鈴木淳也のPay Attention

第83回

間もなくやってくる「給与デジタル払い」とは何か

米国で見かけた従業員募集告知の例

日本経済新聞が1月27日に「給与デジタル払い今春に」と報じているが、これまで現金または銀行振込でしか認められていなかった給与の支払い先を、資金移動業登録を行なっている「○○Pay」や電子マネーなどの決済事業者に対しても2021年春以降にも解禁されるとみられる。

今回は「給与デジタル払い」に関する基本事項と、解禁後に起こること、そして給与を受け取る側のメリットとデメリットについて簡単にまとめたい。

「給与デジタル払い」を知る

給与の支払いに関する基本的な原則は労働基準法にまとめられている。労働基準法第24条によれば、賃金は「通貨で」「直接労働者に」「全額を」「毎月1回以上」「一定の期日を定めて」支払う必要があり、「賃金支払の五原則」と呼ばれる。

ここでいう通貨とは「現金」のことであり、労働基準法で本来定められた支払い手段とは現金の受け渡しが基本となっている。今日でこそ当たり前となった指定の金融機関の口座への振り込み処理は例外規則であり、実は今回の「給与デジタル払い」とは、この支払い手段に新たな例外として「○○Pay」や「電子マネー」などの手段が追加されたに過ぎない。

労働基準法第24条の賃金支払いに関する記述

日経新聞の報道によれば、「給与デジタル払い」では資金移動業者が発行するプリペイド方式の「ペイロールカード(Payroll Card)」が導入され、給与の支払先としてペイロールカードを指定できる。このペイロールカードを資金移動業者が提供する○○Payなどの決済サービスに結びつけることで、従来までのように銀行口座に接続した後に、決済サービス上の口座にいったん資金を移して(チャージ)から使う手順を採る必要がなくなる。

つまり、銀行口座を介さずに直接決済サービスを通じて給与を支払いに充てることができるというわけだ。もちろん、決済サービスは資金移動業者であり、送金やATMを介しての現金引き出しにも対応する。ペイロールカードの詳細は不明だが、もしブランドデビットのような仕組みが採用されるのであれば、カードそのものを現金引き出しや決済にも利用できると思われる。

諸外国におけるペイロールカードは、例えば米国の場合は「小切手(Check)」「銀行送金(Direct Deposit)」に続く第3の支払い手段として登場した背景がある。Payments Journalが解説しているが、1990年代後半に銀行口座を持たない、いわゆる「Unbanked」な労働者を対象にした支払い手段として提供が開始されたことが挙げられる。

ここでのペイロールカードは、米国で銀行口座を開くと入手できるATMカード同様にデビットカードとして直接支払いに使えるため利便性が高いだけでなく、やはりATMを通じての現金化が可能だ。FRBが公開している資料によれば、2018年時点で米国の家庭におけるUnbankedの比率は6%で、それに準ずる“Underbanked”の比率は16%となっており(Underbankedは銀行口座はあるものの他の金融サービスを利用している層)、一定の需要があることが分かる。

Unbankedの対象人数は700-800万程度とされるが、これはAite Groupが出している同国でのペイロールカードのアクティブ枚数とほぼ一致する。

ペイロールカードはさまざまな団体が発行している。これはVisaがSMB向けに提供しているもののデザイン例

ペイロールカードの特徴は、前述のようにATMカード(デビットカード)とほぼ同等の機能を有しつつ、再チャージして残高を増やすことが可能な点にある。そのため、内容的にはプリペイドカードでありながら、カードを再発行することなくチャージで再使用できる。給与支払いが定期的に行われているのであれば、ペイロールカードには定期的に残高がチャージされることになるため、支払いや引き出しに関して、ほぼ銀行口座を維持しているのと同等のサービスを享受できると考えていい。興味深いのは、Aite Groupの出している資料で給与の支払い手段として“紙の小切手(Paper Check)”の利用が減少する一方で、ペイロールカードの利用が年々増えて逆転現象を起こしている点だ。

もともと、小切手自体は銀行に預けて口座に預金するか、あるいは現金化するしか使い道がないため、その点でペイロールカードの方が利便性が高く、その結果も納得できる。「現金ではなく小切手」というのがいかにも米国の文化で日本との違いだが、日本もまた「給与デジタル払い」により似たようなルートをたどっていくことになるのかもしれない。

銀行と資金移動業者の違い

今回「給与デジタル払い」が解禁されることで、振り込み先としての銀行口座の必要性が薄れ、その相対的価値が落ちるという指摘は何度も見かけた。これはある意味で真であり、同時に違うとも考える。

米国などの事例を見る限りは“Unbanked”な層にペイロールカードを提供することで、必ずしも銀行口座を持たずともそれに近いサービスが利用できる状況ができている。日本でも「給与デジタル払い」を導入する狙いの1つに、銀行口座開設が難しい外国人労働者を主なターゲットとして挙げていることが、たびたび触れられている。

ただ、いろいろ取材で関係者に話を聞くうちに、今回のペイロールカードの仕組みを利用したサービスの数々がそのまま銀行の役割を置き換えるのは難しいという側面も見えてきている。Kyashの例が顕著だが、「年利1%の『残高利息』をサービス」が提供開始前日になって関係各所からの横やりで中止に追い込まれている。

同社ではこの背景について触れていないが、ある情報源によれば銀行を中心とした複数の金融機関の介入があったという。同様に「お釣り貯金」のサービスを提供していたRevolutも、同サービスの停止と見直しを発表している。Revolutによれば「金融庁などの指導があったわけではなく、昨今の資金移動業の業務厳格化を受けての自主的な見直し」ということだが、Kyashのケースと同じく「預金運用」の仕組みが問題視されたと考えていいだろう。

資金決済法改正案のポイント(出典:金融庁)

資金移動業とは、日本資金決済業協会によれば「銀行等以外のものが100万円に相当する額以下の為替取引を業として営むこと」と定義されている

資金移動業者では利用者からの預かり金を100%供託することを条件に、各種の金融サービスを提供できる。ただし、預かり金はあくまで別の口座への送金や支払いに充てることを目的として一時的にプールされているものであり、いわゆる銀行預金とは異なる。間接金融のような預かり金を用いての運用なども許可されないため、この点が銀行免許を持つ金融機関との最大の違いとなる。

実は「給与デジタル払い」が解禁されるのと同じタイミングで、資金移動業の法的根拠となっている資金決済法改正案の施行が見込まれており、2021年春以降、資金移動業は3つのカテゴリに分けられる

従来の100万円を上限とした送金が可能なサービスのカテゴリを「第二種」とし、新たに100万円以上の銀行と同等の送金サービスが提供可能な「第一種」、供託なしで送金額と同等の金額をプールしていれば問題ない「第三種」のカテゴリが追加される。

注意点としては、「第一種」での送金サービスは送り先と目的が明確でない限りは資金の受け取りができず、お金そのものをサービス内の口座にプールしておくこともできない。「第三種」では取り扱える金額が「数万円程度」と少額であり、従来の資金移動業に相当する「第二種」についても、マネーロンダリングなどの観点から、預かり金をより厳密に(目的をもって)保全することが義務付けられる。

つまり、本来であれば「送金」や「支払い」に充てられるつもりで預かっている資金が別の形で用いられることをよしとせず、「あくまで資金移動業の業務に徹すること」が求められる。詳細は今後の連載記事で触れていくが、「支払い」「現金引き出し」「送金」だけなら「給与デジタル払い」でも問題ないが、同サービスを提供する資金移動業者がその枠を越えて銀行業務を浸食する可能性は低いというのが現状といえる。

利用者側のメリットと今後の展開

「給与デジタル払い」で利用者が享受できる最大のメリットは、おそらく「柔軟な支払いオプション」という部分だ。労働基準法第24条にもあるように、「毎月1回以上」という支払いルールが決められているが、逆にいえば月に“最低1回”でも支払っていれば問題ないことになる。

また「全額を」とあるが、これが意味するのは「銀行への振込手数料がかかるのであれば、それを雇い主側が負担すること」だ。

つまるところ、給与支払いが月単位となるのは会計処理負担もあるが、同時に「銀行口座への振込手数料を最低限に抑えたい」という点であり、もし「給与デジタル払い」で振込手数料が銀行口座利用時に比べて抑えられるのであれば、月払いにこだわる必要はない。実際、経費精算などでは振り込みまでのサイクルが長ければ、それだけ自腹での負担が重くなるわけで、可能であれば事務処理が進んだ段階で振り込みまで完了してもらえるのがありがたい。

すでに○○Payを対象に経費精算をより短いサイクルで実施できる取り組みが進んでおり、給与そのものの柔軟な支払いオプション提供に向けた先鞭は着けられている。

支払いオプションの柔軟化は、働き方によってはより大きな効果をもたらす。例えばバイトやパートタイム、日雇いなどのケースでは、週単位であったり、それこそ1日単位で報酬を得られた方が嬉しいケースも多いだろう。

「銀行でないから不安」という声もあるかもしれないが、前述のように別に報酬の現金化ができないわけではないし、お金そのものは供託の形で保全されている。政府自身が「給与デジタル払い」でペイロールカードが利用できる資金移動業者についてはより厳密に審査を行っていくということで、少なくとも有象無象のサービスに比べれば安全性は高いと考える。不安を表明する団体がいるのも確かだが、最終的にどの支払い方法を選ぶかは利用者自身だ。

ペイロールカードの指定先として複数の業者を選べるのであれば、自身が安全で便利だと考えるものを選べばいいし、それでも不安に思うのならば従来通り銀行口座を選んでもいい。「給与デジタル払い」とは、あくまで支払い手段の選択肢を増やすものだと考えておくべきだろう。

鈴木 淳也/Junya Suzuki

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)