鈴木淳也のPay Attention

第57回

使える店が急増した「Suica」の少し先の将来

これまでQRコード方式の切符または地域独自の交通系ICカード「OKICA」のみ対応だった「ゆいレール」がついでにSuicaなど「10カード」の受け入れを開始

今回はSuicaなど交通系ICカードにまつわる最新トピック2件を振り返りつつ、今後についての考察を少しまとめたい。1つめのトピックは「PASMOのApple Pay対応」だ。

iPhoneで「PASMO」利用可能に。年内にApple Pay対応

iPhoneやApple Watch上でPASMOが2020年中に利用可能になる。具体的な時期や要件がまだ公開されていないため不明点が多いが、Android版のモバイルPASMOでは一部の最新機種のみが可能だった「SuicaとPASMOの同一デバイス上での共存」が、iPhoneでは容易とみられるため、状況によって使い分けが可能だ。

例えば定期券はPASMOを利用しつつ、特急やグリーン車乗車をSuicaサービスで行ったり、あるいはMizuho Suicaや楽天Suicaといったポイントや口座連動があるサービスも共存させることもできるだろう。おそらくはiPhone SE(第2世代)でも問題なく利用できるため、iPhone 7シリーズ以降のユーザー全員が恩恵を受けられるのもメリットだ。

PASMO for Apple Payは2020年内に登場

トピックの2つめは、「mPOS(エムポス)」と呼ばれるiPhoneやiPadのスマートデバイスと組み合わせて利用する決済端末の「Square Reader」が、Suicaなどの交通系ICカード、iD、QUICPay(QUICPay+)に対応した件だ。

Square Readerが交通系電子マネー、iD、QUICPayに対応

Square ReaderがSuicaやiD、QUICPay+など電子マネー対応

Square Reader2019年3月にNFC対応の最新端末を日本に持ち込んだ際に、EMV Contactless(NFC Pay)への対応のほか、FeliCa系サービスへの対応も予定していると伝えていた。今回、約1年半越しにそれが達成されたことになる。

このニュースに関して「世界を相手にしているような企業がわざわざ日本のローカル規格にハードウェアレベルで対応するなんて……」といった感想もみられたが、そもそもSquareは米国外では2番目に進出した市場が日本であり、この市場を非常に重視している。

2017年の最新世代の決済端末が発表される前に、ハードウェア関連の開発責任者であるJesse Dorogusker氏にインタビューしたところ、この時点でFeliCa対応ハードウェアの開発意向を表明しており、一方でいくつかハードルが存在している点にも言及していた。具体的な内容については触れなかったものの、米国では49ドルで販売されている非接触対応Readerのようにシンプルで安価な構成にできるかという部分と、FeliCa関連サービスを導入するにあたって各種認証やサービス事業者との交渉に手間取ったという部分の2つの側面があると考える。

今回のケースでいえばハードウェア自体はすでに先行投入されていたわけで、一番のハードルは「交渉」にあったと予想する。

Squareでハードウェア開発全般の責任者であるJesse Dorogusker氏]

日本国内ではすでにリクルートの「Airペイ」や楽天の「楽天ペイ(実店舗決済)」といったFeliCa系決済サービスに対応した決済端末(サービス)が存在するわけで、その意味での目新しさはない。

ただ、スマートフォンやタブレットさえあれば、あとは7,980円程度の追加コストでクレジットカードの全方式から電子マネーまで一通りの決済手段に対応できるわけで、「中小規模の小売店が電子マネーを導入するのは決してハードルが高くない」というインパクトを示すのには充分だといえる。各種補助金も合わせ、キャッシュレス対応の道はそう難しい話ではないというのを示す話だと考える。

“増える”Suica

そのような形でSuicaならびに相互乗り入れをしている交通系電子マネーが利用できる場所が少しずつ広がっている昨今だが、今年3月には沖縄で「ゆいレール」が「10カード」と呼ばれる交通系電子マネー各種に対応。沖縄域外の在住者でもわざわざ切符を購入したり、というローカルで運用される交通系ICカード「OKICA」を利用することなく、普段使いのSuicaやおサイフケータイを使って那覇空港到着後すぐにモノレールに乗って市内へとスムーズに移動可能になった。

後述するが、これはいわゆる「オープンループ」の仕組みであり、ローカルですべて処理が可能な「クローズドループ」とは異なり、外部の決済ネットワークと協調しつつ動作する改札インフラだ。

ゆいレールでは以前に中国の「支付宝(Alipay)」による乗車テストを実施していたほか、台湾の交通系ICカードの乗り入れが噂されていたりと、比較的オープンループ導入に積極的だった。今回のはおそらく東京五輪開催に合わせた国側の要請があったと予想しているが、Suicaが利用できる場所が増えることそれ自体は日本人と外国人を含む多くの人々にとってメリットであり歓迎したい。

ゆいレールは普段使いのおサイフケータイで乗車できるようになったので、1日乗車券でも選ばない限り、切符を買う手間からは解放された

そんな“Suica”の最新事情だが、JR東日本が7月末に公開した最新のファクトシート(PDF)に興味深い情報がいくつか載っている。注目の1つめはSuicaを含む交通系電子マネーが利用可能な加盟店数で、2019年3月時点の61.6万から、2020年3月には94万まで50%ほど急増している。

グラフを見れば分かるが、「街ナカ」「その他」のカテゴリで一気に対応が増えており、これはおそらく昨年10月にスタートし、今年6月に終了した政府のポイント還元事業の影響だろう。キャッシュレス決済による5%還元を受けるために2019年後半に一気に導入が加速したほか、同時に行なわれていた中小小売店向けの新型POSへの買い換え補助金など、それを後押しする施策が功を奏したとみている。残念ながら交通系電子マネーの利用件数は加盟店数の増加ほどには顕著に増えていないものの、還元事業そのものの効果は一定以上あったことが示されたデータだと考える。

交通系電子マネー対応加盟店数と決済件数の推移(出典:東日本旅客鉄道)

Suica自体も利用者が増えている。Suica発行枚数はサービスを開始した2002年から一貫してほぼ同ペースで伸び続けており、2020年3月時点では8,273万枚に達している。

一方でモバイルSuica会員数は2010年以降に増加ペースがかなり緩くなっていたものの、Apple Payの開始された2016年末以降は増加ペースが上がり、2020年3月時点では934万会員となっている。

日本でのApple Pay開始時点('16年9月)では400万会員に留まっていたため、Androidのおサイフケータイ対応機種の増加もそうだが、どちらかといえばiPhone効果が大きかったと考えるべきだろう。

総務省の発行する令和2年度の情報通信白書(PDF)によれば、日本国内のスマートフォン普及率は83.4%で、今年7月1日現在の国内人口が1億2,596万人なので、スマートフォンユーザー数は概算で1億505万人。モバイルSuicaの普及率は8.9%程度ということになる。東京都市圏の人口が4,000万人ほどなので、Suicaの主要ユーザーが同地域であることを考えれば普及率は2-3割近いという見方もできるが、まだまだ開拓の余地はあるだろう。

Suicaの発行枚数とモバイルSuica会員数の推移(出典:東日本旅客鉄道)

このように“増え続ける”Suicaだが、ある情報源によれば、JR東日本はこの増え続けるSuicaのICカードと、チャージされた残高の維持にコストと負担を強いられているという。次の項で詳しく述べるが、英ロンドンの交通局(Transport for London:TfL)では交通系ICカード「Oyster」の維持コストが重くのしかかったため、これが「Payment Card」と呼ばれる非接触クレジットカード(デビットカード)での乗車を可能にするオープンループ採用に舵を切らせる切っ掛けの1つになっている。

物理的なICカードの発行負担を減らす妙策の1つは「デジタル化」であり、モバイル化がその鍵となる。前述のようにモバイルSuicaの普及度は決して高くない状況だが、iPhoneにしろApple WatchにしろAndroid端末にしろ、あるいはGarminのスマートウォッチにしろ、ユーザーを少しずつデジタルの世界へと誘導できればいい。

これを後押しする典型的な施策が「Mizuho Suica」や「楽天Suica」で、原資となる口座(カード)やポイントはあるものの“出口”が限られる先方企業と、モバイルユーザーを少しでも増やしたいJR東日本の思惑が一致し、Win-Winの関係を築いている。伝え聞く範囲では、両社の提携はどちらかといえばJR東日本側にとって有利なディールとなっており、その意味でJR東日本にとって非常に歓迎する流れといえる。

Suicaをモバイル世界に広げるための仕組み(出典:東日本旅客鉄道)

オープンループの世界

Suicaの話題はひとまず置いておいて世界に目を向けると、交通乗車システムの仕組みで「オープンループ」の勢力がしだいに広がりつつある。スタートとなったのはTfLが2012年のロンドン五輪の前後に導入したものだが、後にシンガポールで全面導入され、現在は米ニューヨークのMTAが展開を始めている。

ロンドン、シンガポール、ニューヨークの共通点として、国境を跨いでの人の行き来の多い国際都市という点が挙げられるが、普段使いの決済カードをそのまま地域交通の乗車に利用できるメリットは利便性の点で大きい。またロンドンで顕著だったのが、外国人が渡航してくるたびに(Oysterカードを持ってくるのを忘れて)再発行するためにコスト的負荷が大きかったことだ。

Mastercardが2016年に発行した調査報告によれば、オープンループの導入だけでカードの発行コストが減少し、TfLの利益を実に6%押し上げたという。なお、現在ロンドンにおけるオープンループ利用率はすでに過半数を突破しているという。欧州ではモバイル決済の比率はそれほど高くない一方で、クレジットカードやデビットカードの非接触対応はかなり高い水準で進んでいるため、すでに手持ちのカードの代用が交通事業者にコスト削減効果をもたらしている。

英ロンドン交通局(TfL)ではオープンループ導入による効果の1つをコスト削減としている(出典:Mastercard)

交通系システムにおけるオープンループの現状だが、この3都市だけでなく、さらに多くの地域へと広がりつつある。Visaが公開している資料によれば、2020年1月時点で次の図にある都市で導入済み、あるいは計画があるという。実際に試しにいけないのが残念なのだが、欧州諸都市での導入が割と進んでいるのが分かる。

また意外なところではロシアが導入に熱心なことが挙げられる。筆者が以前にトライアル段階でのTfLのオープンループ導入の展示を取材していたところ、ロシアから来た交通局の関係者を名乗る多くの人々が熱心に情報収集を行なう様子を見かけており、比較的早い段階から導入効果に目を付けていたのだと考えている。移動の自由が確保されたら、ぜひ関係各所に取材を行ないたいところだ。

Visaが公開している2020年1月時点での世界の交通系オープンループを導入した都市、あるいは導入予定の都市をマークアップした地図(出典:Visa)
Visaのタッチ決済を交通系に導入するメリット。ここで触れられている技術的詳細については改めて後の連載記事でフォローする(出典:Visa)
先ほどの図のうち、実際に最近導入された都市を紹介した図(出典:Visa)

話を日本に戻すと、もともとローカル交通主体のシステムにインバウンドを見込んでオープンループ化している沖縄などを除き、あまりオープンループの導入検討には熱心ではない印象を受ける。先日は茨城交通の高速バスでVisaタッチを導入したケースが話題になったが、いわゆる電車やバスなどの都市交通への導入は非常に限定的だ。

JR東日本を例に挙げても、過去の連載でも触れたように「磁気切符の廃止」「利用者の利便性をさらに向上する新技術の導入」には熱心なものの、オープンループはその限りではない。

実際、次の同社の改札システム更新サイクルは2024年前後にやってくると思われるが、少なくともこの時点でオープンループを導入する可能性は低いという話を複数のソースから聞いている。むしろ、すでに加盟店の多くをカバーするに至ったSuica自身のシステムをいかにインフラとして発展させるかに腐心しているとのことで、日本独自の物理カード発行コスト削減施策としてモバイル利用をさらにプッシュしてくるのではないかと筆者は考える。