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中野サンプラザ閉館。50年の歴史に幕

中野サンプラザ

東京・中野のJR中野駅前にある複合施設「中野サンプラザ」が7月2日で閉館し、50年の歴史に幕を下ろした。5月から開催されていた音楽祭の最終公演が終わった後に閉館セレモニーが開催され、関係者や従業員が感謝の言葉を述べた。

中野サンプラザは1973年開業。さまざまなアーティストが公演した都内有数のコンサートホールとしてのほか、レストラン、宴会場、結婚式場、ホテル、ボーリング場やスポーツ施設などを備えた複合施設として利用されてきた。また三角形を組み合わせたその特徴的な外観から、街のシンボルとして区民に親しまれてきた。開業から31年間は国有施設で、後半の19年間は中野区が取得、区が出資する会社が運営する民営の形をとっていた。

建設時の中野サンプラザ

閉館後、一帯は野村不動産を代表とする事業者グループが再整備。これに伴って中野サンプラザは解体され、同じ場所に最大7,000人規模の大ホールとホテルからなる「NAKANOサンプラザ」が建設される予定(2029年頃の開業を予定)。線路側の隣接地にも高層のシンボルタワーが建設され、一帯が「NAKANOサンプラザシティ」という名称になる。

50年の歴史の集大成として、5月3日から異例の長さで開催された「さよなら中野サンプラザ音楽祭」は、各ジャンルのトップアーティストが公演。7月2日の山下達郎の公演をもって音楽祭は終了し、同日に中野サンプラザは閉館を迎えた。

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」は駅前を中心に、さまざまなキャッチコピーで盛り上げる施策が実施された
エントランスに掲出された音楽祭出演アーティストのサイン
エントランスに用意されていたフォトスポット
中野サンプラザホールのイメージ
最後の座席の様子

閉館セレモニー 50年の感謝と新施設への期待

閉館セレモニーには中野区長の酒井直人氏、中野区議会議長の酒井たくや氏、中野サンプラザ 代表取締役会長の金野晃氏、中野サンプラザ 代表取締役社長の佐藤章氏、野村不動産 代表取締役社長の松尾大作氏が登壇した。

1階エントランスの赤階段で閉館セレモニーを実施
音楽祭に出演したアーティストのサインが入った記念の椅子が野村不動産の松尾社長に贈呈された(展示場所は現在未定)

中野区長の酒井直人氏は、自身も中野サンプラザを利用してきたファンのひとりだったとした上で、「今後、中野駅周辺は大きな開発が控えている。サンプラザも新しく生まれ変わる。中野サンプラザ50年のDNAをしっかりと継承して新しい街づくりを進めていきたい」と挨拶し、新たな施設にDNAが継承されていくとした。

左から、野村不動産 代表取締役社長の松尾大作氏、中野区議会議長の酒井たくや氏、中野区長の酒井直人氏、中野サンプラザ 代表取締役会長の金野晃氏、中野サンプラザ 代表取締役社長の佐藤章氏

中野区議会議長の酒井たくや氏は、1970年代の計画当初はデパートで、地元の商店からの陳情が国会議員を経由、時の首相・田中角栄氏による「全国の青少年の勤労に資する施設を作ろう」という掛け声でコンサートホールを備えた施設になった、という経緯を紹介。「街を歩いていても、中野サンプラザが無くなる寂しさが住民の中でどんどん増していると感じた。中野区民にとって中野サンプラザは家族、ファミリーだった。今後(再整備事業で)大きく生まれ変わっても、またファミリーとして受け入れてもらえるような事業として進めていかなければならない」と決意を語っている。

中野サンプラザ 代表取締役社長の佐藤章氏は、コンサートホールを中心に全国的に名前を知られる施設になったことを紹介。一方で区民にとっては、入学式、卒業式、成人式、結婚式と、個々人の「歴史を刻む場所としての役割を担ってきた」とし、「三角形の特徴的なビルの形とともに皆様の記憶に残るのであれば、素晴らしいこと。すべてのお客様、50年間のご愛顧に感謝します」と感謝の言葉を述べた。

再整備を手掛ける共同事業体の代表として登壇した野村不動産 代表取締役社長の松尾大作氏は、「半世紀の歴史があり、運営に携わった多くの人々やミュージシャン、区民をはじめ、愛着をもって中野サンプラザを見守ってくださった一人ひとりの想いに、十分に応えていきたい。山下達郎さんが(最終公演の)コンサートで言われていたように、“サンプラの神様”が微笑んでくれるような、ちゃんとした施設にできるよう、事業を推進していきたい」と、再整備事業への思いを新たにしていた。

最後に挨拶したのは、中野サンプラザ 代表取締役会長の金野晃氏。同氏は「中野のランドマークとしてのみならず、コンサートホールとして多くのアーティストに利用され、日本の音楽シーンの移り変わりをつぶさに見つめてきた。その間にはさまざまな出来事があった。東日本大震災の夜には帰宅困難者を受け入れ、毛布にくるまった人で埋まったこともあった。コロナ禍のピークでは休館を余儀なくされた。人が集い交流する場としての中野サンプラザは、社会に支えていただき、社会との繋がりを強めてきた50年だった。中野サンプラザを引き継いで新しく建設される施設が多くの人に愛され、親しまれ、魅力ある施設になることを期待している。中野サンプラザに関わったすべての皆様、中野サンプラザの名前を姿を心に留めていただいたすべての皆様に感謝を申し上げます」と挨拶し、50年の歴史を締めくくった。

この後、花束を金野会長に贈呈するプレゼンターとして、アーティストのサンプラザ中野くんが登場。「この芸名でデビューして来年で40年。中野サンプラザさんには、いつも優しく応援していただき、ともに肩を組んで歩んできた、いや、駆け抜けてきた気がします。今日で中野サンプラザは閉館ですが、新しいサンプラザが開業するまでの間、サンプラザの名前は私が守ってまいります。新しい中野を楽しみに待とうではありませんか」と、これまでの感謝と新たな施設への期待を語った。

花束の贈呈にサンプラザ中野くんが登場
金野会長に花束が贈呈された

閉館セレモニーの最後には、中野サンプラザの従業員が集合し「50年間、ありがとうございました」と全員で発声し、お辞儀。報道陣を含めた大勢から大きな拍手が贈られた。

中野サンプラザの従業員が集合
「50年間、ありがとうございました」とお辞儀
降壇時には涙ぐむ姿もみられた

閉館セレモニーは報道陣向けに開催されたものだったが、大きな赤い階段のある1階エントランスで実施。入口のガラスドア越しに多くの区民が見守るなど、黒山の人だかりとなっていた。セレモニーが終わると、集まった群衆からも拍手が起こり、「ありがとう!」の声がしばらくの間続いていた。