鈴木淳也のPay Attention

第112回

コード決済が電子マネーを抜く日

東京の日本橋にある日本銀行本店

日本経済新聞などの6月18日の報道によれば、日本の個人消費におけるキャッシュレス決済率は前年の2019年比で2.9ポイント増の29.7%で、過去最高の伸びを記録したという。さまざまな要因が考えられるが、1つには「Visaのタッチ決済」などにみられる新しい非接触決済の利用が広まったことに加え、コロナ禍においてオンラインショッピングやデリバリーサービスなど、基本的にキャッシュレスでのやり取りを中心とするサービスにニーズが移ったことも大きいと考えられる。

同時に、2020年にはプレイヤーが出揃って、QRコードやバーコードを使う「コード決済」の利用が浸透したこともあり、これまでキャッシュレス決済導入に及び腰だった中小小売店での導入が進んだほか、普段からスマートフォンを利用する層の支持を受け、一定のポジションを築いている。

日本のキャッシュレス決済対応についてはいろいろ語られているが、1つ確実なのは「クレジットカード」がその中心にある点だ。例えば、先ほどの日経新聞報道は経済産業省の同日の発表を基にしたものだが、三井住友カードが運営する解説サイトにその実際が紹介されている

海外におけるキャッシュレス決済は、特に欧州とオーストラリアにおいて「デビットカード」がその中心にあり、多くの国で8割以上のキャッシュレス取引をデビットが担っている。これは銀行口座さえ持てれば誰でもすぐにデビットカードを入手することが可能なことに由来する。

一方で米国ではデビットユーザーも多いが、クレジットカードユーザーもそれなりの数が存在する。前々回のBNPL(Buy Now, Pay Later)の解説でも触れたが、クレジットカードにおける“借金”を積極的に活用する層がそれなりにいることに由来する。

一方で日本は、クレジットカードは翌月一括払いの「マンスリークリア方式」が一般的であり、使い方としては欧米豪におけるデビットカードのそれに近い。そうした日本におけるクレジットカード利用率は先ほどの三井住友カードのサイトによれば25.8%であり、実にキャッシュレス決済全体の87%を同取引が占めている。

他方で、国内のデビットカード利用比率はわずか0.8%にとどまっており、これは前述の一括払い文化で本来であればデビットカードが担う部分をクレジットカードが代替していることに起因する。

日本ではこのほか「電子マネー」「コード決済」の利用があり、先ほどのデータではそれぞれ2.1%と1.1%となっている。コード決済の市場は立ち上がったばかりで、日本国内で本格的に利用がスタートしたのは実質的に2018年以降のことだ。それが2-3年の間に比率としては1%台ではあるものの決済市場に一定のポジションを築いたわけで、その点で興味深い。今回のテーマはこの「電子マネー」と「コード決済」だ。

3月にみられた逆転現象

興味深いデータがある。キャッシュレス推進協議会は9月10日に「コード決済利用動向調査」について2021年1-3月の最新データを公開している。これは関連ソリューションを提供する各社の出す情報を集計したもので、実際に店舗で利用された金額や決済件数の同期間でのデータがまとめられている。実際にExcelファイルを確認すると、次のような数字が出てくる。金額と決済件数ともに順調に伸びており、特に3月は大きく数字が跳ねている。数字的には同月の決済金額が6,594億円で、決済件数は約4億件となる。

これは同月に開催された「超PayPay祭!フィナーレジャンボ」の影響もあるが、PayPay社長の中山一郎氏が第三者機関のデータを引用して「コード決済におけるシェアの3分の2はPayPay」と説明しているように、そもそもPayPayの利用状況がコード決済市場全体に大きく反映されるため、このような結果になったと予想される。

コード決済利用動向調査」の2021年1-3月期のデータ(出典:キャッシュレス推進協議会)

一方の電子マネーだが、日本銀行が毎月最新データを公開している「決済動向」によれば、同月の電子マネーによる決済金額は5,001億円(単位が「100 million」つまり「億」なので注意)、決済件数は4億8,800万件となっている。決済件数では電子マネーが依然有利なものの、金額面では逆転現象を起こしている。

日本国内の各月における電子マネーの利用状況(日本銀行の決済動向 2021年7月版より抜粋)

もう少し分析していくと、電子マネーでは図表にもあるように3月の決済単価が「1,025円」となっているが、コード決済では金額全体を件数で割ると「1,625円」となる。つまり、電子マネーよりも大きな買い物がコード決済で行なわれるケースが多いことが分かる。

実際、交通系電子マネーなどは自動販売機などで100円単位の買い物でも利用されるわけで、利用シーンが若干異なるということを意味している。また興味深い部分として、日銀の決済動向の電子マネーの項にもう少し着目すると、決済金額や件数、カード発行枚数は“ほぼ横ばい”あるいは微減なのに対し、携帯電話からの利用は増え続けている。

今回はデータの紹介は割愛するが、JR東日本の決算資料によれば、「Suica利用が足踏み」しているなかにおいても「モバイルSuica」の利用は増加の一途をたどっており、全体にモバイルシフトが進んでいる。これをコード決済の伸長と合わせれば、全体に決済におけるモバイル利用が増え続けていることが裏付けられる。

また「決済動向」ではキャッシュレス決済の利用状況について「電子マネー」と「デビット」の2種類しか記載されていない。同件について理由を日銀に尋ねたところ、「個別の決済方式の利用状況についてはそれぞれの業界団体の集計に任せており、現時点で特に『決済動向』で取り扱う予定はない」(日本銀行 決済機構局)としている。例えばコード決済であれば前述のキャッシュレス推進協議会が、クレジットカードであれば日本クレジット協会が集計データを公開しており、そちらと合わせて参照してほしいというスタンスのようだ。

落ち込む交通系ICの決済需要

この逆転現象が一時的なものかどうかはコード決済の4月以降の集計データで改めて追いかける必要があるが、春以降にコード決済が安定して利用を保っているという話は各所から聞こえており、実際に「決済回数増加」を重視するPayPayの戦略が功を奏していることが立証されつつある。普段使いでいかに定着させるかという点だ。

また、本誌で「中小店舗のキャッシュレス対応」を連載する平澤寿康氏から、5-6月に入ったころに「紀の善」店舗でのコード決済利用額が交通系ICのそれを超えたと聞いた。特にPayPayの伸びが大きい。

JR線や地下鉄の駅前でもともと交通系IC利用が多かったという同店だが、そういった店舗でもコード決済利用が上回ったことに非常に驚いた記憶がある。紀の善はコンビニなどに比べれば商品単価がやや高めなため、1回の決済金額は最低でも1,000-2,000円程度になるが、これは一般的な交通系ICの平均利用額を上回る(通常は1,000円以内)。

紀の善で商品2点を購入して会計を行なったところ。このように1,000-2,000円くらいが支払いの最低レンジになる。なお、アクセプタンスマークは最新のものではないので注意

このような分析で納得していて「そういう店舗もあるんだ」という程度で考えていたところ、先日BNPL関連の取材でファミリーマートにインタビューしたところ、非常に面白い話を聞いた。交通系ICはコンビニ利用において割とメジャーな決済手段だと考えているが、同社によれば「コロナ禍に入ってから交通系IC利用が顕著に落ち込んでいる」のだという。

具体的な数字はもらえなかったものの、ファミリーマートにおけるキャッシュレス決済比率は世間一般と同じ「約3割」で増加傾向にあり、そのなかで交通系ICだけが落ち込んでシェアを落としているということになる。

実際、これはデータにも表れている。JR東日本が公開している「2021年3月期決算」のPDF資料によれば、コロナ禍においてもSuicaが利用可能な加盟店数とモバイルSuicaユーザーは増えているにもかかわらず、2020年から2021年を通しての決済件数は1割以上の大幅減となっている。

容易に想像できるのが以下のようなシナリオだ。新型コロナによって在宅勤務やテレワークが増加し、オフィススペースを解約したり縮小する企業が増えるなか、通勤回数は減少し、人によっては定期券を解約してしまったケースもあるだろう。必然的に一番身近だったキャッシュレス決済手段であるSuicaなど交通系ICは取り出す機会やチャージする機会を失い、それが利用減へとつながっている。

交通系電子マネー(交通系IC)利用件数の推移(出典:東日本旅客鉄道)

同社ではグループ経営ビジョン「変革2027」を2018年に発表しているが、コロナ禍に見舞われて経営状況が大きく変化したことを受け、2021年1月に目標数値の修正を行なっている。このうちSuicaについては「2022年度内に月間決済回数3億件」だったものを「2025年度内に月間決済回数5億件」としている。

本来の成長カーブであれば前段の目標も問題なかったが、少なくとも直近のデータでは達成は難しくなった。そのため「2025年度内」ということで修正目標を再設定したわけだが、現状のコロナ禍による生活スタイルの変化がある程度永続的なものだとすれば、筆者の予測でこの目標の達成もまた難しいのではないかと考えている。

グループ経営ビジョン「変革2027」の資料から。JR東日本が抱える目標の1つに輸送事業依存から脱却し、他のビジネスのセグメントを育てることが挙げられる(出典:東日本旅客鉄道)
1月に行われた「変革2027」の目標値修正。Suicaの目標達成時期を3年後に変更している
旅客輸送が減少しているのは確かで、これがSuica利用の目標達成における障害の1つとみられる

実際のところ、日本の決済シーンを便利にするという意味で小額決済の市場を切り開いたSuicaの功績は大きいが、一方でライフスタイルの変化に合わせてSuicaの利用シーンそのものが減少するという現象に見舞われたことで、現在は普及の足踏みが続いている。

一方でクレジットカードが小額決済の場面でも利用されるようになり、コード決済もその穴を埋めつつある状況において、「人々の移動」を担う役割を母体とする交通系ICが今後のどのように起死回生を図るのかに注目している。

ヒントの1つは「MaaS」のような新しい移動ソリューションとの連携であり、実際に西日本旅客鉄道(JR西日本)では「モバイルICOCA」のリリースをMaaSソリューションに絡めようとしている。JR東日本ではSuicaの広域利用に向けてオフィスなどの“鍵”の用途に同ICカードを活用すべく先行投資や提携を進めたりと、“エキナカ”以外での活用場面をいろいろと模索している段階だ。おそらく、今後数年はこのあたりの「用途拡大」に関する事情が非常に面白いものとなるだろう。

「タッチ&ゴー」で始まったSuicaが日本のキャッシュレス決済シーンを切り開いた功績は大きい

本件について、後日改めてJR東日本より公式のコメントをいただいたので紹介したい(9月30日追記)。

新型コロナウイルスの感染拡大もあり、キャッシュレスでお買い物をしたいといったニーズは高まっていると認識している。こうした状況下、電子マネーだけでなくクレジットカード、コード決済をはじめとしたキャッシュレス事業者がそれぞれの強みを生かし、切磋琢磨しながらキャッシュレス環境の整備を進めていければと考えている。Suicaの利用は、コロナ禍にあっても新たな生活様式より、堅調な状況だ。

また、「変革2027」で触れられていた「2025年度に5億件」というSuicaの月間決済件数目標達成について、次のようなコメントもいただいている。

引き続き、チェーン店を中心とした利用可能店舗の拡大や、利用促進に向けたキャンペーンを実施するとともに、中小店舗や観光地等における加盟店開拓にもより一層力を入れることにより、目標達成に向けて取り組んでいく。また、東北エリアをはじめとする地方圏では、2022年春には一部エリアにおいて地域連携ICカードがバス事業者に導入され、2023年春以降には青森・盛岡・秋田のエリアで鉄道にSuicaが導入される予定である。これにより東北エリアをはじめとする地方圏において、多くのお客さまにSuicaをご利用いただけるものと考えており、地方圏における加盟店開拓に力を注ぎ、お客さまの日常利用の決済手段として選ばれるよう努めていきたいと考えている

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)