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傑作《黒船屋》が約40年ぶりに東京へ! 約500点で迫る大正ロマンの旗手「竹久夢二」
2026年11月7日 20:30
東京・竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)にて、企画展「竹久夢二 時代を創る表現者」が、2026年10月23日から2027年1月11日までの会期で開催されている。
竹久夢二といえば、物憂げで抒情あふれる美人画「夢二式美人」で知られる画家だ。同時にデザイナーやイラストレーターなど様々な領域で、明治の末期から大正初期にかけて一世を風靡した。大正ロマンという言葉と合わせて必ず思い出すクリエイターだ。
本展では、最高傑作とされる《黒船屋》が東京で約40年ぶりに公開されるのをはじめ、全国各地の夢二専門の美術館やコレクションから、約500点もの作品や資料が集結した。まさに「夢二展の決定版」である。
会期:2026年10月23日(金)~2027年1月11日(月・祝)
会場:東京国立近代美術館
観覧料:一般 2,100円、大学生 1,200円、高校生 700円(中学生以下無料、当日に限り所蔵作品展も観覧可)
開館時間:10:00~17:00(金・土曜は20:00まで、入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(11月23日、1月11日は開館)、11月24日、年末年始(12月28日~1月1日)
※一部作品の展示替えあり。
大衆を魅了した「夢二式美人」の誕生
内覧会に先立つ記者発表会で、筆者の耳に残った一言があった。東京国立近代美術館の館長が登壇し、次のように語ったのだ。
「実は東京国立近代美術館は、竹久夢二の作品を一点も所蔵していません。日本の近代美術を専門とする国立美術館として、これは私たち自身が改めて深く向き合うべき事実でございます」
竹久夢二は、日本社会が大きく変動し、西洋の文化が大量に流入していた明治維新から十数年後の1884年(明治17年)に岡山県で生まれた。1901年(明治34年)、17歳になる夏に上京し、学校に通いながらの投書家時代を経て新聞や雑誌のために絵や文章を手がけるようになる。
今回の企画展「竹久夢二 時代を創る表現者」の第1章では、そんな駆け出しの頃から、「夢二式」と称されるほど女性から支持を得るようになった時期までの作品が見られる。
展示室に足を踏み入れた直後から「あっ、どこかで見たことがある」ような懐かしさを覚える作品が多い。江戸時代の浮世絵美人画の影響を受けつつも、黒目やまつげの強調された大きな目など、大正時代のトレンドを反映した新しさも漂っている。
企画展の解説には、日常のなにげない情景を掬い上げる新鮮な視点と、大ぶりな筆使いの素朴な絵の親しみやすさが人々の共感を呼んだと記されている。その結果、明治時代末期から大正時代初期にかけて、夢二の仕事は雑誌や詩画集、絵葉書などを通じてたちまち人気を博すことになる。
100年経っても色あせない大正ロマンのデザイン
企画展「竹久夢二 時代を創る表現者」が開催されている、東京国立近代美術館が開館したのは、1952年のこと(京橋で開館)。同展の担当研究員は、同館に夢二の作品が一点も所蔵されていない理由について、次のように語っていた。
「開館した1950年代の収集活動においては、官設の展覧会(官展)に出品された作品や、主要な美術団体に所属していた画家の作品をメインに収集する傾向がありました。一方で竹久夢二は、そうした美術団体には一切所属しておらず、公募展への出品も一度のみでした。そのため、日本の近代美術史を編んでいく(位置付ける)上での収集の優先順位から外れてしまったのではないかと推測される」
夢二と同世代の画家として、青木繁(1882年生)や藤田嗣治(1886年生)や、同館で企画展が開催されたばかりの下村観山(1873年生)などが挙げられる。また、夢二と同じく美人画で知られる鏑木清方も6歳上の1878年の生まれだ。
こうした画家と作品は、江戸時代で言えば狩野派、土佐派や住吉派などの御用絵師、または琳派や円山・四条派などのような立ち位置。それらの絵が飾られるのは、大名や公家の屋敷であり大寺院や資産家……いわばセレブの屋敷の広間や障子などだ。それに対して竹久夢二は、浮世絵の喜多川歌麿や歌川広重などの絵師にあたるのだろう。彼らの作品を楽しんだのは一般大衆であり、夢二に関しては、当初は女子学生などからの人気が絶大だったという。
東京国立近代美術館に所蔵作品がないのは、社会全般における評価が遅れたのではない。同時代の大衆からの評価は絶大だったといえるし、高尚な美術やアートと、誰もが知るサブカルチャーとの違いだろう。現代美術家の村上隆さんが、北斎や広重の浮世絵は、100年、200年経った現代では、世界最高峰の芸術として評価されているといったようなことをよく語られている。夢二が亡くなってから約90年が経つ今、そろそろ真価が分かる時期なのかもしれない。
ということで、第2章の「夢二式のデザイン」では、夢二が一点物の絵画だけでなく、雑誌や詩画集、絵葉書など様々な領域で活躍した、その仕事っぷりが見られる。
展示されている作品は、当然のことながら100年前に描かれたものばかりだが、筆者は思わず「オシャレだなぁ」と、何度もつぶやいてしまった。もともと大正ロマン的なデザインが好きだというのもあるが、今でも十分に通用しそうな気がするし、夢二が描いた絵が表紙になっている本などは、今、書店の店先に平置きされていたら、思わず手にとって、そのままレジに並びたくなるようなものばかりだ。
また、夢二を語るうえで欠かせないのが、1916年から1927年までの約10年間に約270点の表紙絵を描いた「セノオ楽譜」。表紙絵を手掛けただけでなく、自作の詩に多忠亮が曲をつけた楽曲「宵待草」を発表。国民的な大ヒットを記録した。
40年ぶりの東京公開! 夢二式美人の傑作《黒船屋》
第3章「レトロモダンの創出」では、これまでの挿絵や印刷物、デザインなどから一転して、画家・夢二の円熟期を示す日本画や屏風絵などを中心にして展示されている。
そして、今展および第3章の最大のハイライトが、竹久夢二の最高傑作として名高い《黒船屋》だ。所蔵する竹久夢二伊香保記念館の外にほとんど出ることがなく、東京での公開は実に約40年ぶりとなる。
第1章と第2章を、《黒船屋》を描くまでの夢二の画家としての軌跡と捉えて巡ると、《黒船屋》が展示されている空間に入ったとき、より感慨深く作品を見られる。同作品までの伏線が張り巡らされているように、筆者には思えたからだ。
というのも「黒船屋」という架空の店のモデルは、第2章で大きく取り上げられている、大正3(1914)年に夢二が日本橋に開いたグッズショップ「港屋絵草紙店」だとされる。その店舗を切り盛りしていたのが、夢二の唯一の戸籍上の妻であった、岸たまき(他万喜)だった。
そして、今展の第1章で展開されている夢二の初期の「夢二式美人」のモデルだったのが、妻のたまきだった。だが、2人の関係は結婚、離婚、同棲という具合に、決して平穏なものではなかった。
さらに、港屋に足繁く通っていたのが、美術学校の学生で、夢二が人生の中で最も愛した女性とも言われる笠井彦乃。その彦乃が後に結核を患い、入院中に彼女を想って描いた作品が《黒船屋》だとされる。
そのため、絵の中で女性が抱きしめる黒猫は、単にペットとして描かれたのではなく、結核が「黒猫を飼うと治る」という江戸時代の俗信に由来しているとする説もある。
また《黒船屋》専用の展示エリアの直前には、夢二が描いた挿絵の原画がいくつか展示されている。
これは、彼が満42〜43歳の頃に都新聞へ連載した自伝的小説『出帆』のために描かれたものだ。同小説の特に上巻には、妻のたまきや恋人の彦乃との顛末が詳細に記されている。あくまで小説であり、夢二の心の内だと思われることしか書かれていないが、筆者の中にある「竹久夢二」という人間のイメージの大半は、この小説によって形作られたと言っていい。それは、「あぁ、夢二は愛すべきダメ男だったんだろうなぁ」といったイメージだが、決して嫌悪のような気持ちは、おこらなかった。
そうした色んな思いを胸にしながら、《黒船屋》のために特別に作られた空間に足を踏み入れると、黒猫を腕に抱き、黄八丈の着物をまとった物憂げな女性が、「黒船屋」と記された木箱に腰掛けている絵が浮かび上がる。
観覧者のほとんどにとってもそうだと思うが、この絵自体は、これまでにチラシなどの印刷物で何度も見たことがあるし、今展の入口にも大きなパネルが置かれているため、それほど目新しくもない。だが、黒と黄色のコントラストに加え、襟のオレンジ、帯の緑、そして袖口や裾からちらりと覗く襦袢のピンクや紫のグラデーションなど、改めて原画を目の前にすると、100年以上前に描かれた作品とは思えないほどモダンで洗練された色彩感覚に、見惚れてしまった。
ところで夢二は、美術学校で学んだ経験がなく、当時の画壇や官展(官設の展覧会)の権威に属さず、雑誌や書籍、絵葉書といった大衆メディアを通して自らの表現を世に発信し続けた人だった。同館に夢二の作品が一点もないのは、そうしたことも理由に挙げられる。
前述した「出帆」には、夢二と思われる主人公が、なぜ美術学校へ進まなかったのか、その理由となった、恩師の言葉も記されている。
「君が持つてゐるものは美術學校などへゆくと失くしてしまふだらう。自分を育てるために自分のデッサンだけ心掛けてやって見てはどうだ。さういふ孤立の道は苦しいかも知れないが、日本に一人ぐらゐ君のやうな特殊な絵かきがあるのも面白いではないか」
恩師の言葉を胸に、画家としても人としても研鑽と経験を積んで、できあがったのが、この《黒船屋》なんだと思うと、いっそう感慨深い。
最後まで最先端であり続けた竹久夢二
尊敬する先生の言葉通り、孤立の道を歩みながら独自の美学を研ぎ澄ませていった夢二。その集大成が前項の《黒船屋》や、第3章に並ぶ肉筆の作品だ。
会場には、1920年に描かれた《秋のいこい》(夢二郷土美術館)や、約40年ぶりの出品となる《九連環》(1918年、個人蔵)など、「日本画家」としての実力を証明する名作が並ぶ。
続く第4章「生活の美の理想郷を求めて」では、関東大震災直後の惨状を克明に記録したスケッチ「東京災難画信」や、榛名山での活動から生まれた晩年の大作屏風《榛名山賦》と《立田姫》が約14年ぶりに揃い踏みしている。
そして最後の第5章「着物と洋服のモダンガール」では、昭和初期のボブヘアに洋装の「モガ」たちを描いた雑誌表紙などが並び、晩年まで最先端の表現者であり続けた様子を伝えている。
冒頭でも触れた発表会で、同館の館長は「夢二を支えたのは美術界の権威ではなく、出版物を通じて作品を愛した名もなき何万人もの大衆でした。芸術とは誰のためにあり、何をもって価値を測るのか。既存の枠組みを超えて広く人々に美を届けた夢二の活動を振り返ることは、近代美術のあり方を考える貴重な機会になる」とも語っていた。
約500点もの作品で夢二の全貌を辿る今展。「この絵のどこが良いんだろう?」なんて迷うことなく、「わぁ大正ロマンってステキッ!」とか「オシャレッ!」などと心躍らせながら、100年前の一般的な人たちと同じように魅了されるはずだ。
また、企画展の観覧後には、ひと休みして、同じチケットで入れる所蔵作品展「MOMATコレクション」もじっくりと見てほしい。今展に合わせて、夢二の《黒船屋》と並び称される美人画の名作、鏑木清方の《築地明石町》(展示期間要確認)をはじめとする、夢二と同時代または同世代の、近代美術の画家たちの優品が多く見られる。



















