西田宗千佳のイマトミライ

第348回

2028年ディスク生産中止 SIEが決断した「ゲームディスク流通」終了の背景

PlayStation 5

7月1日、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)は、2028年1月以降に発売されるPlayStationブランドのゲーム機(コンソール)向けのゲームについて、すべての新作ゲームでディスク版の生産を行なわないと発表した。以降の新作ゲームは、すべてダウンロード版のみの提供となる。

これはあくまで1年半後の話。現状販売しているゲームや2027年中に販売されるゲームについては、メーカーの判断によってディスク版も販売される。

しかし、ニュースを聞いて多くのゲームファンが驚いたようだ。ディスクでゲームを買う=所有という考え方が終わるように感じられるからだろう。

その気持ちは非常にわかる。

一方で、現実問題として、ディスクやカートリッジを持っていれば「ゲームが保存できていた」時代は、もうはるか昔のことになっていたりもする。

また現象としては、映像や音楽のディスクメディアが消えていくこととも関係している。だが、ゲームと他のメディアでは違う要素も多い。

今回はSIEが下した決断について解説してみたい。

「ディスク」は15年前からある意味で「名目的存在」だった

SIEの発表を見て、筆者は「ついに」とは思ったが、意外なものとは思わなかった。

以前記事にも書いたが、次の世代については「光ディスクドライブを搭載すると確信を持てない」と書いた。要は「搭載しない可能性は高いだろう」と予測していたわけだ。

2028年1月というのは、SIEの次世代ゲーム機が視野に入っている時期でもあり、ある種の決断を迫られる時期でもあったのだろう。

遠からずディスクメディアでのゲーム提供を止めるだろう、という考えは、予測というよりは「現状追認」というべきものだ。

現状のゲームはディスクやカートリッジでの販売もあるが、すでにメインではない。SIEの場合、販売の8割近くがダウンロードである。任天堂はまだ半数がパッケージ販売によるものと見られるが、ダウンロード比率は上昇中だ。マイクロソフト(Xbox)はSIEよりもさらにダウンロード比率が高いと見られている。

PlayStation 5 デジタル・エディション 日本語専用。ディスクドライブは備えていない

問題は販売比率が減ったことだけではない。「ゲームを成立させるための要素として、オンラインが欠くべからざるものになっている」ことに加え、「ディスクはゲームを実行する主体ではない」という点がある。

例えばPlayStation 4・PlayStation 5の場合、ディスクで購入したゲームも必ず本体にインストールし、光ディスクから実行することはない。Xboxも同様だ。

光ディスクは読み込み速度が遅い。快適な動作を実現するため、ゲームはすべて内蔵のストレージから読み込まれる仕組みになっている。

Nintendo Switchの場合にはゲームカード(ROM)からゲームをプレイすることもできるが、ダウンロード版を本体内のストレージから起動する方がゲームは快適になる。特にSwitch 2以降では顕著だ。

PlayStation 5のディスクドライブ(初代)

さらに、「ゲームがアップデート前提になってきた」ことも重要だ。不具合の修正はもちろん、機能改善やアイテム追加などのために、発売後にもゲームは常にアップデートされる。ネットワークゲームはもちろん、1人でプレイするゲームであっても、アップデートは必須のものになっている。発売時にアップデートがあることも珍しくない。

ディスクを作って流通するには時間がかかる。発売日の2カ月前くらいには「ディスクのためのマスター」を作って納品する必要がある。昔はこの後はゲームの修正をすることができなかったが、今はアップデートをかければ、この後でも修正ができる。

結果として、ディスクやROMカードの中にあるゲームデータは「出荷時のゲーム構成をインストールするためのもの」ではあるが、実際にゲームをプレイする際のデータとは違ってきている。いわば「発売直前のスナップショット」のようなものだ。

ディスクで販売されたゲームの場合、その中のデータよりも「ゲームを持っていることを確認するためのキー」としての機能が重要である……と言えばいいだろうか。

ダウンロード版の場合、ゲームを起動するための「権利確認」は、ディスクやカートリッジの有無ではなく、ネットワーク認証で行なわれる。

そしてそのことは昨日今日始まった話ではなく、少なくとも、PlayStation 3・Xbox 360世代が主流になってきた2000年代末にはもう「オンライン前提」になっていたと考えるべきだ。

15年前、ディスクでのゲーム流通をやめてしまうのは時期尚早だったろう。

しかし現在は、「ディスクの交換が不要である」「すぐに遊べる」などの理由から、ダウンロード版の利用者が大半になってきた。

ダウンロード販売があるからゲームビジネスは拡大している

そしてなによりも大きいのは、この15年の間に「ダウンロード版のみだから成立するビジネス」が多数生まれたことだ。

一番わかりやすいのは、Free to Play(F2P)タイプのゲームだろう。アイテムなどの課金で成り立つゲームは、そもそもオンラインでないとプレイできない。すぐに遊んでもらうことが前提なので、ダウンロード版が基本になる。

比較的規模が小さいインディーゲームタイトルもダウンロード版が基本だ。ディスクを作って世界中に流通させるとコストが大変なことになるが、ダウンロード販売であれば、そうした初期リスクを軽減できる。

以下の写真は、昨年9月の「東京ゲームショウ2025」で、SIEの西野秀明 社長CEOが行なった基調講演の中で示されたものだ。

「東京ゲームショウ2025」でのプレゼンテーションより。ゲームのプレイ時間も売上も、F2Pを含めたネットゲームとフルゲームのミックスになっている
売上のうち半分が、著名で息の長いネットゲームになっている

現在のPlayStation Storeの収益はフルゲームとアイテム課金、F2Pの組み合わせで収益が成り立っており、同時に、売上の半数が著名なオンラインゲームで構成されているという見方もできる。

2010年以降の収益は拡大を続けており、日本のゲームパブリシャーにとっては、海外への販売を開く窓口ともなっている。

PlayStation Storeの売上は拡大を続けている。日本メーカーから見ると、海外販路を大きく開く存在にもなっている

物理メディアでの販売では成立しなかった領域でのビジネスが拡大しており、そのことを考えた場合、ディスクよりもオンラインを重視する……という姿勢に切り替わっていくのも無理はない。

別の視点で見れば、このような構造は家庭用ゲーム機だけのものではない。スマートフォンアプリやPC用ゲームでは、そもそも物理メディアが存在しない世界だ。PCではわずかに存在しているが、スマホは登場当初から、ソフトウェアの物理流通は存在していない。

縮小する販売店 それでも必要な「顧客との接点」

ゲームを配布するという行為を考えたとき、「物理的なディスクを売る」ことが例外的な存在になっているのは疑いない。

国によって状況は異なるが、ゲーム販売店の数は減り続けている。

アメリカでは家電量販店でゲーム機や周辺機器は扱うものの、ソフトの販売棚はほとんど見かけない。ゲーム専門店に入ってみても、中心となる商材はゲームグッズとカードゲームになっていたりする。

日本でも、過去のように小規模なゲーム専門店はほとんど見かけられなくなった。ゲームの大半は家電量販店か、ECサイトで販売されている状況だ。パッケージを売る棚は海外ほど縮小していないが、それでも、元気といえる状況にはない。

一つ面白い現象を指摘しよう。

インディーゲームやF2Pタイプのゲームも、パッケージ版が販売されることがある。ただこれは、「人気が出てきたため、それを周知する」という意味合いのものが少なくない。場合によってはゲームディスクをセットにせず、アイテムやフィギュアなどをセットにした「ファングッズ」の側面が強い。

そう考えると、ゲームに関わる物理的なものを求めている人はいるとしても、それが「ゲームの中身の入ったディスク」でなくてはならない、という話ではない、という可能性も出てくるわけだ。

SIEのリリースでは、「ゲームへのアクセス方法のさらなる充実に取り組むとともに、販売店やPS Storeなど、お客様が希望する購入方法を選択できる環境を提供してまいります」との記述がある。

ディスクがなくなったとしても、なんらかの形で販売店との関係を保ち、ゲームビジネスを活性化することを考えていこうとしているのだろう。

任天堂のプラットフォームの場合、パッケージでの流通は、他のプラットフォームよりも多い。だが、アップデートが必須になっている点は変わらないし、ROMカートリッジよりも内蔵のフラッシュメモリーの方がロード時間が短く快適である点も同様だ。

Nintendo Switch 2では、パッケージ流通の形として「キーカード」という仕組みを採用した。

これはROMカートリッジではなく、ゲームをオンラインからダウンロードして起動するキーの役割を果たすものだ。PS5におけるゲームディスクと役割は同じ、と考えていい。だがキーカードの中にゲーム自体は入っていないため、任天堂のプラットフォームがサービスを停止すると、ゲームを再インストールしてのプレイはできなくなる。実質的に「オンライン配布と店頭流通のハイブリッド」といえる。

Nintendo Switch 2 のキーカードで遊ぶには?

SIEがどのような手段を採るのかはわからないが、ダウンロード用のコードが書かれたカードに特典などの入ったパッケージをセットで店頭展開する……といったパターンは十分にあり得る。

ディスクがなくなる課題は「不安」への対応だ

ゲーム販売からディスクがなくなることが「現状の追認」であるとはいえ、そのことに不安を感じる人がいるという事実もまた、疑いようがない。

ディスクの中身がゲームそのものでなくなっているとはいえ、「ディスクを持っていること」はゲームのプレイ権を「所有していること」に他ならない。自分で保存しておき、他人に売ったり貸したりしてもいい。

物理的なモノを持っている満足感と同時に、「所有しているからこその自由」があることは確かなことである。ゲーム機の電源を入れることができてディスクさえあれば、ゲームのオンラインサービスがどうなろうとゲームはずっとプレイできる。

オンラインサービスになるということは、サービスを提供する事業者がビジネスを止めるとゲームがプレイできなくなることを意味する。

オンラインサービスにおける「データの販売」は必ずしも「所有権の移転」ではない。ゲームにしろ本にしろ映像にしろ、あくまで「アクセス権の提供」であり、所有とは異なる。そのことに不満や不安がある、ということは否定できない。

サービスがいきなり終了してゲームをプレイできなくなることへの不安に対し、プラットフォーマーは一定の責任を負う必要がある。これはなにもSIEだけの話ではない。App StoreでもGoogle Playでも、Steamでも同様だ。

初代PlayStation 5

また、ゲームを「文化的資産」として残す場合、メーカーやプラットフォーマーの意図とは離れた形での対応が求められる可能性がある。

今のゲーム機・プラットフォームで動けばいいという話ではなく、極論すれば100年・200年先でも同じゲームを「その当時の文化」としてプレイし、研究するための仕組みも必要となってくる。

そうした責務は、誰が負うべきなのか。

プラットフォーマーやゲームメーカーに責任を押し付けるわけではないが、「残したい」という活動へ協力する手段などを考えていくべき時なのかもしれない。

常に変わる「ゲーム」を残す難しさ

ディスクというメディアを考えたとき、「なくなっていく」「入手が難しくなっていく」という現象は、ゲームだけに限った話ではない。

映画にしろ音楽にしろ、流通の中心はオンライン、それもサブスクリプションになっている。サービスの契約を止めれば視聴できなくなるし、サービスからコンテンツの配信が止まっても、同様に視聴できなくなる。

いわゆる「ダウンロード購入」(Electronic Sell Through、EST)の場合、配信が止まってもライブラリには残り、そのまま視聴が可能な場合がほとんどではある。これは電子書籍も同様だ。ただこれも、サービスが終了したら視聴できない。

こうした部分については、ゲームも問題の根幹は同じ、ということになる。プラットフォーマー・サービサーの力が強く、消費者の権利をどう確保すべきか、という課題が残されたままなのだ。ここは「消費者保護の観点からどうすべきか」という議論を進める必要がある。

ただゲームと他のコンテンツが違うところは、「視聴環境を移動しやすい」「内容が基本的に変化していかない」という点にある。

コンピューター・ソフトウェアは、一定の動作環境を持つコンピューターを想定して作られている。動作環境が変わってしまえば動作しない可能性は高い。ゲーム機でいえば、ゲーム機の世代変更がこれに当たる。Windows用のソフトやゲームは世代を超えて動作しているように見えるが、あくまで「Windowsの互換性維持努力」があってのもの。OS/プラットフォームの側で互換性維持の努力をしなければ、ソフトはすぐに動作しなくなる。

また、前述のようにソフトの「アップデート」もある。ソフトは常に変化するのが当たり前の存在だ。

特にオンラインゲームの場合、ゲームを実行する上での主体はゲーム機の中とサーバーの両方にある。ゲーム機向けのディスクの中身だけを残したとしても、ゲーム全体を残したことにはならない。

だが、音楽も映像も書籍も、内容はどこかで「固定」される。だからパッケージ化して販売することもできるわけだ。そのことが作品を「残す」切り札となりうるし、世代を超えて引き継ぐきっかけにもなる。一定のファンのために「ディスクにコンテンツを残す」ことはできるだろう。

では、ゲームではそこをどう扱うべきなのだろうか。ディスクになっていないゲームも含め「残す」にはどうしたらいいのだろう? ゲームの種類によってはほとんど不可能とも言える、極めて難しい課題だ。

PCやスマホはそこにあえて触れずに進んできた。家庭用ゲームにしても、映像ディスクにしても、コピー防止の技術をかいくぐって「ダンプ」することで残しているという流れもある。

そうした手段に頼らず、「ちゃんと残す」ことをそろそろ業界全体で考えたほうがいい。「事情が許せばコピーも無罪」という考え方が正しいとは思えず、不幸な対立が続くだけだ。前述のように、そもそも構造的に「残すのが無理」なゲームもある。

SIEは、ディスク廃止について、そこまで深く考えていないかもしれない。

だが、ここまで議論が盛り上がっているということは、このタイミングで「じっくり考えて、未来のためにどのような方法論がありうるか」を考えておくべきだ、ということではないだろうか。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、AERA、週刊東洋経済、週刊現代、GetNavi、モノマガジンなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。 近著に、「生成AIの核心」 (NHK出版新書)、「メタバース×ビジネス革命」( SBクリエイティブ)、「デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか」(講談社)などがある。
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