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京都の「べらぼう」応挙と若冲の合作、東京で初披露 「円山応挙 革新者から巨匠へ」

開館20周年の特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」

三井記念美術館では、9月26日から11月24日の会期で、開館20周年の特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」が開催されている。

江戸時代中期のアートといえば、今年はほとんどの人が、いま話題絶頂の浮世絵を思い浮かべるだろう。だが、蔦屋重三郎が活躍した同時代、京都では円山応挙(まるやまおうきょ)が活躍していた。蔦屋重三郎などがプロデュースした浮世絵師たちをサブカル絵師とするなら、円山応挙はメインカルチャーに革新を起こしていた絵師と言える。今展は、そんな円山応挙の晩年までの歩みを、作品をとおして総覧できる。

開館20周年特別展 円山応挙―革新者から巨匠へ

会期:2025年9月26日(金)~11月24日(月・振休)
会場:三井記念美術館
料金:一般:1,800円、大学・高校生:1,300円、中学生以下:無料

なお今展は基本、撮影禁止だが、同館所蔵の国宝《雪松図屏風》をはじめ、ところどころに撮影可能な作品が配置されている。以下は主催者の許可を得て掲載している。また特別の記載がなければ、作者は円山応挙。

基本は撮影禁止だが、撮影できる作品もある

円山応挙と伊藤若冲の共作が東京で見られる!

昨年10月、日本の美術界隈に激震を走らせる吉報が、一斉に報道された。江戸中期の京都画壇における2大巨頭、円山応挙と伊藤若冲(じゃくちゅう)の合作が発見されたのだ。

その話題となった、円山応挙が天明7年(1787)に描いた《梅鯉図屏風》と、伊藤若冲が寛政2年(1790)以前に描いた《竹鶏図屏風》が展示されている。

展示風景

この個人所有されていた作品の鑑定を依頼され、2人の共作だと確認したのが、今展の監修者である明治学院大学の山下裕二教授。

2人の合作なのに制作年が3年も離れているのかと疑問に感じたが、山下教授によれば「伊藤若冲には、年齢加算説というのがあり、還暦を過ぎてからの歳をサバを読んでいたらしい」と解説した。実際に描いた時の年齢よりも、1〜3歳、歳を重ねているかのような落款(らっかん)を捺していたそう。

具体的には、当作には「(数えで)75歳」の落款があるが、実際に描いたのはそれよりも若かった可能性も高いということ。つまり、みうらじゅん氏が言うところの「老けづくり」をしていたのだ。そして、もし3歳のサバを読んでいたとすれば、伊藤若冲の制作年は円山応挙と同じになる。山下教授は、当作の素晴らしさを次のように語った。

「いずれにしても、応挙の方が17歳年下ですから、応挙が先に仕上げたと思います。大先輩である若冲との合作だからか、いくぶん控えめに描いていますし、視線を(左側にある)若冲の作品の方へ誘導するような構図です。それにしても、この鯉の立体感っていうのは、当時の人にとっては本当に初めて見る……3D映像を見るような驚きがあったでしょう」(山下教授)

一方で、伊藤若冲は、のびのびと思いっきり描いていると語る。そして「まだまだ若いもんには負けんぞ! と言わんばかりの気迫を感じさせる作品」だと、描かれた躍動感みなぎる鶏の姿を絶賛していた。

展示風景

全国から集まった優品で円山応挙の軌跡を辿れる

前項では、「応挙と若冲展」かのように書き進めたが、今展の主人公はあくまで円山応挙。展覧会の監修を務めた前述の山下教授は、「(円山応挙は)同時代を生きた伊藤若冲や曾我蕭白らの、奇想の画家たちの人気に押され気味」だと語る。だが「応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者」だと示すことが、今展の趣旨でもあるとする。

展示風景

つまり当時の京都画壇の本流は円山応挙であるということ。今展は、そんな応挙が「革新者」から「巨匠」になっていく軌跡を、様々な美術館や個人が所蔵する作品をとおして辿っていくというもの。三井記念美術館が所蔵する国宝《雪松図屏風》はもちろん、各地に伝わる貴重な優品の数々も鑑賞できる。

展示室に入ってまず見られるのは、円山応挙が描いたと伝わるものを含む「眼鏡絵」の作品だ。応挙は若い頃に玩具商で奉公しており、その際に、こうした遠近法を利用した、立体感のある絵を描いたと言われている。もしかすると、こうした絵を描きながら、いかに鑑賞者を驚かせ臨場感を伝えられるかを意識するようになり、鑑賞者が楽しむ姿を強く想像しながら描くようになったのかもしれない。

特にレンズ越しに見る眼鏡絵は、より立体感というか奥行き感が強調される。そんな眼鏡絵を見ていると、十数年前に3Dテレビをメーカー各社がこぞって開発していたことや、その時に感じた驚きを思い出した。あの3D映像を見た時の、違和感を抱きながらも楽しくもあった感覚は、江戸時代の人たちが眼鏡絵を見て抱いた感覚と同じだったかもしれない。

展示風景

円山応挙は眼鏡絵を描き続けたわけではない。では、どんな革新を起こしたのかといえば、写生を重視して被写体をリアルに表現すること。

ただし写生を重視した画家は、先述の伊藤若冲をはじめ、それまでにも少なくない。少し前の世代の渡辺始興(わたなべしこう)は、そうした1人であり、円山応挙が私淑した人でもある。今展では、渡辺始興が野鳥などを写生した同館所蔵の《鳥類真写図巻》と、それを円山応挙が写した東京国立博物館蔵の《写生帖》が、並べられているのも興味深い。

展示風景

ただし、鳥や花などを単体で写実的に描くだけなら、それは図譜や図鑑の絵と同じ。円山応挙は、絵画の中の一つ一つの要素を精緻に描くリアルだけでなく、空間全体に空気感を閉じ込めるようなリアル感を再現したことで、革新を起こしたと言えるのかもしれない。

三井記念美術館が所蔵する国宝《雪松図屏風》

今回の見どころの1つに重要文化財《遊虎図襖(16面の内)》がある。「讃岐のこんぴらさん」の愛称で知られる、香川県の金刀比羅宮に奉納された、何頭もの虎が描かれた襖絵だ。

展示風景

江戸時代の中期までの日本人で、生きている虎を見たことがある人はごくごく限られている。見たことのない虎をリアルに描くために、円山応挙が参考にしたのは、虎の皮だったことが、《遊虎図襖》の隣に置かれている本間美術館所蔵の《虎皮写生図屏風》の存在によって分かる。

「虎の皮は実物大で描かれています。そして、この虎皮を見ながら、生きている虎はどうだっただろうと想像して描いたのが《遊虎図襖》です。なんともこのモフモフ感がいいですよねぇ。そしてなんともかわいらしい」(山下教授)

虎を実際に見たり写真で見たりする経験に恵まれた、現代の日本人からすれば、円山応挙の描いた虎も、まだまだ猫の雰囲気が強い。それでも虎の縞模様やモフモフ感は実際に近く、左右に長く広がる景色とあいまって、自然のなかで虎たちが悠然と遊んでいる雰囲気が伝わってきた。

ところで《遊虎図襖》は、別の部屋に展示されている同じく重要文化財の《竹林七賢図襖》とともに、制作に際して三井家が資金援助している。そうした縁から「三井さんで円山応挙の展覧会を開くのなら」ということで、金刀比羅宮が快く出品してくれたという。

そんな三井さん……三井記念美術館が所蔵する円山応挙の作品と言えば、毎年の正月に同館で展示されている、国宝の《雪松図屏風》がある。2つの屏風が1セットになった6曲1双に、雪をかぶった松が、ドドンッ! という感じで描かれた、言わずと知れた円山応挙の代表作だ。

背景が金色ということもあり、また全体ではなく、大胆に切り取った松の木が描かれていることから、屏風の前に立つと迫ってくるような壮大さを感じる。

国宝の美術品の中には「“その当時としては”、すごく革新的な絵だったんだよ」と言われて「そういうものか……」と少しモヤモヤするものも少なくないが、《雪松図屏風》の前に立てば、「なるほどこれは国宝だろうな」と、絵画を見慣れていない人も納得できるはずだ。

展示風景

ちなみに同じ部屋に展示されている、前述の《遊虎図襖》とこの《雪松図屏風》は、いずれも撮影が可能。ぜひ細部に至るまでじっくりと肉眼で鑑賞しつつ、「ここは凄いな」というポイントを写真に切り取って帰ってほしい。あとで見返すと「ここも凄いな」という気付きがあるはずだ。

また、展示期間に制限のある国宝の《雪松図屏風》については、2週間のお休み期間が設けられている。その間は、根津美術館所蔵の重要文化財《藤花図屏風》が展示される。もちろんこちらも円山応挙の代表作。筆者は、この作品を見るために、もう一度、同展を訪ねたいと思っている。

子犬をはじめ、かわいい動物をたくさん描いていた

円山応挙と言えば、かわいらしい動物……特に子犬をたくさん描いていたことでも知られている。なかでも山下教授が大好きだというのが、個人所蔵の《雪柳狗子図(ゆきやなぎくしず)》。

展示風景。安永7年(1778)、円山応挙が40代半ばで描いた《雪柳狗子図》個人蔵(写真右)

「ここにワンちゃんの絵を何点か展示しましたが、《雪柳狗子図》が好きなんですよね。おまえなんでひっくり返ってんのぉ(笑) っていうね。ひっくり返って、ちょっとベロを出しているんですね。白いワンコは後ろ足は雪に埋もれていて、黒いワンコの上に乗っかろうとしているんですねぇ。おもしろいじゃないですか」(山下教授)

そのほかにも、きつねやうさぎ、猿など、円山応挙ならではの愛嬌のある描かれ方がされた、様々な動物が見られる。

展示風景

さらに、円山応挙といえば、「初めて足のない幽霊を描いた」という俗説もあるくらいに、実は幽霊を描いた作品でも有名。そのため、各地に「伝・応挙筆」という作品が伝わっている。なかでも真筆とされているのは、青森県弘前市の久渡寺が所蔵する作品などごくわずか。今回、その久渡寺蔵の作品は展示されていないが、山下教授が「真筆であってもおかしくない」とする個人所蔵の作品が見られる。

展示風景

筆者は、円山応挙が美人画を描いていたイメージがなかったため、この《幽霊画》に描かれた女性を見て「こういう美人を描いたのか」と興味深かった。そのためか、少し微笑んでいるのが、特に不気味にも感じられず、単純にキリッとしてきれいな女性だと感じた。

この幽霊画もだが、子犬、雪をかぶった松、それに大先輩の伊藤若冲との合作の際に描いた梅を背景にした鯉など……円山応挙が幾度となく筆を執った画題の優品が、各地から集ったのが本展「円山応挙―革新者から巨匠へ」だ。彼の画業の全貌を見渡す、またとない好機といえる。