こどもとIT

【連載】The Teachers' Voice~学びのアップデートをめざす先生からのメッセージ 第19回

ICT活用が進まない本当の理由は、教師の中に潜む“使命感”にある

〜聖徳学園中学・高等学校 品田健教諭がめざす学びのアップデート①

これまでの学びの価値観が揺らいでいる今、学校が果たす役割は何か、学びをどのように変えていくべきか。本連載『The Teachers' Voice』では、学びのアップデートをめざす先⽣⾃⾝の⾔葉をお伝えしていく。前任校でiPad1人1台の環境を導入し、現在は聖徳学園中学・高等学校でSTEAM教育に取り組む品田健教諭。1回目はICT活用が進まない理由について、教師の本音を綴ってもらった。
ICTが文房具になった今、教員も変わっていく必要がある

新しい学び、最大の壁は教員の”教える”使命感

「どうすれば、教育現場でのICTの導入や活用が進みますか?」

今まで何度も訊かれた質問です。私は前任校でiPad1人1台の環境を導入し、現任の聖徳学園でもICTを学びのツールとして使っているためか、このような質問をよくいただきます。

もちろん、”こうすればいい”という正解はありません。では、なぜICTを導入しても上手くいかないのでしょうか。何が活用を進めるうえで壁になっているのでしょうか。

学校現場によってさまざまな要因はありますが、私は教員の“使命感”が最も大きな壁になっていると思います。教員は教えるのが仕事だと信じています。知らないことやわからないことを教えてあげる、できないことをできるように教えてあげる、そこに喜びを感じるのが教員です。誰かに何かを教えることが自分の使命なのだと信じています。

これまでの日本の教育は、こうした教員の使命感に支えられてきました。使命を果たし、生徒が理解してくれたら、できるようになってくれたら、喜んでくれたら、長時間の勤務も休日のクラブ活動も苦にはならなかったのです。しかし、あまりに無理がありすぎて、教員だけではなく、学校のシステムそのものが疲弊しつつあるのが現状です。

聖徳学園ではiPadの1人1台環境を2015年から実施。クリエイティブな学びにも力を入れています

教員の素晴らしい使命感が、なぜICTの導入や活用においては壁になってしまうのか。それは、ICTによって自分の仕事や役割が失われてしまうように感じるからです。理屈ではなく本能として、自分のしてきたことが奪われるのではないかと警戒してしまうのです。

今までは学校に来て先生から教えてもらうことが当たり前でした。ところがICTが導入されると、その一部はICTで可能になります。例えば、生徒それぞれの習熟度に合った個別適応型の学習も、教員ひとりで実現するには限界がありますが、ICTを使えば可能ですし、さらにはAIを加えるとレベルの高いこともできるようになります。私もそこに大きな可能性を感じています。

しかし、そうなると自分が不要になってしまうと感じるのが教員です。本当はICTを導入すると、効率化によってできた時間を“本当はもっと生徒のためにやりたかったこと”に使えるようになります。決して教員が不要になることはありません。生徒のそばに教員がついてしっかり指導することもできるようになります。役割がなくなるのではなく、役割が変わるだけです。

それを理屈では理解できても、本能的に拒否してしまうことが、現在のICTの導入や活用の壁になっているのです。

ICTを使うようになると、生徒たちが主体的に学ぶ場面が増え、教員の教える役割は変わる

「先生は楽でいいですね」と思われてしまう、教員にとって辛いSTEAMの授業

聖徳学園では、STEAM教育の開発に取り組んでいます。

最近はSTEAM教育も広がっていますが、私の言葉で簡単に説明すると、STEAM教育は「ルートが決まっていない登山」です。問題が山だとすると、講義型の授業は、先生にルートを教えてもらう登山でした。一方、STEAM教育では、登山するのは決まっていても、登る山やルート、手段は自分で決めます。登頂をめざして、サイエンスやテクノロジーなど幅広い知識や技術を生かし、最終的に自分がどうやって登ったのか、アートを取り入れて表現する、そんな学びだと捉えています。

STEAMの授業風景。生徒たちが企画したフェアトレードについて発表動画を作成中

私は、このようなSTEAM教育を高校1年・2年の授業で担当しています。何もないところから授業を開発するのは、楽しさもあり、苦しさもあります。たくさんの時間と手間をかけた授業に何の手応えもないことも一度や二度ではありません。

そんな辛さを軽く上回るのが、「教えられない辛さ」です。STEAMの授業では、生徒が自分で調べて考えることが中心になり、必要なアプリケーションの操作など技術的な指導はしても、繰り返し説明することはありません。デジタルテキストを配布していますし、同じ説明を収録した動画をYouTubeで限定公開しています。生徒は自分で確認したいときはテキストや動画で調べ、それでもわからなければ生徒同士で教え合ってしまいます。本当に困った生徒だけ教員に質問してきます。

アプリケーションの操作を教えることも。何度も説明することはなく、基本的には生徒同士で教え合う

それで大丈夫なのか。大丈夫なのです。

あるオンライン授業でのことです。動画の説明を見てもらい、各自の作業を進めてもらいました。作業中、私ともう一人の担当者はZoomのミーティングルームで質問対応をしようと控えていたのですが、結局、その1時間、誰もミーティングルームにはやってきませんでした。わかっているのかなと不安に思っていましたが、課題はちゃんと出来ており、何の問題もありませんでした。

「先生は楽でいいですね」と思われますか。実は、教員にとってはストレスなのです。教えたいのが教員なのに全然教えられません。もっと質問してほしいのになかなか質問してもらえない。笑われてしまうかもしれませんが本気で辛いのです。

教員は教えるのが喜び。ICTで生徒たちが主体的に学ぶのは嬉しいが、教えられないストレスもある

私は元々の専門は国語科です。前任校では現代文の進学指導を強化する目的で採用されました。授業はいわゆる予備校の100%講義型で、教員の使命感を満足させる、“教えたい”教員にとっては幸せな授業でした。今から思えば、生徒は教えられるばかりで自分から学ぶ機会がほとんどなく、さぞやつまらなかっただろうと思います。

学びには、教えてもらって理解できた喜びもありますが、もっと意味があるのは、自分で学んで理解できた喜びです。その喜びから学ぶ楽しさを実感できます。STEAMの授業ではそもそも「これが唯一の正解」という問題には取り組まないことが多いので、教員も正解を知っているわけではありません。

そのため、教員も教えるよりは一緒に学ぶという雰囲気です。時に、教員が知っていても、生徒が調べたらわかりそうなことは知らないフリをすることもあります。そんなことで教員は生徒に馬鹿にされるのではないか、信用されないのではないか、不安になるかもしれませんが、教員も調べている、考えている、そんな姿勢を見せている限りは大丈夫です。生徒が自分と同じ学習仲間なのだと評価されていれば。

教えられない辛さを上回る、自ら学んでいく生徒の姿を見る喜び

STEAM教育の初期から取り組んでいるプロジェクトに、映画『オデッセイ』を題材した「火星ゲーム」があります。

事故によって一人の宇宙飛行士が火星に取り残されるのですが、仲間の宇宙飛行士は彼が亡くなったと思い、火星を脱出して地球に戻ります。地球でも彼の死亡が発表されるのですが、しばらくして彼の生存が明らかに。彼はどうやって生き延びるのか、仲間の宇宙飛行士はどうするのか、NASAはどうするのか、そんなドラマが描かれた映画です。

「火星ゲーム」に取り組んだ授業。オデッセイの映画を見て、自分だったらどうするかを考えます

あなたがNASAの長官だったらどうしますか。これを考えて自分なりの答えを出すのが「火星ゲーム」です。かわいそうだから助ける、間に合わないから助けない、どうするのか理由や根拠が必要になります。誰もが納得する正解もなく、誰もが頷く理由や根拠もありません。それでも自分が決めた答えを多くの人に支持してもらうよう、理由や根拠を調べて考え、一つの文書にまとめてもらいます。

映画の中でも限られた食料や酸素を長持ちさせるために悪戦苦闘します。生徒も同様です。火星で食料を増やす方法や、酸素を作り出す手順、地球から火星までの所要期間を縮める方法など、さまざまな手段を調べます。また逆に、助けないと決めた生徒は、救出にかかる莫大な費用を算出したり、火星で生き延びる期間と火星までの所要期間を計算したりします。

その中でサイエンスやテクノロジーについて学び、数学も使わなければなりません。教えられて学ぶのではなく、やりたいこと、知りたいことがあって、そのために自ら学んでいきます。

「先生、◯◯航法で行けば間に合います」
「それどんな航法なの?」
「え?わかりません」
「わからないことは説明できないと」
「先生、知らないの?」
「知らないよ。今度教えてよ。私も調べてみるけどさ」

こんなやりとりを頻繁にしています。そして生徒はちゃんと「先生わかった?私、調べてきたけど教えてほしい?」と訊いてきます。教えられるまで理解できていれば安心です。今まで教えてくれるだけの存在だった先生に、今度は自分が教えてあげられる。生徒は嬉しいでしょうし、自分で学ぶ楽しさも感じているのではないでしょうか。

STEAMの授業に取り組んできて、教えられない辛さを感じることは正直まだあります。ただ、それ以上に生徒がプロジェクトに積極的に取り組んで、自ら学んでいく姿を目の当たりにする大きな喜びがあります。

そんな生徒の学びを支えるひとつが、1人1台持っているiPadです。ICTが生徒の知りたい、理解したいを実現しています。このような生徒の姿を見たら、教員の「教えることへの使命感」も少しは収まると思います。生徒が輝く姿を見て嬉しくない教員はいません。

教員が教える授業では、生徒は輝かない。生徒の学ぶ意欲を刺激し、ICTで学びの楽しさを実感できる場面を

ICT活用の壁を取り払うのは、学びを深める生徒の姿

ICT活用が進まない壁は、教員の“使命感”だと述べました。もちろんそれ以前に、機器整備や予算不足、指導する側の知識や技術、生徒のリテラシーやマナーなど、様々な壁が存在していることも事実です。しかし、私はこれらの問題を解決しつつ、我々教員もマインドセットを変えていけると信じています。

なぜ、そんなに楽観的になれるのか?

それは「自分が教えなければ」という教員の使命感が、生徒を大切に思う気持ちそのものだからです。その気持ちがベースにあれば、ICTで学びを深める生徒を目の当たりにすることで、生徒との関わりを見つめ直せると思うのです。

今、ICTを活用して素晴らしい取り組みをされている先生方は、どんな取り組みでもどんどん発信してください。そして、生徒の様子をたくさんの人に見せてあげてください。

ICTの活用に不安な先生方は、実際の授業を見に行って、その取り組みをしている先生や生徒とお話ししてみてはいかがでしょう。単純に「やってみたいな」という取り組みもあれば、「もっとこうすればいいのに」という改善の発見もあるでしょう。そんなところからICTの活用に関わるのも、ひとつの手ではないでしょうか。

そして、やってみようと思ったときに、背中を押してあげる上司や同僚、それをできる環境が用意されていたら、最高です。そんな先生と生徒のチャレンジを、周りの方もサポートしていただけませんか。

次回はSTEAM教育について、さらに掘り下げていきます。

聖徳学園中学・高等学校(東京都武蔵野市)
東京都武蔵野市に位置する私立中高一貫校。同法人に幼稚園・小学校もある。正解のない問いに挑戦できる発想力や思考力、創造力をSTEAM教育を通して育成する。多様な人々とボーダレスにつながるためのグローバル教育にも取り組み「世界と共にある自分」を意識させる。学校情報化優良校認定、ユネスコスクール指定。
品田 健(聖徳学園中学・高等学校教諭)

聖徳学園中学・高等学校 Executive ICT Director・学校改革本部長。STEAM教育の開発を担当。国語科の出身だが現在は情報科所属。Apple Distinguished Educator Class of 2015,Adobe Education Leader 2020,iTeachers Academy 理事,SOZO.Edメンバー。趣味は読書と音楽と料理。音楽は弾くのも聴くのも。料理は作るのも食べるのも。