鈴木淳也のPay Attention

第114回

デジタル庁とキャッシュレス

デジタル庁が入る東京ガーデンテラス紀尾井町 紀尾井タワー

デジタル庁が主催する「デジタルの日」イベントが10月10日に開催された。

同庁により当日のレポートが公開されているが、「デジタルの日」とはそもそもがデジタル庁の設立に合わせて10月10-11日の2日間に設定されたもので、解説ページによれば「デジタルの日は、デジタルに触れ、使い方や楽しみ方を見つける、年に一度のデジタルの記念日」となっている。デジタル庁の存在意義について対外的にアピールする場だと考えられるが、期待される役割と実際がどうかはさておき、同日に公開されたコンテンツについて、気になるデータがあったので少し振り返ってみたい。

キャッシュレス活用状況が90%超?

イベントの前半では「日本のデジタル度2021」と題目で行なった各種データを紹介しつつ、ゲストとして登壇した落合陽一氏、夏野剛氏、西村博之氏の3名が語らうトーク形式で進行していたが、その中で筆者的に一番気になったのが「キャッシュレス」という項目だ。下記がその表だが、データなしとなっている10代を除けば、90%を突破している30代と40代をはじめ、70代の高齢者まで80%を突破している。

日本のデジタル度2021(出典:デジタル庁)

コード決済が電子マネーを抜く日」の回でも触れたが、2020年度時点での日本のキャッシュレス比率は29.7%となっている。現状でさらに進んで30%超としても、その数字を大きく凌駕している。

そもそもこの80-90%水準の数字が何を意味しているのか不明だが、おそらくネットアンケート形式で「普段何らかのキャッシュレス決済手段を使っているか」の質問項目があり、それに対する回答ではないかと予想する。アンケート調査の内容についてさらに細かい解説が別資料として公開されているが、「よく利用している」「ときどき利用している」という項目に分かれていることからも推察するに、「クレジットカードを持っていて使うことがある」「交通系ICを利用している」といった部分に少しでも引っかかる回答者がいれば「キャッシュレス決済手段を利用している」となるわけで、日本の銀行口座保有率やカード保有率などを鑑みれば、むしろ「いいえ」と回答されるケースの方が珍しいだろう。

「調査会社によるインターネットアンケート」「母数の偏り」という部分もあり、このような結果になったと考える。

キャッシュレスの利用状況その1(出典:デジタル庁)

つまり、「最近一度でも“キャッシュレス決済”を使ったことがある」となれば項目の数字に含まれるので、実際の割合は異なるということになる。それは前述の資料に付随する具体的な決済手段に表れている。複数回答で「普段利用している決済手段」の項目があり、まず現金が90%近くで圧倒的だ。それにクレジットカード、(QR)コード決済、電子マネーなどが続く。

このあたりは直近のデータに極めて近い傾向を見せているが、同時に「ネットアンケート」という特性から割と“アクティブ”な層が回答者に含まれている可能性が高く、結果として市場一般の水準と比較してもコード決済や電子マネーの比率が高めに出ているのではないかと考える。最初の表の数字を見ると驚くが、詳細を見ていくとそれほど実態から離れていないことも分かる。

キャッシュレスの利用状況その2(出典:デジタル庁)

キャッシュレス比率3割のマジック

トークセッションでも夏野氏が触れていたが、経済産業省などが発表する「日本のキャッシュレス比率」には疑義がある。話をさかのぼると、もともと日本でのキャッシュレス比率の話題が取り沙汰され始めたのは2018年4月に出された「キャッシュレス・ビジョン」における提言が根底にあり、このビジョンが打ち出される直接のきっかけとなった2017年6月に当時の安倍晋三内閣での「未来投資戦略 2017」において「10年後(2027年)までにキャッシュレス決済比率を4割程度とすることを目指す」という目標設定に起因する。

当時、2016年度のデータとして出されていた日本のキャッシュレス決済比率は19.9%程度であり、それを10年で2倍にするという目標だ。ゆえに、参考値としての「日本のキャッシュレスは20%未満で世界でも遅れている」という話題が先行することになった。

ただ筆者が各方面に取材するなかで、「日本政府が目標に掲げているキャッシュレス比率の数字の取り方がそもそもおかしい」という声は少なからず聞いている。理由としては、ここでいう日本のキャッシュレス比率とは「クレジットカード」「デビットカード」「電子マネー」の取引額を合わせたものを同国の年間最終消費支出である300兆円で割った数字を比率として出したものだ。近年ではこれに「コード決済」が加わったことは以前にも触れた通りだが、この手の統計では日本ではメジャーな支払い手段である「銀行送金(口座振替)」が含まれておらず、「これはキャッシュレスではないのか?」という疑問が生まれている。前段の目標設定において「2割を10年で4割に」という目標設定が非常にシンプルというのは理解できるが、もう少し状況をきちんと整理してみてもいいかと思う。

キャッシュレス比率の話題で疑問を呈する夏野氏

同氏が指摘するように、多くの人は家賃や光熱費、公共料金、子どもの教育関連費などの支払いを自身の銀行口座を引き落とし先として指定していることが多い。中には請求書での収納代行経由での支払いやクレジットカードを登録しているケースもあるだろう。ただ、一般的に家庭で考えれば前述の支払いは食費や交際費、遊行費などの金額に比べれば多く、普段の収入の半分程度を占めることも少なくない。

ゆえに年間最終消費支出から算定される比率を考えれば、目標に掲げる「キャッシュレス比率4割」というのは実質的には「9割に近い」水準に匹敵する可能性があるのではないかと筆者は考えている。つまり現状のキャッシュレス比率の算定方法を採用する限り、50%に達する可能性は限りなく低いとも思える。

その後の落合氏との会話にも出ていたが、一般家庭がすべての支払いをクレジットカードにすることは難しく(現状で引き落とし先の銀行と支店を指定されるケースさえある)、限度額を考慮してもすべてをクレジットカードに任せることは難しいだろう。ゆえに高額の支払いは銀行口座を使った送金(振込)がメインになることは避けられない。どちらかといえば、「なぜいまだに市中の決済の現金比率が高いのか」という点に注目すべきだ。

日本のコンビニチェーンには取材のたびに尋ねているが、現状で大手3社においてキャッシュレス比率は概ね「3割」で一致している。

これは4-5年前の「キャッシュレス・ビジョン」を打ち出した時期の「2割」に比べると伸びているものの、いわゆる国が算定する「キャッシュレス決済比率」の推移とほぼ一致している。

なぜ「本来より低く数字が出ている」とした国の基準と実態が一致するのか。その答えは「小額決済における現金比率の高さ」にある。

例えば、家賃など月々の支払いを口座引き落としで行っているグループをAとすると、数千円ないし1万円以上の比較的高額の買い物はグループB、1,000円や2,000円以下の買い物をグループCとする。おそらくグループBの支払いのために普段から財布に万札を大量に持ち歩く人は限られており、筆者の感覚でいえばクレジットカードなどを利用するだろう。

一方で、グループCの支払い手段については判断が分かれるはずだ。筆者の場合は許される限りはすべての支払いをキャッシュレス的な手段で行なっているが、ここで現金を使う人が多いことが「コンビニでのキャッシュレス比率3割」につながっていると推測する。

日本フランチャイズチェーン協会が毎月のコンビニエンスストア統計データを出しているが、客単価は700円前後で前述のグループCに入る。「グループA+グループB」でキャッシュレス比率3割、「グループC」で3割という構成になっているというのが筆者の予想だ。

2021年8月の毎月のコンビニエンスストア統計データの抜粋(出典:日本フランチャイズチェーン協会)
大手コンビニエンスストアにおけるキャッシュレス決済比率は総じて3割程度だという

日本のキャッシュレスをどうドライブするか

最後に、このトークセッションで気になった点を2つだけ。1つは西村(ひろゆき)氏が在住しているというフランスでの事情。「パン屋での支払いやスーパーのカートを取り出すのに硬貨が必要で、年に1、2回程度しか現金を使わない」というのが同氏の意見だが、日本同様にその国が現金なしで過ごせるかは「当人の行動範囲しだい」という面が大きく、例えば筆者自身がフランスを訪れたときには毎回それなりの現金が必要になる。

パリでの公共交通はクレジットカードでチケットを購入可能だが、地方のバスは旅行者に対していまだに現金払いしか許さないケースも少なくなく、まずここで現金が必要になる。また筆者はフランスではマクドナルドかケバブなどの中東料理ばかり食べているが、後者は現金払いのみの店が多い。

もちろん、スーパーや自販機などは普通にカード払いが使えるので問題なく、最近ではタクシーも現金なしで乗れるケースが増えてきた。日本よりもカード払いできる場面が多いことは認識しており、この点の選択肢のあるなしはフランスを含む欧州全体の魅力だろう。

西村氏はフランスでのキャッシュレス事情を説明する
パリ北駅にあるブーランジェリーの「Paul」。キャッシュレス支払い対応なので、到着直後でユーロの現金がなくても食事が可能

もう1つは高額紙幣の話だ。夏野氏は「1万円札のような高額紙幣を使っているのは日本くらい。いっそ廃止すべき」と述べ、米国での20ドル札の例を挙げ、世界的に高額紙幣は廃止の潮流にあることを説明した。

ただ、米国において20ドル札が使いやすい単位で最も利用されているだけであり、ATMに向かえば普通に50ドルや100ドル紙幣が出てくる(金種変更は可能)。欧州も500ユーロ札は廃止となったが、100ユーロ札を含め高額紙幣はまだ存在している。額面は一気に下がるが、「1,000ルピー紙幣」を廃止して話題になったインドでは、代わりに「500ルピー紙幣」を刷新し、さらに新たに「2,000ルピー紙幣」を発行したことはあまり知られていない。「インドは高額紙幣を廃止して一気にキャッシュレス社会へ」とニュースでもてはやされたが、実態はさらに高額紙幣の発行という流れだ。世界的にみて最も高額と言われているのが「1,000スイスフラン」紙幣だ。日本円で額面にして「約12万3,000円」で、正直いって怖くてとても財布に入れて持ち歩けない。

高額紙幣の話題に踏み込む夏野氏

ただ、高額紙幣が実際に日本で広く使われており、1万円札を持ち歩くのがごく当たり前というのが現状というのは確かだ。

キャッシュレスを推進する筆者としては、以前は財布の中身は「1万円どころか1,000円が入っているかも怪しい」という状態だったが、親の介護で医療関係の支払いが増え、複数の請求書が毎月のように届くようになると、支払いのために多額の現金を抱えてコンビニや銀行に出向くケースが増えてきた。税金や公共料金をはじめ、このような支払いでクレジットカードなどが利用できないというケースはいまだ少なくない。そのたびに何万円単位の現金を用意して窓口やコンビニの現金投入口にお金を何度も突っ込んでいくわけで、まだまだ効率化できる部分はいっぱいあるというのは筆者の感想だ。高額紙幣を廃止するという荒治療よりも、まずは支払いの選択肢を増やすところからスタートしてほしい。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)