同じ高さである31mに低層部のラインを設け、竣工当時の旧丸ビルと同様に外壁面を三層構成にして、全体のフォルムも旧丸ビルのイメージを継承しています」(鈴木氏)

丸ビルの規模は地下4階・地上37階で、このうち地下1階から6階、および35階と36階で、飲食店を含む商業施設を展開している。新丸ビルは、地下4階・地上38階で、このうち地下1階から7階まで商業施設がある。

「売場面積5千坪のビル、丸ビルと新丸ビルが両サイドにあり、東京駅前でお買い物をするという新しいストーリーを作れたと言えます。合計で1万坪となる、百貨店のような場が東京駅前にできた。そういう意味では、両ビルが果たした役割は大きいんじゃないかと思います」(鈴木氏)

2002年竣工の丸ビル(左)と2007年竣工の新丸ビル(右)

15時を過ぎると人通りがなくなるという話があったが、かつて周辺で働く人たちは、仕事終わりの1杯はどこへ出向いていたのだろう。

「ビルの足元に居酒屋などがありました。今でも古いビルでは地下に行くと飲食店がありますが、ああいったイメージです」(鈴木氏)

「そういったお店は男性中心で、喫煙者も多く、女性が仕事終わりに立ち寄れる飲食店がなかったというのは、当時の課題としてあったと思います。丸ビル以降はランチも含めて、女性をターゲットとした飲食店も意識しています」(谷沢氏)

なお、丸ビルと同世代の、商業とオフィスが融合した大規模複合施設の1つに、2003年開業の「六本木ヒルズ」がある。

有楽町エリアの再開発始まる。大手町・丸の内とは異なる特性

「有楽町ビル」と「新有楽町ビル」の建替計画着手が2021年7月に発表され、2023年を目途に閉館する予定だ。有楽町ビルが1966年竣工、新有楽町ビルが1967年竣工と、築50年を超えている。東京国際フォーラムやビックカメラ有楽町店に面するこのエリアは、ほかにも同時代に建てられた施設が並んでいる。

「有楽町ビル」「新有楽町ビル」建替えへ。2023年閉館

「有楽町エリアはこれから力を入れてやっていくところなのですが、建替えだけが開発手法ではないと思っています。リノベーションも含めて、エリアとして更新、再構築していくことを考えています」(鈴木氏)

有楽町ビル
新有楽町ビル

有楽町エリアの来街者は、大手町や丸の内とは異なるイメージがある。やはり開発コンセプトも異なってくるのだろうか。

「有楽町は銀座エリアに近いですし、日比谷も近い。帝国劇場のほか、日比谷エリアにも劇場があり、銀座は商業が集積しています。ビジネス街とは別の要素もあることを踏まえて、どういう開発をしていくか考えているところです」(鈴木氏)

三菱地所では2019年12月から、有楽町エリア再構築に向けた先導プロジェクト「有楽町 Micro STARs Dev.(マイクロ スターズ ディベロップメント)」を始動。様々な人材との交流や協業によって見出した、まだ世の中で価値が定まっていない人・アイディア・コト・モノを、大手町・丸の内・有楽町へ、将来的には日本全国・世界へ広がっていくような“仕組み”を作り上げることを目指している。

「消費者がたくさん集まる場所なので、例えばクリエイティブやアートなどをキーワードにしながら、発表の舞台になっていくイメージです。今は既存のビルをリノベーションしながら拠点を作っていて、有楽町 Micro STARs Dev.の取り組みとしては会員制ワーキングコミュニティや仲通り沿いの店舗『有楽町 micro FOOD & IDEA MARKET』を展開しています。さらに店舗の入れ替えのタイミングでは、アーティストの方に貸し出し、この中で創作活動をしてもらい、来街者がその様子を見られるようにするということも実験的に行なっています」(鈴木氏)

時代とともにニーズが変化していく中で、変わらないものもある

TOKYO TORCHの竣工は2027年度。働き方や居場所に対する考え方が大きく変わっていく中で、その頃には人と大丸有の関係性はどのようになっていると考え、開発を進めていくのだろうか。

「完成後のTOKYO TORCHには、再編集されていく地方都市をつなぐ役割を担う存在にしたいと思っています。地方で働く、地方に住んで週1回東京で働くなどの、人が動いていろいろな街を使い分ける働き方、過ごし方になっていくと思うので、その時の東京駅前の起点、ハブとしての役割です。あとは最初に申し上げた通り、海外からの人の流れが戻った時に、観光情報発信拠点となることを期待しています」(谷沢氏)

TOKYO TORCH 遠景イメージ

丸ビルの竣工から20年という時を経て、現在の大手町・丸の内が形成されたことを考えると、これから始まる有楽町エリアは、さらに未来の話となる。

「有楽町については、銀座など周辺も再編集されていく中で、個人が輝く場所や普段から立ち寄る場所として深掘りしていける街になることを目指しています」(鈴木氏)

施設に求められる価値は、検討開始、着手、竣工の段階ごとに変化しているわけで、先を見通す、予測する以外の取り組みも必要になってくる。

「再開発は10年タームで考えるんですけども、日々、人の価値観は変わり、技術は進化していきます。そのため、常にアップデートしていくことを意識しなければなりません。そのために、施設というハードの開発を進めながら、ソフトの仕掛けにも取り組み、常に開発する内容をアップデートしています」(鈴木氏)

計画をアップデートできたとしても、開発計画完了後は、数十年使われ続ける建物自体をアップデートすることは簡単ではない。施設が出来上がった後の日々の変化に対しては、どのように対応していく考えだろうか。

「これからの開発の在り方としては、“これで完成です”ではなく、常にアップデートできる仕組みを作っておくことも大事であるという議論をしています。我々が予想もしなかった使い方がされるような“余白”を作っておくような企画を考えています」(鈴木氏)

「“ここは働きに来る場所である”と決めつけられないような時代で、例えば人は、遊びに来ながら働く時間もあるというスタイルで街に訪れています。街で新しい発見や気づきがなければ、出かける必要すらありません。そういった人たちを受け止められる場、拠点になれるかということが大事だと考えています」(谷沢氏)

ハードすなわち建築物は、完成までの時間を要する。ハードを進行させている間に、ソフト=仕掛けは実証実験や社会情勢の変化等に合わせて磨き上げていくことができる。

「何か活動するときの拠点になる場所として大丸有をとらえて、そこから使う人の使い方に応じて、サービスや地方の先に行った時のことを考えてビジネスをする必要があると感じています」(谷沢氏)

「今までも街づくりでは地権者様も含め多くの関係者と一緒にエリアマネジメントをやってきて、パートナーシップでいろいろな人と街づくりを進めていくという思想はずっと変わらないと思います。常に多彩な刺激があふれる街になることで、関わる人の数も増えていきます。例えば2021年5月に『ぴあ』様と業務・資本提携をしたのですが、こういった多彩なパートナーシップの中で、提供できるコンテンツを増やしていくという方向に、変化してきているように感じています」(鈴木氏)

そういった変化がある中で、変化することなく持ち続けなければならない信念もある。

「街としての安心や安全は、100年続く建築づくりをする立場としての責務があるので、ハードの部分をしっかり作っていくという点は当然昔から変わりません。その上で、変わっていく過ごし方やコンテンツをどう作っていくかというバランスを編集するのが我々デベロッパーとしての役割だと思っています」(鈴木氏)