鈴木淳也のPay Attention

第146回

加速するクレカで“タッチ乗車” 公共交通の「オープンループ」を理解する

英ロンドン、ベーカールー線(Bakerloo Line)のベーカー通り駅ホーム

クレカの“タッチ”で公共交通を利用する「オープンループ」の認知が少しずつ広まりつつある。8月2日には三井住友カードが提供する「stera transit」に関する説明会が、日本全国の鉄道事業者を集める形で開催されたが、日本国内だけでも実証実験合わせて20の事業者によるオープンループのプロジェクトが進められており、世界で580あるというプロジェクトの勢いに合わせる形で拡大が進んでいる。

世界の主要公共交通でオープンループが始まったのは、2014年に英ロンドンでのこと。2012年のロンドン五輪に合わせてバスでの実証実験がスタートしたのを皮切りに、「Phase 2」と呼ばれる第2段階では地下鉄を含む他の交通機関にも対象を拡大、「料金キャップ制(Fare Capping)」を導入して正式運用となった。

今回はこのオープンループに関して、よく聞かれる疑問やその間違いについてまとめたい。

改札機を“タッチ”で通過

疑問その1:オープンループは既存の交通系ICの置き換えを狙うのか?

オープンループが登場したことで、「既存のSuicaなどの交通系ICカードを置き換えていくのではないか」という声はよく聞く。

ただ先日の説明会でも三井住友カード 代表取締役社長兼最高執行役員の大西幸彦氏が再三説明していたように、完全に置き換えるような意図は推進側でも持っておらず、「既存の交通系ICカードでは満たせないニーズを補完する」ことが主眼にあり、結果として「適材適所で両者が共存する形」を模索している。

実際、ロンドンにおいて同交通局のTfLは「(交通系ICカードである)Oysterの将来的な廃止」をうたいつつも、現状ではOysterのみならずQRコード形式のチケットなど複数の支払い手段を受け入れている。またオープンループを導入したイタリアのミラノでは、磁気切符を含むさらに複数の手段の受け入れを行なっている。つまり、ある程度のニーズがある限りは複数の支払い手段を受け入れた方がメリットがあると事業者側も考えているわけだ。

2014年に英ロンドンで開催されたNFCPで講演するTransport for London(TfL)のDirector of Customer Strategy(2014年当時、現Chief Customer Officer)のMark Evers氏]
2014年の講演で示されたTfLのオープンループ導入ロードマップ。将来的なOyster廃止を視野に入れている

そもそも、TfLがオープンループに舵を切ったのは既存のOysterに課題があった点が大きい。1つは残高管理でチャージを含む手間が大きいこと、そして国際都市ロンドンらしい理由だが「Oysterがロンドン域内のみで通用するカード」という点にある。

例えば下記は2012年にロンドンを訪問した際のセントパンクラス(St. Pancras)駅の様子だが、同駅はユーロスターのロンドン側の発着駅であり、国外から多くの訪問客がドーバー海峡をくぐってここに到着する。市内を自由に移動するためにはOysterカードが不可欠であり(特にバスでは現金の取り扱いがないため、実質的にカードが必須)、到着客でOysterを所持していない人はこの窓口に並ぶよう誘導が行なわれていた。多くの旅行者はOysterは持っておらず、見ての通りの混雑に並ぶのが、初訪問時の一種の通過儀式のような様相になっていた。

2012年にユーロスターでロンドンを訪問したところ、到着したセントパンクラス駅でOysterを買い求めるよう係員に誘導されて大行列に並んだ

このように訪問客にとっては「時間を節約できる」というのが大きいわけだが、事業者にとって嬉しいのは何より交通系ICカード発行にまつわるコストを削減できる点にある。

カードの維持発行、サービスにまつわる各種ケアまですべて自前で賄うのではなく、TfLのような公共交通運営事業者は受け入れ体制を中心に整備し、それらカード発行にまつわるコストや手間をすべて銀行などの発行するクレジットカードやデビットカードに任せてしまえば、メインとなる交通事業に集中できるという目算だ。

JR東日本の場合、物販を含めたSuicaのエコシステムそのものを育てていく意向が強いようだが、現在日本国内でオープンループを積極的に取り入れている西日本方面の事業者らはその限りではなく、やはりカードの維持負担の面からオープンループを積極的に評価していこうと対照的な様相を見せている。

ここで注意したいのは、オープンループに積極的な西日本の事業者であっても「既存の交通系ICカードの受け入れを“すぐに”止める気はない」という点で、複数の決済手段を受け入れる方向で進んでいる。一方で、自社発行のカードはその発行負担から止める可能性が出てきており、あくまで“外部”の交通系ICカードを受け入れる形での共存という形になりそうだ。

オープンループは利用客と運行事業者の双方にメリットがある

疑問その2:Suicaの処理速度でないと日本のラッシュは捌けない?

日本国内では「Suicaの処理速度でないと日本のラッシュは……」という意見が非常に多い。これは事実だろう。例えば、TfLが規定するオープンループの最大処理時間が500ミリ秒(クローズドループ時は250ミリ秒)なのに対し、Suicaは200ミリ秒となっている。QUADRACが提供する日本国内でのオープンループの処理時間の目安が300ミリ秒以内となっており、TfLよりは高速だが、Suicaよりは50%ほど最大処理時間が長い。

ただ、この数字は以前にも解説したように、Suicaの改札機自体が非接触通信での反応距離が他のサービスの2倍以上と広く、処理時間をさらに短くする工夫が行なわれている点に注意したい。オープンループではこうした“トリック”がEMVCoの規定上利用できないため、Suica改札機との差は埋めがたい。

ゆえに、疑問1の項目でも触れたが、既存の交通系ICカードに対応した改札機をそのままオープンループでリプレイスするのは賢い方法とはいえず、両者を共存させる、あるいはオープンループのみ専用改札で隔離するといった手段が必要になる。すでに安定して動いているものを、わざわざリスクを犯して不便を甘受せずともいい。オープンループはあくまで既存のサービスでは賄えないニーズを取り込むための手段として付加的に用いるのが賢いと考える。

夕刻のラッシュでごった返す大阪駅

もう1つ、オープンループがよく受ける誤解に「クレジットカードの決済速度で改札が処理できるわけないだろう」というものがある。そもそも公共交通利用を想定したオープンループの処理フローは通常の物販などとは異なっており、改札機に“タッチ”した瞬間にすべての処理が行なわれているわけではない。

先日の「オフライン決済」の解説では「クレカも必要な処理を飛ばしてオフラインで完結することがある」と触れたが、交通系のオープンループでは入場時に「ネガチェック」しか行なっておらず(カードが“無効”対象リストに入っているかの確認)、移動中にその有効性がチェックされる仕組みとなっている。鉄道でもバスでも2拠点間で2回の“タッチ”が必要なケースであっても、移動時間があるために有効性チェックが間に合うという仕掛けだ。

そもそもクレカはポストペイド(後払い)の仕組みであり、「信用」を前提に運用が行なわれている。つまり、「カードさえ有効だと判断できれば、とりあえず改札を通してしまえ」というわけだ。さらにいえば、現在のオープンループの改札システムの多くはLTE回線を利用しており、通常の光回線などと比べるとサーバとのデータ(電文)の往復で遅延がどうしても大きくなる。前述の「300ミリ秒」という処理時間は、それも加味したうえで「LTEの通信遅延を含んだ数字」であり、処理そのものは非常にシンプルで高速に行なわれていることが分かるだろう。

入場時の処理。基本的にネガチェックしか行なっていない
出場するまでにカードの有効性チェックが行なわれ、出場の可否が判断される

また、現状の「stera transit+Q-move」の組み合わせでは、1回の“出場”ごとに支払いは発生せず、1日単位で集計され、まとめて合算料金での請求が行なわれる。これは非常に重要な仕組みで、例えば1日に一定額以上を利用した場合には請求金額に上限を設定する「1日券」のような仕組みを作ったり、あるいは特定の事業者間で乗り継ぎを行なった場合の割引運賃の設定が容易だ。

前者は実際にTfLにおいて「料金キャップ」の仕組みとして導入され、後者は南海電鉄と南海フェリーを乗り継いだ際の割引サービスである「スマート好きっぷ」に応用されている。

「stera transit+Q-move」ではPAYG(Pay As You Go)でも逐次処理ではなく、デイリー集計で請求が行なわれる

疑問その3:オープンループでは定期券が存在しないと聞いたが?

現状のオープンループの仕組みではいくつかの課題がある。典型的なものが「定期券」と「特別割引運賃」だろう。海外では「Season Ticket」のような名称で一括りにされるが、通常のPAYG(Pay As You Go)とは異なる割引運賃切符や企画券のような仕組みをどう取り扱うかはオープンループの大きな問題だ。

前述のTfLのケースのように、一定回数を利用すると自動的に1日券のようなものに移行する料金キャップ制度はオープンループと相性がいい。

一方で、あらかじめ異なる支払いルール、例えば「特定区間を特定期間のみ料金を無料にする」「子どもやシニアの割引料金」といったものは設定が難しい。前者は運賃計算が煩雑になるうえ、“タッチ”されるカードが「該当する定期券であるか」をサーバ側で記録して判定できるようにしておかなければならない。後者については、割引が適用対象になるかのチェックも含め、事前に登録作業が必要になり事業者側の負担は引き続き大きい。つまり、オープンループ導入の本来の意義の実現が難しくなる可能性がある。

このあたりは別誌の連載でも少し触れたが、路線やルートによってはカバーできる場合もある。例えばニューヨーク市で公共交通を運営するMTAでは「OMNY」というオープンループのサービスが2021年末から全面稼働したが、支払いルールとして1週間に12回乗車すると、以後はいくら乗っても請求が行なわれないという料金キャップの仕組みがある。

特定の週の月曜日から日曜日までというカウント期限付きだが、これは「通勤定期」と同じ役割を果たす。MTAの場合、市内であれば1回の乗車は一律料金のため料金キャップを適用しやすいという事情があるが、従来のMTAで採用していたMetroCardでは磁気切符にその旨をあらかじめ記録しておく必要があったため、利便性の面では通勤客にも旅行者にも便利な存在だろう。一方で、イタリアのジェノバで導入されたオープンループのサービスでは、3-4人以上のグループで行動時に適用される割引運賃があり、主に旅行者向けの仕様になっている。

熊本市電では熊本エリアの地域振興カードである「おでかけICカード(くまモンのICカード)」がシニア向けの割引運賃サービスとなっており、他の交通系ICカードと区別されている

日本の場合は子ども料金やシニア料金をどうオープンループに反映させるかは大きな課題だが、こうしたケースのみ専用カードを発行して割引運賃適用対象であることを明示させたりするなど方法はある。このあたりは事業者の考え方しだいであり、今後事例が増えていくことで知見が貯まっていくことに期待したい。

同時に、柔軟な運賃設定はジェノバのケースのように観光促進施策になるほか、地元民にも普段よりも公共交通をより多く利用してもらうための促進策として機能する可能性が高い。説明会のレポート記事のタイトル「日本に広がる『クレカでタッチ乗車』 鍵は“柔軟な割引”」にもあるように、料金キャップによる柔軟な料金プランの提示は、公共交通のあり方を変える鍵になるかもしれない。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)