西田宗千佳のイマトミライ

第60回

接触確認アプリ公開1カ月。誤解と課題と長期戦

厚生労働省が新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の接触確認アプリ「COCOA」を公開したのは、6月19日のことだった。7月20日は、アプリが公開されてから1カ月目にあたる。

同アプリは「最初の公開日から1カ月間は、試行版(プレビュー版)になる」とされており、状況に変化がなければ、本格的運用がいよいよスタートすることになるだろう。

公開以降の状況と、今後このアプリとどう付き合うべきなのかを考えてみよう。

接触確認アプリは「いまだ誤解だらけ」

筆者が接触確認アプリについて調べ、取材を始めたのは3月末のこと。シンガポールで導入された接触確認アプリ「TraceTogather」が話題になり始めた頃である。その後、AppleとGoogleが提携してフレームワークの開発に着手したり、中国や韓国でスマホの位置情報を使ったアプリが使われたりして、世間でも注目を集めるようになった。

AppleとGoogleが手を組んだ。感染拡大阻止に「スマホ技術」ができること

その関係もあり、日本での接触確認アプリについても注目は集まったし、「とにかく急いで導入すべきだ」という議論も起こった。

だが、本当にその意味を多くのひとがちゃんと理解していたのか、もっと言えば「導入する政府の側も誤解せずに進んでいたのか」という点を考えると、かなり疑問を持たざるを得ない。

伝える側の人間として、初期からその意味を何度も、自分で執筆する記事やテレビ・ラジオなどの取材対応で答えてきた上でいうのは実に心苦しく、力不足を感じるのだが、本当に、その意味が「マスには伝わっていない」と感じる。

接触確認アプリがどう働くのか、本誌読者の皆さんであれば、そろそろ説明は不要かと思う。

接触確認アプリ「COCOA」を使おう。いますぐできる新型コロナ対策

Bluetoothのビーコンを使い、接触確認アプリをインストール済みでかつ、「1m以内に15分間留まった」状態=濃厚接触の場合、お互いの「匿名化された情報」を残す。そして、ある人が「陽性判定」を受けた場合、それを厚生労働省が運用する「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)」に登録し、さらにそこから、アプリ側が1日に一度、「自分のスマホ内にある、過去14日の間の濃厚接触履歴」と照合、「陽性判定者との濃厚接触があった」という表示が出る。

仕組みはともかく、利用者としては「アプリを入れておけばいい」「陽性判定者との濃厚接触があったら勝手に教えてくれる」「個人情報・行動履歴は取得していないし蓄積もされない」とだけおぼえておけばいい。

「アプリをインストールしない理由」を限りなく小さくすることに腐心した仕組みだと評価している。一方で、インストールしたからといって、それだけで自分を守ってくれるわけではない。「アプリをインストールするインセンティブに欠ける」とされるが、それは事実だろう。

だがそれだけでなく、「個人情報や行動履歴の流出が怖い」「国やスマホのプラットフォーマーに個人情報を握られる」と思っている人が、思いのほか多いのだ。

一般紙向けの解説や取材依頼などでは、「国を信じていいのか」「個人情報をまたGAFAに握られるのか」的な誤解を解くのに苦労した。

一人歩きした「6割説」の弊害

もうひとつの大きな誤解は「インストールしている人の数が人口の6割を超えないと意味がない」というものだ。

確かに、多くの人が使うほど効果が高まるものだ。安倍総理も導入前に「6割の人が使うと」とコメントしている。

だが、この「6割」は一人歩きしすぎている。「日本のスマホ普及率は6割だから無理だ」「LINEですら6割程度なのに、そこまで普及するはずがない」との声もある。

根拠となっているのは、オックスフォード大学で病理菌動態学関連の研究を手がける、クリストフ・フレイザー教授の研究グループが『SCIENCE』の2020年3月号に寄稿した論文だ。

この論文では確かに6割という話が出てくるが、それは「他の対策をとらない場合に流行を抑え込むには」という話である。実際には、それよりも低い値でも効果が出る。

少し考えてみればわかる話だが、「人口密度が高くて感染拡大が懸念される場所」では効果が出やすく、そうでない場所では効果は出にくい。実際問題、スマホの普及率は全国一律ではない。単純に人口とアプリのダウンロード数を割って「6割に達していない」ことを揶揄したところで、なんの意味もないのだ。

効果が出るにはインストール数を増やす必要がある。そこで「6割に達しないからアプリを入れる意味はない」と判断することは、自ら効果が出る可能性の芽を摘むことに他ならず、それを煽るメディアの行為もまた、非難されてしかるべきだ。一部に「トラブルを面白がるような記事」があったことには真剣に怒りを覚えるし、そこに「6割に達しないから」という情報だけで否定的なコメントを寄せていたIT関係者は、強く反省してほしいと思っている。

接触確認アプリは「短期決戦」ではない

一方で、なぜこんな混乱が起きたのだろう?

アプリの開発体制が万全であったか、という点には疑問がある。この1カ月が「試用期間」とはいえ、アプリの不具合がいくつかあったことは、確かに良くない。今後の運営・改善体制の改善は必須だ。

だが、その問題の根幹はどこにあったのか?

それは間違いなく、政府の側にある。

厚生労働省がアプリの担当省庁になっているが、アプリの性質の周知や不具合窓口としての役割をちゃんと果たせていただろうか? あまりに「マス向けのアプリやサービスを展開する上での鉄則」をはずしたやり方ばかりで、混乱を助長していたのではないか。

その根幹には、「急いでアプリを作らないと意味がない」「6月や7月になってからでは遅い」という意識があったのではないか? 政府の答弁からは、そうしたニュアンスが汲み取れた。実際みなさんの中にも、「アプリが出てくるのが遅い」と思っている人が多かったのではないだろうか?

AppleやGoogleのフレームワークによる接触確認アプリは、プライバシーに最大限配慮して「長期戦略」で臨む性質のものだ。そのことは初期から明白であり、4月・5月の切迫した状況を切り抜けるためのものではなかった。筆者を含め、複数の記者がAppleやGoogleの施策を読み解いた解説記事を書き、そのことを初期から指摘している。

だが、政府や多くの人は「6月や7月になっては意味がない。できるかぎり急がねばならない」と思い込んでいなかっただろうか?

「ピンポイントに発病した人の行動を抑制する」アプリやサービスなら別だ。その場合には、発病した人=少数に使ってもらえばいいので、普及の問題は出ない。だがその場合には、私権について、一時的に大きな制約を課すことになる。少なくとも現状の日本の法制度では難しく、コンセンサスを得るのも困難だろう。その発想が不要とは言わないが、今は「できない」。

「プライバシーに最大限配慮し、多くの人が使うことが目指すアプリ」=大多数への普及を目指すやり方の場合、相応の時間とお金をかけたPRが必須。限られた予算と施策では、短期での普及がそもそも困難だ。

以下のグラフは、2012年にLINEが「全世界で7,000万ユーザーを超えた」時のものである。スマホの普及初期と今では状況が異なるが、「LINEですら国内で3,260万ユーザーに到達するのに8カ月かかっている」事実は覚えておきたい。

LINEが2012年に「全世界で7,000万ユーザーを超えた」時に公開したユーザー数増加の推移。震災後でスマホによるコミュニケーションに注目が集まっていたときですら、数が増えるには相応の時間がかかっている

ヒットスマホゲームである「Fate/Grand Order」は、2,000万ダウンロードに到達するのに「5年」を必要としている。

LINEのようにメリットが明白でブーム的に利用が進んだように見えるものでも、スマホゲームのように知名度が高く大量にCMを打つものであっても、アプリのダウンロード数はゆっくりとしか増えないものなのだ。だからこそ、アプリマーケティングの手法は急速に進化し、「初手の鉄則」も出来上がっている。

だが政府は、接触確認アプリの公開時に、その「普及の鉄則」をことごとくはずしている。まさか「試用期間」だからやらなかったのだろうか? 「すぐに公開しなければならない」というプレッシャーで開発体制に負担をかけた一方で、十分な告知や理解を進める施策は行なわれていない。

接触確認アプリの場合、ダウンロード数は7月17日の段階で741万。筆者はこのペースを順調、とは思っていない。しかし、「アプリダウンロード数拡大の鉄則に近い初動対策がまったくなく、テレビCMが多少行なわれた程度」で、「逆風的な報道がマス向けメディアで目立った」割には多い、と安堵している。

この段階での、接触確認アプリからの「陽性登録者数」の少なさを揶揄する声もあるが、アプリ普及の初期かつ、導入者のほとんどが「COVID-19拡散に対する対抗意識が高い人」であろうことを考えれば、登録者数が少ないことがアプリの価値を貶めるものではない。むしろ、「今アプリをインストールしている層とは違う人々に周知するか」という課題が見えた、といってもいいだろう。

もちろんこれで満足はできない。感染拡大が懸念される冬がやってくるまでの数カ月の間に、できるだけ利用者数を伸ばしておく必要がある。

「試用期間」が終わったのだ。

アプリのアピールもここからが本番と言える。読者の皆さんの中で「まだインストールしていない」という方がいたら、ぜひ、今、インストールをお願いしたい。たしかに、インストールした人に直接的な利点はないが、多くの人同士の助け合いで効果が決まる。入れるのを拒否する理由は少ない。

正直なところ、今回のアプリ開発で、「官が提供するアプリ・サービスのあり方」について、マイナスの知見がずいぶん得られたのではないか。厚生労働省は政府とともに、「アプリとシステムを作ったら終わり」ではなく、文字通り長期戦でアプリ普及に臨んで欲しい。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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