西田宗千佳のイマトミライ

第13回

アップルはなぜインテルからモデム事業を買収したのか

7月26日(現地時間)、アップルは、インテルからスマートフォン向けモデム事業を買収することを発表した。買収費用は10億ドル。これによりアップルは、インテルのスマートフォン向けモデム開発に従事していた2,000人の従業員と、インテルが保有する関連特許を取得する。

Apple、Intelのスマホ向けモデム事業を10億ドルで買収

アップルはかねてから、iPhoneなどに使うコア技術の内製化を進めている。だから、スマホの中核技術であるモデム事業を買収するのは自然なこと……というのが巷の分析だ。

まあ実際そうなのだが、事情はそう簡単な話ではない。

モデム事業は「安定長期継続」こそが強み

アップルがコア技術内製化を進めているのは事実だ。

では「なぜこれまでモデム事業を買収していなかった」のだろうか? 適切な額で買収に応じる事業者がいなかった、ということもあるが、アップルとしても、モデム事業を「買う」のは、金額以上に大きなリスクがあるのだ。

モデム事業は非常に難しい。技術的な難易度が高く、特許影響範囲の問題も面倒であり、特別なノウハウが必要だ

だが、ことはそれだけでは終わらない。

過去にモデム事業買収に関わったことのある、あるエクゼクティブを取材している時の話だ。彼はモデム事業買収の本質は「技術だけではない」と話した。

本質は「サポートだ」と言い切る。

ここでいうサポートとは、いわゆるコンシューマに対するユーザーサポートのことではない。ワイヤレスモデム事業はB2Bだからそこは関係ない。サポート相手はもちろん企業だ。

「ということは、ワイヤレスモデムを組み込む機器のメーカーですか?」

そう筆者はたずねたが、彼の答えは違っていた。

「世界各地の携帯電話事業者や、無線機器のメーカーだ。同じように見えて各地域の事業者の使っているシステムは少しずつ違うし、設置条件も異なる。そのマイナーな違いに合わせたサポートが必須。世界中の事業者とコネクションを持ち、適切にサポートしてフィードバックする態勢こそが、ワイヤレスモデム事業の本質だ」

ワイヤレスモデム事業の買収劇は時々起きる。しかし、うまく行く例は少ない。体制の変化は、前出のようなサポート態勢に影響を及ぼすことが多いからだ。

また、サポート態勢があっても、結局はその時期に応じた技術開発投資についていけないとうまくいかない。その額と難易度は、3G・4G・5Gと進化するに従い、より厳しいものになっている。

大きなコストを一気呵成に投下し、さらに、多数の国や事業者と安定的かつ持続的にビジネスをするメーカーは、ワイヤレスモデムにおいて有利な立場を維持できる。その典型例がクアルコムだ。単に技術力がある、というだけではない。各国の事業者の多彩な事業者の要望を聞きつつ、問題を抱えがちな初期需要に応えられる体制を持っていることが強いのだ。

5Gで先行するクアルコムに対し、インテルは後手に回っていた。2020年に出荷する製品に間に合うようにワイヤレスモデムを供給できない、という事態は、ほぼ唯一の大口顧客であるアップルにとって許容できない事態であり、結果として、アップルとクアルコムの間で燃え上がっていた特許紛争に、和解をもたらした

5Gモデムにおけるもうひとつの選択肢としてファーウェイがあるが、国情として、ファーウェイを選ぶ選択肢はない。

年間数億台作るから「自社開発」にこだわれる

インテルのワイヤレスモデム事業は、元々はドイツのインフィニオンが所有していた事業だ。iPhoneでは初期からインフィニオンのモデムチップを採用しており、2011年に事業がインテルに移管した後も採用が続いていた。実際には、2017年のiPhone X世代の段階では、クアルコムとインテル両方のモデムチップが採用されており、モデルによって使い分けがなされていた。

だが、アップルとクアルコムは特許紛争を抱えており、その関係から、2018年のiPhone XS世代では、インテルのモデムチップのみが使われていた。

実のところ、4G(LTE)においても、インテルとクアルコムでは、モデムチップの完成度に差があったのは事実だ。クアルコム製の方が受信感度や消費電力の点で優秀だという評価が一般的だ。製品としては他の設計も含めてバランスを修正した上で出てくるので、消費者レベルで大きな不満を感じるようなことはない。とはいうものの、製品を設計するメーカーの立場に立てば不満もあったのではないか、と推察できる。

年間で2億台を超えるiPhoneを作り、しかもその多くが9月からの数カ月に集中するため、アップルとしては、できるだけ複数のメーカーから調達できる態勢を維持しようとする。どうしてもそれができない場合には1社調達となるが、別の選択肢も存在する。

その別の選択肢こそが「自社開発」だ。自社開発すれば、必要な要素は自社の判断で決定できる。どの製品にどのような技術が必要で、それをどのくらいの期間使うのか、という判断を、他社のロードマップに乗らずに判断できれば、設計自由度は高くなる。だが、「実際に設計できるか」「そのためのコストや期間、製造ラインの確保ができるか」は別の問題であり、多くの場合それができないから専業メーカーに頼る、分業体制にするのが効率的だ。

だが、年間に同じものを数億台作る前提で、売価的にもそれなりに高いスマートフォンのような製品では成立しうる。アップルのような企業だけが採りうる策といってもいい。

直近ではなく未来を見据えた買収劇

とはいうものの、冒頭で述べたように、モデム事業は簡単ではない。アップルが自社製5GワイヤレスモデムをiPhoneなどに使えるようになるには、相応の時間が必要だろう。当面(少なくとも2023年くらいまで)は、クアルコムに依存する態勢が続くのではないだろうか。

また、今回の買収範囲が「スマートフォン向け」に限定されている点も留意する必要がある。

インテルとしては、自社ビジネスとの関連性が強い、PC向けやIoT機器向けのワイヤレスモデム事業には魅力を感じているのだ。特に5G以降は、スマートフォン以外の通信機器が増えるのは間違いなく、そちらからは手を離していないのだ。

初期需要を超え、5Gが本格的に普及するのは2023年以降と見られている。インテルのモデム事業に関する今回の発表は、直近の製品ではなく、そうした「本格競争の時代」を見据えた再編劇といえる。

さて、アップルはどうやって、難題続きだった「インテルの5Gチップ事業」を立て直し、自社のものとしていくのだろうか。その手腕が注目される。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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