鈴木淳也のPay Attention
第271回
クレカ乗車で「定期券」はどう変わるのか? 熊本に見る交通系IC“棲み分け”
2026年3月13日 08:20
既報の通り、三井住友カードは3月9日、東京都内で「stera transit シンポジウム 2026」を開催し、同社が推進する“タッチ決済”による公共交通乗車サービス「stera transit」の最新情報や新サービスについて紹介した。
どのような施策が同イベントで発表されたのか、詳細はリンク先のレポートを参照してほしいが、記事やソーシャルネットワークでの反応を見ているといくつか気になる反応があったので、「定期券サービス」「交通系ICから“タッチ決済”に切り替えた事業者」の2つのポイントに絞ってもう少し解説する。
選べる3種類の「定期券サービス」
「定期券」という言葉に明確な定義はないが、鉄道事業法や道路運送法によって定められる運賃ルールにおいて、運送約款の中で「割引運賃」として利用者に提供が行なわれるものとなる。
例えば特定区間の運賃を上限とし、それに対して1カ月、3カ月、6カ月などの期間で利用可能な“定期券”があったとすると、毎日サービスを利用したと想定して、事前に決めた範囲で一定の割引が行なわれた状態で“定期券”が購入できる。
一般に、鉄道で1カ月に15-20日程度、バスで最大25日程度利用した場合に元が取れる程度の割引が適用されることが多い。つまり、上限さえ超えなければ割引は約款での合意の下に設定できるというわけだ。
そこで、今回発表されたのが、従来の“定期券”に近い3つの「定期相当サービス」となる。それぞれ「上限式」「金額式」「区間式」と仮に命名されている。
1つめの「上限式」は「料金キャップ制」とも呼ばれ、英ロンドンのTfLや米ニューヨークのOMNYでの事例が有名だ。日本では福岡市地下鉄が1日あたりの上限金額を640円に設定しており、同じクレジットカードなどで“タッチ乗車”を行なった場合、640円を超えて請求されることはなく乗り放題となる。1日券を別途購入する手間がなく、利用者と事業者の双方にメリットがある。
これを1カ月に拡張したのが鹿児島市電の事例で、当該月の1日から末日までの利用運賃の“タッチ乗車”での上限が9,660円に設定されており、実質的に1カ月定期券と同様の扱いとなる。
2027年秋頃の展開を見込んでいる「金額式」「区間式」の2つは、従来の定期券とほぼ同等の役割を持つ。
「区間式」は鉄道事業者でよくみられる定期券で、指定した区間の移動について別途運賃が請求されることがなくなる。もし区間外の移動があった場合、交通系ICカードでは区間に含まれる最も近い駅からの精算金額が自動的に追加請求され、チャージ残高から引き落とされる。これが“タッチ乗車”の場合、計算方法では同等だが(ただし交通系ICカードの端数割引は適用されない)、請求そのものはチャージ残高からの即時引き落としではなく、1日単位での集計でまとめて請求が当該のカードに対して行なわれるポストペイ方式で違いがある。
そして3つめの「金額式」は、定期券が対象とする事業者と路線について、1回あたりの乗車運賃が指定の金額以内であれば追加請求は行なわれないというもの。
特徴は、異なる事業者をまたいでも構わないし、ルートが異なっていても構わない。バス定期券では一般的なサービスで、首都圏でも東京、埼玉、神奈川など、エリア内であれば利用可能なバス共通定期券が存在している。
よくあるパターンとしては、例えば主要駅から一定の場所までは複数のバス会社が同じルート(または迂回ルート)で乗り入れを行なっており、どれに乗っても定期券が有効というもの。また、より広範囲なものとしては、同じバス会社の営業区域内で定期券がどこでも利用できる。東京北西部と埼玉県を営業エリアとする国際興業バスを例に紹介するが、通勤ルートの自宅と駅間、勤務先とその最寄り駅の間で有効なだけでなく、週末の買い物などで別ルートのバスも利用できるなど応用範囲が広い。
割引運賃が自動適用となる「上限式」を除けば、「金額式」と「区間式」の2つの定期相当サービスが“タッチ乗車”で提供される意味は大きい。
特にバス定期券が顕著だが、年度替わりのシーズンになると定期券販売所に長い列ができ、利用者と事業者の双方にとって負担の大きいこの風景は“風物詩”的な存在だった。
だがクレジットカードのような仕組みであれば、オンライン上でカード番号などを登録して“定期券”のサービスを事前購入するだけで割引運賃が適用できるので、負担は一気に軽くなる。
もう1つの問題は学割などの通学定期券の割引サービスだ。誰でも利用可能な通勤定期券と異なり、学生としての身分証明が必要となる。学生証の画像をアップロードすることで本人確認をする仕組みでオンラインで処理を完結させたり、あるいは今春から実証実験がスタートした神戸のみなと観光バスにおけるマイナンバーカードを紐付けての敬老割引サービスなど、来年度のサービス開始に向けた準備が着々と進んでいる。
熊本での事例にみる、なぜ交通系ICを止めて“タッチ乗車”を選んだのか
シンポジウムでのもう1つの大きなトピックは「交通系ICから“タッチ決済”に切り替えた事業者」だ。
2024年に大きな議論を呼び起こした熊本地域の事例だ。市内を走るバスを中心とした公共交通はそのほとんどが赤字路線であり、同年度内にも迫っていた交通系ICカードを取り扱う機器の更新費用を賄えず、より安価な“タッチ乗車”を採用し、Suica等の交通系ICの利用を廃した。シンポジウムに登壇した共同経営推進室担当の森山諭氏によって提示されたスライド資料を3枚紹介する。
シンプルにいえば、赤字路線が多く運転士確保の面からも将来的な持続可能性が厳しく、交通系ICカードの機器更新費用は払えないという事情がある。
スライドには掲載されていないが、アンケート調査による同地域の路線バス満足度は2割程度で、地方都市にはありがちの事情で自家用車による移動比率が圧倒的に高い。結果として道路渋滞が慢性化し、バスの遅延も酷くなると悪循環に陥っている。ない袖は振れないということで、「タッチ決済」を選ばざるを得ず、利用者には認知して体験してもらうことが必要ということでさまざまな施策を打ってきたのがこれまでの流れだ。
森山氏によれば、全国共通の交通系ICを止めるというのは難しい判断で、ニュースが出た際には全国から非常にネガティブな反応を受けたと述べている。
当時の議論の中で出てきた情報では、バスの全支払い手段のうち、全国共通の交通系ICカードの利用比率は4分の1ほど。最大勢力ではないものの、少ない数字でもなく、なかなか微妙な数字だ。
バス5社が交通系ICカードの廃止を決めた一方で、路面電車である熊本市電は一転して交通系ICカードは廃止せず、本稿執筆の2026年3月時点では、支払い手段としては現金、交通系ICカード、そして2022年からスタートした“タッチ決済”の3種類に対応することになった。興味深いのは、なぜこのように判断が分かれたのかという点だ。
両者の違いはその利用層にある。2022年に熊本市電が“タッチ決済”に対応したとき、その時点での同市電の支払い方法の比率は全国共通の交通系ICカードが約6割、くまモンのICカードが5%、現金とその他の支払い手段(各種割引パスなど)が3割ほどという内訳だった。他方で、2024年に交通系ICカード廃止直前の路線バス5社の支払い手段内訳は、最大勢力のくまモンのICカードが5割超、全国共通の交通系ICカードが4分の1、残りが現金という割合だった。
このくまモンのICカードだが、「利用でポイントが付与されるお得な地域系ICカード」という側面だけでなく、高齢者や障害者向けの割引パスとして利用可能な「おでかけICカード」という顔を持っている。
つまり、市民向けの割引が標準で適用されるパスとしての役割が強く、地元密着型の施策となっているこれら割引パスは市役所などの専用窓口で対面でないと発行されず、部外者が入手するのは難しい。
似たような仕組みは世界的に広くみられ、筆者も交通系ICカードの導入事例として欧州の複数の都市で「市民は(お得な)ICカード、地域外の外国人を含む訪問者は割高な現金払い」というケースを見てきた。下表は過去の取材での発言等を元にまとめた数字となる。
この数字を改めて見ると、熊本市電と路線バスで異なる側面が見えてくる。
つまり、くまモンのICカードの利用比率が高い路線バスは地元民の利用が多く、熊本市電はそうでもないということだ。
逆に全国共通の交通系ICカードの比率が高い熊本市電は、域外からの利用者が多く、路線バスも一定程度は域外利用者がいるというわけだ。
路線図を見ると確認できるが、熊本市電は市の中心部を走っているものの、起点はJR九州の鉄道駅であり、域外からやってくる訪問者が必然的に利用しやすい交通手段となる。路線バスで一定程度存在する域外利用者は、熊本空港から市中心部への移動を路線バスが担っているという側面が大きいと考えられる。
つまり、市民向けサービスとしてはくまモンのICカードが中心で、交通系ICカードは一部の市民と、その多くは域外旅行者をカバーできればいいと考えられる。
くまモンのICカードはFeliCaベースなので、運賃箱の読み取り機としては全国共通の交通系ICカードと共通だが、こちらは高額な更新費用はかからない。一方で、くまモンのICカードは発行や更新作業に窓口対応が必要なほか、熊本市電での取り扱い終了により利用範囲が限定されることになった。そこで、現在くまモンのICカードで提供されているサービスを徐々に“タッチ乗車”へと載せていき、前述の各種定期相当サービスを組み合わせた形で同等に利用できる環境を整えていく計画だ。
現在の路線バスでの“タッチ乗車”利用率は平均して14~15%程度とのことだが、管理コストを削減しつつ、今後はくまモンのICカード利用者を少しずつ取り込み、加えて域外利用者のみならず、満足度の低さから取りこぼしていた域内需要を喚起するという流れに繋げていく。
タッチ決済乗車から「クレカ乗車」へ
このようにほぼ全国区となりつつあるstera transitだが、今回2点ほど気になる点があったので触れておく。
まず1つは冒頭の画像にある「クレカ乗車」というキーワードだ。三井住友カードによれば「愛称として使ってほしい」とのことだが、“タッチ決済”による乗車で使えるのはクレジットカードだけでなく、デビットカードやプリペイドカードも国際ブランドに対応する限りはその対象であり、なぜあえて“クレカ”を強調するのかという点だが、同社代表取締役社長の大西幸彦氏は「“カードを使う”がイコールで“タッチ”と認識されるようになり、そういう意味では“タッチ”に力点を置くよりは“クレカ”を強調した方が(交通系)ICとの差別化になる」と述べている。
もともと“タッチ決済”という言葉は日本独特のもので、日本ではVisaが最初に使い始めた。
諸外国では「非接触(Contactless)」という表現が大多数で、フランスでも「Sans Contact(非接触)」のように自国語にそのまま置き換えた表現が多い。
他方で日本は複数の読み方が混在しており、ブランドによって使い分けが行なわれていた。後にある人物が混乱を避けるために全ブランドで「タッチ決済」を共通の呼び名にするよう働きかけて以後はこの用語を使う形になったわけだが、stera transitにおける愛称という扱いとはいえ、引っかかる部分がなくもない。
もう1つはVポイント連携の部分だ。もちろん、全国区にstera transitという形で共通のシステムを広げた功績もあり、相応のインセンティブを三井住友カードが受ける権利はあると考えるが、特定のポイント経済圏をほぼ独占状態にあるインフラに紐付ける行為は、こうした行為を嫌がる事業者のstera transit採用を遠のかせる結果になるのではないかと危惧している。実際、主要路線ながらいまだに未加入の事業者もおり、今回の施策を踏まえて今後をウォッチしていきたいと考えている。
ただ、stera transitは一定の普及マイルストーンに達したといえ、今後もある程度の期間は全国共通の交通系ICカードと市場を棲み分ける形で、公共交通のキャッシュレス化を推進していくと考える。













