鈴木淳也のPay Attention

第54回

「中国がデジタル通貨の試験サービスを開始」の背景を探る

上海の観光名所として知られる外灘の風景]

先日、米Bloombergが「China Plans to Test Digital Yuan on Food Delivery Giant’s Platforms」と題した記事を公開した。中国の中央銀行である中国人民銀行(People's Bank of China)が発行を計画している「デジタル人民元(Digital Yuan)」の運用主体の1社に口コミ評価サービスとして知られる美団点評(Meituan Dianping)を選んだというもの。

中国人民銀行はデジタル人民元を用いた決済システムとして「DCEP(Digital Currency Electronic Payment)」のテストをつい最近になり開始したことが伝えられており、配車サービス最大手の滴滴出行(Didi Chuxing)がそのテストに参加した1社とされている。このほか、美団点評同様にテンセント(Tencent)が出資しているビリビリ動画(Bilibili)も、テスト企業の1社として参加する旨を中国人民銀行と協議しているという。

従来まで、紙幣や硬貨の発行によってその価値が担保されていた各国の中央銀行が発行母体の法定通貨だが、少なくともここ5-10年ほどは「CBDC(Central Bank Digital Currency)」導入の可能性や技術的課題がたびたび議論されるようになっている。議論が活発化する発端となったのは2009年に発行がスタートしたBitcoinの存在であり、ここで用いられている「ブロックチェーン」や「分散台帳」という考え方を用い、「スケーラビリティ」「パフォーマンス」「安全性」「取引の透明性」といった観点から既存の金融システムを置き換えていくというものだ。今回話題に上っているDCEPは間違いなくその最先端にあるもので、中国が世界の決済システムで人民元の地位を押し上げるべく他所に先駆けて研究開発投資を進めている。

上海の主要ターミナルである虹橋駅の様子

貨幣のデジタル化で何が起こる?

Bitcoinのような“広義”でのブロックチェーン技術を用いて流通しているデジタル資産は「Cryptocurrency(暗号通貨)」または「Crypto Asset(暗号資産)」の名称で呼ばれるが、暗号技術を利用してその価値が保全されることに由来する。

これが前述のCDBCと異なる点が大きく2つある。

1つは発行母体で、Bitcoinのような暗号通貨が特定の団体や企業などによって発行されるのに対し、CDBCではあくまで各国の中央銀行が発行する。

2つめは通貨そのものの価値で、法定通貨ではない暗号通貨はその価値がそのときどきで変化する。一方で、CDBCはあくまで現行の法定通貨と等価であり、その価値は変化しない。こうした価値が特定条件で固定されるデジタル通貨を「ステーブルコイン」と呼ぶ。

ステーブルコインを保持するという行為自体は特に価値を持たないが、価格の変動する暗号通貨ではそれ自体が投機対象として機能する。Bitcoinなどを購入するユーザーの多くは投機目的だと考えられるが、これが「暗号“資産”」の名称で呼ばれる所以にもなっている。一方で、激しい価値の変動は安定性を欠き、異なる通貨をまたいだ決済が成立しにくい。Bitcoinを決済手段として採用する小売店が極めて少ないのも、一面ではこうした不安定性を反映した結果だ。

CDBCではBitcoinで用いられるブロックチェーン技術の“いいとこ取り”をしつつ、これを国の金融システムにどのように当てはめていくのかが課題となる。一般に、中央銀行では通貨の流通量こそコントロールするものの、銀行口座を使った送金や決済などの仕組みについては市中の銀行やサービス事業者に任せている。

ところがこの仕組みをデジタル化しようとしたとき、中央銀行は個々人や企業間でやり取りされるすべての取引を把握する必要が出てくる。取引の透明性の観点からいえば、汚職や不正蓄財、資金の不正な流用などが非常に追跡しやすくなるため大きなメリットとなる。一方で、これまで分散管理されていたシステムの制御が一挙に中央銀行の下へと集まってくるため、スケーラビリティやパフォーマンスの問題が出てくる。

また海外送金などのケースではコルレス銀行(Correspondent Bank)と呼ばれる中継銀行を経由しての送金が行なわれるが、システム的に一気通貫とはなっていないため、審査や処理の関係で送金完了までに数日から1週間程度時間がかかったり、あるいは中継途中に何らかの事故で送金が止まってしまうケースも少なくない。

CDBCを通じて各国の金融システムが接続されれば、現状でSWIFTを使って行なわれているメッセージ中継がよりシンプルで高速なものになり、送金手数料も安価となる。つまりブロックチェーン技術を用いてスケーラビリティやパフォーマンスの問題を解決できれば、既存金融システムの置き換えで資金の流通がよりスムーズで活発になるというメリットを享受できる。

中国のDCEPがどのような技術を用いているのか詳細は不明だが、各国の中央銀行がそうであるようにブロックチェーン技術をベースとしているとみられる。中国人民銀行は今年4月17日に、深セン、蘇州、雄安新区(首都北京に隣接する河北省の経済特区で習近平氏の肝いりで設置された)、成都の4都市でのトライアルを開始することを発表している

残念ながら筆者は確認できなかったが、中国農業銀行(Agricultural Bank of China)が配布しているAndroidとiOS向けDCEPアプリでは、送金やQRコードを使った決済サービスが利用できると思われるスクリーンショットが微信(WeChat)で出回っていたと、Coindeskが中国人民銀行の公式発表の数日前に報じている。前述4都市の許可されたユーザーであれば同アプリを通じてDCEPの機能を利用できたとみられ、特定のサービス事業者を皮切りに一般利用でのテスト範囲を拡大している段階にある。

現時点で一般市場でのトライアルを開始したCDBCはなく、その点での先進性を対外的にアピールする狙いもあるようだ。

DCEPのトライアル都市の1つである深セン。世界一の電脳街である華強路では夜中でもイベントに多くの人が集まり盛り上がることも

中国政府の視点でいえば、技術面での優位性を世界にアピールしつつ、国内の課題である不正のあぶり出しや汚職対策を強化する狙いがあると考えられる。

インドで2016年に高額紙幣である1,000ルピー札(日本円で約1,400円)の廃止が突如発表されて話題になったが(すぐに交換しないと無効化される)、そのすぐ後に500ルピー札と2,000ルピー札が新たに発行されたことはあまり知られていない。当時は「高額紙幣を廃止してキャッシュレス化を一気に推進することが目的」などと報じられたが、そうした側面もある反面、実際には「市中で不正蓄財されている資金のあぶり出し」が主目的だったと考えられる。

こうした紙幣の額面変更や再発行を行なう「デノミネーション」は、日本などを除く先進各国でも実施されるが、不正に限らず、眠っている資金を定期的に市場へとあぶり出すために利用される。流通通貨をデジタル化することができれば、こうした眠った資金のあぶり出しだけでなく、マネーロンダリングを含む各種の不正監視も容易となるため、汚職の蔓延する中国国内での課題解決にもつながる。

他方で、将来有望なステーブルコインとして多数の企業がスポンサーとして名乗り出たFacebookの「Libra(リブラ)」については、こうした中国政府の制御を越えて資金流通が可能になるため、中国人民銀行は導入に否定的だったといわれる。

ドル支配から抜け出す

技術面でのトピックについては、中国を除く他の国のCDBCも同様の考えを持っており、目指すところも比較的近い位置にあるのではないかと考えている。だが中国はDCEPで技術面での自国の優位性をアピールすると同時に、使いやすい決済手段として世界にアピールすることができれば、現在の米ドルを基軸とした世界の金融システムを揺るがし、通貨である人民元を米ドルと同等、あるいはそれ以上の地位へと押し上げたいという意図がある。

モバイル決済のおかげで外国人が中国に渡航しても人民元の紙幣や硬貨を使う機会は減ったが……

中国共産党傘下で英字新聞を発行する中国日報(China Daily)の「The future of China's economic engagement」という記事は、その野望を包み隠さず報じている。

イランなどが典型だが、米国では敵対関係にある国に経済制裁を科して締め付けを行なうなど、米ドルという基軸通貨と軍事力を背景に、その意図に背く国や地域を実質的にドル経済圏から締め出している。

今後米中の緊張関係がエスカレートしていくのであれば、いずれドルを軸とした金融システムから中国が閉め出される可能性は当然あり、その前にDCEPを本格的に立ち上げ、ドルに代わる決済システムとして広く世界にアピールしていくことになる。

「一帯一路(BRI:Belt and Road Initiative)」はそれを推進する歯車の1つであり、この構想に賛同する国や地域には新型コロナウイルスで疲弊した経済や医療支援しつつ、DCEPを提供していくことで、米ドル基軸の優位性を崩していくのだという。

実際に技術面でのリードはあり、準備通貨という面では対抗となる米欧英日らに運用面でも先行している。中国を除く先進国でCDBCという面ではスウェーデンの「e-krona」が知られているが、同国中央銀行であるRiksbankのAccentureとの共同プロジェクトが今年2月にようやく立ち上がった段階にある。キャッシュレス政策は世界でのトップランナーにあるスウェーデンだが、銀聯システムの立ち上げから18年、モバイル決済の普及開始からわずか5-6年ほどで同等、あるいはそれ以上の地位まで駆け上がった中国とはスピード感が異なる印象がある。2020年後半は関連トピックが多数出てくると予想されるが、各国の動向を改めて注視していきたい。

スウェーデンの首都ストックホルム
ストックホルム市内には現金お断りの店をいくつか見かけることができる

鈴木 淳也/Junya Suzuki

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)