鈴木淳也のPay Attention

第55回

自然災害にキャッシュレスは悪手なのか。現金の強さと弱さ

スウェーデンの首都ストックホルム中心部にあるキャッシュレス公衆トイレ。5クローナ(SEK)硬貨投入口は塞がれている]

先日、共同通信が配信した「キャッシュレス普及、停電で痛手」という記事の内容が気になった。「令和2年7月豪雨」と命名された熊本を中心に九州一帯を襲った豪雨で、同県人吉市のインフラが寸断され、そこで発生した停電と通信障害のためにキャッシュレス決済が利用できなくなり、「『いつでも使えて安心』と現金の利点や必要性を評価する声が上がった」というもの。水没を逃れたコンビニエンスストアでは営業を継続していたものの、7月4日以降に3日間停電したことでクレジットカードや電子マネーが利用できず、現金を持たない客は買い物を断念せざるを得なくなったと記事では締められている。

日本国内では過去3年にわたって台風などの大規模自然災害を被るケースが増えており、「キャッシュレスと自然災害は相性が悪い」という話題が毎回のごとく降ってわいてくる。このあたりは昨年2019年末に別誌で公開した記事でもまとめている)が、キャッシュレス推進派の筆者でさえ、通常時は1-2万円(少ないときは1,000~2,000円)程度の現金を財布に入れており、適時使い分けている。キャッシュレス原理主義者でもない限り、複数の支払い手段を用意しておき、バランスよくそれらを選択するのが最適解だ。

毎回不思議なのは、この手のキャッシュレスの話題になると必ず「All or Nothing」な選択肢を提示してくるケースが散見されること。しかし、これは議論の方向性として正しくない。諸外国のキャッシュレス事情を鑑みつつ、日本国内で今後どういった対策が可能か考えてみたい。

デンマークのコペンハーゲン中央駅にある男女共用公衆トイレ。こちらはキャッシュ支払いにも対応しているので、緊急事態でカードが使えなくても大丈夫

キャッシュレス先進国における誤解

2018年2月と少しだけ古い記事だが、スウェーデンのキャッシュレス事情を紹介した英Guardianの記事がある。同記事ではキャッシュレストイレについて「ちょっとややこしいけど、現金を持っていないので(有料トイレの利用は)助かる」という若い女性の声を紹介していたり、現金使用率が2016年時点で15%まで減少しており、わずか100クローネ(SEK、日本円にして1,200円程度)以下の支払いでもカード利用に躊躇しないという話が出ている。

筆者は実際に2018年9月にストックホルム中心にスウェーデンに滞在していたが、現地通貨を下ろすために一度もATMには寄らず、公共交通のICカードから市場でも買い物まで、すべてカード決済で済ますことができた。青空市場でさえ、個人の出している出店がiZettleと呼ばれる小型のカード決済端末を置いていたり、スマートフォン送金決済サービスである「Swish」の番号を掲示してスマホ支払いに対応していたりと、本当に現金を必要としない場所だった。現地在住の方に話をうかがったときも、「ここ数年ATMを利用したり、現金で支払った記憶がない」と話していた。

スウェーデンでは本当に現金を必要としない。インタビューした相手は財布の中身を見せてくれたが、中に入っていた現金は「あなたのような外国人が持ってきた現金を割り勘や報酬で受け取ったもの」ということで、ほぼ死蔵されているとのこと

ただ、ここで注意するのは、それだけキャッシュレス社会になってもスウェーデンでは「現金はいまだ流通し、実際に支払いに使われている」ということだ。

わずか3日程度の滞在にもかかわらず、現金決済の場面には何度も遭遇した。カフェやフードコートなどの支払いが中心だが、現金でのやり取りは思った以上に多い。例えば先ほど例に挙げた青空市場の場合、何人かの出店者に話を聞いたところ「カードとSwishと現金で1:1:1程度の支払い比率」というコメントが返ってきた。つまり3分の2はキャッシュレスだったとして、残り3分の1はまだ現金というわけだ。

青空市場でさえカードやSwishによるスマホ決済が利用されるスウェーデンだが、いまだ現金利用者は多いという

北欧は一般にキャッシュレス先進国といわれる。いくつか理由があるが、国土の広さの割に人口が少なく分散しており、現金輸送コストがばかにならないこと。フィンランドを除く4カ国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド)は「クローナ」という独自通貨をそれぞれ導入しており、発行維持コストのために流通量を可能な限り抑え込みたいこと、などの話をよく聞く。

実際、この中で一番の小国のアイスランドの場合、国の総人口はわずか36万人であり、これは和歌山市の人口と同数だ。この人数が北海道よりも大きな島に住み、GDP換算で日本の200分の1程度の経済規模なわけで、紙幣や硬貨の維持コストだけで大きな負担になる。そのため、アイスランドは北欧でも比較的早い時期からキャッシュレス経済へと政治主導で進んでいったといわれる。

ただそれでも、実際に首都レイキャビクの街をまわっていると現金でカフェや市場での支払いを済ませる高齢者を多数見かけた。公共交通もICカードではなく、定期券や1日券のようなものをオンラインまたはコンビニ的な店舗で、カードまたは現金で購入するようになっていたりと、ところどころで“コストをかけない工夫”のようなものが見受けられたのも興味深いものだった。

それでも北欧では共通して現金なしでの買い物やサービス利用が可能で、いちいち現地通貨を現金で用意せずとも滞在に問題がないというのは旅行者にとってありがたい。

先ほどのスウェーデンの場合、「現金を所持していない銀行支店が半数以上」という話も出ているが、実際には同国を含む北欧全体で街のいたるところに(銀行支店も含めて)ATMが設置されており、現金を引き出すこと自体は容易だ。またATMがないケースでも、街のスーパーの会計時に「キャッシュアウト」という形で銀行口座から預金を引き出すサービスが存在する。これは前述のように「国土が広いため銀行支店やATMの設置が不十分」という状況に対応するためで、キャッシュレス先進国でも現金は意外と身近な存在となっている。先日、中国政府がデジタル人民元(eRMB)を用いた決済システムとして「DCEP(Digital Currency Electronic Payment)」を推進しているという話を紹介したが、急速にキャッシュレス化が進む中国においてさえ、いまだ現金はほとんどの店で利用できる。

もちろん、スウェーデン含め「カードのみ取り扱い」「(特定の)モバイル決済のみ受け付ける」といった店舗もないわけではないが、複数の決済手段を受け入れつつ、多くはキャッシュレスを利用しているというのがキャッシュレス先進国の実情だ。

北欧の都市をまわっていると、意外とあちこちにATMが設置されていることに気付く。ただし“観光客の多いエリア”がその中心であり、地元民の多いエリアはその限りではない

コンビニATMは災害時の駆け込み寺になるのか

キャッシュレスと災害対応について話を進める。共同通信の報道によれば、政府は災害時を想定した実証実験に予算を計上し、対策に乗り出しているという。経済産業省が公開している「地域におけるキャッシュレス導入支援事業」(PDF)によれば、令和2年度の補正予算として10億円を計上し、災害時のキャッシュレス決済実証事業を進めていく計画となっている。

目的は、今回の熊本県人吉市のケース同様に停電や通信障害が発生し、決済端末が使用不能になった場合に対応方法を検証すること。具体的には、クレジットカード番号を紙に記帳することでの支払いや、店舗や決済事業者がこれに対して行なう実務処理や不正対策などを検証するのが狙いだ。

同省に確認したところ、まだ参加事業者や概要などは決まっていないが、2020年秋頃に実際の検証を行なっていく意向だとしている。

経済産業省が進める災害時のキャッシュレス対応の実証実験などに10億円の予算を投じる計画

冒頭で紹介した記事にもあるが、コンビニ各社では停電時の非常用電源設備の設置なども検討しているものの、POSや決済端末を稼働させるだけの発電は行なえず、あくまで最低限のインフラを維持するだけの予備電源でしかない。

北海道の停電ではセイコーマートやセブンイレブンが自家発電設備によりATMの連続稼働を可能にしていたが、おそらくこれが現状での現実解だろう。顧客にはATMでキャッシングしてもらい、インフラ復旧までは店頭での買い物を現金を使ってもらうという流れだ。「2019年度にはセブン銀行ATMの数が大手銀行ATMの数を上回った」という報道も出ており、災害時の駆け込み寺としてもコンビニATMが活用される機会が増えるのではないかと考える。

「移動式ATM」というのも選択肢の1つだ。共同通信の報道でも、肥後銀行の移動式ATMが避難所前に設置されたことが紹介されていた。2012年秋に米東海岸をハリケーン「サンディ」が襲ったとき、インフラが寸断されたニューヨークには銀行が大量の移動式ATMを各所に設置したことが知られている。移動式ATMはもともとイベント興業などで、普段は人が少ないエリアに一時的に現金利用が急増するケースで持ち出されることが多いものだが、いざとなれば今回のように非常用設備として機能する。

先日アフリカの小国ルワンダの首都キガリを訪問したとき、中心部のキガリハイツには移動式ATMが設置されていた。電源は隣接するビルから確保しているようだ
ルワンダの場合、キガリ市内にはそこそこ銀行支店があり、ATMが設置されているものの、諸外国ほどではない。これは多くの国民が銀行主導の金融システムから外れており、現金の所持や自給自足に依存していることによる

小売店のPOSに限らずATMの弱点でもあるのだが、少なくとも電源と通信インフラが維持されている必要がある点が挙げられる。

北海道地震のケースでは全道が停電するという事態に陥り、データセンターや光通信網、携帯電話の基地局がバッテリや非常用電源設備での動作を強いられた。特に携帯電話の基地局に設置されたバッテリは最大で「24時間」の動作しか想定しておらず、電源供給が再開されない限りはすべての通信網が沈黙してしまう。

同様に、店舗がQRコードを掲示するタイプ(MPM)のアプリ決済は災害に強いともいわれたりするが、こちらも携帯電話のインフラが生きていることが前提で、災害とは関係なく、例えばAWSなどのデータセンターで障害が発生するとサービスが利用できなくなったりする。その意味で、どの障害にも強いキャッシュレス決済サービスというのはなかなか難しい。

ルワンダは電源インフラが安定しておらず、国で一番のオフィスビルにおいてさえ1日に何度も停電が発生するが、日常なので現地人は誰も気にせず復旧を待っている。当然、同ビル内にあるスーパーのPOSもすべて停止するが、現金であれば買い物自体は問題なくできるため、やはり誰も気にしていない

経産省が進めているキャッシュレス決済の災害対応の検証プロジェクトだが、カード番号を記帳しておき、あとで処理するという手段は無難だと考える。

「カードの凹凸(エンボス)をカーボン紙に転写する『インプリンタ』を使えばいい」という意見も散見されるが、最近はエンボスのないカードが増えてきており、必ずしも使えるわけではない。またインプリンタを利用する際に問題になるのが、限度額を確認する「オーソリゼーション」という処理で、通常はCCTのような端末で読み込ませることでカード会社側に問い合わせが行なわれる。筆者は過去2年間で2回ほどインプリンタでの決済をさせられたことがある。どちらも米サンフランシスコ市内のホテルで、Ingenicoなどのカード決済端末にカードを一度通した後(ここでオーソリが行なわれる)、インプリンタで転写を行なうという手順だ。

なぜ一度カードを読み込んでから転写するのかは謎だが、おそらく経産省のプロジェクトにおいてオーソリが問題の1つになるはずだ。災害時には電話が使えない可能性も当然考慮するわけで、考え方としては「1日の決済限度額が1万円まで」のような縛りを設けるのではないだろうか。問題はカードが店をまたいで複数回利用されたりするケースだが、災害時であり派手な移動が難しいこと、そして復旧までに1週間もかからないと仮定すれば、そこまで厳密な対策は必要ないかもしれない。また経産省のプロジェクトでは、読み取りに専用端末を必要とする電子マネーなどFeliCaタイプのサービスの利用が難しい。

もう1つは、水害や火事でカード、預金通帳など個人所有のものがすべて流されてしまい、臨時に現金を必要とするケースだ。現金オンリー派の罠となるが、こうしたケースでは財布はおろか、金庫や“タンス”にしまっていた現金が遺失してしまう可能性が高く、一度なくなったものを取り返すのは難しい。そもそも盗難の危険もあり、多額の現金を手元に置いておくのは危険度が高いともいえる。

この場合、現金引き出しの一助となるのが生体認証だ。例えばセブン銀行が新型ATMで顔認証機能を採用しており、これを利用した現金引き出し機能の提供を計画している。現在はATMカードと指紋認証を複合させてセキュリティを高める用途が主軸だが、今後生体認証でも複数の要素を組み合わせて安全性を高めたり、あるいは1日の引き出し限度額を下げることを条件に顔認証のみで引き出しで対応するようになれば、災害時のカード紛失であっても至急の現金需要に応えられる。

スマートフォンがもし使えるならば、これを通じて現金引き出しが可能なサービスもあり、事前の予防線としてカード以外に複数の引き出し手段を確保しておくのも手だろう。

顔認証に対応したセブン銀行の新型ATM

まとめると、普段からの心がけとして、複数の決済手段を適時用意しておくこと。また前段の災害時のカード紛失などに備えて、カード以外の現金引き出し手段を用意しておくのもいいかもしれない。

日本の決済サービスは安定し成熟したインフラ上で成り立っており、アフリカやアジア諸国にみられるような頻繁な停電もなく、非常事態への許容度が低いようにも思え、こうした備えがおざなりになりがちだ。現金でさえ、紛失時の回復手段はないという弱点がある。決済手段はそれぞれに長所と短所があり、適時使い分けていくのが重要だ。

鈴木 淳也/Junya Suzuki

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)