西田宗千佳のイマトミライ
第289回
日米で相次ぐ「グーグルへの逆風」を考える
2025年4月21日 08:20
Google(グーグル)に対する風当たりが、改めて強くなってきている。
4月15日、公正取引委員会は米Googleに対し、独占禁止法第19条に違反する行為があったとして排除措置命令を出した。
理由は、Androidスマートフォンに対して検索アプリやウェブブラウザーを搭載する契約を行なう際、他の検索サービス事業者を排除する内容が含まれていた、という指摘だ。
アメリカでも動きがあった。
アメリカ連邦政府と17の州が、Googleのデジタル広告やその技術について、反トラスト法に違反していると訴えていた裁判で、バージニア州連邦地方裁判所が、訴えの一部について反トラスト法違反の判断を下した。
こうした動きはどういう意味を持っているのだろうか? Googleはもちろん反論しているが、その妥当性はどうなのだろうか?
今回はその点を考察してみたい。
日本とアメリカでGoogleに厳しい判断
まずは、公取委による排除措置命令は、どのような話なのかを解説してみたい。
冒頭で述べたように、今回の排除措置命令の対象になっているのはAndroidだ。
Googleはスマートフォンを作るメーカーに対して、スマホに「Google Play」をプレインストールする条件として、Google関連アプリやウェブブラウザーの「Chrome」のプレインストールを課した上、Chromeの検索エンジン指定をGoogleから変更しないことを条件に定めていた。その見返りとしてスマホメーカー側には、検索広告収入で得た収益の一部が還元される……というモデルである。
公取委はこれによって他の検索エンジンが使われなくなることを問題視、不公平な状態を招く形の契約を排除するよう求めている。
アメリカでの事例は、より幅広く、広告市場全体の独占性に関する話である。
訴えは5点に分けられる。簡単に言えば、「媒体向け広告サーバー市場」「広告取引市場」「広告主向けの広告ネットワーク市場」についての独占と、「不当な抱き合わせ販売」「反トラスト法違反に伴うアメリカ市場への金銭的損害」が争われており、主題は広告関連市場の独占についてである。
裁判所は「媒体向け広告サーバー市場」「広告主向けの広告ネットワーク市場」において独占性を維持する行為があったことが証明できた、と認定し、同時に「不当な抱き合わせ販売」もあった、と認定している。
要は、ネット広告を出稿し、掲載するためのシステム利用においてGoogleが独占を目指した……と指摘されたわけだ。
Googleは「公正である」と反論
もちろん、これらの指摘に対してGoogleは反論している。
アメリカでの訴訟に、Googleは控訴する姿勢を示している。また訴訟内では「影響は世界市場が対象」としているが、Googleは「訴訟の影響範囲は、あくまでアメリカ市場のみにすべき」としている。
日本での公取委による排除措置命令に対し、自社ブログ上で反論を述べている。
反論の軸となるのは「契約は完全に任意である」「プロモーションに対する対価を支払うのは、一般的な商慣習である」という点だ。
要は、Googleとしてはこれらの懸念について反論し、「自社は公正な競争とユーザーの選択肢を尊重している」としているわけだ。
同社がそうした反論をするのは当然だ。一方で、企業としての責任が重くなり、規制当局として「実質的な独占状態を導くものでは」という指摘をするのもわかる。
筆者としては、どちらの主張も理解できるし、単純な判断を下すつもりはない。
公取委の施策は本当に消費者にプラスなのか
ただ、ここで重要だと思う点が1つある。
それは「結果として、消費者にはどのようなメリットをもたらすのか」という点だ。
これは、Androidスマホの話が特にわかりやすい。
たしかにこうした契約があると、スマホの中の検索利用はGoogleに偏ることになる。当該契約が検索の寡占に影響を与える……という指摘は否定できない。
ただ、それは本当に大きな課題なのだろうか?
他の検索事業者がプレインストールを求めることもできるし、そこに対価が発生してもいい。しかし他の事業者が「それをしない、できない」状況にあるのは、Googleの影響というより、他の検索サービスを使いたいと思う人が少ないためだろう。検索サービスは今も自由に選べるが、変更している人は少ない。
一方でこの契約に伴うキックバックは、スマホメーカーにとって重要な収入源でもある。それを失うことは、スマホメーカーの経営上はマイナスだ。スマホメーカーにとっては、消費者ニーズを考えても、他社の検索エンジンを選ぶ理由はない。
ある種の条件を設定してメーカーにキックバックをしたり、広告費の形で補填するというパターンは、色々なビジネスで行なわれている。ここも確かにGoogleの指摘する通りだ。それをスマホにおいて行なうことに独占性がある……という判断だろう。
ただ、メーカーも消費者も損をしておらず、仮に契約があったとしても、スマホ上の検索サービスとしてGoogle以外を選ぶことはできるので、差も大きくはない。
「確かにそうだが、特に誰も喜ばない」というのも、また事実なのだ。
設定初期に検索エンジンを選べるようにする、という判断は、過去にマイクロソフトの独禁法訴訟で用いられた「ウェブブラウザーを選べるようにする」方法論に近い。
だが、自分でウェブブラウザーを選ぶとしても、結局は「初期選択」はあまり影響していないように思う。特にこだわりがない人はEdgeを選ぶが、世界的に見れば、Chromeを自分でインストールする人が圧倒的に多い。
結局、検索エンジンやウェブブラウザーとしての付加価値が高ければ、どういう状況にあっても、消費者は主体的に選択するものだ。
特に検索エンジンとしての価値については、広告連動やプライバシーの問題だけでなく、「品質」も大きい。Google検索もパーフェクトからはほど遠いが、他の検索サービスがGoogleを超える価値を提供しているのか……というとなかなか難しい。プライバシーや消費電力、機能などの形で差別化を行なわないと、どんな施策を展開したところで、消費者はGoogleから離れない。
過去に本連載でも主張したように、重要なのは「現実解」と「プライオリティ設定」だ。その視点で施策を見直すべきである。
重要なのは「新たな公正競争」に備えること
こうした話を、各国の規制当局が知らないはずはない。
こうした動きがなぜあるかと言えば、それはやはり「Googleの力が大きくなっているから」に他ならない。
Googleに力がない、という人はいないだろう。検索とそこに紐づく広告を寡占しているのは事実だ。問題は「それが不公正な行為の結果か」という点だ。
この認定は難しい。アメリカでの訴訟は正面から大きな部分に問いかけているが、その道はなかなか大変なものだ。日本としてはまず与しやすいところからGoogleに牽制を加えたい……というところではないだろうか。
個人的に、この点には 2つの流れから意見がある。
1つ目は、「競合状況は変わりつつあるのではないか」という点だ。
現状、生成AIをベースとした検索はまだマスではない。しかし、遠くない将来、今のネット検索とは違うエコシステムを作り上げる可能性は高い。
筆者も日常的にPerplexityやClaude、Geminiを使っているが、結果として直接的にGoogle検索を行なう数は減っている。
Googleの独占論にこだわって戦ううちに、時間が経過して状況が変わってしまう可能性もあるのではないか。
だとすれば、「新しい競争の中でどう公正さを担保するか」という話が重要になってくる。
ウェブブラウザーや検索エンジンよりも、オンデバイスを含めた生成AIを選択できるようにすることが重要かもしれない。また、ウェブブラウザー自体も、検索や連動に使える生成AIを選べるようにする必要はありそうだ。
ただその場合も、完成度や利点によって消費者が「デフォルトのもの」を選ぶことを排除するものではない。ちゃんと選べること、選ぶことによって価値が極端に減ってしまわないように条件を示す必要がある。
今以上、これからのことをどう考えるべきかが重要であるはずだ。
そして2つ目は、「YouTubeの影響力をもっと考慮すべき」という点だ。あらゆる産業が、プロモーションや告知をYouTubeに依存しており、放送を凌駕する影響力を持ちつつある。他の動画配信サイトもあるが、影響力という意味では、Google検索と同等以上のものに育っている。
単純に規制せよ・分割せよという気はないが、各国の事情から離れたモデレーションのあり方などは、一定の考慮をすべき時ではないかと思う。
この点は、レイヤーが違うと考えられているのか、なかなかまとめて語られることがない。公取委の扱う範疇ではないだろうが、目的が「Googleの影響力を削ぐこと」なら、検討すべき条項だ。
またそもそも、アメリカの流れがどうなるか、現状ではなんとも判断が難しい。
今回は従来の流れに沿って判断されたが、なんといっても今、アメリカはトランプ政権下にある。ビッグテックの力を削ぐことが「アメリカのためにならない」と判断されれば、また状況が変わる可能性は否定できない。その結果として、ヨーロッパや日本とは態度が変わってくるとしたらどうだろう。
この辺を考えると、話はどんどん複雑になっていく。
筆者としては「到来しつつある生成AI時代での競争激化」が最優先だと思うが、そのためにGoogleの分割や規制がベストか……というとそうでもないと考える。
新技術が登場する中で、消費者の選択を妨げないための方策はどうあるべきかを模索すべき時ではないだろうか。