鈴木淳也のPay Attention

第169回

日本のカード発行ビジネスに本格参入したIDEMIAから見るデジタルID・認証

毎年2月末から3月初旬にかけてスペインのバルセロナで開催されるMWC Barcelona]

携帯電話事業者の業界団体であるGSMAが主催する年次トレードショウの「MWC Barcelona」が、2023年も2月27日から3月2日までスペインのバルセロナにあるFira Gran Viaで開催される。残念ながら今年は筆者は参加できないが、例年同展示会に参加したときに取材する1社にIDEMIAがある。カード発行や生体認証、セキュリティ関連のソリューションを手がけるフランスのOberthur Technologiesが2017年に現在の名称に変更したもので、もともと国防関連にも関わっていたことから、業界でも大手の1つとして世界各地で公共民間問わず重要案件の多くを手がけている。

コロナ禍に突入してMWC Barcelonaは2020年に開催をキャンセル、翌年はオンライン中心に、2022年はリアルイベントへと回帰が始まり、2023年にようやく以前の規模を取り戻しつつあるようだ。

一方で、IDEMIAは「商談スタイルの変化」を理由に今年からMWCへの出展を取り止めており(商談ブースのみ確保)、展示会場での取材機会を失っている。非常に興味深い製品や技術を持つ同社だが、コロナ禍を経てどのようなアップデートがあったのか、2020年8月に本連載で紹介した2年半前の状況を鑑みつつ、アイデミアジャパン代表取締役の根津伸欣氏に話を聞いた。

アイデミアジャパン代表取締役の根津伸欣氏

メルカードと発行センターと「カード到着後アクティベート」

根津氏が直近のアイデミアジャパンのアップデートとしてまず挙げているのが「発行センター」の設立だ。

クレジットカードなどのICカードを発行する場所のことを指すが、もともと多国籍企業として世界展開を行なっている同社の場合、すでに世界に40カ所の発行センターと11拠点のカード生産工場を持っている。

年間カード発行枚数が9億枚で(シェア約30%)、これは仏Thales Groupと並んでほぼ同率1位の水準にあたる(Thalesは2019年に蘭Gemaltoを買収)。これに3位の独Giesecke Devrientを加えると75%程度のシェアとなる。ゆえに今回は日本に新たに発行センターを開設したことで、本格的に日本市場への進出が可能になったというマイルストーン的意味合いが大きい。

同氏によれば日本への本格進出がこのタイミングとなった理由の1つに、日本のクレジットカードが独自仕様を含んでおり、すでに日本市場で展開している国内の発行会社の持つ特許の存在が参入障壁の1つになっていたことを挙げる。つまり特許問題をクリアして参入してまで採算が取れる見込みが薄かったという。

この転機となったのがクレジットカードの非接触対応で、高コスト化の原因である非接触対応の必須化をVisaがうたったことで、すでに大量のカード発行実績やノウハウを持つ同社がスケールメリットで競争上の優位に立てるタイミングがやってきたのではないかという考えだ。

根津氏によれば、IDEMIA内でも2019年には発行カードの非接触比率が逆転するタイミングが到来したということで、この波が日本に及ぶのは時間の問題と考えたわけだ。

「こういったグローバル企業が日本国内でカードを発行すると、海外発行よりコスト高になるのでは?」という疑問を同氏にぶつけたところ、業界に明確なルールこそ存在しないものの、セキュリティ上、日本国内で発行するのが望ましいということ。そして海外から発送する場合、PIN情報がチップ内に記載された状態で郵送されてくるため、“アクティベートしたカードを運ぶ”というリスクが存在する。

そうした背景もあり、このタイミングでの日本市場本格参入を決定し、EMVの認定を2021年11月に取得、そして2022年5月に発行センターのサービスを開始した。一部では知られているが、この同社の顧客の1社がメルペイだ。メルペイは昨年11月に「メルカード」の発行を開始しているが、この発行を行なっているのがIDEMIAだ。

メルペイが発行を始めた同社初のクレジットカード「メルカード」
メルカード背面にIDEMIAの社名が確認できる(左下の部分)

メルカードの特徴はいくつかあるが、その中でも筆者が特筆するのが「カード到着後アクティベート」という仕組みだ。

カードが届いたタイミングでアプリ上からアクティベート処理することで、初めてカードが利用できるようになる。これが従来のカードでは配送に「本人確認郵便」が必要になり、不在で受け取れず不便を強いられたという人は少なからず存在すると思う。この方式であればアクティベートまではカードは有効ではないため、通常の郵便で送れるので、あとでポストを確認するだけだ。

もっとも、この方式を採用したのはメルカードが最初ではなく、例えばミクシィの「6gram」でも同様の仕組みが提供されており、この発行もアイデミアだ。トヨタファイナンスをはじめ、Fintech系サービス企業を中心に利用が進んでおり、リアルカードに加え、こういったデジタル関連ソリューションも合わせて提供できるのが同社の強みの1つだと根津氏は説明する。

なお、アイデミアが日本国内で手がけるのはISO/IEC 14443のいわゆる「Type-A/B」系の非接触カードで、FeliCaベースのものは現状でサポートしない。日本の場合、クレジットカードにFeliCa機能も組み込んだ“コンボカード”的なものが存在するが、ある業界関係者によれば今後こうした仕組みはコスト高などの理由もありフェードアウトしていく方向性で、単機能カードに近いものが中心になっていくと思われる。

根津氏によれば、決済向けカードでこうしたローカルスキームが存在するのは日本だけに限らず、世界でいえば75%ほどの市場がこうしたローカルスキームを抱えているという。IDEMIA本国のフランスでも日本でいうJ-Debit的な「CB(Cartes Bancaires)」があったりするが、「FeliCa対応についてはもう少し先を見ていきたい」(同氏)としている。

メタルカードやダイナミックにCVVが変化するカード、PINなしでの「CDCVM」が可能な指紋認証カード、リサイクルプラスチックのカードなど

デジタルIDの応用例

IDEMIAがセキュリティや認証関連で携わる重要なサービスの1つに「デジタルID」がある。昔は偽造防止の意味合いが強かったと思われる「国民IDカード」や「運転免許証」の発行業務だが、近年はどちらかといえばスマートフォンなどのデジタルデバイスと組み合わせ、いかにセキュリティを担保しつつ利用範囲を広げていけるかという部分に視点が置かれつつあると考える。

デジタルIDの世界では、例えばAppleが昨年3月にiPhoneへの「運転免許証(Driver's License)」または「州政府発行の身分証(State ID)」搭載を開始しているが、その第1弾となったのが米アリゾナ州の身分証だ。

iPhone内にこのアリゾナ州発行のデジタルIDを格納しておくことで、“同州内”での運転免許証の代わりになったり、あるいはバーへの入店やアルコールの店頭での購入などで“公的な”身分証として提示が可能になるというもの。便利な例としては、空港で制限エリアに入る際の身分証チェックを行なうTSAがこのデジタルIDを読み取ることで運転免許証やState IDの代理として活用できる。

現状でiPhone内に航空券を格納できるため、わざわざプラスチックの身分証を別途用意せずとも、iPhoneだけで処理が完結するので便利というわけだ。

iPhoneにデジタルIDとして格納された米アリゾナ州の運転免許証(出展:Apple)

根津氏によれば、IDEMIAによる米国の運転免許証のカバー率は85%。米国において運転免許証やState IDは州単位で発行されるため、その比率に応じた州を同社がカバーしていることを意味する。

フランスでは国民IDのデジタルアクセスで同社が関与しているほか、現在欧州内でクロスボーダーでのデジタルIDの運用を可能にする「eIDAS(electronic IDentification, Authentication and trust Services)」の議論が進んでおり、この議論が煮詰まってくると、より本格的な運用検証が進むようになるとみている。

このように政府発行のデジタルIDをオンライン認証に使ったり、あるいはモバイルデバイスに組み込んで持ち歩いたりといった使い方がよく議論されているが、実際には“Root of Trust”と呼ばれる認証のためのID発行機関は政府に限らず、卒業証書やスキューバダイビングの免許であったり、さまざまな属性が入ってくるケースが今後想定されると同氏は述べる。

モバイルで持ち運べるデジタル“キー”の存在も重要で、身近な例ではレンタカーやカーシェアリング、MaaSなどで、運転免許証と車を利用するためのデジタル的な“鍵”をモバイルデバイス内で運用することを想定する。

生体認証の実際

同社のセキュリティと認証でもう1つ重要になるのが「生体認証」だ。代表的な製品が「MorphoWave」で、デバイスの“コ”の字型になっている部分に手を“通過”させると、瞬間的に指紋を読み取って認証を行なうという非接触型指紋センサーの仕組みだ。

世界的にも引き合いが多く、昨今の半導体不足問題もあり製造が追いつかないレベルで需要があるという。日本での事例だが、諸外国同様に製造業での需要のほか、データセンターや電力関係での入退館管理でのセキュリティ用途に活用されている。

最近では特に食品製造での需要が多いとしているが、その理由は異物混入のリスクを避けるためで、カード方式では貸し借りで入退館を可能にしてしまう問題があることによるという。

昨年初頭に発表されたMorphoWaveの最新モデル。「Wave」とは「手を振る」を意味しており、指紋認証の際に手を横方向にスライドする動作を模したキーワードと考えられる

海外事例では、先ほどの空港でのTSAのチェックのほか、スタジアムへの入場管理に利用されるケースが増えているようだ。指紋認証では事前に登録という作業が発生するが、スタジアムでスポーツ観戦するファンには頻繁に訪問する利用者も多く、年パスを持っているような場合では週2~3回の訪問も珍しくない。また、「利便性にお金を払う」ということで、わざわざコストをかけてでも専用レーンですぐ入場できる仕組みを利用したいというユーザーも多く、こうしたサービスのスタジアムへの導入を後押しする文化があるようだ。このほか、Vision Passという顔認証デバイスもあり、MorphoWaveと合わせて検討されていると述べる。

このように同社の生体認証ソリューションは「入退館管理」での利用が中心となるが、実証実験ベースでは「顔認証決済」への応用も進めていると根津氏は説明する。ただ同氏によれば、可能性としては考えられるものの、ビジネスモデルを考えるうえでどのようにペイしていくかは考慮の余地があるとしている。1つはデバイス自体の価格の高さで、もう1つは認証対象となるユーザーの母数が数千万になった場合、本人拒否率が0%にはなり得ないため、こうした例外処理にどう対応するかという課題だ。またサーバー側に認証データを置いた場合、そのレイテンシも課題になるとしており、スケーラビリティと実用面ですぐの置き換えは難しいのではないかという考えも示している。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)