PC業界には、もっとワクワク感が欲しいなぁ...。



 Impress Watchで連載を執筆しているライター諸氏と同様に、私のところにもY氏から連絡が入った。

 「10周年にあわせて、何か書いてくれませんか」--。

 この連絡は、まるで「赤紙」だ。Watchに参加している限り、どうも逃げられないらしい。

 そして、この「何か」というのが困る。テーマが絞り込めないからだ。

 さらに、12月早々に頂いた依頼に対して、「冬休みの宿題でいいですか」と年明けの入稿を打診したところ、Y氏からはご快諾をいただいたものの、編集部全体には「大河原は、どうも、やたらに忙しいらしい」という情報だけが飛び交い、「なんでそんなに忙しいの」との質問を浴びせられる始末に。むやみに締め切り日を伸ばすものではないということを悟ったところだ。

 しかし、それでもかなり予定より遅れての入稿となっている。よくよく考えてみると、小学生時代から、冬休みの宿題は、何日か遅れて提出していた覚えがある。


見つけた!インプレス設立時の写真

会社設立直後の塚本慶一郎氏
なにもないガランとしたオフィス
 その冬休みを利用して、古い資料をひっくり返してみた。

 すると出てきたのが、インプレスグループを率いる塚本慶一郎氏の会社設立直後の写真だった(若い!)。

 たぶん塚本氏は忘れてしまっているだろうが、手帳を見ると、1992年5月の設立直後の単独インタビュー。当時、在籍していた業界専門紙の週刊BCNの一記者として取材にお邪魔した。場所は千代田区一番町。いまの本社とは異なり、半蔵門線の半蔵門駅近くのビルである。

 さらに、この時に撮影させていただいたインプレスのオフィスの写真も出てきた。塚本氏に、オフィスのなかを案内していただいた際に撮影したものだ。なにもないガランとした様子は、これからスタートする企業の雰囲気が十分だ。

 当時のインプレス設立のリリースには、「前の会社は『ア』から始めたが、今度は『イ』だ」と書かれていた。「ア」とは、塚本氏が、郡司明郎氏、西和彦氏とともに立ち上げたアスキーのことを指す。さらに、リリース文には、「アスキーとは仲良くしたい?」の見出しを立てて、袂をわけたアスキー・西社長(当時)の「松下・三洋ののれん分けと同じく見守りたい」とのコメントや、「業界一部にある全面対決の観測を否定した」と記すなど、とにかく異例のリリースであったことだけは覚えている。


必然?でたどり着いたWatch

 ウェブ媒体であるWatchのスタートは、インプレスの設立から4年後だが、まさか自分が、塚本氏へのインタビューから9年後、ライターとしてWatchに参加するとは思っていなかった。

 また、Watch編集部を統括する小川亨取締役とは、小川氏がかつて勤務していた別会社の編集部時代から15年以上のお付き合いだし、PC Watch編集長の伊達浩二氏とは、名刺をひっくり返していたら、10年以上前に、取材する側と取材される側という立場でお会いしていることがわかった。

 予想外の巡り合わせだが、こうしてみると、なんだかんだと人のつながりで、Watchには、必然的に辿り着いたような気もする。

 2001年に、BCNを退社し、フリーランスライターとして独立したが、最初に連載を持たせていただいたのが、PC Watchであり、10年間のWatchの歴史のなかでは、ちょうど半分の5年間を、ライターとしてお付き合いさせていただいた計算になる。小川取締役から声をかけていただき、伊達編集長からすぐに連載の仕事をいただいたことが、私のフリーランスとしての第1歩であり、いまでも大変感謝をしている。

 いまでこそ、インターネット媒体は市民権を得ているが、振り返れば、わずか5年前ですら、どんなウェブ媒体でさえも、読者は一部のPCパワーユーザー層に限定されているというイメージが世間にはあった。PC専門媒体であるPC Watchであればなおさらだ。そして、その意識を最も強く持っていたのが、既存マスコミ媒体の記者、編集者であったことを覚えている。

 当時、日刊紙の記者や、ビジネス誌の編集者からは、「なぜウェブ媒体に記事を書くのか」と、たびたび質問された。新聞記者の一部には、新聞こそが一番だという意識を持っているケースがあるからなおさらだ。

 自分の媒体に誇りを持つことはすばらしいことだが、それが行きすぎると周りが見えなくなる。

 誤解を恐れずにいえば、既存媒体の関係者の間では、ウェブの記事に対する評価が低く、新聞を頂点として構成する言論媒体としてのピラミッド構成においては、ウェブ媒体は最も低い位置にあったといえる。だからこそ、ウェブ媒体に、記事を書き始めた私に対しても、「なぜ...」という質問が出たのだろう。

 だが、この5年で、ピラミッド構造は明らかに崩れた。ウェブが、ニュース媒体としてはもちろん、言論媒体としても、その地位を確立しはじめたように思う。そして、Watchの各媒体も、その役割をしっかりと担っている。

 ただ、私自身、こうした将来の変化を読んで、Watchに参加したわけではない。

 PC産業を舞台とした媒体として、速報性とアーカイブ性を持つWatchの仕事が楽しかっただけの話である。

 そして、現在の仕事の6割以上が紙媒体への執筆であるにも関わらず、多くの人に、「ウェブの仕事のほとんどでは」と誤解されるのも、Watchの影響力によるものだと感じている。

 ひとつ予想だにしなかったのは、PC Watchだけの原稿執筆だったものが、Enterprise Watch、AV Watch、ケータイ Watch、家電 Watchなどにも原稿を書くことになり、伊達編集長の新規媒体拡大戦略にまんまとはまってしまったことであろう。おかげで、幅広い業界と企業を取材させていただくことになり、フリーランスにならではの醍醐味を味あわせていただいた。


Watch創刊前の過去を振り返って...

 少し古い写真を引っぱり出してみた。

 Watchの10周年とは、なにも脈絡もない内容になってしまうが、少し紹介してみたい。むしろ、この内容は、Watch創刊前の10年といった方がいいかもしれない。

 私が、記者として、明確なテーマをもって取材に取り組んだのは、エプソンの98互換機だったように思う。

 1987年に発売されたエプソンの「PC-286」は、国民機と呼ばれたPC-9800シリーズ初の互換機として注目を集めた。会見には数多くの記者が集まり、会場は満席となった。

エプソンの98互換機「PC-286」の発表会

 だが、この製品は、エプソンがBIOSにおいてNECの著作権を侵害しているとして、NECが販売差し止めの訴訟に打って出るという強硬な姿勢の前にお蔵入り。エプソンは、後日、PC-286モデル0という製品を発表して、ドタバタのなかにも、正式に互換機を市場投入した。

 この98互換機の発表以降、NECのPC-9800シリーズを中心に、大きな地殻変動が始まることになる。

 NECは、「オフィスは本物を知っている」というキャッチフレーズを使いながら、互換機を牽制。PC-9800シリーズのシェア50%維持に盤石な体制を築こうとした。

 だが、追随するメーカーは追う手を緩めない。あの手この手でNECに襲いかかる。

ソフトチャンネルマシン説明会
 PC-98包囲網では、米国で標準となっていたIBM・PC/ATをベースに日本独自の仕様を追加したAXパソコンのほか、教育パソコンとしてTRONをOSに採用したCEC仕様、ソフトメーカーで構成される日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会の外郭団体によって提唱されたソフトチャンネルマシン構想などがあった。また、98互換機ではシャープが、MZ-2500を投入し、エミュレータソフトによる98互換PCを投入するといった動きもあった。


「ミスター98」こと、高山由氏(右)
 当時、NECでPC-9800シリーズ事業を率いていた「ミスター98」こと、高山由氏(写真右)に、98包囲網についてのコメントを求めたことがある。その時の回答は、「50%以上のシェアを持つメーカーを、少ないシェアのメーカーが集まって、どうやって、包囲するんだ」というものであった。なるほど、計算上、確かに包囲はできない。いまでも、これは最高の名回答だと思っている。


DOS/Vの意味と狙いを説明してくれた堀田一芙氏
 その後、98包囲網として登場したのがDOS/Vだ。日本IBMでDOS/Vの普及に尽力した堀田一芙氏は、わざわざ記者を個別に呼び出し、DOS/Vの意味と狙いを、丁寧に説明してくれた。振り返れば、事業部長自らが一記者に電話をかけて、「明日の会見来てくれるよね」という、いまでは信じられないようなやりとりすらあった時代だ。


 一方で、業界団体が相次いで誕生し、業界の広がりと形成を感じとることができた時代でもあった。コンピュータソフトウェア著作権協会、日本コンピュータシステム販売店協会、ユースウェア協会などが相次いで設立し、業界としての姿を形成していった。写真は、それぞれの協会の設立総会の様子だ。

コンピュータソフトウェア著作権協会設立 日本コンピュータシステム販売店協会設立 ユースウェア協会設立

 また、アップルコンピュータの日本人社長の誕生や、コンパックやデルの日本法人設立といった外資系企業の動きも慌ただしくなった。

アップルコンピュータ、日本人社長誕生 コンパック日本法人設立 デル日本法人設立

 そして、こうした動きを前後して、Windows 95の発売へとつながっていく。ここで、PC業界が世の中に明確に認知されるに至るのだ。Watchの創刊は、こうしたタイミングだったのである。

 振り返ってみると、草創期ともいえる当時のPC業界には活気があった。なにが起こるかわからないというワクワク感もあった。

 たが、いまはそのワクワク感を感じることが少なくなった。もしかしたら、PC業界のプレーヤーの高齢化が進んだことが要因かもしれない。世代交代がうまくいかなかったということなのだろうか。

 周りを見渡すと、いま、このワクワク感は、薄型テレビを中心とするデジタル家電の世界にある。そして、100%近い普及率を背景に、市場が飽和状態となり、買い換え需要が中心となっている白物家電業界にも、いまはたくさんのワクワク感がある。

 20年近く、PC業界を見てきた立場からすれば、ワクワク感がないPC業界は寂しい限りだ。

 これからの将来、「夢」と「未来」を提示してくれるPC業界であってほしいと思う。

( 大河原 克行 )


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