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新人研修が“18きっぷで一人旅” 若者はどんな旅をする? 山陰パナソニック

栃木・埼玉・静岡・名古屋・岐阜・京都を巡った田村虎寛さん(提供:山陰パナソニック)

ゴールデンウィークも過ぎ、今年4月に入社した新入社員も学生気分はすっかり抜け、会社に慣れてきたことだろう。他方、企業は新入社員にいち早く戦力になってもらうべく、さまざまな研修を実施している。

新入社員に研修を受けさせる企業は珍しくないが、島根県出雲市に本社を構える山陰パナソニックは、昨年から鉄道旅行の定番アイテム「青春18きっぷ」を使って全国各地を旅するユニークな研修を取り入れた。どうして、こんな研修を始めたのか? 山陰パナソニック 人財戦略部の船井亜由美さん、そして実際に18きっぷの旅で旅してきた新入社員2人に話を聞いた。

ルールは「1日10人以上の見知らぬ人に話しかける」

――山陰パナソニックは2022年から18きっぷの旅という新たなスタイルの新入社員研修を取り入れました。この経緯からお伺いしたいと思います。

船井氏:現社長の渡部幸太郎は2018年に社長に就任し、現在5年目です。採用面接時に、「内定から入社までに半年間ありますが、何を学んでおいたらいいですか?」と質問を受けることがよくありました。就職すると長い休暇は取りづらくなります。だから「学生のうちに各地を旅して、見識を広めたり経験を積むことが今後の社会人生活に役に立つ」と答えていたんです。

その頃から、内定者に対して18きっぷで旅をする研修を実施してみたらどうだろうというアイデアは出ていたようです。しかし、内定した学生はまだ弊社の社員ではありません。そのため、事故や事件に巻き込まれた場合に会社として責任が取れません。そこで、入社してから研修という形で実施してみようとなったのです。

18きっぷの旅を研修に取り入れることを後押しした船井さんも鉄道旅行が大好き(提供:山陰パナソニック)

――渡部社長は、「旅で得られることがある」と考えていたわけですが、鉄道の旅もしくは18きっぷの旅と限定していたわけではないですよね?

船井氏:旅というこだわりはあったようですが、18きっぷに限定した旅ではなかったようです。18きっぷは1人で鉄道を5日間使用できますが、5人が一緒に1日鉄道を利用するという使い方もできます。当初は、5人1組で1日旅をするという研修案もありましたが、複数人で行くよりも、私も青春18きっぷで一人旅をした経験から、その方が見識を広げたり経験を積めるので一人で5日間の旅をする研修で企画を出しました。

ただ、18きっぷで旅をするだけでは研修になりませんので、「毎日、18きっぷを利用して鉄道で移動すること」「1日10人以上の見知らぬ人に話しかけること」「予算は宿泊費・食費・私鉄やバスの交通費、ほかにもコインロッカーといった経費は1日1万円支給」というルールも決めました。旅の資金は1日1万円で、お土産などを買っても構いませんが、オーバーした分は自腹です。

費用を意識することは、働く上でも大事な感覚です。そのため、旅に出た新入社員には使った費用をきちんと記入してもらっていました。そうした資金のやりくりをしながら、自分で旅のテーマや行先を決めて、そのテーマに沿って旅をしてもらいました。

あと、安否確認も兼ねていますが、1日に最低3回はInstagramに画像を投稿することも課しています。

一人で列車に乗ったことがない新入社員の一人旅

2022年度の新入社員は22名で、内訳は男性が16名で女性が6名です。業務の関係で一斉に出発することはできず、17名が先発、残り5名が1週間後に出発しました。22名の新入社員うち、島根県出雲市で生まれ、出雲市で育ったのが宇森茜(うもり・あかね)さんです。小中高校は、すべて地元。高校を卒業して山陰パナソニックに入社しているので、出雲市から出たことはほとんどありません。そんな彼女は、どんな旅をしたのでしょうか?

――宇森さんは、これまでに一人で鉄道に乗ったことがないと聞きました。

宇森氏:2022年度に入社した新入社員22名のうち、私が今までもっとも列車に乗った回数が少ないと思います。小中学校はバス通学で、高校は親の自動車で送迎してもらっていました。今は実家から会社まで自動車通勤です。鉄道に乗った経験は数えるほどしかありません。

今回、新入社員研修で18きっぷを使った鉄道旅に挑戦したわけですが、入社時にはそういった話は聞いていませんでした。なので、「これまで鉄道を使ったことがないのに、めっちゃ不安だな」という思いがよぎりました。

高校の修学旅行は、島根県松江市の松江フォーゲルパークへ行きました。この話をすると「修学旅行が県内なの?」と不思議がられますが、これはコロナ禍で遠くへ行けなかったからです。

中学校の修学旅行は広島県へ行きましたが、学校からバスでした。それでも、ちょっとだけ路面電車に乗っています。しかし、それもクラス全員で乗車したので、路線図を見て下車駅を考えたり、運賃を調べたりといったことを自分でしていません。ただ、引率の先生の後ろについていっただけです。

宇森茜さんは列車に乗った経験がほとんどなく、今回の旅は大冒険だった(提供:山陰パナソニック)

――研修で列車に乗ることが決まったとき、どんな感想を抱きましたか?

宇森氏:私以上に親が驚きました。両親は私が一人で列車に乗ったことがないことを知っていましたし、島根県から出たことも数えるほどしかありません。家から駅まで自動車で15分以上の距離があり、普段の生活においても駅を使うことはありません。そもそも、家族みんなが「島根に鉄道ってあったっけ?」ぐらいの遠い存在でした。

だから会社の研修とはいえ、女の子を一人で県外へ行かせることに反対していました。家族全員が反対していたので「会社に具合が悪いと嘘をついて、ずっと家にいたらいいんじゃない?」という話にもなりました(笑)。

――そこまで鉄道とは無縁な生活をしてきたとなると、18きっぷの旅で固定概念を打ち砕かれることが多かったのではないか?と思うのですが……。

宇森氏:それまでは、出雲市駅が日本で一番大きな駅だと思っていたぐらいです。ところが、行く先々で大きな駅を目にしました。今回の旅では出雲市駅から広島駅へ行き、翌日は大阪駅へ行きました。大阪駅はとても大きくて驚きました。3日目は京都へ行き、大阪駅まで戻ってきます。4日目は岡山県の津山駅に行きました。最終日も大雪のため米子駅が終着になりました。

――初めて一人で鉄道旅行をしましたが、戸惑ったことは何ですか?

宇森氏:地元の出雲市駅ですら怖くて、きっぷを買うのか? それともピッとかざすモノを買うのかすらわかりませんでした。ホームについてからも、この列車で本当にいいのか? という不安は続きましたし、列車が動き出したら、それはそれで不安でした。何から何まで初体験ですので、変な場所に行ってしまったらどうしようという不安が常につきまといました。

特に、初日から大雪で列車が遅延するなど、計画通りに旅が進められないことが不安を大きくした要因だと思います。時間がズレてしまうと、予定通りの行動ができなくなりますので、予約していた宿に到着できるのか不安になります。そのため、駅員さんに「いつ、列車は動きますか?」とか「広島まで、きちんと着きますか?」といったことを何度も聞きました。

鉄道に関する体験ではありませんが、今回の旅では大阪で2泊しています。その1泊目はカプセルホテルに宿泊しました。コンビニで買い物をしてから行ったので、レジ袋を持っていったのが失敗でした。ガサガサと音を立ててしまい、仕切り板が薄いので隣の人に「うるさい!」と怒鳴られるかもとビクビクして過ごしました。

宇森さん大雪に見舞われ列車が動かないというアクシデントに遭遇した(提供:山陰パナソニック)

――旅の行程を組むにあたり、意識したことはありますか?

宇森氏:島根は駅前でも人が少ないので、人が多く歩いている都会へ行くことを意識しました。最初は親にも遠くに行くことを反対されていたわけですが、自分の知り合いがいる都市なら何かアクシデントが起こっても対処できます。大阪には高校の同級生が何人かいるので、困った事態に遭遇しても連絡を取り合えば大事にはならないと考えました。

最初に広島を選んだのは、修学旅行で行った経験があることや島根県と同じ中国地方という安心感からです。広島から大阪までの間に岡山や神戸といった大都市もありましたが、友達がいるという安心感や楽しそうな大阪を目指しました。

18きっぷは5日間使えますが、途中折り返して5日目には出雲市駅まで帰ってこなければなりません。ずっと列車に乗っているだけなら遠くまで行けますが、都会を味わうことを考慮すると大阪・京都ぐらいまでが限界と考えました。

――18きっぷの旅研修では、個々にテーマを決めていると聞きました。宇森さんのテーマは何だったんでしょうか?

宇森氏:18きっぷの旅研修をしていた2022年は、山陰パナソニックが創業してから64年にあたります。その歴史を越える老舗のお菓子を1日1回以上食べることをテーマに旅をしました。広島ではにしき堂のもみじ饅頭、大阪では江崎グリコのポッキー、京都は阿闍梨餅、津山ではきびだんごを食べました。

そして、もうひとつテーマを決めまして、それが各県のクリスマスを楽しむというものです。特に各県のイルミネーションを見て歩きましたが、そうしたテーマを決めたのは、Instagramで各地のイルミネーションを見ることが多かったからです。特に、大阪のイルミネーションは美しいと思っていたので、せっかく18きっぷの旅で大阪に行くなら絶対に見ておきたいという気持ちが強くありました。

各県のクリスマスを楽しむというテーマだけを聞くと、楽しそうな旅に思うかもしれません。しかし、現実は甘くありませんでした。というのも、日頃から鉄道に乗ることがないので、駅前と言われてもピンときません。イルミネーションの多くは駅前の人通りが多い場所や繁華街でやっています。

普段は自動車でしか移動しないので、鉄道移動だと方向感覚が狂いますし、距離感もつかめません。目的のイルミネーションを探すのにも一苦労しました。また、駅の階段を上り下りするのに体力を非常に使うことを実感しました。

各地のクリスマスイルミネーションを見るというミッションをクリアしていく宇森さん(提供:山陰パナソニック)

――そのほか、出雲市と違うなと感じたことはありましたか?

宇森氏:それまでは一人で外食をしたこともなかったので、まず店員さんを呼ぶ方法もわかりませんでした。それから、買い物をしていると店員さんから話しかけられました。島根でもイオンやゆめタウンといったショッピングモールへ家族や友達と買い物に行くことはありますが、店員さんが話しかけてくることはありません。

大阪では服やメイクの店にも行ったのですが、店員さんが接客しながら教えてくれるので、選びやすいと感じました。ほかにも近くにオススメの店があると親切に教えてくれることも多く、とにかくフレンドリーに店員さんが話しかけてくれたことは新鮮な体験でした。

宿泊施設に泊まらないという独自ルールを課して松江から栃木へ

不安を抱えながら18きっぷの旅をした宇森さんに対して、チャレンジングな旅をしたのが田村虎寛(たむら・とらひろ)さんです。田村さんは島根県松江市から栃木県那須塩原市まで行きました。遠くまで行ったことも驚くべき話ですが、旅の途中にはさまざまなドラマがありました。

――18きっぷの旅研修で、一番遠くまで行ったのが田村さんだと聞きました。まず、その話からお伺いしたいと思います。

田村氏:私は生まれも育ちも鳥取県鳥取市で、山陰パナソニックに入社してから松江に配属されました。山陰パナソニックに入社しようと考えたのは、高校の先生に「お前の成績では、就職できない」と言われたのがきっかけです。

はっきり言って、私は勉強ができません。提出物もキチンと出したことがありません。なので、先生からそう言われたわけですが、その時に「だったら、地元で一番大きな企業に入社してやろうじゃないか!」という気持ちが沸き、入社試験を受けて内定をもらいました。

今回、もっともチャレンジングな旅をした田村さん。那須ワールドモンキーパークでは蛇と触れ合った(提供:山陰パナソニック)

――18きっぷの旅で研修をすると聞いた時はどう思いましたか?

田村氏:入社してから約半年後に18きっぷの旅で研修をすると聞かされたわけですが、すぐに「面白そう」と感じました。ただ、それまで鉄道に乗った経験は数えるほどしかありません。中学校は親の自動車で送り迎えしてもらっていましたし、高校は自転車通学でした。

新入社員研修の18きっぷの旅では、会社が決めたルールのほかに自分でルールを課す決まりになっていました。私は、ホテル・旅館などの宿泊を禁止にしていました。旅に出ているときは、寝る場所を探すために「今夜、泊めてくれませんか?」と通行人にお願いして回りました。

宿泊交渉がちゃんとできるのか不安だったので、旅に出る前に鳥取駅前で練習もしました。鳥取駅前で成功したので、何とかなるだろうという手応えを掴んでいます。

――4泊5日の行程を教えてください。

田村氏:出発前から、栃木県へ行く予定でした。しかし、どんなに行程をやりくりしても、4泊5日に収まりません。そのため、特別に1日前倒しでスタートし、5泊6日に変更させてもらいました。会社が決めたルールから逸脱するので、初日の経費は自腹ということで了承をもらい、朝5時に松江駅を出発して、静岡駅へは20時ぐらいに到着しています。それでも静岡駅前で宿泊交渉をして、泊めてもらうことができました。2日目は静岡駅から栃木県那須塩原市の黒磯駅まで移動しています。

栃木県那須塩原市には、象に乗ったり、蛇を首に巻くことができる那須ワールドモンキーパークという動物園があるんです。それを体験したくて、どうしてもその動物園に行きたかったので静岡を朝5時に出発。動物園には朝10時頃に到着しました。

那須ワールドモンキーパークを満喫した後は、埼玉県さいたま市のさいたま新都心駅まで移動したのですが、宿泊交渉がうまくいかずにネットカフェに泊まるという悔しい思いをしています。

3日目は、さいたま新都心駅から越谷レイクタウン駅へ移動しました。ここには、インドアのスカイダイビング施設があります。下から風が吹いている筒状のところに入って、スカイダイビングのような体験をしてきました。

その後は再び静岡駅へと移動したのですが、偶然に駅前でYouTuberのたて面さんに遭遇しました。たて面さんは「たて面ステーション」というチャンネルを開設していますが、ヒッチハイクで日本一周の旅を経験してもいるので、宿泊交渉をしました。そうしたら、泊めてもらうことができました。

翌日は、せっかく静岡へ行ったので富士山に登ろうと考えました。しかし、いきなり行ったので登山の道具は持っていません。さすがに冬の富士山を無装備で登ることは命に関わるということで登山はできず、冬の富士山を背景に写真を撮るだけにして、その後は静岡のお茶を味わったり、浜名湖のウナギを食べるなど静岡を満喫する旅を続けました。

そんな体験をしながら西へと戻っていくわけですが、名古屋で途中下車して「バーチャル名古屋駅」というメタバースのイベントを楽しみました。

そこから宿泊のために岐阜駅まで移動します。岐阜県には、日本一高いところからバンジージャンプができるスポットがあり、翌朝にバンジージャンプを体験することになっていました。そのため、岐阜で宿泊しなければならなかったのですが、岐阜では製薬会社の社長さんに泊めてもらうことができました。

この製薬会社の社長さんは、栃木県から埼玉県に移動する列車内で居合わせて話をした人の知り合いです。たまたま列車内で居合わせただけですが、その人から紹介してくださって、そのつながりから泊めてもらうことができたのです。

そして、岐阜の後は京都へ移動します。京都では、30代の男女カップルに、「自分の話が面白かったら、ごはんをご馳走してください」と頼み込み、夜2時まで一緒に食事をしたんです。食事をしているときは、宿泊せずにこのまま始発に乗ればいいと思っていました。だから駅で始発を待っていたのですが、そこでうたた寝をしてしまい、起きたらリュックやサイフといった荷物が丸ごと盗まれていました。

幸いなことに、スマホと18きっぷだけは別に所持していたので助かりました。盗まれた荷物を探すために午前中は京都駅構内を歩き回り、お昼ごはんは通りがかりの方がコンビニで買ってくださいました。

当然、荷物は見つかりません。家の鍵もなくしてしまったので、仕方なく実家がある鳥取市に帰ることにしました。

山陰パナソニックのSを表現したサンパナポーズを各地で一緒に撮影(提供:山陰パナソニック)

――実家に帰り、親はどんな反応だったのでしょうか?

田村氏:親は他人の家に泊めてもらうような旅に出ることも受け入れてくれていまして、だから荷物を盗まれたことに対しては「お前は詰めが甘い。ちゃんと最後まで気を抜かずに旅をしろ」と叱咤されました(笑)。

――話を聞いていると、田村さんは強運の持ち主のように思えます。さらに、宿泊交渉も上手に思えますが、極意みたいなものはあるのでしょうか?

田村氏:特に、そういった極意はありません。強いて言えば、とにかく多くの人に声をかけることです。成功したケースだけを見れば、宿泊交渉はスムーズに見えるかもしれません。しかし、実際はかなり多くの人に声をかけて断られています。さいたま新都心では150人ぐらいに声をかけましたが、すべて断られました。体感的な確率ですが、100人に声をかけて、ようやく一人が受け入れてくれる感じです。

――たいていの人は100人に声をかけ続けられません。そのメンタルの強さは、どうやって鍛えられたのでしょうか?

田村氏:中学校時代にに両片思いだった同級生の女の子が病死してしまったんです。そのショックから、1カ月ぐらい学校に行くことができず、ずっと家に引きこもっていました。今は笑顔で話せるようになりましたが、高校3年間はその思いをずっと引きずっていました。

そうした辛い体験を乗り越えたので、自分が死ぬよりも家族や友達といった大事な人を失うことの方が辛いんだなと思えるようになりました。そして、世の中の辛い体験のほとんどは大したことがないんじゃないかと受け止めるようになりました。だから、宿泊を断られるぐらいではメンタルは折れません。

山陰パナソニックの渡部幸太郎社長は、若いころ海外旅行へ行った時に財布を紛失して困った経験があるという。しかし、そうしたアクシデントを乗り越えたほうが後に仕事にも普段の生活にも役立つと言っている。そのため、新入社員を18きっぷの旅に送り出す際にも「誰か、財布をなくしたら面白いのに……」と口にしていた。奇しくも、田村さんは社長が期待した旅を実践することになった。

会社が想定した以上の効果をあげたこともあり、サンパナジャーニーと名称も新たにして今年の冬も18きっぷで旅する新入社員研修が予定されている。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。