鈴木淳也のPay Attention

第207回

なぜ日本のQRコード決済は海外で使えないのか

国内外を含むたくさんの観光客で賑わう2月後半の浅草の仲見世通り

近年、日本の都市部や観光地を歩いていると、外国人訪問客、特に欧米系の旅行者が家族揃ってスーツケースを抱えながら移動している姿が目に付く。以前は、欧米系はビジネスパーソンやバックパッカーが多く、人数的にはアジア方面からの訪問客のほうが多かったように思う。コロナ禍による長期間のロックダウンを経て、さらに円安が急激に進んだことを受けての大きな変化となるが、かつてはトップ3にランクインしてきた中国からの訪問客は大きく減少することとなった。

日本政府観光局(国際観光振興機構:JNTO)が先日公開した資料によれば、中国からの訪日客はロックダウン解除が始まった2023年以降、段階的に増加しており、同年8月に団体旅行を許可する行き先として日本が含まれると、一定水準まで回復するようになった。ただ、中国と日本を往復する航空便がまだまだ復活していない(ピーク時の6-7割程度)のと、旅行先としてはビザなしでの訪問が可能な東南アジア方面の方が人気とされており、人数ベースでは現状で半分程度の水準にとどまる。それでもなお、JNTOの推計値によれば、ロックダウンが続いていた2023年との比較値で、2024年1月の訪日客は10倍以上のペースで回復しており、国別訪問者数ランキングで韓国と台湾に次ぐ3位に位置している。

こうしたなか、ロックダウン解除後初の春節(旧正月)シーズンを迎える今年2024年2月中旬に、どれだけ日本に中国からの観光客がやってくるかが注目を浴びていた。

2月10日から17日までの速報値ではあるものの、AlipayとWeChat Payのアクワイアリングを行なっているネットスターズによれば、同期間の利用額は前年比で6倍、コロナ禍直前の2020年との比較で7割程度の水準と、一時期騒がれた“爆買い”の状況にはまだ至っていないことが分かる。前述のように航空便が復活しておらず、もともと訪日人数に上限があることと、2020年から4年を経て両決済サービスの加盟店数が増加しており、シンプルに比較できる数字ではない点に注意が必要だが、インバウンド需要の取り込みにおいて、「中国だけに頼らない」という視点が重要になると筆者は考えている。

2月10日から17日までの期間にネットスターズ経由でAlipayまたはWeChat Payを通じて行なわれた決済の総額比較(提供:ネットスターズ)
2月10日から17日までの期間にネットスターズ経由でAlipayまたはWeChat Payを通じて行われた店舗1日あたりの決済金額の平均(提供:ネットスターズ)

共通QRへの道

クレジットカードさえあれば現地通貨での“現金”なしでも比較的問題なく滞在が可能な欧米に対し、東南アジアを中心としたアジア地域ではホテルやちょっとした高級レストランではクレジットカードも利用できるものの、現地人向けの食堂や交通機関など、いまだ現金が必要な場面は多い。

例えば、筆者は2023年末にシンガポールで開催されるFinTech Festival(SFF)に参加するために現地を訪問したが、チャイナタウンにある地元民中心の食堂ではクレジットカードが使えず、そこで食事するためだけに近くのATMでキャッシングせざるを得なかった。実はそのお店に限らず、現金取り扱いが中心の地元民向け店舗であっても、SGQRという共通規格のQRコード決済が利用可能だが、現地の銀行口座などが必要なそれらの決済は観光客らが使えるはずもなく、いまだに筆者の財布にはお釣りとしてもらったシンガポールドルの紙幣が眠っている。

SFFでのシンガポール滞在では、麻辣香鍋を食べるためだけにチャイナタウンに宿を取ったのだが……

民間主導でインフラが拡大し、中国における2大コード決済のAlipayとWeChat Payは相互連絡ができず、例えばAlibaba Groupの本拠地である杭州などでWeChat Payがまったく使えない場面があって困ったりする。他の東南アジア諸国では規格乱立による利用者の不利益を解消すべく、政府や大手銀行が業界に介入して「共通QR」と呼ぶべきものが用意され、店舗内に掲示されたこの共通QRコードを利用者が複数あるサービスのどれかのアプリを使って読み込むことで、決済サービスの違いをそれほど意識することなく支払いが行なえる流れになっている。

SGQRもこの共通QRの1つだが、あくまで複数ある決済サービスのQRコードを共通化してシンプルにしただけなので、実際にどのコード決済サービスが店舗のSGQRで利用できるかは、ラベル上にその対応サービスのアクセプタンスマークが表示されている。このあたりは日本のJPQRと同様だ。QRコード決済サービスを導入する店舗、つまり加盟店側の視点でいえば、この仕組みはいくつか問題がある。顧客の利便性を考えて対応決済サービスを増やすには、それだけサービス各社との契約が別途必要になり煩雑になる。そこで、1つの金融会社との契約だけで複数のサービスがサポートできる仕組みの登場となり、それがシンガポールでは「SGQR+」と呼ばれるものになる。

SGQRで実際にどのコード決済を利用できるかは、コードに記載されたアクセプタンスマークで判断する。ただ、これでは店舗側の契約いかんで利用者の利便性が大きく異なり、店舗側の負担も大きい

シンガポール金融管理局(MAS)は昨年11月、このSGQR+の立ち上げに際して実証実験(PoC)を行なっている。同国のLiquid Groupならびに、シンガポールの決済ネットワークであるNETSがPoCに参加して、SGQR+の展開に向けた準備を整えつつある。

“クロスボーダー”な決済ネットワーク

前段のMASのプレスリリースの文言に改めて注目してほしいが、「accept a range of payment schemes (local or foreign)」という部分がある。SGQRというくらいなので(SinGapore+QR)、シンガポールだけの決済に着目するかもしれないが、MASでは同国を訪問する外国人も決済サービスを利用する客の範疇に含めている。

シンガポールは都市国家なので、周囲の国々との貿易やビジネス的交流が必須であり、実際に多くの外国人が同国を訪れている。やはり行き来する外国人におけるマジョリティは東南アジアの周辺諸国となるが、これら国々で利用される決済サービスに対応することは、それだけ売上増加の機会につながるわけだ。

The introduction of SGQR in 2018 successfully combined multiple payment QR codes into a single SGQR label. SGQR has become widely adopted by merchants as a simple and trusted solution to accept payments digitally. However, merchants that wish to accept a range of payment schemes (local or foreign) need to maintain commercial relationships with different financial institutions. Consumers and tourists can only use their preferred payment applications if the merchant maintains a specific commercial relationship with the financial institution that corresponds with those payment schemes. There is therefore scope to enhance interoperability for QR payment schemes.

実際、こうした地域内での活発な人の行き来を想定して、過去数年の間に国家間協定が結ばれ、決済サービスの相互利用を可能にする仕組みがたびたび発表されている。

東南アジアではクレジットカードやデビットカードの普及率が必ずしも高いわけではないうえ、国民の銀行口座保有率も最近になるまでは低い水準にとどまっていたという経緯もあり、現金利用がその中心だった。一方で、商取引で商品などのやり取りが発生したり、あるいは他国に出稼ぎに行って家族への送金を行なう場合など、現金のみの利用では不自由な面が多い。

そこで送金サービスの登場となるが、国をまたいだ“クロスボーダー”な送金の仕組みが整備されれば、オンラインを通じた商取引がさらに盛んになり、出稼ぎのようなシチュエーションでの送金もより低い手数料のサービスが提供されたりと便利になる。実際、こうした“クロスボーダー”な送金システムでネットワークを構成する事業者が出現しつつあり、Alibaba Groupの金融サービス会社であるAnt Financialが提供する「Alipay+(アリペイプラス)」はその1つとなる。

シンガポールのFinTech Fesival(SFF)に出展したAnt Financialのブース

「Alipay+」は、シンプルにいえばAlipay+に参加するパートナー決済各社のサービスが、Alipay+に対応する加盟店の店舗であればどこでも使えるというもの。先ほどのSGQR+における“シングルアクワイアリング”を実現したものと考えていい。

Ant Financialによれば、Alipay+に対応する加盟店数は8,800万で、対応するデジタルウォレットや銀行アプリは25、ユーザーアカウント数は15億に達するという(昨年2023年末時点の数字)。日本の場合、Alipay+にはPayPayが参加しているので、PayPay加盟店でAlipay+の契約を行なっているところであれば、同ネットワークに参加する各社のインバウンド決済がそのまま取り込めることを意味する。

「Alipay+(アリペイプラス)」の仕組み
最近、日本で対応した各国のコード決済例
PayPayが対応するAlipay+ネットワーク参加のインバウンド決済一覧

海外で使えない日本のコード決済の今後

さて、実際にこれらアジア地域を旅行された方は実感されているかと思うが、日本のコード決済が現地で使えなくて不自由を強いられるという場面はけっこうある。例えばタイのPromptPayなど、国民の大部分が利用しているレベルのサービスになってしまうと、現地の店舗もまたこのサービスを前提にビジネスを組み立ててしまうため、対応する決済サービスを持たない外国人観光客は現金を持ち出すしかなくなる。

しかも前述のように“クロスボーダー”での相互接続が進むことで、ネットワークに入れない国の決済サービスはさらに締め出される形となり、より不自由を強いられるという流れだ。

「じゃあ、なんでPayPayとかの国内コード決済サービスは海外で使えないの?」という疑問が出てくる。裏技的ではあるが、LINE Payの決済にクレジットカードを挟むことで、タイや台湾でLINE Payでの決済ができる。

これは現地のQRコードを介してクレジットカード決済を行なっているもので、LINE Pay残高は利用できない。PayPayにその理由を尋ねると「PayPay残高を用いて海外決済を行おうとすると、さまざまな事前整備や許認可が必要になってくる」と回答する。直接は言及していないものの、マネーロンダリング関係の監視体制を準備したり、その周辺整備に必要になる開発負担が大きく、(アウトバウンドでの)利用者数などを鑑みれば(インバウンドよりも)作業優先順位が低いというのがその理由だと筆者は解釈している。

週末の歩行者天国の銀座中央通りも、やはり外国人の姿を比較的多く見かける

シンガポールでの食事のためだけに現金を下ろした筆者のような悔しい思いをした人もいるかもしれないが、日本経済新聞に14日「QR決済、日本とASEANで支払い可能 25年度に相互利用」という記事が掲載された。記事によれば、2025年4月までに日本のコード決済サービスをこれら諸国へと持ち出して、そのまま現地決済できる仕組みを用意するという。ベースとなるのはJPQRで、これが実現するのであればATMで泣く泣くキャッシングという状況も回避できるだろう。実際、インドネシアカンボジアとの間で政府は2国間協定を発表しており、東南アジアを中心とした地域で進みつつある決済用QRコードの統一に向けた動きに日本も参加していく形になると思われる。

実際にどのような形で展開していくのかは不明だが、例えばネットスターズでは2月の事業説明会において、海外展開のプロジェクトの1つにJPQRの海外展開を挙げている。意味合いとしては、JPQRを海外でもアクワイアリングできるようにし、結果として日本のコード決済サービス利用者が海外(特に東南アジア)を訪問したときに、そのまま既存のアプリを使って現地での支払いが行なえる仕組みを実現するとみられる。先ほどの「2025年度(FY2025)」という時期を信じるのであれば、あと1年ほどでアジア方面の旅行シーンは大きく変わることになるのかもしれない。

ネットスターズ代表取締役社長CEOの李剛氏。WeChat Payを日本に最初に持ち込んだ人物でもある
海外事業について説明する取締役COOの長福久弘氏。国内最初期のQRコード決済サービス「LINE Pay」の立ち上げを行なった
ネットスターズが掲げる海外事業展開プラン

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)