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千葉・JR久留里線の廃線カウントダウン区間を全踏破
2026年7月28日 08:20
昨今、少子高齢化に伴って全国各地で人口減少が加速しています。人口減少は電気・ガス・水道、道路・鉄道といったインフラの維持にも多大な影響を及ぼします。
地方都市ではマイカーが普及し、かつて住民の足として機能していた鉄道の利用者は激減しました。赤字ローカル線は税金などを投入することで維持してきましたが、少子高齢化・人口減少は税収減とも直結するので、赤字ローカル線を維持できる財政力が鉄道事業者にも地方自治体にもなくなっています。
こうした赤字ローカル線の問題は、東京・大阪といった大都市圏では無縁と思われてきました。しかし、歳月の経過とともに人口減少の波は大都市圏にも及んでいます。
千葉県木更津市・袖ケ浦市・君津市を走るJR久留里線は、かねてより廃線が議論されてきた路線です。
久留里線の運行事業者であるJR東日本と沿線自治体との協議が3月にまとまり、2027年4月1日付で久留里線の久留里駅-上総亀山駅間を廃止することが決まりました。廃止期日はあくまでも手続き上のことで、準備が整えば前倒しで廃止することもあり得ます。
そんな廃線カウントダウンが始まった久留里線の久留里駅-上総亀山駅間の全線踏破に挑みました。
久留里線の起点・木更津発展の背景
神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ東京湾アクアライン(アクアライン)は1996年に開通しました。今年はアクアライン開通から30年の節目にあたります。
神奈川県と千葉県は東京都に接していることから、どちらも東京都に通勤・通学する人が多く、ベッドタウンという側面を持ちます。そうした共通点はありましたが、かつては神奈川県と千葉県を自動車で行き来するには、東京湾沿いの高速道路・一般道路を利用するしかありませんでした。このルートは非常に時間がかかることから、両県は経済的・産業的に結びつきが強いとは言えない状況だったのです。
そうした両県の関係を大きく変えるきっかけになったのがアクアラインです。アクアラインを通行すれば、川崎市と木更津市を45分程度で移動できます。
また、房総半島は東京都心部から遠いというイメージが根強くあり、特に千葉市以南は通勤圏外と受け止められていました。アクアラインの開通は、神奈川と千葉の経済・産業面以外にも、房総半島の通勤事情を丸ごと変える交通網の整備と言えます。それでも、当初は通行料金が4,000円と高額だったことが阻害要因となり、アクアラインの利用は堅調と言えませんでした。
アクアラインが注目を浴び、木更津がベッドタウンとして赤丸急上昇するきっかけになったのが、2009年に実施された通行料金の大幅な値下げです。森田健作氏が千葉県知事選でETC利用車に限ってアクアラインの通行料金を引き下げることを公約して当選し、ETC車の通行料金を普通車一台800円へと大幅に引き下げられました。
これが呼び水となり、アクアラインの通行量は増加。アクアラインを経由する高速バスで木更津から東京へと通勤する需要も増して、木更津は東京のベッドタウンとして発展を遂げていきます。
木更津市はアクアラインによってベッドタウン化し、人口も増加しました。それに伴ってアクアラインのインターチェンジ付近の再開発も進み、バスターミナルも整備されました。2012年には郊外型のショッピングモール「三井アウトレットパーク 木更津」がオープン。同施設を皮切りに郊外型の大規模商業施設が次々と店舗を構えるようになりました。そのため、“東京方面から高速バスに乗って木更津へ買い物に行く”という現象を生み出したのです。
湾岸エリアが発展する一方で過疎化が進むエリアも
木更津市はアクアラインの開通、そして通行料金の値下げによって発展する過程を経ました。人口が増加したことで街に活気が生まれたことは喜ばしい話ですが、それは湾岸エリアの局地的な話に過ぎません。
市全体で見ると、急速に過疎化が進んでいるエリアもあります。それらのエリアが今後は限界集落化していくことが予想されています。そのため、アクアラインで人口が増加したとはいえ決して楽観視できる状況ではありません。
それを象徴しているのが木更津駅-上総亀山駅間を走る久留里線です。久留里線は以前から利用者が少なく、たびたび廃線が議論されてきた路線です。そして、このたび久留里線の久留里駅-上総亀山駅間の部分廃線が決定しました。
廃線が予定されているのは木更津市外の区間です。そのため、木更津市の発展や人口増の恩恵を受けていません。
木更津市が経済的にも人口的にも発展を遂げれば、その周辺地域のベッドタウン化も期待できます。それは地域を走る久留里線の利用者増を引き起こすはずですが、そうした現象は起きていません。アクアラインによる木更津市の発展は市全体に波及せず、その周辺にも及んでいないことが窺えます。
廃止区間の運行は8時台の次は13時台
廃線区間を踏破するべく、木更津駅から久留里線に乗車して久留里駅を目指します。木更津市の玄関口になっている木更津駅の西口のロータリーにはタヌキのきぬ太くん像が建立され、マンホールにもタヌキが描かれています。木更津駅前では、いたるところでタヌキを目にできますが、これは童謡「証城寺の狸囃子」にちなむものです。
詩人・作詞家だった野口雨情は、木更津町(当時)を訪れた際に證誠寺に伝わる狸囃子伝説をモチーフにして同曲を作詞。これに作曲家だった中山晋平が曲をつけて完成させました。「証城寺の狸囃子」は主に学校で歌われましたが、歌手の平井英子によるレコードが発売されると戦後まで歌い継がれる名曲になりました。
木更津とも縁のある名曲を語り継ぐ目的から、木更津駅前にはタヌキ像やイラストが溢れていますが、駅前は特にタヌキが出没するような雰囲気ではありません。
木更津駅はJR内房線と久留里線の2路線が発着する駅で、駅前にはショッピングモールやホテルが立地しています。しかし、駅ビルは併設されていないので駅舎はわりと簡素な造りになっています。木更津駅を発着する内房線の電車は蘇我駅から総武快速線・京葉線などとも直通しているので、木更津駅から東京駅や千葉駅への通勤需要もあるようです。
一方、久留里線は木更津駅を起点に上総亀山駅までの約32.2kmの路線ですが、全線が単線非電化です。
内房線と比べると、明らかに輸送密度は低く、それゆえに以前から繰り返し廃止議論が浮上していました。そのたびに久留里線は廃止を免れてきましたが、このほど末端にあたる久留里駅-上総亀山駅間の約9.6kmの区間廃止が決定しました。同区間は運行本数が極端に少なく、久留里駅発上総亀山方面行は平日土日ともに朝7時と8時台に各1本、その次は13時台まで待たなければならず、さらに次は16時台というダイヤが設定されています。
これほど運行本数が少ないと、買い物や用事で外出したり週末に遊びに出かけるために列車を使うという選択肢は最初から除外されてしまいます。こうした状況が、鉄道を残したいと願う地元住民ですら自動車を使おうという考えに至ってしまうことは容易に想像できます。
久留里線のホームに立つと、中高生と思われる団体やハイキング用リュックを背負った中高年夫婦など、想像以上に多くの乗客を確認できます。
しかし、木更津駅を除いて、久留里線内でSuicaをはじめとするIC乗車券類は使用できません(27年春に祇園~久留里で対応予定)。筆者もIC乗車券で都内から乗り込みましたが、久留里駅で下車した人の中にもIC乗車券使用者がいたようで、ホームに立っていた駅員さんにどのように精算するのか? を詳細に聞いている姿が見られました。
一部区間の廃線がアナウンスされてから、廃線を惜しむ鉄道ファンが久留里線の乗り納めに来る様子などはテレビ・ネットニュースでも話題になりますが、実際に久留里駅で下車してみると、鉄道ファンとは思えないような中高年夫婦や女性グループなども見られました。
女性グループの会話からはハイキングをしに来たことが窺えましたが、廃線になるので、それを機に久留里線の沿線をハイキングコースに組み込んだといった雰囲気でした。
木更津駅を出ると、久留里線の車窓はすぐに農村然とした風景に変わりました。のどかな田園風景の中を走り続けて、横田駅に到着。ここで木更津駅方面へと走る列車との交換があります。久留里線は木更津市・袖ケ浦市・君津市の3市を走っていますが、横田駅は袖ケ浦市に所在しています。そして馬来田駅で再び木更津市になり、その次の下郡駅からは君津市です。約45分乗車すると久留里駅に到着します。
平成の名水百選に選出されている久留里
久留里駅は君津市に所在する駅で、2009年に東京近郊区間に組み込まれています。東京近郊区間と聞くと利用者が多い都会をイメージしますが、JR東日本は段階的に東京近郊区間を拡大して、現在では東北地方に属する福島県の一部地域も東京近郊区間になっています。
福島県が東京近郊であるか否かは別として、東京に隣接する千葉県は多くの人たちが東京へと通勤しています。そのため、千葉と東京の結びつきは強いものがありますが、千葉市以南の房総半島は東京から離れていることから独自の経済圏、文化圏を築いてきました。
房総半島に東京の槌音が聞こえてくるのは1970年代です。東京湾岸には多くの大規模工場が進出し、それら工場群によって現在の京葉臨海工業地域が形成されていったのです。
京葉臨海工業地域の範囲は広いのですが、君津市には日本製鉄の君津製鉄所が立地。君津製鉄所は日本を代表する高炉を有する製鉄所です。鉄生産は工業化の基礎でもあるため、君津製鉄所により、大規模工場が君津市内に集まり、それらが操業することで君津市は工業都市として発展を遂げていました。
しかし、久留里線は木更津駅から内陸部へと走るので、京葉臨海工業地帯の発展を牽引した工場群を見ることはできません。
久留里駅はのどかな山間にある駅で、その駅前には大きな建物が立っています。これは地域交流センターとして機能する公共施設です。地域交流センターのすぐ横には水汲み場があり、地元民と思しき人が大きなペットボトルを何本も持参して、水を汲んでいました。
久留里一帯は名水の湧出地として有名で、2008年には平成の名水百選に選出されています。そのため、久留里駅近隣に住民が自由に水を汲める井戸がいくつか整備されていて、住民が水を汲みに来る光景を日常的に目にできます。
久留里の井戸水は、主に上総掘りと呼ばれる江戸後期に考案された鉄棒を使用した方法によって採水されています。地元とはいえ、大量のペットボトルを持参して水を汲みに来るぐらいですから、美味しい水であることは言うまでもありません。
そして、そうした美味しい水が湧出する地では例外なく酒造りが盛んです。久留里は江戸時代まで城下町として栄えましたが、当時から酒造りが盛んでした。久留里駅前の水汲み場には「生きた水 久留里」といった日本酒のミュージアムが隣接して立地しています。また、各所に酒蔵・酒造会社もあります。
久留里駅にはこぢんまりとしたロータリーと駅前広場が整備されていますが、特にバスターミナルになっているわけではありません。久留里駅から約50m離れた国道410号線にバス停があり、そこから東京駅方面の高速バスが発着しています。
国道410号線は久留里街道という名称がついているので、久留里という地域にとって重要な幹線道路であることが窺えます。同街道の沿道には老舗という雰囲気を漂わせる店構えの商店なども多く並んでいます。
久留里は室町時代に城が築かれ、城下町として発展を遂げました。江戸時代には久留里藩が成立。藩歴の大半を譜代大名が統治するなど、徳川政権下において久留里は重要な地位を占めていたのです。
久留里街道を線路に沿って南下していくと、少しずつ山深くなっていき国道沿いでも人家は見当たらなくなります。それでも久留里商店街という名称がついた街路灯を発見できました。今では商店があったとは思えないような自然豊かな場所になっていますが、往時の久留里ではこのあたりまで商店街としてにぎわっていたことを感じさせます。
その街路灯を過ぎて、さらに歩くと創建1000年超という歴史を有する久留里神社の鳥居が見えてきます。久留里神社の前を通り過ぎ、さらに歩くと国道沿いに「産廃処分場反対」の看板を発見しました。看板に書かれている産廃処分場とは君津環境整備センターのことで、2004年に完成しました。
同センターは2010年には第2期、2018年には第3期の増設工事を完了。これにより首都圏最大級の約426万m3の規模を誇る産業廃棄物処分場になり、現在は第4期の拡張工事を計画しています。
しかし、2024年頃より同センターの敷地内にある井戸から基準値を超える高濃度の塩化物イオンが検出されたのです。センターは久留里駅や久留里街道から離れた場所にありますが、井戸水は地下水脈や河川を通じてつながっています。そのため、近隣で有害物質が発生すると、井戸水も影響を避けられません。
名水の地でもある久留里にとって、井戸水の汚染は地域のアイデンティティが崩壊し、生活そのものが立ち行かなくなる一大事です。道路脇に建てられた看板からは、住民たちの生活と環境を守りたいという気持ちが伝わってきます。
再建後40年を待たずに役目を終える駅
そうした看板を眺めつつ、起伏のある久留里街道を歩くと平山駅に到着。久留里街道と駅を接続する道路には、駅名を記した立派な碑が立っています。その横には、久留里線の廃止に反対する幟が立てられていました。
駅名を記した碑は立派な雰囲気を放っていますが、平山駅そのものは無人駅のため駅舎や駅ホームは簡素です。無人駅のわりに駅前広場は広々としていて自動車の駐車スペースも確保されていますが、特に自動車と列車を組み合わせて利用を促進するパークアンドライドを推奨するような雰囲気はありません。
平山駅を後にして、さらに久留里街道を南下していきます。線路と道路の間には小櫃川(おびつがわ)が流れているので、それらに遮られて線路は視認できません。小櫃川は、関東圏でも有名な河川ではありませんが、千葉県内を流域とする河川では利根川に次いで2番目に長い河川です。
それだけに、その流域は広くなっています。流域が広い河川は自分のいる場所が晴れていても上流部で集中豪雨が起きて下流に大量の雨水が一気に押し寄せる鉄砲水という現象が起きやすいという特徴があります。小櫃川の流域では鉄砲水を常に警戒しなければならず、行政は突発的に起きる鉄砲水の危険性を低減するべく、各所にダムを設けて水量の調整を試みています。しかし、ダムの貯水量には限界がありますので、適切なタイミングで放流して貯水量・流水量をコントロールしなければなりません。
ダムの放流は晴れた日に実施されることが多いため、晴天だから河川で鉄砲水が起こらないと安心するわけにはいきません。小櫃川付近には、ダムの放流によって増水する危険性を知らせる看板があちこちに立てられていて警戒を呼びかけています。
小櫃川は蛇行を繰り返しているので、久留里線の線路に沿って久留里街道を歩いていてもくっついたり離れたりしています。久留里街道はほぼ一直線で、ところどころ交差点もありますが、ほとんどは信号機が設置されていません。
ようやく信号機のある交差点が現れ、そこから踏切を渡って久留里街道をいったん離れて右へと進みます。分岐地点から300mほど歩くと、上総松丘駅入口の看板が見えました。看板の立っている小径の突き当たりに上総松丘駅があります。
上総松丘駅は新しく綺麗な駅ですが、これは1990年にテロ事件によって駅舎が焼失し、新たに建て替えられたからです。駅舎が再建されたものの、同駅が使用される期間は残り少なくなっています。
それだけに、少しもったいないような印象を受けました。駅舎内には大木を用いて製造されたテーブルやイスが設置されており、廃線後に駅舎を何か再利用できないものか? と思案しつつホームに立ってみると、目の前には先ほどまで歩いてきた久留里街道が走っています。
しかし、上総松丘駅から国道に直に出る道はありません。久留里街道から同駅へアプローチするには、先ほどの交差点からの踏切を渡って歩いてきた道路しかないのです。
交差点から踏切を渡ってきた道路は、かつて集落の中心地になっていました。国道は後から整備されたこともあり、駅へのアプローチは考慮されなかったのです。上総松丘駅から集落の中心地を歩いてみると、いくつか商店が並び、微かに往時の面影を感じることができます。
撮り鉄が押しかけることは少ない絶好の撮影スポット
そんな昔の面影の残る松丘の集落から再び久留里街道を歩きます。このあたりから久留里街道は険しい山道の区間に入り、ところどころトンネルが姿を現します。久留里街道は基本的に歩車分離がなされているので、歩道を歩いていれば安全でした。
しかし、このあたりのトンネルは歩車分離されておらず、猛スピードで走ってくる自動車から危険を避けるように歩かなければなりません。
歩行者がトンネルを通行する際には、安全確保のためのボタンが入り口に設置されています。ボタンを押すと、自動車に歩行者が通行していることを知らせるサインが発信されるような仕組みになっているわけですが、そうした措置が取られているとわかっていても、猛スピードで横を走り抜けていく自動車の恐怖は和らぎません。
トンネルを抜けると、再び歩車分離された道路に戻ります。しかし、歩行者が通行することは滅多にない様子で、歩道にはクモの巣が張っていたり、草が生い茂っていて前に進めなかったりと、歩道だからといって順調に歩けるわけではありません。
そうした山あいの区間を抜けると、久留里街道と小櫃川が再接近しますが、その間に久留里線の線路が走っています。上総松丘駅から終点の上総亀山駅までの区間は、房総半島特有の険しい山地・丘陵地を克服するために切通しとトンネルが連続した堀割を走ります。
そんな堀割を走る区間には久留里線の廃線反対を訴える看板が立てられているのを目にします。そうした堀割区間は久留里線の電車をちょうどいい角度で撮影できる絶好の撮り鉄スポットでもあります。
しかし、同地点は上総松丘駅と上総亀山駅の中間にあり、アクセスが容易ではありません。自動車でアクセスするにしても駐車スペースがありません。同地点で撮り鉄をするためには、上総松丘駅から延々と歩かなければならず、そんな酔狂なことをする人は限られています。絶好のスポットながら多くの撮り鉄が押しかけるようなことはありません。筆者のほかにも先客が一人いましたが、その先客は同地点までバイクで来ていました。
独占的に上総亀山駅方面の列車を撮り鉄し、上総亀山駅から折り返してくる列車もカメラに収めてから終着駅の上総亀山駅へと向かいます。途中、国道465号線との交差点があり、そこを左折。ここで、ようやく久留里街道から離れます。そこから国道465号線を歩き続け、途中から側道に入って少し歩くと上総亀山駅に到着します。
上総亀山駅の周辺には商店と住宅が数軒あり、駅前の住宅ではガレージを休憩スペースに一般開放している住宅もあります。
そして、駅前に並んでいる家々には、来年に迫った久留里線の部分廃止に反対する看板などが掲出され、SNSで拡散を求めるメッセージがしたためられていました。
上総亀山駅の近くには、ダム湖として整備された亀山湖があります。亀山湖の周辺はキャンプ場にもなっているので、宿泊施設が湖の周辺に点在しています。また、亀山湖で釣りなどを楽しむ日帰りレジャー客もいるようです。
上総亀山駅の周辺は、そうした行楽地という側面があります。しかし、それらレジャー客の大半は自動車で現地まで来ています。そのため、亀山湖が行楽客でにぎわっても久留里線の収益に貢献することはありません。
君津市とJR東日本が合意したことで、久留里駅-上総亀山駅間は廃線へのカウントダウンが始まりました。筆者が全線踏破後に上総亀山駅で帰りの列車を待っている間、上総亀山駅の勇姿を見届けようと自動車で来訪する人たちを何組か見ました。また、木更津方面から走ってきた列車にも多くの人が乗っていて、上総亀山駅で下車し、わずかな停車時間で駅周辺を歩き回ったり駅の写真を撮ったりしていました。
久留里線の終着駅となっている上総亀山駅から先は、引込線のように線路が少しだけ延びています。かつて、ここから外房線の大原駅まで線路を延伸する計画がありましたが、未成線となっています。
大原駅は旧国鉄線の木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が発着し、久留里線は房総半島の西から、木原線は東から線路を延ばして直通する計画も出ていました。久留里線と木原線の両線は線路がつながることなく、結局のところ木原線は小湊鉄道の上総中野駅で接続する形になっています。
房総半島を横断する線路は小湊鉄道・いすみ鉄道に受け継がれて、久留里線はそれを果たせないまま一部区間の廃止を迎えようとしています。































