鈴木淳也のPay Attention

第221回

NFCの次にくる技術とは何か Apple PayのNFC+SE開放の先

フランスの首都パリの観光名所エッフェル塔にて

9月5日(米国時間)にPayPalは「PayPal Everywhere」というサービスを発表した。これは同社のPayPalアプリに対してキャッシュバックのような“Reward”機能を拡充するもので、例えば指定カテゴリにおいてリアル店舗またはオンライン上でPayPal Debit MasterCardを用いた買い物を行なうと、最大1,000ドルまで5%のキャッシュバックを受けられる。

PayPal Everywhere

PayPalアカウントを持つ米国ユーザーであればすぐに参加でき、アプリ経由でさまざまな特典を受けられるメリットがある。これまでPayPalの店舗決済は特定の対応店舗またはオンラインに限定されている傾向があったが、前述のバーチャルカードをスマートフォンのモバイルウォレットに追加することで実店舗での支払いも可能になり、いわゆる「Tap to Pay」の非接触決済の世界が広く浸透しつつあることも示している。

興味深いのは、PayPalが以前より「iPhoneのNFC機能のサードパーティへの開放」に向けて欧州委員会(EU)などを経由してAppleに圧力をかけていた1社という点だ。

NFCWが「PayPal CEO sets out vision for PayPal Everywhere with NFC」のタイトルで報じているが、PayPalプレジデント兼CEOのAlex Chriss氏はGoldman Sachs Communacopia + Technologiesのイベントにおいて「We’ll start with one country in Europe, likely this fall, and then continue to expand over time. And if it happens to work in the US as well, we’ll do that.」とコメントし、8月14日にAppleより発表されたNFC+セキュアエレメント(SE)のサードパーティへの開放をすぐにでも利用開始し、まずは欧州のある1国、そして米国でのテストを経て上手くいくようであれば広域展開する計画を述べている。

詳細は不明だが、前述の「PayPal Everywhere」の一貫としてPayPalアプリを軸に、直にiPhoneのNFC機能を決済や“Reward”など、さまざまなトランザクションに活用していくつもりのようだ。

Apple PayとNFC(+SE)

Appleがモバイル決済とウォレットの世界で果たした功績は言うまでもないが、同時に、2010年代前半までは携帯キャリアやカード会社を始めとする決済サービスを提供するベンダー各社がしのぎを削っていたモバイル決済の世界において、AppleとGoogleというモバイルOSの根幹を握るプラットフォーマー2社が支配的な力を持つ状況が生まれた。

後者のGoogleについては先行者との争いの末に、本体のSEを使わない「HCE(Host Card Emulation)方式」を採用する道を選んだが、AppleについてはNFCならびに、そこに接続するSEの仕組みまで含めて外部開放をしておらず、Apple Payがある程度市民権を得た頃になると、外部からの開放圧力にさらされることが増えた。

一例ではあるが、BloombergのMark Gurman氏が報じているように、iPhoneのNFC+SE開放を望むサードパーティ勢力はAppleに圧力をかける手段としてEUを利用している。ここで競争上の不利益がAppleとの間に存在していることを訴え、EU市場へのアクセス権や制裁金を含む圧力をEU経由で行ってもらおうという考えだ。これは2022年の報道だが、実際にはモバイル決済におけるプラットフォーマーの優位性が明らかになった2010年代後半にはすでに明確な動きとして存在していたと考える。

より興味深い話としては、フランスでIoTやNFCの技術啓蒙活動を行なっているPierre Metivier氏が指摘しているように、2016年当時のPayPalプレジデントだったDavid Marcus氏は、下記のようにNFCに否定的なコメントを出していたことをWall Street Journalが報じている。

> "Retailers say NFC stands for Not For Commerce," he said. "It actually prohibits those retail experiences that have de-centralized point of sale checkouts. If you look at the experience you have in an Apple store, they launch an app and scan a barcode. It's a really good experience.

2016年当時のPayPalプレジデントのコメントを報じたWSJの記事

コメント全体を読むと、「皆がスマートフォンという便利なデバイスを持っているのに、なぜわざわざレジまで出向かなければいけないのか。その場で決済することも可能ではないか」という文脈でのコメントではあるのだが、今日の「Scan and Go」のようなアプリ決済のトレンドを示唆しつつ、オンライン決済が中心のPayPalらしい回答ともいえる。

一方で、前述のように圧力をかけつつ、AppleがiPhoneのNFC+SEを開放すると発表したら真っ先に飛びつくなど、「どの口が……」と思わなくもない。もっとも、NFCWにおけるCEOのコメントでは「NFCはあくまで支払い手段の1つ」という表記もあり、同社としてはリテールの世界における支払い手段はマルチチャネルが基本という考えのようだ。

なおAppleがiPhoneのNFC+SE開放を長年拒んできた理由は2つあると考えている。

1つは安全性の確保の問題。無造作に両者を開放すれば、信頼性の低いアプリなどがこの機能を利用したり、悪意のあるベンダーによってユーザーに不利益のある仕組みを構築されてしまう危険がある。App Storeの話にも通じるが、NFC+SEの開放にあたっては一定の審査を経て許可されたベンダーにのみ機能を提供という形で対応している。

2つめは、Apple Payの提供によって得られていた「インターチェンジフィー」の減少だ。インターチェンジフィーの詳細は以前の記事を参照してほしいが、Apple Payでは1つのトランザクションに対して一定の手数料をカード会社経由で請求する仕組みを採用しており、これが同社の利益となっている。

もっとも、Apple Payのインターチェンジフィーによる収入は大きく儲けるためというよりも、プラットフォームの維持費に利用されている側面が強く、NFC+SEの開放はこの維持費を減少させるインパクトがある。実際の取引内容は未確認なので分からないが、Gurman氏によればNFC+SE開放プログラムに参加したサードパーティに利用料を徴収する方向で進んでいるとみられる。

米カリフォルニア州サンノゼにあるPayPal本社

プラットフォーマーが睨むNFCの次

さて、iPhoneのNFC+SEが開放され、サードパーティも無事にこの機能を使ってサービスを提供できるようになり、めでたしめでたし……という話でもない。

NFC自体は1970年代から研究開発が進んでいる、すでに枯れた技術であり、安心して使える仕組みとして確立しつつある一方、今後の発展性の面ではある程度先が見えてしまっているのも事実だ(これはSuicaなどのFeliCa技術にもいえる)。

NFCの技術をスマートフォンなど携帯デバイスで利用するモバイルNFCは2000年初頭にモナコのGrimaldi Forumで、Nokia、Philips、ソニーの3社が会合を持ったことでスタートした比較的新しい試みだが、こちらもすでに20年以上が経過している。業界標準化団体であるNFC Forumは今年10月にフランスのニースで「Vision NFC」という20周年を記念するイベントを開催する予定で、この節目のタイミングにあたる催しに筆者も参加してくる予定だ。

「Vision NFC」の告知ページ

NFCの最新トレンドを探る一方で、もう1つ筆者がこのイベント前後の動きに注目している事案がある。それが「NFCの次に何がくるか」という話題だ。冒頭でPayPalの幹部らが指摘したことは確かに事実で、通信機能と“リッチ”なプロセッサやユーザーインターフェイスを持つスマートフォンがあるにもかかわらず、なぜ板カードの延長でしかないNFCの利用にこだわるのかという疑問だ。

もちろん枯れた技術であり、その点の信頼性や手軽さはあるものの、NFCによる決済は、せっかくのスマートフォンの機能の一部でしかない。オンライン決済やアプリ決済がそうであるように、もっとさまざまな活用方法があるはずだ。

その鍵の1つを握ると思われるのが、「JR東日本『Suicaアプリ』が変えること ブランド化するSuicaとその未来」の話題でも触れたFiRa Consortiumの存在だ。いわゆる「UWB(Ultra Wide Band)」の通信技術をいかに活用するかを検討する業界団体なのだが、近年、自動車関連のCCC(Car Connectivity Consortium)やホームアプライアンスを含むIoT関連のCSA(Connectivity Standards Alliance)の参画が進んでおり、急速にそのカバー範囲を拡大しつつある。

決済方面での活用も見られるが、それ以外にもスマートフォンのモバイルウォレットを組み合わせた数々のプロジェクトが水面下で進行中という情報を得ており、おそらくNFCの次にくる近距離通信技術として、UWBはかなり強力な候補となりつつあるといえる。

ニース旧市街入り口にあるマセナ広場の太陽の噴水

ある情報源によれば、これら試みにはすでにAppleやGoogleといったプラットフォーマーが食い込んでおり、各分野でのソリューションを着実に積み上げつつ、あるタイミングで自身のモバイルウォレットに新機能として搭載してくることが見込まれるという。

もちろんすぐの話ではなく、少なくとも2-3年先を見据えた話だ。現状、新機種ではUWB標準搭載となっているiPhoneを除けば、AndroidでのUWB実装はまだまだまちまちといえる状況だ。昨今のハイエンドスマートフォンでの製造コスト増を受け、ユーザーの志向がミッドレンジ以下に向きつつある状況で、必須機能ではないUWB搭載が除外される懸念があるが、今後2-3年で搭載デバイスが増え、買い換えなどを経てUWB対応スマートフォンを所持するユーザーの比率が増えることで、こうした課題もじきに解決されると考えられる。

ソニーの関係者の説明によれば、NFCとSEが直に接続されて決済などに利用されていたように、UWBについてもSEとの直接続が検討に入っているとのことで、結果としてNFC+SEでiPhoneに巻き起こったような「サードパーティへの開放」といった話がまたぶり返されるかもしれない。いずれにせよ、その頃にはUWBを使った各種サービスが出て、スマートフォンと人々の関わり方はまた変化している可能性がある。

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国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)