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鉄道廃止→BRT運行の先駆け「ひたちBRT」全線乗車 赤字路線の転換は進む?

専用道を走るBRT

昨今、廃線になった線路をバス専用道へと転換する事例が増えています。こうしたバスはBRT(Bus Rapid Transit)と呼ばれて、路線バスと明確に区別されます。そしてBRTは、近年になって注目を浴びるようになっています。

BRTに明確な定義はありませんが、一般的にBRTは、路線バスとは異なり大量輸送が可能な連節バス(連接バス)で運行されていることや、BRTだけが走行できる専用道(専用レーン)が設けられていること、もしくはPTPS(Public Transportation Priority Systems)と呼ばれる公共交通優先システムが導入されていることが特徴です。PTPSは路線バスなどが交差点に接近した際、それを感知して路線バス側の信号機を青に切り替えることによってバスの定時性を確保します。

日立電鉄の線路跡を整備して運行されている「ひたちBRT」

茨城県日立市では、2013年から「ひたちBRT」の運行を開始。ひたちBRTは今年で運行開始10年を迎えました。その間、ひたちBRTは少しずつ路線を延ばすとともに運行ルートを変更するなど、紆余曲折とも試行錯誤ともいえるアップデートを繰り返して今に至っています。

ひたちBRTが走っている区間の大半は、2005年に廃止された日立電鉄の線路跡です。そこを整備して運行されています。ひたちBRTは2013年に運行を開始しましたが、当初は大甕(おおみか)駅東口-おさかなセンター間を結ぶ路線で、その多くは一般道を走る区間でした。

2018年には、大甕駅東口から常陸多賀(ひたちたが)駅間まで路線が延長しています。それでも、一般道を走る区間は多く残っていました。翌2019年、ひたちBRTは大甕駅西口を経由する本格運行を開始。路線の大半が専用道を走るようになり、ようやくBRTの体裁が整ったのです。

出典:日立市「ひたちBRTが本格運行を開始

運行開始10年を迎えたひたちBRTの現状を確かめるべく、今年8月上旬にひたちBRTの全線乗車を敢行。全国で盛り上がるBRTブームの先駆けともいえるひたちBRTの利便性を体感してきました。

ひたちBRTは現金やIC乗車券で利用できます。しかし、公共交通機関では鉄道・路線バス・コミュニティーバスなどを組み合わせて利用するMaaS(Mobility as a Service)という概念が近年になって広まりました。MaaSを積極的に進めているのが、地方の公共交通機関です。

地方の公共交通機関は利用者の減少や助成金の大幅な削減といった問題に直面し、路線の廃止・縮小が進められています。それらを食い止める術は利用者を増やすことですが、沿線人口は減少しています。そのため、沿線住民の利用者を増やすことは容易ではありません。事業者が特に頑張っているのが観光目的の利用者を増やすことです。しかし、観光目的で現地を訪れても慣れていない公共交通機関を使うことは高いハードルです。そこで、スマホで簡単に乗車券を買える仕組みが考案されたのです。

茨城MaaSは、デジタルクーポンを発行して鉄道・バス路線の利用環境を改善。積極的に観光客や来街者の公共交通需要の掘り起こしを図っています。

まずは常磐線・大甕駅からおさかなセンターへ向かう

今回、筆者は「日立市内路線バス1日フリーきっぷ」(800円)を利用しました。日立市内路線バス1日フリーきっぷは、スマホから購入できます。利用する際は、画面を見せて下車します。これも茨城MaaSの一環といえます。

フリーきっぷはジョルダン「乗換案内」アプリから購入できる

ひたちBRTの全区間乗車チャレンジは、常磐線の大甕駅からスタートです。大甕駅は日立市の最南端に位置し、東京や茨城県の県庁所在地である水戸市に近いという立地です。そうした立地から、近年は水戸方面へと通勤する人たちのベッドタウン的な趣が強くなり、それに連動して市の中心となる日立駅よりも大甕駅の周辺に企業が進出するようになっています。

その代表格が、日立市と手を携えて歩んできた日立製作所と関連企業です。日立製作所はそれまで日立駅周辺に事業所・研究所・ミュージアム施設などを集積させていましたが、少しずつ大甕駅周辺へと拠点を移しつつあります。

大甕駅は2018年に駅舎が改築されたばかりで、BRTののりばは大甕駅西口にあります。地下の改札を出て東西の自由通路から案内板にしたがって西口の階段を上ります。地上に出ると、西口ロータリーにBRTの電光案内板が立っています。

ひたちBRTは、大甕駅西口から発着している
大甕駅西口の様子

その案内板を見ると、BRTには「おさかなセンター行き」と「多賀駅行き」があり、前者は日中40分間隔、後者は20分間隔で運行されていることがわかります。

大甕駅西口に設置されたBRTの電光掲示時刻表

BRTの到着を待っていると、目の前に現れたのは路線バスと同じ型の車両です。ひたちBRTに2車両をつなげた連節バスはありません。車体にBRTと描かれていたり、車両前面の行き先にBRTと表示されたりしているので誤乗することはありませんでしたが、大甕駅西口のロータリーからはBRT以外の路線バスも頻繁に発着しているので注意が必要です。

ひたちBRTの車両は連節バスではなく、見た目は通常の路線バスと変わらない

まず、筆者が乗車したのはおさかなセンター行きのバスです。昼ということもあり、車内は空いていました。車内後方の座席に座ろうとしたところ、モケットに“みんくる”が描かれているのを発見して、親近感が湧いてきました。

みんくるは東京都交通局が運行する都営バスのマスコットキャラクターです。都営バスを利用する都民や都内に通勤・通学する近隣在住者にはお馴染みですが、ふなっしーやくまモンといったゆるキャラがメジャーになっても、みんくるの知名度は全国区にはなっていません。都民である筆者にとって、日立市で出会えたことに感動してしまいました。

みんくるのモケットを使っていることからも、筆者が乗車したBRTの車両が都営バスのおさがりであることがわかりました。しかし、おさがりの車両といっても車内は古さを感じさせません。

なおかつ、BRTの専用道は駅前ロータリーから接続しているので、大甕駅を出発したBRTはすぐに専用道を走り始めます。専用道は路面の整備が行き届いていて、振動も少なく乗り心地は快適です。

BRTが走り始めると、すぐに工場群が見えてきます。そして常磐線の線路をオーバークロスで越えて停留所に停車。その後も数分で次々と停留所に停車していきます。

BRTの専用道は信号機がなく、一般道と交差する箇所にはゲートが設置されています。ゲートは一般車両の誤進入を防ぐ目的で設置されていますが、専用道には側道も整備されており、歩行者は通行できるようになっています。

BRT専用道はゲートが設けられ、誤進入を防ぐ
車両が近づくと、専用道の遮断機が上がる
BRTの専用道は旧日立電鉄の線路を転用。バス専用道のほか、側道も整備されているので近隣住民が散歩やジョギングなどをしている姿も
歩行者が専用道を渡れる箇所には路面に色を塗って区別している

BRTが走る区間の大半は専用道です。そのため、ほとんど赤信号で止まることはありません。BRTは快調に走り、すぐに専用道の南端である南部図書館前に停車。そこから一般道を走りましたが、あっという間に終点のおさかなセンターに到着しました。

おさかなセンターは国道245号線に面した道の駅で、海鮮が楽しめるレストランが人気です。多くの観光客が海鮮を目当てに足を運ぶと思われますが、BRTののりばは国道とは逆側にあるので静かな雰囲気でした。

BRTから下車し、乗ってきた車両にそのまま乗車するのも気が引けたので、次の便を待って再び大甕駅方面へと引き返します。今度は逆方向へと走るBRTに乗車したわけですが、大甕駅へと向かうルートだけあって途中駅から乗車する利用者もちらほらいます。

特に、おさかなセンターのひとつ隣にあるサンピア日立の停留所からは小学生が多く乗車してきました。ひたちBRTは小中学生の利用が多いのも特徴で、それは専用道の沿道に小中学校があるからです。

サンピア日立の停留所は、その名の通り久慈サンピア日立という施設の目の前にあります。同施設はスポーツセンターとして整備されているので、屋内プール場があります。サンピア日立の停留所から乗車してきた小学生たちはプール帰りなのでしょう。

そのほかにもBRTのルート上には先ほど通過した南部図書館といった公共施設もあり、こうしたBRTの区間に公共施設が点在していることも利用者を掘り起こすことにつながりますが、それには自治体と交通事業者の連携が欠かせません。

多賀駅方面は日立電鉄時代よりも駅間が短くなった

大甕駅西口へと戻り、今度は多賀駅行きのBRTに乗車します。先ほど乗車した大甕駅西口-おさかなセンターのルートは停留所の間隔が短いのですが、こちらのルートは停留所の間隔が少し長くなっています。もしかしたら、そのうち停留所が増設される可能性もありそうです。

こちらのルートも大甕駅西口を出発すると、すぐに専用道を走り始めます。そして常磐線の線路をオーバークロスで越えていきます。オーバークロスする専用道が急勾配になっているので、その車窓はなかなかスリリングです。

日立電鉄時代の旧水木駅・旧大沼駅・旧河原子駅は、BRTの停留所としても転用されてそれぞれが水木(BRT)・大沼(BRT)・河原子(BRT)になりましたが、ほかにもBRT転換に伴って停留所が増設されています。そのため、日立電鉄時代よりも駅間が短くなり、より地元密着の公共交通へと姿を変えました。

大甕駅西口から多賀駅前へと向かうBRTは、多賀駅前を除けばほぼ住宅街の中を走ります。特段、観光客や来街者が足を運ぶような名所や施設はありません。途中の停留所から乗車する利用者も多くいましたが、ほとんどが地元住民のようでした。

BRTが河原子(BRT)を過ぎると、専用道から一般道へと入ります。旧日立電鉄線は河原子(BRT)より北にも延びており、付近には往時を偲ぶ鉄道遺構もわずかに残っています。

河原子(BRT)停留所の近くには、日立電鉄の痕跡がわずかに残る

今後、日立市はBRTを日立駅まで延伸することを計画しているので、そのときに旧日立電鉄の遺構が再活用されるかもしれません。

一般道へと降りたBRTは、5分ほど走って常陸多賀駅西口のロータリーに到着。ここにBRTの多賀駅前があります。こうして、約8.6kmのひたちBRTの旅はあっという間に終了です。

常磐線の常陸多賀駅は、ひたちBRTのルート北限になっている

朝夕のみ日立製作所等の従業員の足となる便も

ひたちBRTの路線は、基本的に大甕駅西口-多賀駅前と大甕駅西口-おさかなセンターの2路線です。しかし、朝夕の通勤・退勤ラッシュ時だけ運行される別ルートがあります。それが日立製作所や関連企業の工場・事業所へと走る路線です。

朝夕のみ運行されている工場地帯ルートを走るBRT

日立市は世界でも屈指のトップメーカーとして知られる日立製作所が誕生した都市です。大甕駅の周辺にも日立製作所多くの工場・事業所が立地しています。そのため、朝夕の通勤・退勤時間はそこで働く従業員が大甕駅で乗降し、BRTを利用しています。

そうしたことから、朝の7時から8時台にかけてBRTには臨海工場西の停留所から一般道へと降り、さらに日立製作所の工場・事業所の前に設置された停留所へと向かう便があります。また、大甕工場の前に設置された停留所から大甕駅西口を経由して多賀駅へと向かう便が夕方の17時から22時台まで運行されています。

大甕駅の東側には、日立製作所および関連企業の工場が密集している

せっかくなので、BRT完乗を目指し、夕刻に大甕工場前まで歩いてここから発車するBRTに乗ってみることにしました。日立製作所の社員でなくても同ルートを走るBRTに乗車することは可能ですが、乗車している人は日立の工場・事業所に勤務する人ばかりです。

工場や事業所で働く社員は朝の便に乗っていますが、筆者は単なる来街者です。大甕工場の停留所へ足を運ぶには、臨海工場西から延々と大甕工場の前に設置されている停留所まで歩かなければなりません。

約15分を歩いて停留所に到着。ちょうどBRTのバスが停車していたので、すぐに乗車しました。筆者と日立製作所の社員を乗せたBRTは、日立の工場地帯を縫うように走り、臨海工場西の手前から専用道に入りました。そこからは通常のBRTと同じルートを走り、大甕駅西口で多くの乗客が下車しました。

大みか工場前は、朝夕のみ運行されている工場地帯ルートの終点の停留所

災害で不通になった路線・赤字路線・渋滞が課題のエリアで求められるBRT

今回、ひたちBRTを体験しました。昨今、地方の鉄道路線の存廃議論が喧しくなっています。人口減少や過疎化、マイカーの普及といった原因が重なり、鉄道需要が大幅に減少しているからです。

鉄道の維持には、当然ながら莫大な費用が必要です。運賃収入だけで鉄道を維持することは難しく、鉄道施設は税制優遇されたり、行政からの補助金で賄われたりしています。

人口減少、特に生産人口が急速に減少している社会情勢において、鉄道路線を維持する原資でもある税収は先細りが予想されています。そのため、税金を投じてまで利用者が少ない路線を維持する必要はあるのか? といった意見も出ます。

鉄道路線を廃止すれば、自動車を運転できない高校生の通学、高齢者の通院などにも支障が出ます。そうした交通弱者を生み出さないように努めるのが行政の役割ですが、それにも限界があります。

廃止した鉄道路線を道路へと転用し、その道路に代替となるバスを走らせることは珍しい措置ではありません。代替バスの一手段として、BRTが注目されるようになったのは2011年に起きた東日本大震災の復興時です。

東日本大震災は広範囲にわたって被害を出しましたが、特に青森県・岩手県・宮城県の沿岸部では鉄道路線が激しく損壊しました。三陸鉄道のように復旧したことで地元の活力につながった鉄道路線もありますが、他方で復旧しても需要が見込めない路線もありました。それが、気仙沼線と大船渡線です。

東日本大震災により被災した気仙沼線・大船渡線は一部の区間をBRTとして復旧

気仙沼線は宮城県の前谷地駅-気仙沼駅間を結ぶ路線でしたが、需要が少ない柳津駅-気仙沼駅間をBRTとして復旧させています。大船渡線は岩手県の一ノ関駅-盛駅を結ぶ路線でしたが、同じく需要が少ない気仙沼駅-盛駅間をBRTとして復旧させています。

また、福岡県北九州市の小倉駅と大分県日田市の夜明駅を結ぶ日田彦山線は豪雨災害で鉄道が不通になり、8月28日にBRTで復旧しました。

BRTは災害で不通になった路線ばかりを対象にしているわけではありません。東京都は湾岸エリアで東京BRTを運行する計画に取り組んでおり、今年4月1日からプレ運行(二次)を開始しています。

今年4月からプレ運行(二次)を開始した東京BRTは臨海部のアクセスを担う

東京BRTのようなケースはありますが、まだ導入事例は少なく、現在は主に黒字転換が見込めないローカル線をBRT転換する議論が目立ちます。鉄道を維持する費用は莫大ですが、BRTへと転換すれば維持費用を縮減できるからです。

鉄道での復旧や維持を望む声があることも事実ですが、BRTで復旧させるという選択肢が加わったことで、赤字路線をそのまま廃線にするという最悪な事態は回避されるようになりました。今後は多くの赤字路線がBRT転換されることが予想されています。

現在、ひたちBRTは第3期ルートの整備を進めています。第3期の整備は、BRTの北限となっている常陸多賀駅から旧日立電鉄の鮎川駅を経て日立駅までを結ぶ予定です。

日立駅は建築家の妹島和世さんがデザイン監修を務め、美しい駅としても観光名所となっている

日立市は市域が南北に長く、市域を南北に貫く国道6号線が主要幹線です。国道6号線は朝夕の通勤・退勤時間帯に渋滞が激しく、そうした問題の解消策として専用道を走るBRTが求められているのです。

日立市と同様の事情を抱える地域は少なくありません。つまり、ひたちBRTは全国に拡大傾向となっているBRTのモデルケースになっています。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。