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小田急ロマンスカー50000形「VSE」年内引退 元運転士が寄せる思い

小田急ロマンスカーの復権を掲げて2005年から運行を開始した50000形VSE

2021年12月、小田急電鉄が白いロマンスカーとして親しまれていた50000形VSE(=Vault Super Express)を2023年中に引退させると発表しました。歴代のロマンスカーでも高い人気を誇るVSEが、ほかのロマンスカーよりも一足早く引退することになり、鉄道ファンや小田急ユーザー、沿線住民に大きな衝撃を与えました。

50000形VSEは2005年3月19日に運転を開始したロマンスカーです。2.55mの室内高、風景を存分に楽しめる展望席、迫力のある眺望を楽しめる連続窓、高いドーム型の天井などの居住性、なによりも洗練された外観デザインやカラーリングが多くの人を魅了してきました。また、車体傾斜装置などさまざまな技術による、快適な乗り心地も特徴です。

いよいよVSEの完全引退が近づく中、東京エアトラベル・ホテル専門学校講師でロマンスカーの運転士経験のある濱崎勝明さんと、同・非常勤講師の梅山洋さんにVSEを中心にロマンスカーへの思いを語ってもらいました。

梅山洋さん(左)と濱崎勝明さん(右)。元ロマンスカーの運転士だった2人だけに、インタビューは小田急愛に溢れた話が満載だった

ロマンスカーの運転士になるまでの道のり

――長らく小田急で運転士などをされてきた濱崎さんと梅山さんですが、まず経歴を簡単に教えてもらえますか?

濱崎氏:私は1967年生まれで、1985年に小田急に入社。2015年2月に中途退職しました。小田急電鉄ではロマンスカーの運転士を経験したあと、本社新規事業チームで小田急グッズ制作と監修・販売を担当していました。

小田急電鉄は入社すると最初は駅員として勤務に入り、その後選抜試験を受けて、車掌見習になり、車掌での乗務経験を経て運転士見習になります。運転士見習になるまでが3年で、研修期間は8カ月。会社によって制度は違いますが、私の現役時代は入社から最速で3年8カ月でした。私は5年8カ月かけて運転士になっています。

濱崎さんは小田急退社後にコンサルタント会社を設立。商品開発などを手掛けるほか、東京エアトラベル・ホテル専門学校では後進の育成にもあたっている

梅山氏:私は濱崎さんとは同期で1985年に小田急電鉄に入社して、1990年から2021年まで運転士を務めた後に退職しました。ロマンスカーは3100形NSE(=New Super Express)から最新型の70000形GSE(=Graceful Super Express)まで運転をしていました。このほど引退するVSEも運転しています。

梅山さんはVSEのほか2018年から運行を開始した最新のロマンスカーGSEの運転経験も持つ
引退後、開成駅前に保存展示されている3100形NSE

――外からだと、鉄道の運転士は鉄道会社でも花形のように見えます。どうやって運転士になるのでしょうか?

梅山氏:鉄道の運転士試験は国家試験です。学科試験にしても実技試験にしても運輸省(現・国土交通省)が所管し、免許も交付されます。試験は本当に厳しい目でチェックされます。見習訓練は4カ月の学科、3カ月の実地、1カ月の集合訓練で約8カ月。ステップごとに常に試験があり、最終試験に合格すると「単独」と言って、ようやく一人で運転することができます。

乗務員は「組」と言って、出番ごとにチーム分けされています。正確に数えたことはありませんが、乗務区ごとに約20名×6組。乗務区は4つありますので、管理職を含めると全線で運転士は500名弱いると思います。

濱崎氏:梅山さんを含め、運転要員として当時入社試験に合格した私の同期は約90名。最終的に同期で運転士になったのは30名ほどです。運転士への道は狭き門にも見えますが、鉄道の仕事は運転士だけではありません。ちなみに入社試験には適性試験が含まれていますので、合格時点で全員が運転士の適性を持っています。

運転士のほかにも、鉄道の業務は多岐に渡ります。駅では改札・出札・定期・会計・列車監視・信号操作など多彩な業務があり、車掌は列車長として車内の秩序を守り、事故発生時は他の列車に危険を知らせ、お客さまを安全に退避させる役目を担っています。

鉄道業界では運転士にスポットライトが当たりがちですが、鉄道の仕事はそれぞれの道に大事な役目があり、それぞれが連携しているからこそ安全が担保されています。

――ロマンスカーの運転士になるということは、さらに試験を突破しなければなりません。30名の運転士が、さらに選抜されるということですよね?

濱崎氏:先ほど説明した3年8カ月は、運転士として単独乗務するまでの期間です。単独から3年間経験を積み、はじめて特急運転士試験を受験できる資格が得られます。

梅山氏:ロマンスカーの運転士は社内試験で、学科と実技があります。さらにVSEの運転士になるにはもう一つ別の試験に合格しなければなりませんでした。つまり、同じロマンスカーでもVSEは別格だったのです。VSE運転士の試験は、所属長から推薦をもらわなければ受けることができません。自他ともにVSEが特別と言われるのは、こうした点も理由になっていると思います。

ちなみに、GSEがデビューした2018年から、特急運転士の選抜方法が変わりました。それまで特急運転士のなかでもVSEの運転士は別格だったのですが、GSEのデビューからは30000形EXE(=Excellent Express)も60000形MSE(=Multi Super Express)も、すべての特急運転士がVSEと同じレベルを求められるようになっています。

VSE引退後、GSEが箱根の観光特急という役割を務める

――VSEの運転士はそこからさらに選抜された運転士だったわけですね?

濱崎氏:試験に合格した特急担当者からさらに選抜され、専用の制服を着用して乗務するという意味でVSEは特別な存在でした。また、運転士のみならず乗客サービスに関しても力を入れていたので、車掌も選抜された乗務員だけが担当しました。

梅山氏:ただ、VSEの乗務員に選抜されなくとも、特急担当者は操縦に必要な技能を持っていますので、操縦感覚を忘れないよう通常ダイヤの中で回送列車を担当することはあります。

当時、VSEは新宿駅を出発して箱根湯本駅まで何度か往復した後、新宿駅から再び喜多見にある車庫まで戻ります。この回送が運転感覚を磨くのにちょうどいいのです。そのほか、相模大野の工場で定期検査をするときの回送も運転することができます。

展望席のあるVSEでロマンスカーの復権・原点回帰

――濱崎さんはロマンスカーの運転士をしていましたが、別部署に異動してしまったのでVSEは運転していません。そのあたりの経緯を詳しく伺えますか?

濱崎氏:VSEが運行を開始したのは2005年3月19日。私はVSEが営業運転を始める直前の3月16日に、運転士から本社の沿線事業部(当時)新規事業チームに異動して、鉄道グッズ担当になりました。

運行開始前の習熟運転は経験していましたが、運行直前に辞令が出て運転士業務を離れてしまったのです。

――習熟運転のトレーニングまでしていたのに、これから運転できるという直前でのタイミングで異動するのは非常に辛いですね……。

濱崎氏:そうですね。やはり一度はお客さまを乗せて運転してみたかったですね。ただ、鉄道グッズ事業は1999年に社内ベンチャー提案コンテストで車掌の同期と私が小田急ファン醸成を意図して提案した新規事業でした。コンテストそのものは佳作で終わりましたが、それがきっかけになって2003年に小田急グッズショップTRAINSが誕生しました。

そうした事情から、上司には「異動させてほしい」と希望を伝えていたのですが、どの企業でも簡単に「はいそうですか」とはいかないですよね(笑)。

その後、自腹でビジネススクールに通い、運転職場でCS(カスタマーサービス)担当となり、職場内の啓蒙ビデオ作成や乗車記念カードプロジェクトに関わります。そして社内表彰制度のひとつであるサービスマスターを受賞しました。そうした出来事があったので、異動のことなどすっかり忘れて別の道に進もうと思っていた矢先に異動の辞令がありました。本当にびっくりしました。

新部署に移動してからは、鉄道グッズの開発とショップ運営の担当となり、鉄道模型を中心に様々な商品監修・開発を担当しました。また、新宿のお店をゼロから立ち上げるチームに参加できたのは幸運でした。

和泉多摩川駅に併設する形で、2003年にオープンした小田急グッズショップTRAINS。同店は2022年8月に惜しまれつつ閉店したが、現在は新宿駅とロマンスカーミュージアム内の店舗で営業中

――小田急ロマンスカーの元運転士さんに言うのも失礼ですが、小田急がVSEに力を入れるようになったのは、ひとつ前のロマンスカーだったEXEが通勤型の特急だったので、期待を裏切られたという思いを抱いた人が多かったからという気がします。その反動でVSEに力を入れたということはありませんか?

濱崎氏:退職をした“個人の感想”ということでお答えしますが、EXEの登場は社会環境が変化して通勤に特急列車を使う人が増えてきた影響が大きいと思います。展望席のない特急という意味でEXEを地味に感じるか方もいると思いますが、特急車初のVVVF制御車で、パワーもあって実はものすごく運転しやすいのです。また、分割・併合、停車駅、種別の増加など、現在のロマンスカーの運行形態が変わるきっかけになった車両でもあります。

ただ、個人的には展望席があった方がいいな……とは感じていましたので、VSEの登場はすごく嬉しかったです。VSEは子供の頃からイメージしていたロマンスカーのイメージに近い特急車両だと思います。

EXEは通勤特急としても活躍することを期待されて登場したため、ロマンスカーの特徴にもなっていた前面展望は採用されなかった

梅山氏:VSE登場前に社内で「小田急ロマンスカーとはどんな存在ですか」というアンケートがあったのですが、この回答では「展望席」「連接車」「走る喫茶室」といった回答が多かったそうです。私も同じように回答した覚えがあります。ロマンスカーの復権、原点回帰。VSEにはそのすべてが集約されていると思います。

――乗客としてもファンとしても、VSEは華やかなロマンスカーだったと感じます。運転士さんとしても、VSEの運転はテンションが上がったりするものですか?

梅山氏:やっぱり展望席のあるVSEやGSEは特別に感じますね。例えば、ホームでロマンスカーの乗車待ちをしている親子連れをよく目にしますが、自分が乗りたいと思っていたVSEやGSEだったときは喜んでもらえます。

VSEは運転士気分を味わえる前面展望がウリ

ただ、EXEやMSEだからといって、お客さまを退屈させるわけにはいきません。展望席のないロマンスカーは、逆に座席から運転席がよく見えますから、自分たちの仕事をキッチリと見てもらうことができます。最前列に小さなお子さんが座っていたりすると「運転士さんのお仕事をよく見てね〜」と話しかけることがあります。そして、指差喚呼や信号確認の動作をわかりやすく見せられるように、少しオーバー気味にすることはあります。

濱崎氏:VSEの登場はロマンスカーが小田急電鉄を代表する特急列車から、お客さまや沿線住民のみなさんひとりひとりにとって特別な存在になったきっかけを作った車両だと感じています。

VSEは模型でも大人気

――先ほど、小田急ロマンスカーは連接車という話がありました。ファンの間では、その連接車がアダになってVSEは18年という短命で引退したと言われています。新しいGSEは連接台車ではありません。そのあたり、どう受け止めていますか?

濱崎氏:1ファンとしていろいろ想像するのは楽しいと思いますが、ニュースリリースでの発表(車両の経年劣化や主要機器の更新が困難になる見込みであること)がすべてだと個人的には思っています。連接車がアダになったという話ですが、小田急電鉄は連接車の整備では国内トップクラスです。連接車は1957年から採用されていますので、そもそもの構造に問題があればVSE以前の形式ですでに問題になっていると思います。座席数や、2編成しかいないことによる整備性、台車操舵や車体傾斜制御の機能維持など、いろいろ想像は膨らみますが、強いて言えば複数の要因が絡んでいるのかもしれません。

梅山氏:連接車は物理的に乗り心地がいいことは間違いありません。特にメリットを実感しやすいのは車端部で、ボギー車はカーブの時に台車の中心軸から外の揺れが大きくなりますが、それに対して連接車は台車中心軸が連結部にあるのでカーブで揺れを感じにくいんです。ただし、GSEはフルアクティブサスペンションや編成滑走制御が備わっており、ボギー車であっても乗り心地は格段に向上しています。

濱崎氏:どの会社でもそうですが、ボギー車に乗っていると、車両が振動で跳ねる時に台車の中心軸から外側にいるとフワフワっと揺れます。特にボルスタレス台車を履いている通勤車は一定の周期の揺れのほかに、大きな揺れが出やすいのです。今度、乗った時に吊り革の揺れを観察してみてください。

ただ、連接車、ボギー車にはそれぞれ長所や短所があるので、その時代における最適な技術の一つが連接台車だったというのが私の感想です。

梅山氏:そのほかにも、VSEは台車と車体を支えている空気バネが特徴で、台車の上に乗っている従来の空気バネとは違って高い位置についています。車体の腰あたりに空気バネがあるので、曲線で素早く反応し、自然な傾斜で曲がることができます。これも画期的な技術でした。

外見にもサービス面にも特別感があるのがロマンスカー

――単なるファンだと、VSEの前面展望がいいとか白いカラーリングや先頭車両の流線形がかっこいいといった話が多いんですが、そういった外見的な部分で、VSEへの思い入れはありますか?

濱崎氏:いやもう、カッコイイの一言です。実車を見た第一印象は「明るくて大きいな」でした。入社当時のロマンスカーは、グレーを基調にオレンジと白のストライプで、1987年から走り始めた10000形HiSEが「なんだか白いな」という印象を抱いたほどです。ハーモニックブロンズのEXEから、VSEにになってイメージカラーがガラリと変わりました。「これがロマンスカーだ」と思わせる外見だと思います。

VSEの模型を見ながら、濱崎さんと梅山さんのVSEに対する熱い思いが次々と飛び出した

――VSEが完全引退すると、特急専用車両が足りなくなってしまうのではないかと思うのですが、GSEを増備するのか? それとも次のロマンスカーが登場するのか。どちらだと思いますか?

濱崎氏:VSEが引退しても、車両には余力があるので、新しい特急車は造らず、当面は今ある車両で運用していくと思います。

――VSE引退後、MSEやGSEもしくは今後に登場するかもしれないロマンスカーに期待することはありますか?

梅山氏:今、JRを含めて東京圏の私鉄各社は有料座席指定サービスに力を入れていますよね。有料座席指定列車の多くはデュアルシートと呼ばれるクロスシートとロングシートのどちらも対応できる座席です。こうした車両は運用面でも柔軟性があり使い勝手はいいのですが、やっぱり夢がありません。ロマンスカーという名前で走る以上は乗客に夢とか楽しさを与える存在であってほしいと思っています。だから、展望席とか車体カラーリングでも、走る喫茶室といったサービス面でも特別感のある特急であってほしいですね。

VSEは白いロマンスカーとして絶大な人気を誇った。そのため、引退に際して小田急は特設サイトをオープンさせている

濱崎氏:小田急を退職後に東京エアトラベル・ホテル専門学校の教壇に立って多くの生徒を鉄道業界へと送り出しています。そうした若い人たちが、活躍する姿を見ることができればと願っています。

2人は東京エアトラベル・ホテル専門学校で教鞭を執っている(提供:東京エアトラベル・ホテル専門学校)

また、会社から離れて実感したのですが、ロマンスカーはもう小田急電鉄だけのものではないのだと思います。乗っている人たちにとっても、沿線で暮らしている人たちにとっても、そして今後の鉄道業界で働く人たちにとってなくてはならないもの。それがロマンスカーなのだと思います。

ロマンスカーはSEから時代の最新技術を用いた最適解を追い求めてきた車両です。最新が最適という意味において、GSEは今ある技術を目一杯に詰め込んだ最高性能の車両ということになります。そんな車両が、「こんなすごい技術を用いているんだ」と誇示せず、さも普通な顔をして走っています。その泰然自若とした走る姿に、ロマンスカーの凄さが凝縮されている気がしています。

これから鉄道は新しい運行形態に変化してゆきます。鉄道の未来の姿に合わせて、ロマンスカーがどのように変わってゆくのかを楽しみにしています。

濱崎 勝明(はまさき・かつあき)

1967年、神奈川県生まれ。1985年に小田急電鉄に入社。2015年に退社し、現在はオフィスハマサキ代表。運転士歴は15年。東京エアトラベル・ホテル専門学校鉄道交通科講師。「電車でGO!!」の運転士ボイスを担当したほか、小田急ホテルセンチュリーサザンタワーの「まるごと小田急プレミアムトレインルーム」、京成ホテルミラマーレの「京成ルーム」のシミュレーター開発を担当。

梅山 洋(うめやま・ひろし)

1966年、東京都生まれ。1985年に小田急に入社2021年退職。運転士歴は30年超でVSEやGSEの運転を経験し、現在は東京エアトラベル・ホテル専門学校鉄道交通科非常勤講師を務める。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。