鈴木淳也のPay Attention

第151回

来春解禁「給与デジタル払い」の実際

夕方の帰宅ラッシュで賑わうイスラエルの都市テルアビブのハシャロム駅前のバス停留所

厚生労働省は9月13日に第178回労働政策審議会労働条件分科会を開催し、その中で「資金移動業者の口座への賃金支払について 課題の整理」と題した議論を行なった。これはいわゆる「給与デジタル払い」と呼ばれる新しい給与支払い手段に関する話だが、議論の中で使用された資料が同省のサイトで公開されている。

概要についてはケータイWatchで記事化されているが、同件のついての反応をSNSなどで見る限り、さまざまな理由から反発する声が多いように見える。

この話題は本連載でも1年半ほど前に「間もなくやってくる『給与デジタル払い』とは何か」と題して同時点で分かっている概要について説明したが、2023年春の解禁が叫ばれるなかで議論がより深まっている。概要について改めて簡単に振り返りつつ、実際にどのような形で日本に導入されるのか、また将来的な見通しについて考察したい。

ペイロールカードと“第3”の支払い手段

「給与デジタル払い」の導入議論の発端は、「現金」「銀行口座への振込」に次ぐ“第3”の給与支払い手段として、米国などで導入されている「ペイロールカード(Payroll Card)」のような仕組みを日本で実現できないかという考えの中でスタートした。

ペイロールカードとは一種の「デビットカード」のようなもので、ATMで使えば現金が引き出せ、お店ではブランドデビットとしてMastercardやVisaといった国際ブランドのカード決済に利用できるため、「銀行口座を介さなくてもお金がさまざまな形ですぐに利用できる」という利便性を売り物にしている。

米国ではそれ以外に「小切手(Check)」「銀行送金(Direct Deposit)」といった給与支払い手段が存在するが、送金手段として古くから利用されている小切手は換金のために銀行に出向く必要があり(ATMやモバイルバンキングで銀行口座に直に預け入れることも可能)、銀行送金を利用するためには銀行口座を所持している必要がある。

以前の記事でも触れたように、2018年時点での銀行口座を持たない「アンバンクト(Unbanked)」と呼ばれる層が米国では6%、それに準ずる「Underbanked」と呼ばれる層がUnbankedの数字を含めて16%ほどいるとされている。つまり、米国における銀行口座保有率は8-9割程度ということになり、残りの1-2割の層をカバーするのがペイロールカードの狙いの1つとなる。

対して日本では、給与支払いは「現金で行なわなければならない」ことが受け渡し方法のルールも含めて労働基準法で規定されている。一方で、口座振替やATMなど、これだけ銀行経由の金融サービスが拡充されるなかで、“現金”のみを対象とした支払い手段の規定は理にかなっていない。そこで例外規則として「銀行口座への振込」も認めるようになっており、これを現金に次ぐ第2の給与支払い手段だとすれば、今回新たに追加される「電子マネー」や「コード決済(スマホ決済)」といった新たなサービスへの対応は第3の給与支払い手段となる。

「給与デジタル払い」におけるスマホ決済サービスなどへの給与支払いイメージ(出典:厚生労働省)

ペイロールカードから始まった日本での「給与デジタル払い」導入議論だが、米国での事情がそのまま日本に当てはまるかといえば、その限りではない。そこで労働者と雇用主、そして事業者らにとって互いにどういった方式であればメリットがあるのか、口座振込以外に給与支払い手段を拡大したとき、どのような問題が考えられ、それを防ぐのかといったところが議論の対象となる。

具体的にどのような仕組みになるのか

「給与デジタル払い」の対象となる労働者が利用するサービスだが、「資金移動業」が対象になる。資金移動業とは「資金決済法」で規定される市場での資金の流れの円滑化を実現すべく、政府が銀行などとは別に定義した“登録”制の金融サービス事業者だ。プリペイドカードやゲーム内通貨でのポイント充当などに用いられる「前払い式支払い手段」との違いは、いつでもサービスに預けた資金を“現金”として引き出すことが可能な点で、その代わりサービスの自身のアカウントへの残高チャージは「現金で行なわなければいけない」という制限がある。

「前払い式支払い手段」の仕組みについては過去の記事を参照してほしいが、こちらはクレジットカードなどでの残高チャージが可能な一方で、基本的に残高の現金化はできない。

両者に一長一短あるため、両者が混在して1つのサービスとして提供されているケースも多い。例えばPayPayで出金可能な「PayPayマネー」と出金不可の「PayPayマネーライト」のように残高だけで2種類存在するのは、法律上の区分けによる。

この資金移動業だが、2021年5月1日に施行された令和2年資金決済法改正において枠組みが拡大され、「第1種」から「第3種」まで3種類の区分が行なわれている。

従来の資金移動業に該当するのが「第2種」で、100万円以下の送金と同金額までの資金滞留が可能となっている。従来、100万円を超える送金は免許制の銀行業を利用するしかなかったが、新たに設けられた第1種では100万円を超える送金が可能になる一方で、一切の資金滞留は認められない。送金リクエストがあってから2-3営業日以内に送金処理を開始する必要があり、高額送金特化の仕組みといえる。もう1つの第3種は小額決済に特化した仕組みで、5万円以下の取り扱いを条件に第2種よりも供託などの制限が緩くなっており、より活発な資金取引が行なわれることを目指している。

改正資金決済法での資金移動業の3つの新たな分類(出典:厚生労働省)

ここからが今回の議論のアップデート部分となるが、「給与デジタル払い」の対象となるのを資金移動業の「第2種」に該当する事業者とし、いわゆる「2階建て方式」を採用して資金決済法の監督官庁である金融庁を1階建て部分とし、新たに厚生労働省が管轄となる「2階建て」部分を増設して資金保全を含む各種規制を規定する形になる。

規制が厳重で1,000万円までの預金が保証される銀行に比べ、登録制の資金移動業はどうしても規制が緩くなる。そこで従来の法律での規定に加え、「給与デジタル払い」の対象“口座”として充分に機能するよう検討が進んでいるという流れだ。

資金移動業に2階建て方式で新たなルールを増設(出典:厚生労働省)

問題は、この「第2種」の資金移動業における制限だ。前述の通り、各ユーザーのアカウントにおける残高の上限は100万円までとなっており、それを超えた場合にはただちに出金や送金などを行なって100万円以下に抑えなければいけない。資金移動業自体がもともと「一時的な資金滞留場所」として考えられており、銀行の預金口座のような形で利用されることを想定していない(認可していない)ためだ。

送金の受け入れやチャージを含め、自身が残高を毎回コントロールできているうちは問題ないが、これが一度「給与デジタル払い」の対象アカウントとなると、少なくとも毎月一定額が口座に入金される形となり、場合によってはすぐに100万円の枠をあふれ出してしまう。

以前にPayPayで100万円を超える残高が問題になったときには、対象アカウントにすぐに出金するよう通知が行なわれたが、「給与デジタル払い」ではこれが頻繁に発生する可能性があり、対処が難しくなる。そこで、今回の「給与デジタル払い」においては基本的に対象となる資金移動業のアカウントに対して銀行口座への紐付けを前提とすることで、“はみ出たぶん”については自動的に指定口座への出金が行なわれるような仕組みを想定しているようだ。

「銀行口座振込と何が違うの?」という声もあるかもしれないが、利用者にとっては“チャージなし”で決済サービスをすぐに利用できる、給与を支払う雇用主にとっては(口座振込のルートしだいだが)単純な銀行口座への給与振り込みよりも手数料が安く、場合によっては「月1回以上の振込も可能」といったメリットが考えられる。

問題点と将来像

労働政策審議会での議論だが、資料を読んでいくとまだいろいろ“穴”と呼べる部分があり、あくまで議論の途上にあるということが分かる。例えば前段の銀行口座紐付けの部分だけにしても、わざわざ「給与デジタル払い」を選ぶ必然性が感じられない。

また銀行口座を必須にすることで、もともと当初の議論にあったペイロールカード導入の議題にあった「外国人労働者向けの給与支払い手段の1つにする」という部分が矛盾してくる。現在、マイナンバーなしで銀行口座を新規開設するのは難しくなってきており、紐付けに必要な口座が得られない可能性が出てくる。中長期滞在者には住民票が発行されるので、それを利用してマイナンバーを発行することも可能だが、今度は在外邦人が住民票が無いせいでマイナンバーを得られず、銀行口座が開設できなくなるという問題が出てくる。マイナンバー制度自体の欠陥だと考えるが、もう少し利用ケースを検討して議論を深める必要がありそうだ。

審議会の資料を見る限り、利用者側も懸念も踏まえて「資金決済業者の倒産や振込の不履行による不都合」がないよう、さまざまな保護策が検討されていることが分かる。一方で、アカウントの保護のために「(銀行口座と同様に)10年間は有効であること」といった規制や、銀行に準ずる監視体制を要求したりと、“2階”部分の要求事項が多い。あまりにも規制をガチガチにすると銀行業との差が少なくなるため、あえてルールの緩い資金移動業でサービスに参入したというメリットが薄まってしまう。

現在、PayPayや楽天ペイなどのサービスが参入に向けた検討を進めているようだが、よほどこの分野に入れ込まない限り、2階建て状態でのサービスを維持していくのは難しいだろう。その点で、実際に「給与デジタル払い」に参入する事業者は当初かなり限られると筆者は考えている。

アカウントの10年間保持のルールを提案(出典:厚生労働省)

雇用者側の恣意的な運用にも歯止めがかけられている。「給与デジタル払い」に当初期待されたメリットのうち、雇用者負担となる銀行口座への振込手数料を削減できる可能性が挙げられる。そのため、無料送金が可能な資金移動業サービスを雇用側が指定し、そこへの振込を強制するケースが考えられていた。審議会では対象となるサービス事業者を労働者側が指定できるとし、場合によって銀行口座振込もきちんと指定できるようにしていくという。

筆者も経験があるが、アルバイト先や勤務先で強制的に特定の銀行支店に口座を作らされ、そこを給与振込のための口座にさせられるというケースは少なくない。学校関連でゆうちょ銀行の口座を強制的に開設させられたという話も頻繁に聞いており、当然考え得る事態だ。

ただ前述のように、今後は銀行口座開設のハードルがどんどん上がり、休眠口座を大量に生み出すこのような強制行為は徐々に減らさざるを得なくなってくると考えている。すでに諸外国のように一定額以上の残高のない口座からは毎月手数料を徴収する銀行が出てきているが、1人が何行もの銀行の口座を持つということは少なくなってくるだろう。

口座振込の手数料については今後引き下げの議論が始まり、資金移動業者が全銀システムに接続して各銀行との直接やり取りが可能になれば、手数料の引き下げと接続先銀行の制限などの面での不自由が低減されるようになる。そのとき、アルバイトのような一時的な収入の支払い先を「給与デジタル払い」に充て、自らが持つ銀行口座に接続するような使い方も想定される。ただし、これはもう少し先の話なので、実際に「給与デジタル払い」が解禁されても対象となるサービスの開始や、それを利用する雇用主もまだしばらく先の話になるのではないかと想像する。

雇用主の恣意的な「給与デジタル払い」の運用を規制(出典:厚生労働省)

予想になるが、この仕組みが実際に“まわる”ようになるまで、まだ数年の準備期間や移行期間が必要になると筆者は考える。

資金移動業者にしてみれば、最大の課題であった残高のチャージ元として毎月ないし定期的に“給与”がやってくるようになり、銀行口座紐付けが必須となれば「本人確認」「現金チャージ元としての銀行口座」をまとめて入手できるためメリットが非常に大きい。クレジットカードを紐付けて支払いが行なわれるよりも、給与で“現金”が充当されていた方が手数料分だけ有利なため、「給与デジタル払い」参入における最大のモチベーションはここにある。残高があれば日常使いで支払いに利用される場面も増えるため、手数料収入とともに、決済データ収集やマーケティングにおける接触機会の増加など、それだけユーザーとアプリの対話時間が増えるメリットもある。

「こんなの現金が出せなくてスマホ決済事業者が得するだけじゃないか」という声もあるだろう。確かに事業者側のメリットは大きいが、サービスのアカウントに入っているのはあくまで“現金”なので、銀行口座に“戻して”もいいし、ATMでいつでも引き出せる。審議会では「月1回はATMでの引き出しを無料にするような仕組み」を提言しており、100万円の上限の話を抜きにすれば、おそらく現状の銀行口座やATMの使い勝手とさほど差はないと筆者は予測する。

いずれにせよ、半年先の解禁にもかかわらず、まだまだ決まっていないことも多く、しばらくは議論の推移と実際のサービスの登場を眺めていくことになる。

ATMでの月1回の引き出しは無料にする方針

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)