鈴木淳也のPay Attention

第66回

PASMO対応で注目を集める「Apple Pay」と世界の交通系ICカード

10月6日にスタートしたPASMOのApple Pay対応]

10月6日にPASMOのApple Pay対応がスタートし、これでSuicaを含む首都圏の交通系ICカードがスマートフォンの2大プラットフォーム対応が完了したことになる。弊誌でも当日に小田急新宿駅で行なわれた発表会レポートの模様や、実際に定期券をApple PayのPASMOに登録してみるレポートが紹介されているので、サービスそのものの詳細は両レポートを参照してほしい。

ここで重要なのは、Apple PayにしろAndroidデバイスにしろ、日本におけるモバイルデバイスにおける交通系ICカードのサポートは一段落したという点だ。

筆者がCNETに寄稿したレポートにもあるように、交通系ICカードの世界はシェア上位3社(Suica、PASMO、ICOCA)の合算で9割以上、Suica+PASMOだけでも8割以上の発行枚数という非常に偏った世界となっている。これが意味するのは「交通系IC利用や、それによるキャッシュレス決済は首都圏と一部の大都市がそのほとんどを占めている」ということで、SuicaとPASMOの対応が完了したいま、新たなサービスをモバイル対応させる可能性は低いということだ。

実際、全国規模で相互乗り入れや地方交通での「10カード」受け入れが進み、例えばSuicaさえあれば多くの交通機関を乗り継いでいけるようになっており、大多数の利用者には困らないという実情がある。これは、東京五輪に合わせて政府やJR東日本などがSuicaをインバウンド旅行者向けにアピールしようとしていた姿勢からもみられる。

Apple Payで実装される世界の交通系ICカード

2016年にiPhone 7のApple Payで初めてSuicaサポートが発表されたとき、「(あの)Appleがわざわざ日本のローカル規格に合わせた専用の仕様を織り込んできた」などと話題になったりした。

当時Apple Payでサポートされていた交通乗車システムは、英ロンドンのTfL(Transport for London)で採用されている「オープンループ」と呼ばれるクレジットカードやデビットカード(英語圏では総称して「Payment Card」などと呼ばれる)で改札の出入場が可能なシステムであり、その後に世界で広がり始めたオープンループを採用する公共交通を「対応する乗車システム」として紹介するにとどまっている。

状況が変化したのは、2018年春にiOS 11.3で上海と北京の交通系ICカードがサポートされて以降だ。地域を中国本土に合わせたときのみ両都市のICカードがApple PayのWalletに追加でき、現地発行の銀聯カード(CUP:China UnionPay)でのみチャージが可能となっている。その後、2020年に入ると深センとChina T-Union(交通総合)カードが新たに追加されている。China T-Unionについては北京のICカードに付随する形となっているため、実質は3都市向けのICカードサポートとなるが、中国の現地仕様に合わせてApple Payがローカライズされた2例目となった。

3例目となるのが米国で、2019年4月にオレゴン州ポートランドのHop Fastpassとイリノイ州シカゴのVentraの2つの交通系ICカードがApple Payでサポートされることが公表されている。実はHop FastpassもVentraもオープンループ乗車に対応しており、当初はApple Payでの案内も「Payment Card利用」の扱いだった。つまりApple Payでは専用ICカードとオープンループの両方が利用できるということだが、例えばHop Fastpassであればユースパスなどの追加も可能であり、運用に若干の柔軟性がある。Hop FastpassのApple Pay対応はすぐに行なわれたが、Ventraは本稿執筆時点で公式ページが「Coming Soon」の状態で1年以上止まっており、提供タイミングは不明だ。

iOS 14以降で地域を「米国」に設定すると、追加可能なカードに「SmarTrip」と「TAP」が出現する
米ワシントンDCエリアで利用される交通系ICカード「SmarTrip」
WMATAが運営するワシントンメトロ

なお、米国においては今年9月初旬に首都ワシントンDCのSmarTripとカリフォルニア州ロサンゼルスのTAPが新たにApple Payファミリーに加わっている。両交通システムともオープンループは非対応の“Value Stored”なカードであり、今回の対応で初めてApple Payの利用が可能になった。

欧米の多くの都市では、都市ごとに異なる交通システムが導入され、相互運用性のない交通系ICカードが採用されている。本来であればオープンループへと移行していくのを待つのが有効なのかもしれないが、日本や中国のようなカバー人口の多い都市交通とは異なり、Apple Payがこうした都市単位のローカルな交通系ICカードを積極的にサポートするようになった点は見逃せない。

iPhone 8以降で「最大12枚」という制限こそあるものの、頻繁に当該都市を訪れるような旅行者がわざわざ交通系ICカードを用意し、適時券売機やコンビニのカウンターでトップアップ(チャージ)する作業を行なっていたことを考えれば、モバイル端末1つで事足りるようになるというのは非常に大きい。

“エクスプレスカード”と対応機種の謎

もう1つ、交通系ICカードのApple Pay対応で忘れてはならないのは、香港の「八達通(Octopus)」だ。世界で最初にFeliCaによる交通系ICシステムが導入されたサービスであり、従来までモバイル対応はSamsung Payのみだったほど、物理カード中心の利用環境だった。正確にはプリペイドSIMカードに八達通を入れて販売するサービスも存在していたが、こちらはメインストリームにはならずにフェードアウトしている。Apple Payの交通系ICカードのサポートという面では世界で4例目であり、FeliCaベースのものとしては日本国外で初となる。個人的に残念なのは、サービスの提供開始が今年6月で、この新型コロナウイルスが蔓延する世界で渡航が制限されるなか、このサービスを実際に試しにいけない点だ。

さて、ここまで挙げたサービス群だが、米ニューヨークのMTAを含め、すべてで「エクスプレスカード」設定が利用できる。エクスプレスカードはFace IDやTouch IDによる認証なしに、あらかじめエクスプレスカードに設定されている交通系ICカードまたは“Payment Card”を「改札通過」の特定用途で利用できるもので、改札前でまごつくことなくスムーズに通過できる。

日本国外で改札通過にエクスプレスカードを利用するメリットは動画付きで紹介しているので、いちどご覧いただきたい。エクスプレスカードは便利な仕組みではあるものの、前述シカゴのVentraをはじめ、対応していない交通機関の方が実際には多い。基本的にはゲート側が出してくる通信要求に対して、Apple Payがその情報を基に動作モードをエクスプレスカードと通常モードで切り替えているだけではある。だがこの対応状況を見る限り、ゲート側で対応すべき事柄が少なからずあり、このあたりの擦り合わせが進んでいないのだと予想する。

ロサンゼルスの駅にあるTAPの改札ゲート
ロサンゼルスのユニオン駅からハリウッド方面までを結ぶRed Line

またApple Payの交通系ICカード対応での疑問点で、中国のICカード(上海、深セン、T-Unionなど)やHop Fastpassは対応機種が「iPhone 6以降」となっているのに対し、SmarTripとTAPは「iPhone 8以降」となっている。もっとも、最新のiOS 14ではiPhone 6サポートは終了しているため、比較対象はiPhone 6s以降となるが、この違いはどこにあるのだろうか。FeliCaを要求する八達通がiPhone 8以降なのは当然として、PASMOの「iPhone 8以降」というのもまだ納得できる。

このように最近リリースされた交通系ICカードは軒並み「iPhone 8以降の機種に対応」で揃えられており、その意図やハードウェア的な差異が非常に気になる。このあたりの事情はおいおい取材の過程でカバーしていきたいと思う。

Apple Payはどこまでローカルサービスをサポートしていくのか

今回は交通系ICカードに絞って話を進めてきたが、実際にApple Payがローカル市場に合わせてサービスを提供している事例は多い。日本ではSuicaやPASMOのほか、クレジットカードの登録と同時にiDまたはQUICPayのいずれかの非接触決済サービスが利用できるようになる。このほか、カナダでは大きなシェアを持つデビットカードのInterac、フランスの主力デビットカードであるCartes Bancaires(CB)などもApple Payのカードとして利用可能だ。ポイントカードでも、日本ではdポイントカードとPontaカードが非接触対応しており、決して数が多いわけではないものの、コミットした市場に対してはローカライズの手間を惜しまない。

Cartes Bancaires(CB)の非接触決済に対応するパリ市内の自販機

ただ気になるのは、今後Apple Payがどこまでローカルサービスに対応していくのかという点だ。もちろんすべてをカバーするのは不可能なので、注力した市場において少しずつカバー範囲を広げる程度に留まるだろう。この場合の最大の問題はやはり交通系ICカードで、欧米では都市単位で交通サービスが分断されている事情もあり、モバイル端末側でカバーしないといけないのが現状だ。海外旅行者を含め、都市間移動の多いユーザーにとって、Apple Payの最大12枚というカード枚数制限がネックになる。

以前に標準化団体のNFC Forumで交通系仕様を取りまとめる担当者らにインタビューしたところ、例えば欧州ではイベントなどのタイミングで発行される「シーズンチケット」の存在や、都市ごとにまったく異なる料金制度など、擦り合わせ以前の問題が多数あることを述べていた。世界共通チケットのような形が理想的だが、おそらくその実現は難しいというのが実際だ。

モバイルNFCの規格化が進み始めた頃から何度か指摘されていた「セキュア領域の容量不足」も利用拡大とともに現実化しつつあると考えており、モバイルウォレットの機能拡充とともに、「どこまで1つの端末に機能を詰め込み、それを違和感なくスムーズに取り出す仕組みを実装できるか」という段階に入りつつあると考える。Apple PayとWalletアプリは比較的優れたUIだと考えているが、便利な財布であり続けるために、今後さらなるUIの改良が必要になるだろう。

鈴木 淳也/Junya Suzuki

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)